Opportunity knocks
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2004年07月31日(土) |
ナイン・ストーリーズから |
「バナナフィッシュにうってつけの日」 文章(小説)に関してはほとんどひとめぼれする性質で、はじめの印象でだいたい好き嫌いが決まってしまう方なのだけど、どちらか決めかねてというか自分でそれを読んでどう思うのかがはっきりとわからないというときが稀にある。 で、とにかく読んでみよう、という感じで読んでいるとそのうちに何となくああいいな・・とその良さみたいなものがじわじわ浸透し、いつのまにか知らないうちにひきこまれていってしまう。R・カーヴァーとJ・Dサリンジャーはわたしにとってそういう作家かもしれない。
特にサリンジャーはいまだによくわからない。好きとか嫌いとかいう言葉では上手く説明できないし。 受ける側のモンダイなのだろうなとは思うのだけど、カーヴァーとサリンジャーにもそう読者に思わせる原因のようなものが共通してあるんじゃないかと、本を読んでいてすこし思った。ようするに、読者に迎合しない、あるいは読者を意識しない作家であるということ。わかりにくかな。わかりにくいよね。
えっと「バナナ〜」の感想。 なんていっていいかよくわからないのだけど、現実感が妙に欠落しててでもみずみずしくて、とにかく不思議な小説。シーモアとシビルの会話が好き。ラストはすとーんとおちる感覚。グラース家のことはフラニーとゾーイー以外ほとんどわからないので、ほかの小説も読んでみようかなとおもう。
冷やっこ(モロヘイヤと乾煎りのじゃこのせ) 牛肉(ほんの少し)とブロッコリとセロリのいためもの 茄子の浅漬け しじみのおみそしる
冷やっことしじみの身を1時間近くかけてたべる。 なんだかむなし。
水羊羹、こえだちゃん、練乳がいっぱいの宇治金時かき氷、 MOWの苺味、しろくま、おにぎり、赤福、じゃがばた、 トースト&バター&ブルーベリージャム、かきのたね、 じゃがりこ、白玉あんみつ、ラフテー、 キルフェボンの紫イモのクッキー、きんぴらライスバーガー、 やきたてのフランスパン・・・
たべたいよー。
バイシクルピアノ、を買うらしい。連れ合いが。 どんなものかというと、巨大な三輪車の上にピアノが乗っかっているとイメージしてもらえればいいかと思う。そういうものをちゃんと作ってくれて売ってくれるところ(http://www.pine-o.co.jp/users/nakarin/)がちゃんとあるのです、この広い世の中には。 それでスカートなんか買ってくれたのか、と妙に合点したのだけど、それにしても今うちにあるアップライトピアノを乗せるとしてもその製作物、代金が100000円近くするのだそう。しかし、そんなものを作ってもらってどうする気なんだろうこの人は。つまとしてはどうすればいいでしょうかこんなとき。おっとの暴走を止めるべきか、おっとの夢を内助の功でかなえてあげるべきか・・・。なやむ。。
どんな死に方をするんだろう、とメディアでみかけるたびに思ってた。 どんな死に方もありうる気がした。 けどそれでも何となく棺おけに片足を突っ込みつつ、 しぶとく長生きするものだと勝手に思っていた。 もっといろんなものを読みたかったな。 今から10年後、20年後にこの人はどんな生きかたしてどんなことを思って どんなことを書くんだろうってたのしみにしていたのに。 何だかひとつ大事なものをなくしたようなそんな気分。
心からのご冥福を。
久しぶりに連れ合いとおでかけ。 なぜか知らないけど、裾がひらひらした涼しげなスカートを買ってくれた。 なにか(御機嫌をとらなきゃいけないことが)あるのか?、と疑心暗鬼的な視線を向けたのだけど、にこにこしながら「たまにはいいじゃない」とごまかされてしまった。まあいいけど。 とっても素敵なスカートだった。
何かを所有する事について考える。 所有すればそれに付随した感情や責任みたいなものに常に付きまとわれる。 それを受け入れることのできる人が、いろいろなものを所有できるのかもしれない。 たとえば、失うかもしれない、壊れるかもしれないという恐怖みたいなもの、 失ったあとの空虚感、それらを受け入れ消化することのできるひとたち。
そういう不安感を持ちながらもこれからいろんなものを所有しようとしていくんだろうと思う。 それは思っているよりしんどいことなのかもしれないけど、それでも。
本屋にいってきまぐれに文庫本を買う。サリンジャー「ナイン・ストーリーズ」川上弘美「ありがとう」 そのまえに読みかけの本を読破しなければいけないのだけど、どうも最近(というかここ一年くらいずっと)読書に集中できない。 読みたいという気持ちはすごくあるのだけど今なにがしたい?ときかれたら誰もいない山奥の山荘で鳥の声を聴きながらひとりっきりで一日中本を読んでいたいと答えるくらい本を読みたい気持ちなのだけど、でも実際本をまえにすると時間のことが気になって集中できない。というか時間の使い方が下手なんだろうなとはおもう。もう少し時間を有効に使えるようにならなきゃ、と反省する今日この頃。
車の運転中や料理の途中によく考え事をするのだけど、そういうときにふと頭に浮かぶことがなんとなく的を得ていたり面白かったりする。 このまえは前から書きたいなあと思っていた文章(創作)の出だしが思い浮かんで、車の運転中ずっとぶつぶつ独り言をいったり首をひねったりしていた(はたからみるとかなり不気味) で、うちに帰ってその文章を書きとめようとしたのだけど、ぶつぶつ独り言をいっていたときにはすらすら出てきた文章がすらっと消えてしまった。いっしょうけんめい思い出そうとすればするほどでてこない。
何かのタイミングでそういう言葉ってでてくるものなのかも。そのときの体調とか気持ちとか空気の流れとか。もちろんそれ以前に言葉というものをどれだけ自分の中にストックできてるかっていうことが大切なんだろうけど。
そういうタイミングを意識的にコントロールできるのが作家というものなんだろうなと思ってみたり。
現在ダイエット中。 先月末から開始して現在21日目。 体重が0.8kg減 体脂肪率1.8%減 筋肉量が0.5kg増 基礎代謝量が17kcal増 某HAさんからお借りしたハイテク(死語?)体重計で測定した。
体重があまり、というかまったく減っていないのが(結構かなり)気になるけど、筋肉量や基礎代謝が上がっていてなおかつ脂肪量が減っているのでとりあえずはよしとする。 筋肉量が体格(身長166cm)のわりには多くないので、筋力アップのトレーニングと有酸素運動を平行して続けていく予定。有酸素運動はほんとは走りたいところだけど、とても続きそうもないのでウォーキングや水泳など軽いものを地道にやろうとおもっている。 問題は食事。とりあえず野菜中心のメニューでたんぱく質を多めにとり、炭水化物は基本的にとらないという目標でやってるのだけど、さすがにストレスが。 運動はどちらかというと地道に続ける自信があるけど、食事の方はなかなかそうはいかないみたい。筋肉を多くして代謝を増やし脂肪を燃焼させるというのが方針なので、その方針にできるだけ沿った食事のとりかたを考えようと思う。ストレスがたまらないように。
最近受信トレイを開くたびにウイルスメイルが届いていてかなり憂鬱になっている。 ノートンは最新版にしているし、実際きちんと働いてくれているので実害はまったくないのだけど、毎回、「あなたが受信したメイルに脅威がみつかりました」なんていう表示がでてくるといいかげん心が暗くなる。
わざわざ脅威なんてものを他人に見せつけようとする人間が存在するんだよね。 ゆううつ・・・。
2004年07月12日(月) |
きょうかんがえたこと |
「自分が恐ろしく愚かな人間になったような気がした。 人間の中には愚かな部分がなければ人を愛することなどできないのかもしれないとおもった」
ある小説の中の一文。 なんとなくわかるような気がした。 誰かを愛するというのは 滑稽なくらい愚かで純粋なものなのかもしれない。 そんなことをおもった。
夕食後、後片付けをしてから選挙にいく。 コドモがついていくというので、会場となっている学校まで夕涼みがてら歩いていくことにした。7時もまわったのにまだ西の空は明るくて、昼間の熱を含んだ風がまだそこらかしこにふわふわしている。
歩きながら、選挙のことについて話す。比例区のこと、選挙区のこと。党がなぜ議席を争うのかということ。 さすがに中学生ともなると興味の対象が違ってくるのかもしれない。 数年前まではほとんど興味を示さない分野だったんだけどな。(まあそれ以外にも歓迎できない分野をいろいろ開拓しているようだけど)
なにはともあれそんなふうに関心を持つのはいいことだと思う。 コドモが選挙権を得る頃にはもうすこし、選挙自体が意義のあるものであってくれたらと思う。というかそれは大人であるわたしたちの行動で決められていくのかもしれないけれど。
「永遠のアフリカ」 連れ合いを亡くした女性が、1人息子と再婚相手とともに新天地を求めてアフリカへ旅立ち、そこで半生を送るというのがおおまかなあらすじ。 この映画はほぼ実話で、主人公のクーキーという女性も当然実在する。(キム・ベイシンガーが演じている)現在彼女は作家であり、動物愛護の運動もしているとのこと。
映画を観ながらそのような人生について思いをはせる。 まったく未知の土地へ移り住むということ、アフリカという地で生きること、 自分という人間の存在を確立するために生きるということ。
そんなことをおもいながら観ていた。
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