Opportunity knocks
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えー今わたしのいちばん身近にいる人のHPです→SMOKE 紹介してくれとしつこく頼まれたので紹介します・・・。 まだ工事中のところもありますが、徐々に更新する予定と本人も申しておりますので、気が向いたら遊びにいってみてください。
2004年08月30日(月) |
いつかは消えるのだとしても |
paris matchの「♭5」 このところずっと聴いている。
4ばん目の曲がとくに好き。
いつかは失われるという予感を誰でも心のどこかに持っているんじゃないだろうか。 だからこそ今一緒にいられることがこんなにもうれしくていとおしいのだとおもう。
誕生日。 前日、友達から手紙が届く。 相変わらず、すっと体に浸透するような文章。 中にはもうひとつ素敵なものが入っていた。 とても元気になったよ。 ありがとう。
今日は一日用事があってでかけていたのだけど、 夕方家に帰ったらテーブルの上に大きなリボンがかけられたプレゼントのつつみが置いてあった。 コドモからは本、連れ合いはバック2つ。 とてもとてもうれしかった。
誕生日を祝ってもらうのはうれしい。 自分という存在を必要とされていると心から思えるから。
とても素敵な誕生日だった。
嵐の前の静けさなのか、大型の台風が近づいているというのに外はとっても静か。 鈴虫などの秋の虫が静かに鳴いているのがきこえる。
明日は雨が降るだろうか。
2004年08月25日(水) |
虫嫌いの方は見ないで下さい・・・ |
虫が植木鉢の葉っぱにとまっていた。 9階のベランダまでわざわざ飛んできたのか、 それともうちの植木鉢の中ですくすく育ったのか(まさかね)
じっとみてたら虫もじっと見返してきた。 何となく愛着がわいたので写真にとった。
夕方もういちど葉っぱをみてみたら 虫はいなくなっていた。
アキ・カウリスマキ「過去のない男」 淡々とシーンが進んでいくところは昨日の「ピアニスト〜」と似ているけれど、やっぱりカウリスマキの映画には独特の間というか、親密であたたかいものが感じられる気がする。無駄のない生きかた、自分にとってほんとうに大切なものだけを見つめて生きていく、そんな純粋さを持って生きられたらと思う。
カティ・オウティネン(って名前合ってるかな)のなにげない服の着こなしがすごく好き。はっとさせられるような色の組み合わせにいつもながら感心してしまう。 そして赤の使い方も。まえにみた「浮雲」でも象徴的に使われていたような気がする。なんていってたら浮雲、みたくなってしまった。また観てみようっと。
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薄いベージュ系のネイルエナメルを買う。薄いのだけどパールが入っていて、塗った感じはなかなか良い。いつものごとく爪がすーすーしてちょっと気持悪いのだけど、でもマニキュアとかペディキュアって、女子ならではの楽しみというかなんとなく女であることを思い出させてくれるところがあって、時々手をだしてみたくなるのだ。まあほとんど気まぐれなのだけど。 そんな感じでただ今Nは女子としてのよろこびに浸っております。
F・トリュフォー「ピアニストを撃て」 思ったより入りこめた。 映画という大きな入物の中で、与えられた役を淡々とこなしていく演技者を少し上から見下ろしているような感覚、フランス映画をみていると時々そんな気分になる。
なにもかも失ってそれでもなおピアノを引き続けるラストの男の目線が強く印象に残った。
2004年08月14日(土) |
お休みは流れるように過ぎていく |
今日は海。 砂浜に寝転んで、ただ時間が過ぎるのをぼんやりたのしむ。
そばでは男二人が、真顔でこんな会話。
「・・・黒だな、やっぱり」 「おれはさぁ、やっぱりピンクかな、薄い色のさ・・・」
なんの話やっちゅーねん。
ちなみに今日はワタクシ、黒でした。
帰りに特大のかき氷なんかたべたりして、 おもいきり夏の日って感じのそんな1日。
朝から台所と自分の部屋の掃除。 プリンターを変えたので、それに合わせてパソコンの位置も変えてみた。なかなか良い感じ。 本棚とか引出しの中にたまったなんやかやを整理してたらあっというまに時間が経過。台所も普段やらないところを掃除したので結構疲れた。
午後は本読みながらいつのまにかお昼寝。 ああおやすみってほんとしあわせ。
夕方、友達6,7人と近くにできたお店へ飲みにいく。 軟骨のからあげとか、豆腐と水菜の胡麻和えとか冷麺なんかがおいしかった。 やっぱり暑いからなのか、ビールがおいしくって少々飲み過ぎ。 飲みすぎると結構笑い上戸になって、そして隣にいる人(男女問わず)にやたら触りまくる、らしくて、今日もそんな感じでよっぱらった。(しかし記憶をなくすところまでは至らず)
笑い上戸のまま帰宅。 「あーよっぱらってるよ、このひと・・」と連れ合いとコドモは呆れ顔。 まあたまにはいいじゃん、と開き直り。
オフロに入った後、アテネ五輪の開会式。 一緒にみようと約束していたコドモは1時半くらいにダウン。 開会式はじまったよおおお、と揺さぶってみたが応答しなかったのでひとりでみる。いろんな国があっていろんなカラーがあって、いつもながら見てて飽きない。 ギリシャの演出も、独特の感じがあって面白かった。 明日からの各競技もたのしみ。
「ジョゼと虎と魚たち」
ジョゼのつくる御飯をみていたら 無性になにかたべたくなって 夜中の2時をまわったというのに 夕食のカレーののこりなんかたべた
何かを求めるということは すばらしいことでもあり かなしいことでもあるんだな、とおもう ジョゼは強い、とおもった そんな強さをわたしはたぶん持っていない
いつかは深い海の底に帰るのだとしても それでもたえずなにかを求めていたいと そんな自分でありたいと そうおもった
むせかえるような緑。 ずっと眺めていた。 やっぱり山育ちだな、と実感。
昨日と今日とスポーツ・アシスタントの研修にいっていた。 スポーツ・アシスタントというのは、スポーツ指導者の補佐役みたいな立場のものと考えればいいと思う。わたしの住んでいるH市は地域(中学校区)でスポーツクラブを運営し、小中学校と連携しながら子供たちを民間レベルで支援し指導していくということを数年前からやっていて、文部省のモデル事業にもなっている。要するに少子化、核家族化で孤立しがちな子供たちをより大きな集団の中で健全に育てていこうという試みで、学校や個々の家庭ではできないことを大きな地域という枠組みの中で協力してやっていこう、というコンセプトのもとに始められたものである。スポーツ経験者がボランティアで子供たちの指導にあたっていて、わたしも微力ながらその責任の一端を担っている。
で、昨日今日実際に何をやったかというと、地域と学校教育との連携についての話を聴いたり、現代の子供の体力体格、発育発達に応じたスポーツ指導の考え方を学んだり、怪我に対する応急処置や予防としてのテーピングの方法やウォーミングアップ・トレーニングについての講義を受けたりした。 会場はスポーツ医科学研究所というところ。県内のスポーツに携わる人々が専門的な知識や治療、リハビリテーションを求めてやってくるという専門的な機関で、プロのスポーツ選手や今オリンピックに出場する選手も多く利用している。子供の成長には順序性と臨界期があり、それぞれの時期に適したトレーニングをするということやオーバーユースの問題など、結構専門的な話がきけて、とても意義のある時間だった。
スポーツというのはひとつのアプローチにしかすぎないわけで、運動に興味の無い子供についてはまた違ったサポートが必要なわけだけど、こうして地域の人間が子供の育成に関わるというのは基本的には良いことだと思う。自分の家族のことだけではなくてもう少し広い範囲でみていくことが大切なんじゃないかな。それで結果的に地域の環境がよくなって自分に対しても還元されていくのではないかと思う。
2004年08月01日(日) |
きょうのことあれこれ |
葉月。 あっというまに8月。 今日は久しぶりになんの予定も入れず家でこころゆくまでのんびり過ごす。 明日からはいつものレセプト作業。お休み前までに片付けることがいろいろと。 そのあとは休暇。山の中の温泉なんかつかってのんびりする予定。それまではがんばろ。
今日びっくりしたこと
某Oくんの話をきいてネットでOpprtunity knocksと入力して検索してみたらいちばん上にこのページがでてきた。びっくり。いんたーねっとってすごいなあとあらためておもう。 そしてもうひとつ。同じOpprtunity knocksというタイトルで日記を書いている方を発見!それも同じ地元の方、というか連れ合いが中退した大学の研究室にいらっしゃる方!らしい。ほんとうにびっくり。 でも、同じタイトルの方がいたということがなんだかうれしい。たぶんその方はJ・アーヴィングの小説を読んでて、んでもってサイダーハウス・ルールも読んでてそれでもってあの言葉に何かを感じた方なんだろうな、きっと。ちょっと小確幸。
今日かんどうしたこと
昔撮った8ミリのビデオテープをPCにとりこみ、レンダリングし、更に編集しDVDにするという作業を(連れ合いが)やっているのだけど、今からおよそ10年くらい前のものとかが結構いっぱいあって、かなり二人できゃあきゃあいいながら見ていたりする。もうコドモがかわいくってかわいくって。(〇ばかです笑ってやってください。ふたりで画面みながら、んもうッ!かーわいい!!!なんていってるのです・・・。)そんな両親をみながら当のコドモは呆れた様子でためいきついてたり。
それにしても10年。こうやって時間の経過をはっきりと目にしてしまうと、なにかしら感動してしまう、ほんとに。 特別なことなんてなにひとつなかったけど、人に誉められたり羨ましがられたりということなんてなにひとつできなかったけど、それでもこうやって当たり前のように10年間こどもを育ててきたんだなあってあらためて思った。ちょっとだけ自分を労ってやりたい、そんな気持ちになった。そんな一日だった。
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