Opportunity knocks
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2004年11月25日(木) |
月の光は万人のもとに |
ベランダから。 東向きなので、満月の時期になると夕暮れの空にこんなふうに月がみえる。
夜、ある人からメールをもらう。 月をみていたら冬がきたことを実感した、とあった。 月の光は万人のもとに届くけれど、月をみて思う気持ちは千差万別なんだ、とそんなことを思った。
時々何もかもいやになってしまうことがある。 目に見えない澱のようなものがたまりにたまっている。 そんななんやかやをすべて吐き出したくなる一瞬。 そんなこと誰にだってあるよ、なんて言われそうだけど。
ひとりで生きていくことについて考える。 自分だけの生活。ひとりだけの生活。 時々そんなふうに暮らした方がよかったのかな、とおもうことがある。 誰かと暮らす、誰かを守る、誰かと何かを作り上げる、 そんなことが途方もない徒労のように思えてしまう、そんな一瞬。 それはほんの一瞬だけ頭をよぎる。何かの暗示みたいに。
今日は一日中連れ合いの教科(美術)のテストの採点の手伝い。 すんごく疲れてしまったのだけど、それでもテストの採点というのはじつは結構たのしい。まあなんの責任もない第3者だからそう思うのだろうけど。 それにしてもほんとうにいろんな子がいるんだなあとおもう。テストひとつとっても、緊張してる子もいれば面倒くさいと思ってる子もいればテスト嫌だなあというのがひしひしと伝わって来るような子もいる(そういうのは字面をみていると何となくわかるのだ)そういうのをみるだけで楽しい。 それに加えて今回のテスト、最後の設問に4コマを完成させなさいというのがあって、それもまた見ていておもしろい。1コマ目だけプリントされてあって、続きを書きなさいというものなのだけど、解答をみてみると、訳のわからないもの、細部にはすごく凝っているのだけどストーリーになっていないもの、アイデアの良いもの、支離滅裂だけど思わず笑ってしまうもの、などなどいろんな4コマがある。中には筆記問題は3点とかなのだけど、4コマの方は素晴らしい出来というのもあって、みてて飽きない。 こういうのが教師の醍醐味なんだろうなあ。久々に笑わせてもらいました。
近頃洗濯機の様子がおかしい。 動いている間中尋常でない音がしてくる。 そろそろ寿命か?(嬉
だいたいがウチは(どちらかというと乱暴に使っているにもかかわらず)電化製品の寿命が長すぎると思う。 よその話をきくと、このテレビは3台目だのこの食器洗い機は(ウチは買ってもいないが)2台目だのこの冷蔵庫は3台目だのと、結構買い換えているらしいのだ。それにくらべて我が家は結婚してから買い換えたのは唯一ビデオだけ(コドモが取り出し口にレゴブロックを大量に押し込んで壊した)アイロンなんか独身時代のをまだ使っているし、冷蔵庫も結婚してから買ったものだし、洗濯機も同様。かろうじて全自動だけど3k洗いのものなので、洗濯物が多いと2回、3回とまわしている。 壊れないかなあ、と思うのだけど壊れない。壊れれば堂々と買えるけど、壊れないとやっぱり買えない。
で、洗濯機。 変な音を発しながらもいちおう今のところ動いている。壊れるんだろうか。まだまだ動くのだろうか。 乾燥機付きで8k洗いのがいいなあドラム式でななめになってとりだしやすいっていうやつ・・・なんていう期待が微妙に広がっている。
「戦争の世紀をこえて」 姜尚中 森達也
本屋でひと目みて即買い。 姜尚中氏は数ある知識人の中でわたし的に尊敬している一人だし、森達也氏は(あまりよく知らないけど)オウム真理教などのドキュメンタリー映画(「A」「A2」)などを撮っている人という認識はあったのでつまらない本であるわけがないと思って買ったのだけど、かなりかなり想像以上だった。 自分が普段こころの奥底で疑問に思っていることの糸口をずるずるひきだされた感じ。久しぶりの感触。
本は戦争の痕跡(ポーランドのイエドヴァブネ村、ザクセンハウゼン強制収容所、朝鮮総督府跡、市ヶ谷記念館、)を辿りながらお互いの胸中を語り、そして意見を交換していくという感じで進んでいくのだけど、姜氏と森氏は全くタイプの違うパーソナリティを持っていて(それぞれに興味深く奥が深そう)それが文章に反映されているところがとても面白い。特に森氏は自分でも、映像の人間であり究極的には情緒的な人間であって論理は苦手である、と書いている。論理のスペシャリストである姜氏とそんな自分が対談なんて、とあるのだけど、違うふたりだからこそ一緒に書く意味があったのじゃないかとおもう。そう思える箇所が随分ある。根底にあるものは同じで、なんていうのかな、知ろう、知りたい、という貪欲なまでの熱望が感じられる。
まだ半分くらいしか読んでないし、まだまだ消化しきれてない部分もあるので時間をかけてゆっくり読もうと思う。 ああでも出会って良かったと思えるような本、ほんとうに。
ねむねむ・・・。 このところずっと寝不足だったのでさすがに眠い。
きょうの発見。
その1 チロルチョコのきなこもち味を見つけた。 友達がおいしいおいしいとこの前からいっていて、えーまずかったんでわざとそういうこといって食べさせようとしてるでしょうなんて思っていたのだけど、きょうたべたらかなりおいしかった。ちょっとあとひく味。きなことチョコと餅のコラボレーション。しかも21円。
その2 本を整理していたらなかからお金がでてきた。 貯金しようと思っていて忘れていたお金。かなりうれしい。もちろん貯金なんてしない。なに買おうか思案中。
小確幸。
「オールド・ボーイ」
うーん、どうだろ。確かに刺激的な映像だし刺激的な筋立てだし刺激的な演技なのだけど、良いといえば良いのだけど。どうも話が突拍子もなく思えるところもあるし、怯えればいいのか笑えばいいのかよくわからない場面もあったりで、前評判ほどよくはなかった、と思う。正直言うと。 映画を観ながら別のことなんか考えてたし。 すべてを忘れさせるくらいじゃないとね、やっぱり。 それでも劇場で観る価値はあった気がする。
これで今年観た映画は19本目(ビデオ除く) 結構観た気がする。 あと何本観られるかな。
スパイク・リー 「25th hour」 かなり良かったです、この映画。 やっぱりエドワード・ノートン、すごい。なにみてもはずれがない。
麻薬の売人をやっていた男が警察に逮捕されていよいよ収監されるその前日、男は翌日からの刑務所生活、恋人のこと、今までの自分の生活、などいろいろなことを考えている。男に残された選択肢は三つ。逃げること、刑務所に行くこと、死ぬこと。男は考える。想像する。 たった一日を境に世界が変ってしまう。こちら側の人間からあちら側の人間へ。 その理不尽さ、無力感。そういったものを映画全体でうまく表現していたとおもう。そして時間は繰り返さないのだということ、一度起きてしまったことはもう戻ってこないということ、そのことを知らない人間がほとんどなのだということ、そんなことが強く心に残った。
アンナ・パキン、フィリップ・シーモア・ホフマンが良かった。 スパイク・リーの映画はあまり観た事がなかったけど、ほかの作品にも興味がでてきたのでまた機会があれば観てみたいと思う。
梁白日 「血と骨」 さらっとした文章(昨日読んだ小説)の後に、かなり濃い文章。そのギャップが面白い。 映画の方と比べると、やっぱり小説の方が表現が豊かだとおもった。 映像には映像の良さがもちろんあるけれど、ある一面ばかりが情報として目に飛び込んでくるから他の面が見えにくくなってしまう。文章はその点、考える余地想像する余地を与えてくれる。
物語的には、とにかく金俊平。映画でも小説でもそうだったけど、なんだか触発されるものがあった。彼は彼なりの行動規範があって、それに基づいて生きている、その一生がどんなに不毛なものであろうとどんなに乾いたものであろうと彼はそんなことはどうでもいいと思っている。その潔さ、その野蛮さ、その正直さに圧倒された。 もちろんわたしは家族に対して暴力を振るったりしないし、大事にしたいと思っているし、平凡で幸せな人生を送りたいと思っている。でもほんとうはどこかで金俊平的なものが蠢いているような気もする。誰もがそういうものを心の奥底に沈めながら生きているような気がする。
北野武は…いまいち。若い頃の金俊平を演じた人、全く良くなかった。オダギリジョー、思ったより良し。田畑智子、このひとがいちばんリアリティがあった気がする。女教師役の人、オーバー・アクションぎりぎりだったけどまあ良かった。
誰の視点で物語が進んでいるのかが中途半端、成漢なら成漢でもっと成漢の主観なり心情を盛りこんでほしかった。性描写と暴力シーンに重点を置きすぎのような気もする。 小説の方が映画よりやっぱりよかった。
人は何のために生きているのか?そんなことは金俊平の知った事ではなかった。大多数の人間は生きるために生きており、やがて死ぬだろう。それだけである。そこには深遠な意味があるとはどうしても思えなかった。人間の喜怒哀楽も刹那的な一過性でしかない。金俊平にとっておのれが消滅すれば世界も消滅するのである。
絲山秋子「袋小路の男」
負荷のかからない文章。浮き立ってはすっと沈んでいくような。 でも、ただそれだけという気もしないではない。 いつかどこかで読んだような文章だな、というような。 それがいったいどうしたというのだ、とでも言いたくなるような。
それでも「アーリオ オーリオ」は良かったかな。 3光日の距離、というのが気に入った。 光りが3日かかって届く距離。 3日間のタイムラグ。 そういう時間ってとてもすきだ。
一日中眠かった。 朝7時に起きて朝食を作り、部活に行くといったコドモを送り出してからまた二度寝。起きたらお昼になっていた。 連れ合いと部活から帰ってきたコドモに揺さぶられてようやく起きる。 お昼ご飯を用意してさらに三度寝、はさすがにしなかったけど、それでもなんだか眠くって午後もずっとぼんやりしていた。 夕方までうすぼんやりした頭のまま読書。 そんな日曜日。
2004年11月13日(土) |
酔って文章書きが癖になりつつ |
スポーツ仲間と一緒に飲み会。 体育会系はやはり勢いが違う。久しぶりにいっき飲みなんかさせられた。
帰りにアイスクリームたべてお開き、したのはいいのだけどさっきから猛烈に頭ががんがんする。 早くも二日酔いか?頭痛薬を飲もうか飲まずにすまそうか悩み中(現在0時22分)
昼間、久しぶりに図書館にいってきた。 いろいろあったのでいろいろ借りてきた。
「ランドマーク」吉田修一 嫌いかもなんてゆっておきながら。 「夜明け前のセレスティーノ」レイナルド・アレナス 読めそうな気がした。 「エイリアンズ」 宮台真司 前から気になっていたが。 「袋小路の男」絲山秋子 結構注目中。 「アンダーワールド」 ドン・デリーロ いちおう借りてみただけ、いちおう。 「血と骨」ヤン・ソギル 映画の方が未消化なためそのぶん小説で消化しようかと。 「白い闇」ジョゼ・サラマーゴ うう長そう、読めるかな。 「至福の味」ミュリエル・バルベリ 仏最優秀料理小説賞なんてものがあるのをはじめて知った。
たぶん半分も読めずに返す事になると思うけど、なるべく読めるといいなとおもう。
・・・・・やっぱり頭が痛い。 薬のむ→布団にもぐりこむ→寝る、という感じになりそうな気配。
元気が残ってたら映画みます。(「花様年華」)さらに元気があったら追加で感想書きます。このまま終わってたら、あーNは力尽きてねちまった、と思ってください。では良い週末の夜を。
現在3時04分。 一瞬ぐぐっと眠ったのだけど、ふと起きてしまった。 アルコールを飲んだあとはいつもそうで、眠りが長続きしない。
「花様年華」
言葉にだせない思いは心の中にとけて、最後には溜息となって散っていくのかもしれない。 世の中にはそんな種類の思いがあるのだよね。それがとてもせつない。
3部作、また時間をおいてきちんと観てみたいと思う。
近頃自己嫌悪に陥る事が多い。 どうしてこうなんだろう、どうしてこうできないんだろう、 そんなことばかり思う。
そんな日はたぶん、何も考えずに毛布にくるまって寝てしまったほうがいいんだと思う。でもそんなときにかぎってうまく眠れない。
コドモは最近わたしのPCをよく使う。 なぜかというとホームページを作っているから。 なぜ自分のPCで作らないのかというと、彼のパソはOSが95なのでホームページビルダーをインストールできないから。
エクセルで作ったファイル(どんなファイルなのか知らないが)をどこかに保存したのだけどどこに保存したかわからないので探してくれと言われてさっきまで探していた。
N (マイドキュメントを開きながら)エクセルだからたぶんEってマーク ついてるよね…ぶつぶつ。 コドモ EじゃなくてXだけど。 N ・・・Eじゃなくて? コドモ X。 N ほんとにEじゃなくて? コドモ くどい。
無事ファイルは見つかったが、なにげにはずかしかった。
+ + + + +
北あかりでコロッケをつくった。 自分でつくったにもかかわらずあまりの美味しさに感動。 玉ねぎとひき肉と、甘辛く味付けしたすす竹をみじん切りにしたものを入れたのだけど、ほこほこしたイモの中にはざわりのよいタケノコというのもいいなあと思った。やっぱりコロッケは中身にしっかり味をつけて、何もかけずにたべるのが好きだ。
「2046」
想像通り期待通りでほんとうに素晴らしかった。 映画を観終わったあとも心ここにあらずという感じ。 まるでながくひきのばされた夢をみているみたいだった。 今年いちばんの感触かも。
トニー・レオン。素晴らしい。ためいきの連続。 ひとつひとつの行動にいちいち感情が揺さぶられて感情移入させられる。
カメラワークが素晴らしい。足元を撮るシーンがどの作品でも多く使われているけど、この映画ではより象徴的に使われている気がする。 つぶやきながら迷いながら歩き回る足元、ステップを踏む靴音、官能的でしかも無機質なアンドロイドの足首。そんな1シーンがすべてと繋がってひとつの雰囲気を作り出している。なにより美しくってみとれてしまう。
観ていていろんなことをかんがえた。 なくしたものは二度ともどってはこないのか記憶はいったいなんのために存在するんだろうどこにも行き場のない気持ちは?樹の穴に向かって密やかに人はいったい何を告げるのだろう、などなど。いろんなものがかけめぐって今もぐるぐる頭の中でまわっている。
「欲望の翼」に出てきた足のない小鳥の話が出てきて、ああやっぱり繋がっているんだなと思った。この映画はやっぱり「花様年華」の雰囲気よりはなんとなく「欲望の翼」の雰囲気といったほうがしっくりくるような気がする。「欲望の翼」のラストシーンで、トニー・レオンが淡々と身支度していく場面、うまく言葉にできないけれどとてもすきだ。
惜しむらくは木村拓哉かなやっぱり。 冒頭の台詞もそうだけど、あまり頭に入ってこなかった。感情や背景が上手く伝わってこなかった。どういう意図を持ってその台詞を言うのか、もしかしてよくわかってなかったんじゃないのかな。というか作品自体を理解していたのかが疑問。 フェイ・ウォンがアンドロイドとして小説の中にでてきて木村拓哉と話す場面、あのシーンの彼は木村拓哉が演じた青年ではなくトニー・レオン演じる小説家が投影されているわけだから、もっと小説家の存在というか気持ちを表現しなくてはいけないはずなのに、木村拓哉はやっぱり木村拓哉でしかなくて、そのせいであのシーンは少しぼやけてしまったような気がする。 その点、フェイ・ウォンはさすがに素晴らしかった。彼女はただアンドロイドとしてではなく、小説家が諦めようとして諦めきれないもの、永遠に追い求め様として手に入らないものをきちんと表現していた気がする。だからこそ時間が永遠に流れてもアンドロイドは同じ場所にとどまるわけで、それがすなわち現実世界とつながるリンクになっているのだとおもう。
それにしても。もう一度みたい。 観終わった瞬間そうおもった。 とりあえず「花様年華」を観なおして、またぜひ観ようとおもう。 今度はまたもう少し深いところまでいけたら、理解することができたらいいなとおもう。
蛸と海鼠(なまこですなまこって海鼠と書くんですねはじめて知りましたやっぱり永遠に口にしたくない)があるとする。どちらかを食べる必要に迫られたとする。どちらもはじめて見る生き物で、もちろんどんな味なのか食べられるものなのか知らない。 あなたはいったいどちらを選ぶだろうか。
今日、買い物にいったら魚屋に生蛸と海鼠が並べて置いてあって思わず笑ってしまった。 わたしはやっぱり絶対蛸を選ぶと思うな。というか絶対みんなそうだと思うな。 そうですよね?
ひさしぶりによく歩いた一日。
たぶん足の裏にまめができたんじゃないかな。 ちょっとわるいことをしたなあと反省。 それでも歩いててとても幸せを感じる一日だった。
夕暮れの公園がとても気持ち良くて このままずっと歩いていたいな、 っておもったよ。ほんの少し。
どちらが選ばれるのか、目が離せない。 なんとかケリー氏がブッシュ氏の再選を阻んでくれると良いのだけど。
州別の選挙人獲得数を見ながらいろいろ思う。 内向き、外向き、という言い方をしていた専門家がいたけど、ブッシュ氏とケリー氏がとったそれぞれの州をみていてもそれが顕著にあらわれているような気がする。
アメリカという国が世界各国に与える影響を考えると、その一国の長を決める選挙はもはやその国だけの問題ではないとおもう。自国の利益など目先のことだけで決めるのではなくて、より広い視野で考えることが必要なんじゃないかな。 と、そこまで考えて、これはなにも今回の大統領選挙のことだけではないなあと思った。余所の国のことを言う前に、自分の国の政治に対しても同じようなスタンスで参加しなければと思う。それにはやはりいろんなことを知ろうとする姿勢が大切なのかもしれない。ボウリングフォーコロンバインの中でマイケルムーア氏が言っていたけれど、無知であることはほんとうに危険なことなのだ。
それにしてもここまで二極化するとは思っていなかった。今回の選挙の結果以前に、アメリかという国がこれからどうなっていくのか、憂慮せずにはいられない。
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