Opportunity knocks
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ちょっといろいろあってあまり文章を書ける状態にないので(といってもそんなたいしたことではありませんが)しばらく更新をお休みします。
職場の新しいPCがとても使いにくい。 診療内容を入力していくのだけど前のPCの入力画面と設定が全然違うし、 それに(気の利いた機能のつもりなのだろうけど)入力内容を予測して勝手にポインターが移動したりする。 「なんで勝手に動くの」「そっちじゃないってば」なんてPC相手にぶつぶつ文句。 なまじ今まで手足のように使ってきただけに、言うことをきかない(ってわたしが使えないだけなんだけど)PCがかなり腹ただしい。 昨日はSE(かインストラクターか営業担当の人かよくわからないけど)の人がずっとついて使い方を説明してくれたり、設定を直してくれたりしたのだけど、今日は土曜日ということで当然のごとくお休みなんだそう。(心の中で休日出勤してこいとつぶやいたのは言うまでもない)
今日は朝から仕事休みの人や小さな子供たちで待合室はこみこみ状態。 一応予約制(歯科はほとんどそう)なのだけど、痛くて痛くて仕方ないのでみてほしい(もっとはやく電話してくれ)とか、突然入れ歯がおれた(なんで突然入れ歯がおれるのだ)とか、ほっぺたが脹れた(日頃ちゃんとはみがきしてないからでしょーが)とか、今日しか休みがとれない(うそつけ!!)とか、電話がひっきりなしにかかってきて、じゃあ今からきてください(うちの歯科はそういう場合滅多に断らない)と仕方なく言うのだけど、そうなると当然のごとく最初から予約の入っている人の診療が時間どおりにできなくなるわけで、「ねえちょっと予約してるのにどうしてこんなに待たされるの?」とか「予約の意味ないだろう、これじゃ」とか言われたりする。 受付はわたし一人しかいなくて、電話の応対、診療内容の入力→会計、次回の予約、をひとりでやっているわけで、ただでさえ忙しいところに、今回のこの言うこと聞かないPC。 昨日今日で、わたしの眉間の皺はさらに深くなった。
でも一気にぐちを書いたらすっきりした。 また来週、がんばろ。
今日から仕事場のPCのシステムが変ったせいで朝から忙しくて目がまわった。 今まで6年間使っていたPCがすべて新しくなって、いろんなことが複雑になった。 6年の間に進化したものがすべて新しいPCに詰めこまれているわけで、使いこなすのにかなりかかりそうな感じ。 それにしても、便利になったというのはわかるのだけどそんなに便利になる必要がはたしてあったのかな、というのが正直な感想。前のPC入力で十分仕事はできるし、新しい機器が特に必要なわけでもないのにとおもう。 でも、医療メーカーにもメーカー側の事情があって、いつまでも古いシステムを使わせていては利益は当然生れないというのはわかる。新しいのを売りこむ(またはリース等の手段でもってなんとか使わせる)というのは仕方ないのかもしれない。
2005年06月23日(木) |
充実した午前と不毛な午後 |
午前中は三味線のお稽古。先生はわたしより10以上も年下の方なのだけど、丁寧にわかりやすく教えてくれる。 今日は、親指の延長上にばちがあると思って弾いてください、との言葉が印象に残った。手の一部だとおもってばちを使ってくださいということなのだとおもう。が、実際に実行するのはかなり難しい。少しずつ少しずつ。がんばろう。
午後はスポーツクラブの打ち合わせ兼食事。 新しいチームを立ち上げるための打ち合わせ。 はたしてうまくいくのか。今から暗雲たちこめそうな気配。 ああこういうことってほんと疲れる。
大人の女には大人の女なりの時間の過ごし方や楽しみ方がある、 というのを最近何かの本かエッセイで読んで、ふと、ああそうかもしれないななんて思った。 毎日それなりに(そうでないときもあるけど)うまく時間を使えている気がするし、 友達にもNってけっこう人生たのしんでるよね、と言われたりするし。
若い頃というのは余裕らしきものはまったくなかった。 時間だけはいっぱいあって、でも何をすべきか何をして楽しめばいいのかよくわからなくて。 そんな感じで鬱屈した毎日だったような気がする。 でもまあそれは10代の頃の話で、早々と母になってしまったばかりに20代は考える暇も鬱屈する暇もなく過ぎていってしまったのだけれど。
そして30代になって今がいちばんいろんな意味で余裕のある時間を過ごせている気がする。 自分がやりたいこと楽しめることが明確にわかっていて、しかもそれをある程度実際に実行することができている。 でもそれも若いときに迷いながら考えながらなんとかやってきた結果じゃないかなともおもう。 そういう時期があったからこそ、今そんなふうに過ごせるようになったんじゃないかなと。
そんな感じで、まだまだいろんなことに興味を持って有意義に過ごしていきたいとおもう。 とりあえず明日は三味線のお稽古。少しずつでもいいからうまく弾けるようになりたいな。
いいなあ買いたいなあとおもう服があってただいま節約中。 こういうことになると途端に節約とか倹約に前向きになる。 もっと普段から意識していればお金もたまるだろうに。
最近、舞台をよくみておられるRuさんやPさんに影響されたのか、劇団四季のHPなんかをチェックしてたりする。 来月名古屋公演の「オンディーヌ」のチケットとろうか迷い中。なんだか人魚姫みたいなお話なのだけど、どうかな。来月はかなり予定が入ってしまってるので微妙なところ。良い席がとれそうなら見にいきたいなあ。 それとは別に京都でやっている「アイーダ」こちらは秋ぐらいに見にいくつもり。チケットは早めに予約すれば良い席がとれそうな感じ。非常にたのしみ。
じつは歩いていける場所に大学がある。わりとこじんまりした大学だけど。 写真はそこの付属図書館。 一般の者も利用できると知ったのはつい最近で、それ以来活用させてもらっている。
もうひとつ自宅から歩いていける場所に公共の図書館の分館があってそこも良く利用するのだけど、大学の附属図書館はそれとは別な良い利点がかなりある。
まず、静かなこと。 分館の方の雑多な雰囲気も好きだけど、やっぱりしんとした静かな場所で本読みしたいときもある。その点附属図書館はかなり静か。 といってもそんなに神経質な静けさじゃなくて、誰もが集中して本を読んだり勉強しているゆえの静けさなので、雰囲気的にはとても良い。 そして、勉強できるスペース(仕切りありですわり心地の良い肱掛椅子つき)がいっぱいあること。 何といっても学生が使う図書館だから、そういうのは充実している。 それから、CDとかビデオとかも小さく仕切られたブースで聴くことができて、数も多い。そこで語学関係のスタディガイドを読んだり、リスニングのCDを聴くこともできる。空調もちょうど良くて、建物自体まだ新しいので(作られて3、4年程度)とても綺麗。中央に吹き抜けがあって天井から入る光がとても心地良い。 あ、最大の利点を忘れてた。公共の場所ではないから月曜日休みではないこと。これはかなりうれしい。
難点は、学生向けの文献や学術書や洋書は多いのだけど小説類はとても少なくて、とくに外国文学はなきに等しいこと。 でもまあそれは分館の方で借りればよいので、ここはここで、語学関係の勉強をしたり、静かに本を読みたいときに利用させてもらおうと思っている。
しかしこうやって書いてみると、わたしの住んでいる界隈はけっこういろいろあって良いところなんだなあという気がしてくる。 坂はあるし、神社はあるし、ボクシングジムはあるし、陶芸の窯元はあるし、美術館(神谷美術館)はあるし、図書館はふたつもあるし、海らしきものもあるし(いちおう砂浜もある)山らしきものもあるし。 あとはきちんとした本屋と、やきたてのパンが買えるパン屋と、とびきりおいしいケーキ屋があれば言うことないのだけど。そんなうまくはいかないか。 でもまあわるくない。
日曜の夜。コンフェデ杯みようかやっぱ寝てしまおうかとぼんやりテレビを見ていたら某局でカモシカの赤ちゃんのドキュメントのようなものがやっていて、ふと気がつくといつのまにか食い入るようにみていた。 冗談じゃなくかわいかったのですよこれが。 ニホンカモシカというのは野生の動物であるから、当然寡黙であり、人を寄せ付けない厳しさがありというのがわたしのイメージだったのだけど、そのカモシカは生まれてまもなくなんらかの事情で母カモシカと別れて人間の手で育てられたようで(途中からみたのでよくわからないがたぶんそんな感じだった)育ての親である武田さんにものすごく慣れていて、というかなついていて、というかまるでほんとうのお母さんのように慕っていて、その様子がなんともかわいくてせつなくてもうほんと冗談じゃなく参ってしまった。
(武田さんに)あまえた感じで軽く頭突きとかしてる姿なんか、もう筆舌に尽くし難いほど。いつも一緒というか、ほんとうに幼い子どもがおかあさんにくっついて離れない感じと同じだった。 といっても、カモシカの母代わりというのはかなりの重労働であるらしく、いろいろご苦労も多いようだった。武田さんは宮城県で自然保護員をされている方で、今までも数多くの動物を保護されてきたらしい。とてもまなざしのあたたかい優しそうな方だった。 番組のHPはここ→ロッキーへの手紙
こういう番組をもっと早い時間に放映してくれるとうれしいんだけどな。 2足歩行のレッサーパンダみるよりずっと有意義だとおもうよ。
良いものをみたなあ、という余韻にひたりながらコンフェデ杯。 かなり良いリズムで攻撃ができていてびっくりした。 ギリシャってかなり強いチームじゃなかったっけ?
中田のプレイはほんとにストイックだなあと観ていておもった。 克己的というかなんというか。
星野智幸さんも書いておられたけれど、勝敗というのは自分でひいた無意識のラインによって決まるんじゃないかなとおもう。 ここまで、と思ったその時点でもう負けというような。その点、中田は誰よりも意志の強さでそういう負け意識をはねのけている気がする。 代表全員がそういう意識をもてたらもっと世界に肩を並べるチームになれるんじゃないかな。 今日の試合見て、先がとてもたのしみになった。
仲の良い友達6、7人と飲みにいった。 いけないいけないと思いながらまたかなりのんでたべた。 つらいことがあっても食べ、たのしいことがあっても食べ・・・。 ああわたしって。
ジム・ジャームッシュ 「コーヒー&シガレッツ」
とっても面白い映画だった。 この上なくシンプルなのだけど、想像力をかきたてられるというか、後をひくというか。 主役としてのコーヒーと煙草に対して、日常の場面、そして脇役である人が絡んでくるところなんかおもしろいな、と思った。
個人的に、ケイト・ブランシェットがでてたやつと、おじいさんがふたりのやつと、イギー・ポップとトム・ウェイツのやつが特に良かった。あ、あとビル・マーレイがでてたやつも。「おまえは虫か」の台詞が良かった。笑えた。
三谷幸喜の「オンリーミー」を読んでいたらちょっと元気になった。 ありがとう、幸喜様。
明日の予定。 朝、洗濯をして掃除機をかける。 化粧をして出かける。 映画を観る。 時計のバンド(モスグリーン)をさがす。 エルミタージュ美術館展みにいく。 キルフェボンでケーキを買う。 夏服を物色する。
書いてるうちにまたちょっと元気になった。
情緒不安定な一日。 といっても誰かがそんな気持ちを解消してくれるわけもなく。
仕方ないので食に逃げた。 魚屋にいってとびきり新鮮ないくらと帆立を買い、 ケーキ屋へいってケーキを買い、 果物屋で葡萄とバナナと桃を買った。 家に帰って全部たべた。
気分は軽くなったけど、お腹は重くなった。そんな一日。
2005年06月13日(月) |
プレゼント、茗荷、瞬く間になくなったメロン |
つれあいの誕生日。 村上龍の「空港にて」とオールド・セント・ニック8年(scotlandよりやっぱりkentuckyの方が良いらしい)をプレゼント。 うれしそうにしていたので良かった。
最近よく連れ合いのことを考える。結婚してもうだいぶたつなあとか、 この人はわたしと結婚してはたして幸せだったんだろうかとか、 別の人生を送ることもできただろうにとか、そんなこと。 まあ考えても答えのでないことなのだけど。
夕飯。 今年はじめての真夏日ということで夏っぽい献立にしてみた。 鮎の塩焼き、茄子の煮物、らっきょう、梅干し、素麺。 茗荷を輪切りにしてごま油で炒めたものを薬味にしたらけっこうおいしかった。 茗荷をたべると夏だなあと思う。御馳走様。
夕食後、(熟すのをたのしみに待っていた)メロンを切ってだしたら、 およそ40秒くらいでなくなった。まるまる一個。 もっと味わってたべてくれ、とおもう。まったく。 でもほんとうにおいしいメロンだった。 (一切れしかたべられなかった。ひとりでこっそりたべればよかったとすこしおもった)
一日中運動をしていたせいか、夕方になって全身が痛くなってきた。 足の脛のとことかふくらはぎとか、肩甲骨の下あたりとか特に。 たぶん筋肉がよわっちいからだろうとおもう。体格に比して筋肉量もあまり多くないからちょっと激しい運動をするとすぐ根をあげてしまう。 今やってるスポーツ、もっと上のレベルを目指したいのだけどそれにはもっと強度のある筋肉をつくらないとどうも無理みたい。 一緒にやってる友達にNは持続力がない、なんて言われたりするし。がんばらなきゃ。
夜、オフロあがりで放心してたら連れ合いがひとこと。 「なんか肌キレイになった?」 よっしゃ。はちみつアロエ効果かなりとみた。がんばろ。
Kさんがお手製かえるをプレゼントしてくれた。 うれしくて名前をつけた。「けろこ」
ほこりがつくとかわいそうなので、 個人的たからものスペース(扉付き本棚)の中に入れた。 けろこはちょっと困ったようなうれしいような微妙な顔をしていた。 大切にしようとおもう。
買い物デー。 コドモの誕生日プレゼントやら本やら服やら、いっぱい買った。 コドモのプレゼントはリクエストどおり時計。 FOSSILのシルバーメタルで文字盤が赤になったり黒になったりするやつ。 よろこんでくれるといいけど。
付き合ってくれた友達と一緒にお昼ご飯。 久しぶりにちらし寿司をたべた。おいしかった。
今日は対北朝鮮戦だというのに、職場の面々と飲み会。 途中、試合経過を中継してもらいながら、蛸の刺身やゴーヤなどいろいろたべた。 普段なかなか話せないようなこと(男はフィリピンパブになにを求めるのかという話や子供は人生において福音なのかとか、その他いろいろ)もいっぱい話した。いろんな人の話をきくのはおもしろい、というか興味深い。
夜中過ぎに帰って、ひとりで飲みなおし。 バドワイザー(が、じつは好き)あけてXのアーチの続き。 もう終盤だというのになかなかすすまなかったのだけど、 アルコールのゆえか加速的にすすんで、夜明け前に読了。 Aの話をBの話がのみこんで、それをさらにCの話がのみこむ、という感じで 話しは妄想的に膨らんでいく。とりとめないと思ってしまうとそうなのだけど、 人間の頭の中を文章化するとしたら、こんなふうな感じになるんじゃないかなとすこしおもった。たえまなくつづく不協和音、混沌と無秩序。
隷属ということについても考えた。その関係は普通のそれよりも強固でより深いものでありうるということ。自由の中にも隷属の中にもそれぞれ愛があるのだということ。自由を選ぶか隷属を選ぶかを迫られながら、それは背反するものであり、別のベクトルを持つがゆえに世界は引き裂かれてしまうのだということ。 すこし深い考え方ができるようになったような気がする。といってもまだほんの端っこしかわかってないのだけど。
今まで物語半ばで挫折した小説は数え切れないくらいあって、これもそのひとつになるかもなあと思いながら読み始めたのだけど、途中途中滞りながらも最後まで読むことができて、いろいろ考えることができた。これはたぶん柴田訳ということがかなり大きいのではないかとやはり思う。ほかの訳者だったらどうだったかわからない。この小説を訳して、日本語の中のこの世界を作り上げたその才能に、こころから敬意を表したいとおもう。
ねこがほしい。 よしよししたりすりすりしたりなでなでしたりしたい。 ここ10年くらいの願望。
飼おうとおもえば飼えなくはない環境なのだけど、(集合住宅だけどペット可) 連れ合いが重度の猫アレルギーなので飼えない。 猫が半径3メートル以内に近づくと、まず鼻が痒くなる→目が痒くなる→咳がでる→息苦しくなる→呼吸困難になる、のだそう。 毎晩オフロに入れるから、ちゃんとブラッシングするから、と説得を繰り返したが いつも答えは完璧にNo! よしよしとかすりすりとかなでなでとかしたければおれにすれば?なんて言う。 わかってない。可愛いから可愛がりたいからなでなでしたりすりすりしたりしたいのだ。なんで可愛くもないつれあいをなでなでしたりすりすりしたりしなきゃならんのだ。
ねこが家にいたらなあ。たのしいだろうなあ。 名前はもう決まってたりする。フーディーニ。 できれば黒猫かとら猫。 一緒のふとんで寝たり、オフロに入ったり、新聞読むの邪魔されたり、ねこじゃらしであそんだり・・・。
コドモをよしよしできなくなってはや5,6年。 猫欲しい願望はそれに比例して強くなっているような気がする。 さみしいんだろうかわたし。
だれか猫アレルギーを克服する方法おしえてください。
2005年06月04日(土) |
素足、雨の音、酢の物とりんご |
今年はじめて素足+サンダルででかけた。 やっぱきもちいい。 のはいいのだけど、 ときどき小指をぶつけたりすると かなりイタイ のが難点。 というかぶつけなきゃいいんだけど。
午後はかなりはげしい夕立。 急に空がくらーくなって、 雷がごろごろいいだして 雨が滝のように降った。
くらーい部屋の中で アツイ烏龍茶を飲みながら本読み。 柿のたねをぽりぽりたべながら 雨の音をききながら とめどない文章を目で追う。 うっすらと部屋を覆っている湿気のように 曖昧ですこし息苦しくて纏わりつくような文章。 早々挫折するかな、と思ったら結構読めた。
夜は白和えと酢の物をつくった。 酢の物は蛸とわかめと春雨と胡瓜と錦糸たまごとりんごを入れた。 りんごがおいしかった。
もうすぐ暑い夏がくるなあ、 そんな予感を感じさせるような一日。
バーレーン戦がはじまるまであと1時間ちょっと。 寝てしまおうか我慢して起きていようかはげしく葛藤中。 土曜休日の人は良いなあ。明日仕事だしなあ。でも明日の次は休みだしなあ。
とキーを叩いているうちにどろーんとした眠気がきた。まぶたが重い。
+ + + + +
小笠原のシュート、かっこよかったー。 あそこで躊躇なくシュートが打てる強気さを 日本選手はもっと持てたら良いとおもう。
2005年06月02日(木) |
air castle |
へんな夢をみた。 ひとつの家に4人の人間が共同生活をしている。 ひとりはわたし。2人はわたしの友人。もうひとりは会ったことのない人。 わたしは寝たきりになっていて、ともだちのひとりがわたしの世話をしている。 ごはんをつくってたべさせたり、そばで本をよんでくれたり。 もうひとりのともだちはけっしてわたしたちのそばに顔をみせない。 でもうちのなかにいるということは気配でわかる。 そのひとがたてる物音、息遣い、空気の流れ、そういうものをおぼろげに感じる。 会ったことのない人は、物陰からわたしとわたしの世話をしているともだちの様子をじっとみている。 わたしはその人の視線を感じる。でもその人はすがたを見せず、わたしはその人の顔をみることができない。 その家はわたしとともだちがいる部屋を中心に放射線状に広がっている。 とても広いのだけど、凝縮された濃密な空気がただよっている。
そのうち、もうすぐなにかが起こるという予感みたいなものが現われはじめる。 わたしはともだちのかおをみる。 ともだちは静かな顔をしてわたしをみている。 わたしはそれをみながら眠りにおちていく。 とても深い眠りなのだということがわかる。 このままずっと目覚めなければいい、
そうおもったところで目がさめた。
ほんとうにへんな夢だった。 ざらっとしていて、でもくっきりとしたそのリアルな感触はいまでも何となく残っている。
「行人」読了。 誰にも理解されない心というものがあるのだと、読みながらおもった。 人は手探りで人の気持ちを理解しようとし、近づこうとし、わかりあおうとするけれど、 人のそんな行動とはまた別のところで手を伸ばしても触れ得ない暗くて淋しい心があるのだと、 それは人が別個として生れてくるかぎり避けようのないことなのだろうと、そんなことをおもった。
でもだからこそ、よりその心に近づこうとする人の行為は美しいのかもしれない。 小説の中の文章からそういうものを感じ取ることができたような気がした。
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