Opportunity knocks
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瞬く間に一年が終わった。 指の間からこぼれおちる砂のように、時間は容赦なくすり抜けていくのだなあと、いつもながら内省してしまうそんな年の暮れ。
今年読んだ小説ベスト
「河岸忘日抄」 堀江敏幸
今年一年読んだ本の中でどの本がいちばん強く頭に残ったかと考えたときに、やはり最初に浮かんできた。 無駄の無い、完成度の高い小説だなと思う。こういうものを今わたしはもとめているんだなあということをおぼろげながら感じた小説。これからも堀江さんの小説注目して読んでいきたい。
「体の贈り物」 レベッカ・ブラウン
とても率直な文章だな、と読みながら思った。淡々と書いているのだけど、それがかえって強烈なリアリティを与えている。読後、死ということについて考えさせられ、同時に生きるということについても考えさせられた。そして人と人との関わりについても。とても心に残る小説だった。
「行人」 夏目漱石
万能ではない世の中、万能ではない”自分”に対していつも苛立ち、苦悩し葛藤する、そういう雰囲気を読むたびに感じる。
「Xのアーチ」 スティーヴ・エリクソン
最初の読み始めはとても最後まで読みとおせないなんて思っていたのだけど、思ったより入り込むことができた気がする。
「東京奇譚集」 村上春樹
久しぶりの短編集。村上氏の小説は10代の頃から読んでいるだけに自分にとっては慣れ親しんだ世界というか、よく見知っている世界という感覚があるのだけど、この短編集に関してはそういういつもどおりの心地良さみたいなもののほかに、自分が知らないまた別の部分を垣間見させてくれたような、そんな新鮮さがあった気がする。その新鮮な部分を今度は長編で感じさせてくれるとうれしい。
「九龍塘の恋」 ポール・セロー
浮遊感。夢をみているような、そんな心地良い幻想。それでいて、背景には厳しい現実がちゃんとあって、そういうものに目を背けて生きる主人公が対比されている。
「世界のすべての七月」 ティム・オブライエン
どうしてかはわからないけど読んだ後何かが残った。おぼろげな残像というか、淡い感情のなごりというか。誰もが過去の記憶を糧にしてやっと生きていて、そんな人の生がいとおしく思えるような、そんな気がした。
「夏の家、その後」 ユーディット・ヘルマン
ドイツ人短編作家。どの短編も良かったけれど、いちばん好きなのはやはり「紅珊瑚」かな。負荷のかからない、さらりとした文体なのだけど、書かれていることは決して軽くない。とても良い短編集だった。
「夜と霧」 V・E・フランクル
著者はホロコーストの最中にあって、人間の尊厳を失わずに生き残った数少ない歴史の証人。極限におかれた人間の心理を感傷をさしはさむことなく淡々と克明に書いている。悪意に満ちた人間の所業は心を暗くさせるけど、その中にあっても人は自分を見失うことなく真摯に生きることができるのだと、そういう光明みたいなものを感じることができた。読んで良かった。
「ゆっくりさよならをとなえる」 川上弘美
どうしてこの人の書く文章がすきなのだろう、とよく考える。理由がよくわからないのに好きという、わたしにとってはよくわからない作家。でもたぶんひかれ続けるんだろうな。
今年観た映画ベスト
小説の方はすぐ決まったのだけど映画の方はなかなか決まらず。平均的におしなべて良かったといえばそう。 別の言い方をすれば抜きん出たものが(あくまでわたし的に)なかったということだろうか。
「マシニスト」 ブラッド・アンダーソン
やはりあの映像は忘れられない。それに、最後までぐいぐいとひっぱられる展開やセンスの良さなど、最後まで余計なことを考えず入りこめた気がする。とても良かった。
「あの子を探して」 チャン・イーモウ
見終わってからじわじわと長く余韻が残った。とても良い映画。中国らしいといえば中国らしいちょっとなあと思うようなところも隠すことなくあるがまま撮っていて、そういう自然な(作っていない)ところも気に入った。
「トニー滝谷」 市川 準
自分の頭の中で思い描いていた世界が実際に映像となって現れたわけで、そういう意味でも特別な映画。たくさんの服が並んだクローゼットの中で涙を流す場面が今でも頭に浮かぶ。
「ネバーランド」
人と人との出会いとか、つながりとか、お互いに教えられ影響されあうこととか、 そういうのって素晴らしいことなんだなあとしみじみ思った。
「コーヒー&シガレッツ」 ジム・ジャームッシュ
コーヒーと煙草、どちらもわたしには縁が無いものだけど、それをとりまく雰囲気を実際に映画でみて、どちらも人の生活に密着に繋がっているものなんだなということを感じた。そういうものを映像にしたセンスの良さ。素晴らしかったです。
「バッド・エデュケーション」 ペドロ・アルモドバル
相変わらずのセンスの良さ、抜群のバランス感覚、アルモドバルの映画でがっかりしたことは今まで一度もない。言うことなし。 ガエル・ガルシア・ベルナルはどんどん良い役者になっていくなあ。
「Ray」 テイラー・ハックフォード
20代はじめからずっとR・チャールズの歌を聴いてきたのだけど、この映画をみて、今まで想像しなかった彼の一面をみることができたような気がする。歌はただの歌詞の羅列ではなく、その人が持っている歴史のすべてなのだとあらためてそう思った。
「幸せになるためのイタリア語講座」 ロネ・シェルフィグ
イタリア語を習うために集まった人達がとにかく個性的。いかにもヨーロッパ産の映画というようなそんな雰囲気がただよっている。 人の気持って定規ではかったようにはいかなくて、それでやきもきしたり辛い思いをしたりするわけだけど、それがほんとうに切なくていとおしくて、だからこそ優しい気持ちになったりするのかもしれないなと、そんなことをおもった。
「ミリオンダラー・ベイビー」
自分を守るということは、実は難しいことなのかもしれないと見ていて思った。 傷つくとわかっていても、それをやらずにはいられない、そういうときってあるから。心が痛くなる映画だった。
「スイミング・プール」 フランソワ・オゾン
どうもこういう雰囲気にわけもなくひかれてしまうらしい。台詞や舞台だけではなく、空気ごと映画にしてしまったような、不思議な雰囲気のある映画。
こんな感じです。 音楽、演劇、展覧会は挙げるほど観たり聴いたりしていないので、もう少し進展するように来年は心がけるつもり。 来年はどんな映画や小説に出会えるだろうか。今からとても楽しみ。
ではでは 良いお年をおむかえください。 そして来年もよろしくお願いします。
夕方、買い物がえりに郵便箱をあけたら、ぽこんとふくらんだ茶封筒が目に入った。 ん?と思って取り上げてみてみたら、京都のRさんからの手紙! わわわー!と一気に心拍数が上昇。 家に帰ってすぐ開封すると、中にはなななななんと、Rさん手作りの石鹸とレバノン製の石鹸と手紙が入っていた!うううううれしい・・・。
レバノン製の石鹸はすーっとするようなミント系の匂いがする。 日本の石鹸にはあまりないようなスパイスのきいた匂い。 そしてRさん手作りの石鹸は、見た感じは巨大なキャラメルのよう(もっと小さかったら普通に口にいれそう) ごつごつしてて素朴で自然で、人の手でつくられたんだなあという雰囲気が伝わって来る。
とってもとってもとってもうれしい。 でも、どうしよう。 使いたいけど使いたくない。 使うと当たり前だけど無くなる→無くなるのはいや→でも使いたい! あージレンマだー。
それでも、せっかく頂いたのだからそして使うために作られたものだから、 思いきって使わせてもらうことにしようとおもう。もったいないけど。ほんとうは使いたくないけど。
Rさん。ほんとうにありがとう。
買い物にいったらおいしそうな蟹があったので買ってきた。
他にちょっと凝った料理を作ろうと思ってバルサミコを使った料理を作ったのだけど、これがいたく不評。 自分ではなかなか良いじゃないかと思ったのだけど。 バルサミコを使いこなすにはまだまだ修行がたりなさそう。
仕方ないので黙々と蟹をたべる。 さすがに蟹はおいしかった。
2005年12月24日(土) |
Merry Christmas |
クリスマスプレゼント。 コドモに「何が欲しい?」ときいたら、 「あったかい服」とのこと。 ダウンのコートとセーターを買った。
連れ合いには読書のための小さなインテリアライトと、オールド・セントニックの17年。
お昼過ぎから連れ合いは知り合いのパーティに出席とかででかけてしまったので、プレゼント交換は明日の朝。 なにがもらえるか当然お互いまだわかっていない。 なにがもらえるのかな。買った物は喜んでくれるだろうか。 ふたりとも喜んでくれるといいな。 明日はちょっと凝った料理でもつくってみよう。
朝の早いうちは雲一つない空だったのに、仕事に行く時間になって急に空が暗くなった。そしてみるみるうちに大粒の雪。 海のそばなので滅多に雪が降ることはないのだけど、今回の寒波はかなりのものらしく、みるみるうちに道路が白く覆われていった。
午後はずっと雪をみながらぼんやり物思い。 暗い空、白く浮き上がってくる景色。痛いほどの冷気。
気持ちがどこかへさまよいでるような、そんな雪の1日だった。
フィギアスケートの浅田真央さんに似てる、と言われた。 そう言われれば子供時代の時の顔とにてるかも。 うーん喜んで良いのかが微妙。
たべすぎとのみすぎ。 最近忘年会関係の飲み会が多くてさすがに胃が弱ってきた。 黄色信号点滅。気をつけないと。
忘年会のあと、時間がけっこう余ったので友達MAと映画をみにいった。 夜の映画館は久しぶり。 昼とはまた違った雰囲気。
昔、つきあっていた人とよく一緒に映画にいったことなんかをおもいだす。 肩にもたれてうとうとしたこととか、同じ映画を何度も続けてみたこととか。
なんかなつかしかった。
寒そうな空。でもきれいだった。
夜。ますます寒くなってきたというのに、 小康状態を保っていたこたつがとうとう死んだ。 うんともすんともいわない。 蘇生できるかどうか。
明日はまた強烈な寒波が襲来する模様。 そして職場の忘年会。 風邪ひかないようにしなくちゃ。
初冬の冷たく乾いた空見上げ ひとひらのかけら目でさがし
音もなく すべての感情すらもなく 記憶の中に降り積もる雪
2005年12月07日(水) |
午後にこんなことあった |
いつものように自転車で職場から自宅へ戻る途中のこと。 前にも少し書いたのだけど、わたしの自宅の近くには小さめの大学がひとつあって、職場から自宅へ帰る道はその大学に通う学生の、駅から学校への通学路と重なっている。 今日の午後、その大学へ行く途中の学生らしき少年、というか青年に目がとまった。 その青年はまったく目が見えないらしかった。長い杖で用心深く道路を探りながら歩いている。 しばらく、自転車をとめてちょっと離れたところからその人を見ていた。なにか困っていることがありそうなら声をかけようと思ったから。でも、その人は学校へ至るその道を熟知しているようで、ちっとも困ったようなそぶりはみせなかった。路肩にとめてある車を直前で避け、段差のある場所も事前に杖の感触で察知し、本当に用心深く、そしてそれでもわたしには考えられないくらいのスピード(つまり目が見える人間とほぼ同じくらいの速度)で歩いていた。 たぶんそこまでになるのに、かなりの努力をされたのだろうとおもう。 ただたんに普通に道を歩くという行動に、それほどの努力を強いられる人生があるということについて考えた。 わたしは目が見えない世界を知らないし、耳が聞こえない世界も知らない。口がきけない世界も知らないし、四肢の欠けた体を持つ世界も知らない。 そういう普段見過ごしている世界のことを考えさせられた。
結局声をかけることなく、その人が大学の前までいくのを見た後、自転車をこいで家に帰った。そして目が見える口がきける耳が聞える自分の世界のことを思った。そういうことを疎かにしてはいけないのだと漠然と感じた。 そんなことを考えた午後だった。
「ミリオンダラー・ベイビー」 とても悲惨な結末なのだけど、暗い気持ちにはならなかった。 それはたぶん、彼女が能動的に最後の結末を選んだからだろうと思う。
自分を守ること。この言葉、とても心に残った。
考えてみればもう師走! 年が暮れるだけなのに、なんだろうこのせわしさは。 でもこういう雰囲気、すきだったりする。 今年こそはクリスマス前までに年賀状を書き上げよう。うん。
霙混じりの小雨が降る中、琴の演奏会へ。 和楽器の音色が耳に心地良かった。
帰りはお気に入りのお店でケーキを買ったり、本屋で本を物色したり、クリスマスのプレゼントをチェックしたり、そんな感じでいろいろ街歩き。楽しかった。
帰ってから3人で評判のステーキ屋へ。 とてもおいしいいいいステーキだった。 3人で食事するのはかなり久しぶり。 そういう時間を有り難く思えるのって良いなあとしみじみおもったり。
かなり寒い1日だったけれど、とても良い休日だった。
スポーツクラブの面々と飲み会(忘年会) 体育会系らしく、にぎやかな飲み会だった。 普段あまり話せない人といろいろ話せたし、良かった。
2次会のあと、3次会にいく人達と別れて友達Hとちょっと静かなところで飲みなおし。Hはいろいろ悩みがつきないらしくて、わたしは話を聴きながら時々頷いたり、励ましたり。
普段顔に出さないからといって、みんながみんな問題なく楽しい人生をおくっているわけではなくて、ひとそれぞれ悩んだり鬱屈した気持をもっていたりするわけで、人として生きている限りそういうものとは縁がきれることはなく、なんとかおりあっていくしかないのだろうな、とそんなことを帰り道にぼんやり考えた。
コドモの試験が終わってやっと一息。 推薦入試が第一希望なので、決められた以上の内申をとらなければというプレッシャーがかなりあった様子。 なにをしてやれるというわけでもないけれど、少なくともおいしい食事をつくってあげたり、わからない単語や文法を教えてあげたり、できることをしなければという感じで、先週から今週にかけて親子ともに普段よりもかなりストイックな1週間だった次第。
でもそれも今日で一段落。 明日は飲みにいくぞー。
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