Opportunity knocks
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あさっては父の七回忌。 まる6年。あっという間だったような気もするし、長い時間だったような気もする。 ただ、記憶の中の父の姿形が、以前より柔らかくぼんやりしたものになりつつあるというのはなんとなく。 そうやって人の死というのは徐々に受け入れていくものなのかもしれない。
朝から編物に没頭。 やっと形になってきた。ちなみに下の↓は甥っ子へプレゼント。
編物ってなにも考えず、頭をからっぽにできるのがいい。 あたたかくてやわらかい感触とただ過ぎていく時間。これもまた至福。
先日図書館で「明日の記憶」(だったかな、ちょっとうろおぼえ)という本を読んだ。
本の内容はおおまかにいうと、40代後半の男性が若年性アルツハイマー型痴呆症に罹患し、様々な葛藤を経験していくという話。 アルツハイマー型痴呆症という病気がどんな病気であるかということは知識としては認知しているのだけど、それがどのように人の生活に影響を及ぼし蝕んでいくかということはこれまでは想像の外にあった。 でもこの本を読んで、それが具体的にどういうことであるかということがおぼろげにわかったような気がする(もちろんそれは本を読んでただ共感するという程度に留まっていて、実際その病気に罹った人の気持には到底及ばないわけだけど)
ある日突然記憶が退行し自分の世界がまったく把握できなくなる、もしそうなったとしたらわたしははたして平常でいられるだろうか。 今まで自分という世界を形作っていた記憶というものが徐々に失われていく、自分が何者でもない何かに変っていってしまうその感覚。
そういう恐ろしい病気はわたしたちのまわりに当たり前のように存在していて、わたしたちはいつそれに足首を掴まれるかわからない。 とても怖い。
今日も仕事が忙しかった。 たかだか4,5時間のこととはいえ、半日で50人近くの人に対応するのはやっぱり疲れる。 世の中いろんな人がいっぱいいるしね。みんながみんな常識のあるまともな人とは限らない。 今日は義歯(入れ歯)の代金で100万近く払っていった人がいた。 枚数を数えながらためいき。歯は大切にしなきゃ。
2006年01月20日(金) |
こんなところにすんでいます その1 |
ここに住みはじめていちばんびっくりしたこと。それは汽笛。 いちばんはじめにきいたのは早朝だったのだけど、とにかく大音量ですごい音だった。 グリズリーの咆哮のような、空気全体をダイナミックに震わせるようなそんな音。
船が港を出入りするときにしか鳴らさないはずだし、 あまり頻繁に大型船が出入りするような港でもないから汽笛でびっくりさせられるのはほんの時たまなのだけど、 それでも忘れた頃、それも早朝の起き抜けにこの音をきかされると一瞬どきっとしてしまう。
山育ちのわたしには聴き慣れない音。 でもだからこそ、耳を傾けてしまうのかもしれない。
大きなニュースが立て続けに起こっています、とニュースキャスターが開口一番。大きなニュースというのは、たぶんライブドアの証券取引法違反の件と、宮崎勤の上告棄却による死刑確定のことか。あと、ヒューザー小嶋氏の証人喚問とか。
ライブドアの件では東証がパニックに陥って大変なことになっているらしい。売り注文殺到で値が付けられず、とうとう午後には全取引を停止。 市場はたぶんまだまだ混乱が続くだろう。海外のメディアが東証のシステムを脆いものだと批判しているらしく、個人的にはライブドアよりもそっちの方が気になる。想定外などと言い訳している暇があったら、二度とこういうことが起きないように信用回復に努めてもらいたいもの。
あと、宮崎勤の死刑判決確定について。パソコンでそれらの関連ニュースをみていたら、首相が(日本の総理大臣が)宮崎勤は死刑になって当然、と発言したというニュースが目に入った。なんだか底の浅い発言だなと思った。死刑にすれば果してことは丸くおさまるのだろうか。宮崎勤という人間をこの世から抹殺したら世の中は平和になるのだろうか。宮崎勤が持っている宮崎勤的なものはこの世からなくなるのだろうか。書いててだんだんわけがわからなくなってきたけど、とにかく、そんなもやもやしたものがずらずらでてくるような発言だったことは確か。 連れ合いにそれを話すと、首相は計算してそういうことをいったんじゃないの?だって。どういう意味?ってきいたら、そりゃ極悪人は死刑になって当然っていうのは誰がきいてもわかりやすいだろ?とのこと。それをきいてさらに気分が悪くなった。 確かに宮崎勤は極悪人だろうと思う。でも、それって人類史上決して特別なことじゃないんじゃないかな。人間て誰もがそういう部分を持っているんじゃないかな。 それをなんとか助け合って支えあって、良い部分がそれを凌駕していけるようにがんばって生きてるんじゃないだろうか。 汚い部分に蓋をしめて始めから無いものとするような行為は誰がなんといおうと絶対間違っていると思う。(死刑制度そのものが汚いものに蓋的な制度でしかないというつもりはないですが)
いろいろ考えて脳がぐったりしてしまったけど、いろいろ考える良い機会になったような気がする。こういうこと、これからも自分なりに考えていこうとおもう。一方に偏ることなく、謙虚に。
カポーティの自伝映画が春に公開されるらしい。 でも主演=カポーティ役がフィリップ・シーモア・ホフマンて、ちょっと微妙…(好きな役者だけどカポーティを演じるというのがちょっと) 観るべきか観ざるべきか。 そういえば真珠の耳飾りの少女も(イメージが壊れるのが嫌で)とうとう観なかった。 自分がほんとうに好きなものは自分のイメージの中でそっとしておくのがいいのかもしれない。
あと3月は県美術館でワイエスの展覧会があるみたいで、それは今からとてもとてもたのしみ。あんまり多くなくて10点くらいの展示らしいのだけど、直にみる機会はほとんどないので、できるかぎり足を運んでみにいきたいと思う。
「皇帝ペンギン」
ペンギンってユーモラスでのほほんと暮らしていて苦労知らずなイキモノだと、なんとなくそう思っていた。大きな間違いだった。
映画自体はシンプルな構成なのだけど、皇帝ペンギンがどうして大移動を行うのか、どうして極寒の地で卵を生み子育てをするのか、というような様々な疑問が観ていくうちにごく自然に理解できた。 どのイキモノも種を存続させるために戦いながら生きていて、それは人間もペンギンも同じなのかもしれないな(戦い方はそれぞれだけれども)、とそんなことをおもった。 なんとなくペンギンに教えられた気分。
さ、今週もがんばろ。
身体機能及び精神機能が著しく低下しているような気が。 いっそのこと体温も下がって変温動物になって、ひと冬ずっと眠っていられたらなあ。ナマケモノの繰り言。
今日は連れ合いの実家&親戚挨拶まわり。 お年玉をいっぱいもらったコドモはにこにこ顔。 もらうものだけもらって、「じゃおれ友達と映画みにいくから」とすばやく出かけてしまった。 挨拶回りが終わったあと連れ合いと二人で本屋めぐりしたりたこ焼きをたべたり。(大根おろしでたべるやつで、なかなかおいしかった) あと、イクラ入りの雑煮がたべたくて大量に購入。ドーナツとかアイスクリームとかも買う。
夜は甘めに煮た海老と三つ葉をのせてイクラを大量に入れた雑煮と、特製北あかりコロッケと御節の残り。イクラがおいしくて感動。しあわせー。
しかし、見事にたべることばかり書いてる気がするな…。 それにしても、平和で穏やかで楽しい三が日だった。
弟の家で新年会。 買い物いったり、料理作ってみんなでたべたり、ばか話したり。 弟の小さな子ども(2歳と3ヶ月)が可愛くて、ずっと一緒にあそんでいた。 むすんでひらいて、という手まね歌が今いちばんお気に入り。何十回も一緒にやらされる。 何十回も同じことを飽きもせずできるという子どもの膨大なパワーがうらやましい。
夜は自宅に戻って、子どもと連れ合いと3人でおせちとお雑煮と御鮨。 御鮨はトロやらウニやらボタンエビやら普段たべられないものをいっぱいたべる。 一年に一度くらいはこういうゼイタクも許されるでしょう、たぶん。 それにしても、今年は御節料理はもちろん、ほかにもいろんな料理を作った。 最近料理をするのがたのしい。連れ合いとコドモにおいしいといわれるのがうれしい。 今年もいろんな料理、いっぱい作ろう。
朝、というかお昼近くに起き出して大晦日から作っていた御節とか煮物とか雑煮とかを食卓に並べる。今回の御節は大部分が手作り。くりきんとんが綺麗な黄色にならずスイートポテトになってしまった誤算はあったけど、塩抜きして味付けしたかずのこもいい感じだし、なますや黒豆や雑煮もおいしくできた。満足。 市販のものは味が濃すぎるし高いので、これからも手作りでやっていこうとおもう。
朝ご飯兼昼ご飯の後は、届いた年賀状をみながらごろごろしたり、古い映画を連れ合いと見たり、サッカーの天皇杯みたり。
そして、Rさんからいただいた石鹸を使って初オフロ。 Rさん手作りの方を使ったのだけど、とても使い心地が良い。 固くて泡立ちがよくて、洗い上がりがとてもさっぱりする。 そして肌の突っ張りも感じない。 ほんとうに良いものをいただいてとてもうれしい。 のは良いのだけど、顔を3回洗って体を1回洗ったら心なしか一回り小さくなったような気が・・。 大切に大切に使おう。
そんな感じで、天気も穏やかに晴れていて、とても良い元日だった。
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今年の抱負、というか目標。
「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」という言葉があるけれど、 もうそろそろ賢者よりの考え方ができるようになりたい。 経験で学ぶほど時間が残されているわけではないわけだし。
それから、去年も言っていたと思うのだけど(そして何の改善もされなかったのだけど)もっと優しい気持を持てるようになりたい。 人に対して、弱いところやだめなところを先にみるのではなくて、良い面や長所に気付ける人間になりたい。そうでないと、どんどん人嫌いで偏屈で陰気で退屈で厭味な人間になっていってしまうような気がするから。
今年は勉強を再開するつもりなのでいろいろなんやかや大変になるかもしれないけれど、そういうのも楽しんでできるくらいの余裕を持てるように、前向きにやっていこうと思う。
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毎日更新!!・・は無理そうですが(笑 少しでも有意義で内容のある文章を書きたいと(いつになくまじめに)思っています。 今年もまたよろしくお願い致します。
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