Opportunity knocks
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コドモの学校で合唱コンクールがあるというので聴きに(コドモはくるなといったが無視して)いってきた。 1年生から3年生まで、それぞれのクラスで選んだ曲を合唱するのだけど、 中学生の合唱は聴いてるととても興味深い。
1年生男子は変声期の真っ只中。音程ははずすし、声量はないしあまり聴き応えがない。そのぶん女子が元気。 2年生は男子の変声期が少しずつ終わり安定してきているも、成熟味が足りず、恥ずかしさが前に立つのか声量も男女ともに弱い。 最後に3年生。変声期が終わり、男子の声が1、2年生とはまったく違ってとても豊かになる。そしてその豊かさが女子の高音を引きたて、綺麗なハーモニーを奏でる。 男子の声の激しさ力強さ、女子の声の繊細な優しさ深みがそれぞれ両立し、それでいてお互い影響しあっている感じが聴いていてよくわかった。
1年、2年、3年と通して聴いていたら、今までの子供たちの成長の軌跡をみているような気がしてきて、 最後のクラスが「巣立ちのとき」という歌をうたったときはうるうる度がピークに達してしまった。
そういえば来週は卒業式なんだなあ。今からうるうるしているようじゃ本番の卒業式が思いやられてしまう。 それでも、みっともないところはなるべく見せないよう、堂々とそして誇らしげに卒業を祝ってあげたいと思う。
2006年02月25日(土) |
いつからこんな雨女になってしまったのか |
ほんとうは週末、関西方面にでかけるはずだったのだけど、 各局の天気予報士が口をそろえて「日曜日はかなり荒れた天気になる模様です」 と言うので、SさんYさんと相談した結果、京都デートは1ヶ月ほど延期することにした。 ずっと前から楽しみにしてたのだけど、土砂降りの京都というのもちょっと、なので仕方ない。
朝、快晴の空を見上げて、なんでこの真青な空が明日嵐になるんだよ、 もし明日起きて雨が降ってなかったら気象庁訴えてやる、と思っていたのだけど、 夕方から徐々に薄雲がではじめ、現在(23時14分)外は雨こそまだ降り出してはいないもののかなりの風が吹き荒れていて、 やはり気象庁は正しかったのかと思い始めている。
明日はのんびり焼きイも(マイブーム)でもたべながらのんびりしよ。
(SさんYさん、予定がころころかわってごめんなさい)
2006年02月24日(金) |
夜ごとに生まれ、朝に死ぬるもの、とは |
女子フィギュアのフリー。 5時に目覚ましをセットしたものの起きたときは寝ぼけまなこでふらふらしていて、安藤さんの演技もぼんやりみていたのだけど、荒川さんの演技がはじまってやっと目がぱっちりした。
何か目に見えないもの、形にできないものが彼女を動かしていたような、本人の意識と少し離れてひとつ上の段階にいってしまったようなそんな演技。素晴らしかった。
彼女の言ったことの中で印象深かった言葉。 「これまで限界を定めずにやってきた。満足するのは最後のその一瞬だけでいい」
元気をもらった気がした。
2006年02月20日(月) |
そうだ、京都いこう計画 |
今度の日曜日は久しぶりにSさんと京都デート。 もしかしたら途中Yさんも合流するかも、でとてもたのしみ。 前日は余裕があれば大阪泊でプーシキン展を見にいこうかなと思うのだけど、先週の散財が響いていて実行できるか微妙なところ。余裕がなければ京都日帰りで終わる予定。
今月から京都在住となったSさんはなかなかアクティブに京都の街を歩き回っているらしく、いろんなところを回ろうとふたりで案を出し合っている。 今のところ行こうと決めているのは竜安寺、南禅寺、知恩院、おいしいと評判の蕎麦屋、産寧坂のぜんざい屋などなど。渡月橋もいきたいなと思うのだけど、たぶん、そこまで回っている時間はないだろうなあ。それでも時間を有効に使って楽しい1日にしたいと思う。 唯一の不安材料は天気の行方、かな。せめて雨は降りませんように、、。
村上龍 「半島を出よ」読了。 じつは大根と子鍋をくろこげにした張本人。 読み終わるのがもったいないような早く読み終えたいような、そういう複雑な気持で読み終えた。 村上龍の小説でそういう気持ちになったのは「限りなく〜」以来。
村上龍の小説は後半になるにしたがってだんだん文章が自分本位になっていって、それと合わせて文体も崩れていくようなそういう傾向を感じていたのだけど、この小説に関しては集中力が途切れることなく、小説の力というものが最後まで強く感じられた気がした。とても素晴らしい小説だったと思う。
アメリカとの蜜月が終わり、庇護してくれる相手もなく経済も国力も低下し、アジアからも世界からも孤立する日本、そういう設定は決して突拍子もないことではなく十分実際にありうることで、そういう現実を考えながら小説を読むといろんなことがくっきりと形を持って浮き上がって来る。
読みながら、揺らぐ、という言葉が何度もイメージとしてうかんできた。 曖昧な国民性、不安定な現実、信じていたものがいとも簡単に揺らぐ一瞬、その中で唯一変らないものは何なのか、そんなことを考えさせられた。
ちょっと言葉がまとまらなくて意味不明なのだけど、とにかくとても読む意義のある小説だったと思う。これを読んで感じたこと、またいろいろ考えていきたい。
イーサン・ケイニン 「エンペラー・オブ・ジ・エア」読了。 今まで生きてきた中で経験してきたことをなぜか思い出してしまう、そして、そのときはっきり認識できなかった自分の感情がいったいどんなものであったのかということを感じさせてくれる、わたしにとってはそういう小説。
「おたがいを知り合う一年」という短編はとくにそういうのを感じた。 過ぎてしまった時間の中にいる自分をもうひとりの今の自分が眺めている、そういう乖離的な感覚というか、客観的な視線というか、そういうものにたぶんひかれるのだろうと思う。
どの短編もそれぞれ深い味わいがあって甲乙つけがたいのだけど、強いていえば「音階の記憶」「頭の中で何かがかちんと鳴る」が好き。 「夜空の皇帝」は素晴らしすぎ。「夜の旅人」はかなしくて、「スター・フード」はせつない。「私たちの家」はやりきれなくて、「カーニバルの犬またはダイヤモンドを買う男」は読みながら何かがむずむずした。
それぞれの短編のタイトルだけをみていてもなんだかイメージがひろがるような気がする。そんな短編ってちょっとない。
散財デー。 ほとんどバーゲンも終わった時期なのでもうしばらく洋服は買わないかな、と思っていたのだけど、 よく行くブティックが冬物の最終処分でかなり大幅にプライスダウン(50〜60%OFF)していたので、つい5着ほど買ってしまった。 もう物欲の神がとりついたとしか思えない。 ためいき。
でもまあ、とても良い服だったし、春からは学業中心になって服を買うことも少なくなるだろうからということで、 今回は大目にみることに、、、しておこう。
久しぶりにカットしにいってきた。 軽く毛先を切ってもらってトリートメント。 ずいぶんのびましたねーと感心される。
担当の人は感覚が繊細でカットも上手な上に丁寧で笑顔も素敵な人で、 この人が担当ならという感じでここ2、3年くらい同じ所に通っている。 今日は、その担当の人が最近(勉強のため)行ったニューヨークの話をしてくれていろいろ興味深かった。 ニューヨークのサロン事情や、日本人との感覚の違いや、街を歩く人のファッションや雰囲気などなど、聞いていてとてもおもしろかった。
カットが終わってブロウ中、ちょっとあそんでみようか、 ということで名古屋巻きなるものをプチ体験。
できあがって鏡をみたら、そこにはいつもとかなり違う雰囲気の自分がいた。 やってもらった本人よりなぜか美容師さんの方がよろこんでいて、 Nさん、これからこういう路線でいったら?と意味不明な発言。 それでも、まあこういうのも良いかな、たまには。
家に帰ると、先に帰宅していたコドモがひとめみて、 「うわー、加納(だったっけ?狩野?叶野?)姉妹みたい!」・・・だって。
はたしてほめ言葉ととっていいのだろうか。うーん。
朝 洗濯物を干そうとベランダにでたら
なんだかいつもとちがっていた
なまぬるい空気の匂い
ふかくふかくしんこきゅうする
そんな二月の朝
大根を下茹でしながら本を読んでいたら
なにやら異様な匂いがただよってきた
がばっととびおきて台所に走っていったら
くろこげになった大根と小鍋が
まるでわたしを非難するかのように
ガス台の上によこたわっていた
みずみずしくてまっしろで
とてもおいしそうな大根だったのに
しかたないので
夕食のおでんは大根抜きになった
夕食後
ごしごしと小鍋を洗っていたら
爪がぼろっとかけた
大根のうらみか
たべものは少しでも無駄にしないように
気をつけよう
2006年02月08日(水) |
うがいと手洗いは必ずしよう |
連れ合いが風邪でダウン。 インフルエンザではないようなのだけど、熱が高くて咳がひどい。
いやあな予感。考えてみれば去年もこのパターンだった。 家族の中で真っ先に風邪をひくのはいつも連れ合い。 そしてその菌は強力で、誰かをまきこまないと気がすまない。
半径1メートル以内に近づかないようにしないと。 といってもまたうつされてしまうんだろうなあ。連休前なのに。ああ。
2006年02月05日(日) |
いろいろあわただしくなりそうな |
来春から学業復帰をきめたのはいいのだけど、 なんと連れ合いも同じ大学に通うことになった。 第1種小学校免許と社会教育主事という資格をとるため。 教育学部と福祉学部に力をいれている大学だから、資格をとるために入学する教育関係者はとても多いのだけど、まさか同じところに通うとは思わなかった。
今日はその学校の入学説明会があるとのことで、3人でお出かけ。 連れ合いが説明会にでている間、わたしとコドモはそれぞれ別行動。 わたしはてきとーに街をぶらぶらしてチョコレート買ったり(職場用のものなのだけどだいたいいつもわたしが買う係りになる、なぜ?)ブティックをまわったり、明治屋でデカフェ(カフェイン抜きのコーヒー)の豆を買ったり。 コドモは日展にいったり本屋にいったりその他いろいろいったりした模様。
夕方、それぞれ用事を終えて待ち合わせし、3人で夕食。 いちおうコドモの合格祝いということでちょっとだけ贅沢なご飯をたべた。おいしかった。 そのあと、連れ合いがめずらしく洋服を買ってくれるというので今度は連れ合い・わたしとコドモに分かれてまた別行動。 服を買ってくれるというのはいいのだけれど、100%(連れ合いの)趣味のものしか買わないというのであんまり期待しないでついていったのだけど、なかなか良いのを選んでくれた。(下の写真の白いスカート) でもどうせなら上も靴もバックもアクセサリーも買ってほしかったなあ(と欲深なことをいってみる) でもなかなか春っぽい素敵なスカートなので、それに合わせた服をかんばってみつけようとおもう。あとそれとスカートに見合った体型に少しでももどさないと。
春からいろいろ慌しくなるけれど、それなりにマイペースでやっていこうとおもう。基本はたのしむこと、それを忘れずに。
2006年02月04日(土) |
内田樹さんのブログに |
とっても胸がすくというか、すっきりすることが書いてあった。 少子化についての行政の政策のことと、日本語をもっと学ぶべきということ。
少子化対策についてはまえからいろいろひっかかっていることがあって、 とにかく生め、子供をつくれ、金なら(多少は)だすぞという一方向的な物言いとか、 生め増やせというわりにその人口を受け入れるだけのキャパシティについて関心が薄いことなど気になっていた。
今日偶然友達とそういうことを話した。 そりゃお金(児童手当など)がもらえるにこしたことはないけれど、 それって子供をひとり生む(または増やす)という労苦(まあそれはとてつもない幸福と隣り合わせなのだけど) を十分カバーするものとはけっしていえないよね、 どうしても結婚しなきゃいけない、どうしても子供を生まなきゃいけないという世の中でもないしね、と友達。
わたしが子供を生んだときは、児童手当なんてものは全くなしで医療受給にいたっては〇歳児までというおざなりなものしかなかった。 それにくらべて今は市町村でばらつきはあるにせよ、児童手当は小学校卒業まで受給されるし、医療費免除も現在は小学校に上がるまで受けられるし、これから先さらに拡大される可能性もかなり高い。 それなのに、肝心の出生率は下がり続けている。 必ずしも、お金をだす→子供を生みたいという気持ちになる、 というわけでもないんじゃないかな。
それに(社会保障などどうでもいいといっているわけではけっしてないけれど) そういうものだけを頼みにして人口が増えさせすればそれでいいというのはちょっとどうだろう。 仮に、そういう社会保障を餌に人口が増えたとして、それがはたして生産的な方向に簡単に向かうだろうかと考えると、それも首をひねらざるをえない。 人口増加=生産力の増加と考えるのはちょっと安易すぎるのではないだろうか。 人口に合わせて社会もスリム化すべきではないかと言った人がいたけれど、 そういう点も考慮に入れるべき時に来ているのではないかとおもう。
いろいろ勢いで書いてしまったけど、こんな駄文では何が言いたいのかまったくわからないという方はぜひ内田樹さんの、無駄のない正確で洗練された深い文章をお読みください。 実際、自分の気持ちとか考えとかをあれだけの文章で表現し万人に向けて発信できるというのは本当にすごい。もっといろな人が読むといいなとおもう。
肩の荷が少しだけ軽くなった。 一応最初から希望していた学校だったのでコドモもうれしそう。 とりあえず決まってよかった。よくがんばったね。
そうそう、ずっと断っていたものもやっと解禁。 3種のベリーのクリーム仕立てというのを買った。 あーしあわせ。ほんとしあわせ。
最近、サラダほうれんそうというのがお気に入り。 薄めのせんぎりにした大根とまぜてそのうえに温泉たまごをおとし、 韓国海苔をぱらぱらかけてドレッシングをふりかけたものをわしわしとたべている。 とてもおいしい。
この時期は例年あまり良いことがない。 やたら寒いし、バーゲンもあらかた終わって特にたのしみもないし。
そういえば去年はまるまる1ヶ月インフルエンザに苦しめられたっけ。
今年は去年みたいなことにならないように家にこもっておとなしく読書にいそしもう、 ということで今は「エンペラー・オブ・ジ・エア」を熟読中。 とても良いです。
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