Opportunity knocks
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2007年09月25日(火) |
矛盾だとおもいながら |
名古屋市千種区の殺人事件。 被害者のお母さんがHPを開いたと新聞にあったのでみにいってみた。 新聞には書かれていない(書くにはあまりにも酷い)事件の詳細、加害者に対する憎しみや憤り、娘を思う気持ちなどが淡々と書かれてある。 そして加害者を極刑にするための嘆願のお願い。書式をダウンロードして印刷したものに記入し郵送するか、メールをもらえれば書式を郵送する、とある。
http://www2.odn.ne.jp/rie_isogai/
なんとも言えず気持ちが重くなる。 なんとしても極刑をというご家族の気持ちは、当然理解できる。たぶん自分が同じ立場なら同じことをすると思う。でも、でも。 署名をすることで自分が加害者を死刑にする一端を担うかとおもうと、それもできそうにない。 自分にそんな権利(誰かを殺す)があるだろうかとおもう。 そこらへんが気持ちの重くなる原因なんだろうなとおもう。
でも、むごい。ひど過ぎる。自分の身近にいる人が、どうかそのような被害にあうことのないようにと、願うばかり。
いまさらだけど、「Girl With A Pearl Earring」を観た。 フェルメールに心酔するあまり映画が公開されたときもあえてみなかったのだけど、ちょうど今秋東京でフェルメールの「牛乳を注ぐ女」が展示されるというので気になっているのと(観にいってしまうかも)ちょうどBSでやっていたのが重なってついみてしまった。
で、感想。もっとはやくみてもよかった。良い映画だった。 絵の中で生きているかのような映像が素晴らしかったし、何というかあの時代の時間や人生の濃密さみたいなものをひしひしと感じた。
スカーレット・ヨハンソン(だったっけ?)あまり好きじゃないけど良かったとおもう。でも真珠の耳飾りの少女になるにはちょっとセクシーすぎる、かな。正直なところ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070919-00000536-reu-ent
ひと目ぼれっていうのはそんなに瞬時にわかるものなんだろうか。 と素朴な疑問。 でも、すれ違いざま、あ、この人なんか良いなあと思うのは確かに1、2秒の判断かもしれない、ともおもう。 めがねの似合う人には100%目がすいよせられてしまうし。
もしかしたら0.5秒ですべてのことは決定してしまうのかもしれない。それ以上の時間はすでに無駄な時間なのかも。 でもまあ、そんな無駄な時間をあれこれ思い巡らすのが人間というものなのでしょう、きっと。
ちなみに連れ合いにはじめて会ったときですが、第一印象は最悪でした。今はまあ最悪というほどでもないですが。
友達に、こんな本があったよと教えてもらった。
「『村上春樹』を聴く」 小西慶太 阪急コミュニケーション
さっそく図書館でかりてきてななめ読み。 年代別に村上さんの小説が並んでいて、その中に出てくる音楽がひとつひとつ丁寧に解説されている。 ラ・ボエームの「我が名はミミ」(海辺のカフカ)とかモーツァルトの歌曲「すみれ」(スプートニク)とかデューク・エリントンのスタークロスト・ラヴァーズ(国境の南)とか、小説の中で特別な意味のあるそれらの音楽のことがいろいろ書かれてあって、今更ながらふーんと頷いてしまった。あらためて村上さんの文学は音楽の本質的なものと、ごく自然に、深く結びついているんだなあと。
付属でCDが1枚ついていて、カリフォルニア・ガールズ、泥棒かささぎ序曲、Norwegian Woodなどなど12曲が、オリジナルのギターソロの演奏で収録されていた。とても優しくて静かで懐かしくて切なくなるような音楽。 聴いていて、ワタナベの下宿でレイコさんが(直子のお葬式として)ギターをひく場面を思い出した。良いなあ、こういうの。当分こればっかり聴きそうな感じ。
図書館で本をかりてきたら、その中の1冊にメモらしき紙がはさまっていた。 小中学生くらいの子どもが書いたような字で、思うに読書感想文を書くために思いついたことを走り書きしたような感じ。
読書感想文。昔からカンペキ文系人間だった自分だけど、なぜか読書感想文を書くのは嫌いだった。つまらないものをつまらないと書けなかったり、教訓的な話に感動したふりをしなきゃならなかったり、そういうお定まりな評価がつきものだったことが、たぶん子どもながらに嫌だったんだろうとおもう。ただ単に書くことが苦手だったということもあるけど。
メモをみながら、そんな子どもの頃のいろんな葛藤をおもいだした。
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