日々雑感
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2002年01月31日(木) 草むらの中の家

夢を見る。

草むらを歩いていた。昼下がり。丈の高い草が茫々と広がり、その中に細い道がある。道の真ん中には大きな水たまり。ゆっくりと流れていく雲が映っている。しばらくすると、草むらの中に廃屋が見えてくる。大きな洋館だ。窓ガラスは割れ、もうすぐ草の中に埋もれようとしている。壁の隙間に小さな花が咲いている。

人の気配はない。それでも、屋根にはまだ色が残っている。あせた青い色。

不意に、遠くからかすかに音楽が聞こえてくる。古いラジオを通したような音だ。この歌は何だろう。どこかで聞いたことのある曲。けれど、どうしても曲名が思いだせない。私は確かにこの曲を知っているのに、ひどくもどかしい。ドアが風でギイギイと鳴っている。音楽はだんだんと大きくなってゆく。はっとする。これは、カーペンターズの「top of the world」だ。

気づいた瞬間、あたりは夜になる。暗がりの中で、さっきまで廃屋だったはずの家に灯りがともっている。人の気配。夕食中なのか、食器の音や話し声が聞こえてくる。そしてやはり、今度ははっきりと、カーペンターズの曲。この家の中から聞こえていたのだ。ドアが開く。「おかえり、おそかったね。」

そのとき、私はありありと思い出す。ああ、ここはかつて、自分の家だったのだ。

だとすればあの朽ちた家は。いちめんの草むらは。すべてが草むらに埋もれそうになっていたではないか。カレンの歌声がわんわんと鳴り響く。

目が覚めてからも、しばらくカレンの歌声が耳から離れなかった。そして、暗がりの中に浮かび上がった家の灯り。「ここはかつて自分の家だった。」と気づいたとき、ぞっとした。同時に泣きたくなった。悲しかったわけでなく、何か途方もないものの前に立ち尽くしたような気分で。

過去だとか未来だとか、夢だとか現実だとか、いくつもの世界が同時に存在している。けれど、同時に存在しながら、それらの世界と実際に交わることはできないのだ。きっと私は、あの家の中には入れなかっただろう(そして、音楽だけはいろんな境界を越えていくのだろうか)。

しかし何でこんな夢を見たのだろう。実生活でカーペンターズに特に思い入れがあるわけではない。あの家で自分を迎えてくれたのも、誰か知らない人だった。ひょっとしたら、前日、ドラマとマンガの「漂流教室」を見たせいかもしれない。


2002年01月30日(水) スパナポ

電車の中で川上弘美さんのエッセイ集『ゆっくりさよならをとなえる』(新潮社)を読んでいたら、「ナポリタンよいずこ」という一章があった。突然スパゲティーナポリタンが食べたくなり、置いてありそうな「由緒ある昭和風の喫茶店」を探して町中さまよい歩くが、結局どこにも見つからないという顛末を描いたもの。「ハムと缶詰のマッシュルームを油で炒めたところに、ちょっと茹ですぎたスパゲティーをほぐしながらいれて、最後にトマトケチャップをちゅーっと絞り出してからめた、あの古式ゆたかなスパゲティーナポリタン」。読んでいたら、どうしてもスパゲティーナポリタン、川上さんいわく略して「スパナポ」が食べたくなってくる。

スパナポ、スパナポと思いつつ帰りがけにスーパーに寄ると、惣菜コーナーに小さいパックで「スパゲティーナポリタン」が売られている。おまけに30円引き。もちろん買う(自分で作ったほうが安上がりじゃないかというのはこの際なしで)。

帰宅してさっそく食べる。濃いケチャップの味がおいしい。「食べたい!」と思ったそのときに欲しているものを食べると、おいしさが3割増くらいになる、こんな幸せはないなあとしみじみ思いつつたいらげる。


2002年01月29日(火) 神保町へ行く

神保町へ行く。三省堂のあたりから歩き始めて、順々に店をのぞいていく。今回は文庫本を探していたので、店の外の棚に並べられている本など主に見て歩く。平日午後の神保町は、それでもけっこう人が多い。店内では「常連おじさん」のような人が店主と何かしゃべったりしている。

神保町はまだその入り口しか知らないなあと思う。狭い店内に積み上げられた本、古本の匂い、曲者っぽさをぷんぷんさせている店主。お店に入るとドキドキしてしまったりと、「神保町道」は険しい。結局目当ての本は見つからず、目についた本を一冊だけ購入。ふと見ると、古書センターのエレベーターに「大古本市」のポスターが貼られている。渋谷の東急東横店が会場で、ちょうど開催中。

半蔵門線に乗って渋谷へ移動する。8階の催し物場へ急ぐと、大盛況だ。何軒もの古本屋がそれぞれブースを出しており、ずらりと本が並んでいる。「あいうえお順」や「ジャンル別」に分かれているわけではないので、探すのが大変。しらみつぶしに見ていくしかないが、思わぬものが隠れているのを発見できるので、それもまた楽しい。絶版文庫のコーナーがあって「ほしい」と思うものが何冊かあったが、すごい値段がついていて驚いた。「古本」=「安い本」というわけではないのだ。

それにしても「大古本市」ともなると、バーゲンのような雰囲気である。「この本は誰にもわたさない」とか「見逃してなるものか」とか「買ったるで」とかいう熱気がむんむんしていて、ちょっと気おされる。じっくり見たかったのだが、ぐるりと一周しただけで、その熱気にやられて退散。古本市でよい本を見つけるためには、気力・体力が必要と思い知る。

電車で帰宅。横断歩道を渡ろうとしたら、向こうから散歩中の犬が歩いてくる。あれは何という種類だろう。小さな犬だ。耳のところに赤いリボンをつけている。飼い主の歩調に合わせて、人の波の中を歩いてくる。小さい手足を動かして、まっすぐ前を見つめて一生懸命に歩いている。横断歩道の真ん中ですれ違う。青い夕景の中。


2002年01月28日(月) ご近所さんができる

夜、友人から電話。昨日つくったカレーが残っているので食べに来ないかと言う。喜んで出かける。

友人は、同じ町内の大通りをはさんだ向かい側に住んでいる。それが、今度うちの隣のアパートに引っ越してくることになった。「近く」ではなく、ほんとうに「隣り」。それもお互い2階の角部屋どうしということで、窓から顔を出し合うと相手が見える距離である。偶然なのだが、驚いた。

引越し準備真っ最中の現在のアパートでカレーを御馳走になる。缶ビールも出してくれる。「数えてみたら、今回で引越し9回目なんだよね。」確かにそうだ。鎌倉や菊名や調布や、今まで遊びに行った、いくつもの部屋や町を思い出す。

自分はというと、上京したときも合わせて引越しは3回。東京で初めて住んだ町は住宅地で、静かで住みよい場所ではあったが、日曜の午後など、ぶらぶら歩き周るには寂しすぎた。それから現在住んでいる町に引っ越してきて、もうずいぶんになる。商店街が並ぶ賑やかな町だ。一人で暮らしている分にはこれくらいがちょうどいい。

それでも、以前住んでいた町を電車で通り過ぎるときなど、今でも一生懸命眺めてしまう。駅前の本屋のレジには、まだ猫がいるのか(いつも、レジの横に大きな猫がじっと座っていたのだ)。電気屋がなくなって焼肉屋になっている。冬になると、駅前に焼き芋屋のおじさんが必ず現れた。

一度住んだ場所には、そこここに自分の足跡が残っている。いつか、この町からも出て行って、何年も経ってから再び訪ねたとき、自分は何を思うだろう。

カレーを食べたあと、軽い荷物などを運びがてら、二人して友人の新居へ移動。部屋をのぞかせてもらう。新築なので、どこもかしこもピカピカである。真新しい部屋の匂い。まだ何も入っていない新しい部屋を見ると、ワクワクする。気分が全部「これから」に向かうからだろう。

窓から顔を出してみると、確かに自分の部屋が見える。ご近所さんがいる生活。これからどうなるか。


2002年01月27日(日) 夕空とはたはた

昼過ぎくらいに雨が上がる。昨晩の徹夜のせいで眠かったのだが、気合を入れて外に出る。

雨上がりの空はほんとうにきれいだ。電車の窓から見て、思わず手にしていた文庫本を置いた。夕焼けの色に染まった雲がすごい速さで流れていく。立体的な雲。夕日の上にちょうど重なると、そのときだけ光で縁取りされる。雲の色も空の色も深く澄んでいて、どこか厳かな感じさえする。思い切って外出してよかった。部屋の中で寝ていたら、こんな光景が広がっていたことを知らずに一日を過ごしていたのだ。目的地に着くまでずっと外を眺めていた。まだ薄い、大きな月も出ている。

昨日母親から届いたファックスを思い出す。絵が描いてあって、何かと思ったら、その日見た夕方の景色らしい。「あまりにもきれいで見とれてしまいました。」海の向こうの山並みや林の絵、それに「ここは灰色」「純白」「ここは茜色、ほんの数分ほどで色が消えました」などとコメントが入っている。山の上には、やはり大きな月の絵。美しい夕方の景色を眺めると、人は誰かに伝えたくなるのだろうか。

帰りはもう暗くなっていたので、車窓を眺めるでもなく、内田百�里痢惴翆攸�帖』(中公文庫)を読む。「雷魚」の話が出てくる。「雷魚」とは「はたはた」のこと。雷の鳴る荒れた日によく捕れることから、こう呼ばれるのだ。「羽後ノ国ノ海中ニ産ズル魚、土人甚ダ嗜ミテ煮食フ。」百�里蓮屬呂燭呂拭廚鮹里蕕覆�ったらしい。知人から粕漬けにして送られてきたものを見て「焼けたのを一匹食つて見たけれど、大味で、口さはりが鱈の様で、何の風味もないから、余りうまくなかった。」

「羽後ノ国ノ土人」だったので「はたはた」は小さい頃からよく食べた。冬などは毎日のように食卓にあがった。粕漬けよりも、そのまま焼いたほうが絶対においしい。鍋にするのもいい。「大味」というのは心外、うまい食べ方をさせてあげたかったと、読みながらムキになって考える。「はたはた」は漬け込んで自然発酵させて食べる「鮨」にしてもうまい。


2002年01月26日(土) 祭りのあと

夕方から雪が降るかもという天気予報を聞きつつ、家を出る。演奏会本番。

企画も運営も、所属していたサークルの現役生たちが担当しているミニコンサートだ。会場は大学構内にあるサークル会館の一室。午前中に集合して、最後の練習をする。やるべきことはやってきたので、あとはテンションを舞台モードに切り替え、上げていくだけ。

イベント前のざわざわとした空気が好きだ。出演者もスタッフも、気分が高揚しているのが伝わってくる。

今にも雪が降ってきそうな寒い日なのに、小さい会場はほぼ満員。以前はステージに立つと緊張したが、今では落ち着いたものだ。誰かの前で演奏できること、伝えられること、ほんとうに幸せに思う。全9曲で約一時間、楽しかった。ステージの最後のほうでは、終わってしまうのがもったいなくて、このままずっと演奏を続けられたらいいのにと、ほんとにそう思った。

演奏会が終わって外に出るとみぞれになっていた。傘をさしつつ移動して、居酒屋で打ち上げをする。ビールで「おつかれー」と乾杯。

何人かのグループで長く演奏をしていると、メンバー間にある空気が生まれてくる。連帯感というのか。「同志」と言えばいいのか。そんな面々と一仕事終えて飲むお酒は格別。日本酒もおいしく、結局久々に朝まで飲む。

始発電車が走る頃に外へ出ると雨。強い雨だ。おまけに、まだ真っ暗。駅で皆と別れて、ひとり地下鉄に乗る。ガラガラに空いた電車。さっきまでずっといっしょにいたのに、皆別々の電車に乗って、それぞれの場所へと帰っていくのだ。祭りの後の寂しさにだけは、いつまでたっても慣れない。


2002年01月25日(金) 音楽と感傷

明日は演奏会本番。演奏する曲が入ったCDやテープを取り出して、聞きながら最終チェックなどする。

大学の4年間は、主に中南米音楽を演奏するサークルに入っていた(今もその延長で演奏をつづけているのだ)。サークルと演奏とにどっぷりとつかった4年間。自然と、その頃熱心に演奏したり聞いたりした音楽と、当時のいろんな記憶とはがっちり結びついてしまっている。

何かと結びついてしまった音楽。聞くと、様々な場面が生々しくよみがえってきて、どうしようもなく感傷的になってしまう。演奏するときは集中しているからよいのだが、CDやテープを聞くとダメなのだ。自分たちの記憶も当時の状態のままいっしょに保存されているみたいだ。聞くときには覚悟がいる。

ちょっとひるみつつ「明日は本番だし」と、思い切って聞く。次々と聞く。やっぱり、しんみりしてしまう。しんみりするのは、その頃にはもう決して戻れないと実感するからなのだろう。過ぎてしまった時間。戻りたくはないが、懐かしくは思う。

あまりにもしんみりしてしまったので、気を取り直すためにスピッツなど聞く。





2002年01月24日(木) 言葉で世界をつかまえる

『読書癖2』池澤夏樹(みすず書房)を読んでいたら、子供のころは本を読んでいてもわからないことが多かったという話がでてきた。たしかに、そうだったなあと思う。

小さい頃、楳図かずおの「まことちゃん」を読んでいて「高田馬場って何だろう。」とずっと思っていた(「まことちゃん」には高田馬場がよく出てくるのだ)。聞くと「東京にある街の名前」と教えてくれるが、うまくイメージできない。東京に出てきて実際に高田馬場に行ったとき「これが高田馬場か!」と真っ先に「まことちゃん」のことを思い出した。

また、何かの本に出てきた「分別」という言葉。親に聞いたら説明はしてくれたのだが、やっぱりうまく呑み込めず、ずいぶん長いこと疑問に思っていた。今思えば、難しいことを聞いたものだと思う。自分だったら、きっと説明できない。

最近になってようやく意味がわかった言葉もある。実家のある辺りは「ヨウマンジョ」と呼ばれていたのだが、親や大人たちが「ヨウマンジョの〜さんが」とか「ヨウマンジョに行ってくる」とか言っているのを、特に疑問ももたずに聞いていた。それが、ふとしたことから「ヨウマンジョ」が「養鰻場」であるとわかったのだ。何でも、以前その辺りに大きな鰻の養殖場があったらしい。親たちは「ああ、知ってるよ」とさらりと言うけれど、養殖場など跡形もない今、自分たちの世代にとっては「ヨウマンジョ」は「養鰻場」という意味を失って、響きだけの記号になっている。けれども、そこに鰻の養殖場や行き交う小舟を思うとき、目の前の風景は一変する。

小さい子が言葉を覚えていく過程を再体験したような気分だった。響きを口にするだけでなく、そこについてくる意味を理解することによって、目の前のものがはっきりとした像を結ぶ。焦点が合う。そんなふうにして、ゆっくりと世界をつかまえていくのだろうか。

夜、近所に住む友人と「デニーズ」へ。コーヒーを飲みつつ、とりとめもなく喋る。そういえば上京前は「デニーズ」というのも謎だったなと、ふと思い出す。


2002年01月23日(水) 江國香織と庄野潤三

図書館へ行く。今日もいい天気。電車の窓から外を眺めると、線路沿いの木の塀に布団が何枚も干されている。

今月号の「新潮」に載っていた江國香織と庄野潤三の対談を読む。新聞広告で見て気になっていたのだ。対談は微妙にかみあわない感じですすみ、でもそのずれ具合が面白い。特に庄野潤三、やっぱり何ともいいキャラクターだ。対談中、庄野夫人も何度か顔を出して、そのやりとりがまたいい。

対談の場所は庄野宅なのだが、テーブルの上にあった果物を見て「これ、かりんですか?」と江國香織。「いえ、マルメロです。」と庄野潤三。庄野家では、知人が毎年送ってくれるそのマルメロで作ったマルメロ酒と、梅酒とかりん酒を三分の一ずつ混ぜて飲むという。

江國「おいしそうですね。」
庄野夫人「お飲みになりますか。」
庄野「まあ、まずは紅茶から…。」

こんな感じでゆるゆると話がつづく。最近の庄野さんの小説のような世界だ。江國さんも庄野潤三も、日々の細かいことを丁寧に書く。作品の雰囲気は違うけれど、二人ともこの一点で共通している。ディテールを読む喜び。何でもないことを書いているようで、それがそのまま小説になる(ある世界をつくりだす)、その力の正体はいったい何だろうと思う。

帰りは歩く。梅の花が咲いている。大きなみかんの実も見える。たくさんの木の中を歩いて行くのは楽しい。土の匂い。小学校からチャイムの音が聞こえてくる。散歩日和の午後だ。ずっと歩いていってみようかと思ったが、やらねばいけないことを思い出し、おとなしく家に帰る。駅前のスーパーによったら、バレンタインのチョコレートがもう並んでいる。早い早い。その前の節分はどうした。


2002年01月22日(火) 陸地を目指すクジラ

ほんとによく晴れた一日。あんまりいい天気なので、電車を途中で降りて大学まで歩く。

大通りを避けて、近道を選ぶ。お寺の中を突っ切っていく道だ。細い階段をあがるとお墓が広がっている。お墓の間に大きな桜の木が何本も立っている。今は枯れ枝だけれど、その細い一本一本が青空を背景にくっきりと見える。ときおり、お墓の間を猫が歩いてゆく。何匹もいる。春になれば、ここにも桜が咲くだろう。もう、そんなに先の話ではない。黒い幹と白い桜と、その下をゆく猫。

お墓を抜けて、大学までは坂道をだらだらと下ったり上ったり。昨日の雨のせいか、構内の木がみんな生き生きしている。葉っぱはついてないが、そう感じる。研究室に行くと、皆で百人一首をしていた。試験期間あいまのひととき。

帰って新聞を見ると「クジラ14頭漂着」の記事。22日の午前8時過ぎ、鹿児島県大浦町の海岸に、クジラ14頭が打ち寄せられているのを通りがかりの人が発見したという。水族館の人は「集団で陸地に上がったり、迷走したりする『マス・ストランディング』ではないか。」と言っているらしい。まさに安部公房が『死に急ぐ鯨たち』で取り上げていた現象だ。耳や脳に寄生虫が入り込んで感覚器官を狂わせるのではという説にも触れつつ、安部公房は、哺乳類であるクジラが、かつて陸地で酸素を吸って生活していた頃の記憶を不意に思い出し、「溺れ死ぬのではないか」という不安にかられて一斉に陸地を目指すのではないかと述べている。

不意に、どうしようもない不安にかられることがあるのは、きっと人間も同じだ。冷静に考えれば、こうして何事もなく地球上に生きていることのほうが不思議なのだから。この世界というのは簡単にひっくりかえるのだ。地震がくるかもしれない、火山が噴火するかもしれない、あるいは事故や病気もある。ほんとに、次の瞬間には何が起こってもおかしくはないのだ。日々の雑事の中で忘れてるけれど、ふとした瞬間、自分たちがいる状況の危うさにぞっとする。

それでも、危ういからこそ、この世界を愛しく思う。その危うさをひきうけて、しっかりと立っていられたらと思う。夜、布団に入って電気を消して寝付く前の時間、しんと静まりかえった中で考える。まだ、世界が終わりませんように。目が覚めたときも、まだそこにありますように。春がきて、変わらずに桜が咲きますように。


2002年01月21日(月) てるてるぼうず

午後は大荒れ。あまりにも雨風が強くて、部屋が揺れた。

ちょうど雨があがった頃に外へ出る。ぬるい空気。1月というよりも、梅雨時のちょっと寒い日のようだ。いろんなものが道路に転がっている。洗濯機のふた、ポスター、葉っぱ、自転車も倒れている。どこもかしこも雨のあと。

途中、薬屋の軒先に、てるてるぼうずが二体ぶらさがっているのを見る。なぜか首にはアメリカやイタリアの小さな国旗。「てるてるぼうずって、やっぱり照る照る坊主なのか」と思いつつ駅へ向かう。

新宿で友人と待ち合わせ。色紙とカードを買いに東急ハンズへ行く。月曜日のせいか、大荒れのあとのせいか、いつもより人は少ない。レジもすいすい進む。すばやく用事をすませて、夕食。サラダやピザやパスタなど食べる。食後のカプチーノがおいしい。

帰宅後、「てるてるぼうず」について調べてみる。やはり「照る照る坊主」、あるいは「てりてりぼうず」。晴れることを祈って軒先につるすのはわかるが「晴れたら目を書き入れたり、神酒をかけたりして川に流す」というのは知らなかった。ダルマといい、「目を入れる」ことには特別な意味があるのだろう。

小さい頃からてるてるぼうずを作ったことは何度もあるけれど、晴れても軒先から下ろしてそのままだった気がする(顔もはじめからかいていたかもしれない)。すいぶん扱いがぞんざいだったなと、何体ものてるてるぼうずを思い出す。本来は呪術的な意味合いが強かったのだろうに、アメリカやイタリアの国旗を首に巻いた二体のてるてるぼうずは、あのあと、ちゃんと目を入れてもらっただろうか。


2002年01月20日(日) 考え事をする場所

夢の中で虹を見る。きれいな半円型をした大きな虹だ。海の上にかかっているのだが、立ち上がってくるその出発点まではっきりと見える。虹を見かけたり、流れ星を見つけたりしたとき嬉しいのは、見たいと願って見られるものではないからか。電車に乗りつつ、そんなことをぼんやりと考える。日曜の午後の電車。

考え事をするのは電車の中がいい。それも、地下鉄ではなく地上を走る電車で、空いているやつに限る。窓の外には、ずっと向こうまで街が広がっている。飛行機雲がひとすじ、ゆっくりと伸びてゆく。遠くで木の葉が風に揺れている。外の景色が見えて、周りに人がいると、考えが変な方向へ行かない。外の空気を感じながら考える。流れの中に身を置きつつ考える。電車が揺れるリズムもいい。そのうちにうとうとしてきたりする。

高校の頃は電車通学だった。横長シートではなくボックス型の座席だったので、空いている時間帯には、席がとれればほとんど貸しきり状態になる。友人とお菓子を買い込んで食べたり、話したりもしたが、それぞれぼうっとして窓の外を眺めていることも多かった。何もせず、ただとりとめもなく浮かんでは消えてゆく思いに身を任せていられる時間。片道40分の道のりを「もったいない」とか「大変でしょう」とかいう人もいたけれど、あれはとても贅沢な時間だったと思う。

電車を降りて、用水路ぞいを散歩。冬枯れの木の中に、何か色のついたものが見える。近寄ってみると梅の花だ。白い色がはっとするほど鮮やかで、「色がある」というのはすごいことだなあと思う(「白」も立派な色)。


2002年01月19日(土) 空から眺めてみれば

池袋のスタジオで練習。クラシックやジャズ系の人々が多いなか、太鼓やらギターやら笛やら持って乗り込む。何人かで演奏していると、ふと、何か憑き物が落ちたようにピタッとまとまる瞬間がある。演奏に一体感やうねりが生まれる。今日は始めからそんな調子。「どうなるかと思ったけど、よくここまできたね」と皆でしみじみする。来週の本番が楽しみになった。

大荷物の楽器をいったん家に置いたあと、夜は高校時代の同級生たち四人と新年会。そのうち一人は卒業後初めて会うのだが、待ち合わせの新宿駅で「どうも。」と声をかけてきたときは、一瞬誰だかわからなかった。思うに、20代くらいは、外見が激しく変わるのは男性のほうではないか。昨年、久しぶりに高校の同窓会を開いたときも、女性のほうは単に「年齢を重ねた」という感じなのに比べ、男性のほうでは「わからなくなっている」人が多かった。30代がどうかは、また別のはなし。

土曜の夜の新宿は人が多い。あの道もこの道も人だらけ。一人で歩いてる人、集団で歩いてる人、大勢人はいるけれど、その大部分は互いに「見知らぬ人」のまま、この瞬間すれ違って、その後二度と会うことはないのだ。人と出会う、人と知り合うというのは奇妙なことだと、ふと思う。誰かとつながりを持つというのは、実はとてもすごいことではないのか。

街の上には細い月。空から眺めれば、建物の狭間に無数の人間がうごめいていて、自分もその中の一粒にすぎないのだ。そうした一粒と別の一粒がめぐりあって、つながりを持って、こうしていっしょに歩いたりしている。やっぱりすごい。


2002年01月18日(金) グリコ・チョコレート・パイナップル

駅からの帰り道。地下通路から駅前広場へと抜ける階段で、女の子が二人「グリコ!」「チョコレート!」とやっている。二人とも近所の私立小学校の制服姿。熱心にジャンケンしていて、「この遊び、今の小学生もまだやってるんだ」と思いながら通り過ぎた。

そのあともしばらく「グリコ」や「チョコレート」や「パイナップル」が頭を離れない。ジャンケンで勝った人が、グーなら「グリコ」、チョキなら「チョコレート」と、その歩数分だけ進む遊び。自分も小さい頃、よくやった。けれども、何故この組み合わせなのか。ずいぶんと息の長い遊びだが、いつからあるのだろう。「グリコ・チョコレート・パイナップル」以外の組み合わせもあるらしいが、だとしたら何なのか。

とりあえずこの3つについて言えば、子どもにとって思い入れのあったものだと思う。丸ごとのパイナップルは小さい頃、やはり「お土産」や「とっておき」だったし、板チョコ1枚を全部一人で食べるのは夢だった。グリコはいちばん馴染み深いお菓子会社。今では、その3つのステータスもやや下がったかもしれないけれど、子どもたちは相変わらず「グリコ」「チョコレート」とやっている(今だったら、どんなものが当てはまるだろう)。

大本にあった意味や思いが薄れて、言葉や形だけが残り、伝わるということ。遊びやら、囃子歌やら、口承やら。その新しいサンプルのようだ。たとえ「グリコ」がなくなるようなことがあっても、この遊びと共に、その言葉だけは残っていくだろうか(グリコの人、ごめんなさい)。だとすれば、そのとき「グリコ」は意味のわからない、響きだけの単語になっているかもしれないのだ。

帰って友人に電話。「やっぱりグリコ・チョコレート・パイナップルだったか」と聞いてみる。そうだという返事。話はそれて、大勢でジャンケンをするとき、グーとパーだけでやるのを何と呼ぶかという話題になる。東京で「グッパ!」というやつだ。友人の地元(北陸)ではグーとチョキで「グッチ!」というらしい。ちなみに、うちの地元(東北)では「いしとかみ!」。いし(石)がグーで、かみ(紙)がパー。これも地方差があるのだろう。また気になることが増えた。「ズームイン朝」のネタみたいだが。


2002年01月17日(木) 受賞コメント

芥川賞と直木賞が発表される。芥川賞が長嶋有『猛スピードで母は』、直木賞が山本一力『あかね空』と唯川恵『肩ごしの恋人』。2億円の借金を抱え、「普通に勤めては、とても返せない。」と一念発起して小説を書き始めたという山本氏のエピソードもすごいが(作家はそんなに儲かるのか)、讀賣新聞「顔」欄に載っていた長嶋氏のコメントがよかった。

受賞作は「幼少年期を過ごした北海道の海沿いの小都市を舞台に、エネルギッシュに生きる母親を、小学生の息子の視点から描いた短編」。この作品について、長嶋氏は「そこにいるだけで、世界が肯定されるような存在を描きたかった」と言っている。とてもシンプルで、まっとうで、なのに、ないがしろにされてる感覚だと思う。彼の作品を読んでみたくなった。

その長嶋氏、川上弘美さんとは俳句仲間だという。好きな作家と仲が良いと聞くと、それだけでますます興味がわく。その川上弘美さんが『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞を受賞したときのコメント。これは朝日新聞から。

「私は深刻なことを深刻な風には書きたくないんです。いつも、くすくす笑いがあるようにしたい。」

これも、ああいいなと思った。自分自身、必要以上に深刻ぶったり、大げさに語ったりするところがあるだけに、こうした佇まいにものすごく憧れる(川上さんの本を読むと「面白うてやがて悲しき」という言葉がいつも浮かぶ)。

夜、小松菜が安かったので買ってくる。おひたしにする。「小松菜はかなり身体にいいらしい。」と力説していた友人の顔を思い出しつつ食す。


2002年01月16日(水) ご近所のアイドル

小雨模様。駅前のサブウェイで友人と会う。友人は提出論文の締め切り直前。論文やら何やらの締め切り前になると、みなどこか空気が違う。まだ言葉や形になっていないものが内側でモヤモヤしているのが伝わってくる。常にどこかに論文のことが引っかかっていて、何をしてても微妙にぶれた自分がいるのだ。がんばれよと、心の中で応援しつつ見送る。

その後、区立の小さな図書館へ。ここで本を借りるときは、必ず旅行の本を一冊混ぜる。なるべく写真の多い本がいい。文章はほとんど読まずに写真や絵ばかり眺めるのだ。旅行の本といっても地域は限られていて、アイルランドやポルトガルや中央アジアなど、行ってみたい場所のものばかり繰り返し選んでしまう。今日は『ヴェネツィア案内』(新潮社)を借りる。ヴェネツィア。ぜひ一度訪ねてみたい街だ。この本には須賀敦子さんが文章を寄せていて、その部分はしっかりと読む。

帰ると、アパートの入り口前に大家さんの猫モモちゃんがいた。すぐ後から歩いてきたおばあさんが、立ち止まって「モモちゃ〜ん」と呼びながら(これが猫撫で声)頭をなでる。「私、モモちゃんのファンなんですよ。」近所にファンを持つ猫モモちゃん。なでられても目を細めたままじっとして、アイドルというより大女優の風情。


2002年01月15日(火) 春の陽気とアンデス山脈

よく晴れて暖かい日。1月だとは思えない。数日前まで雪の中にいたのが嘘みたいだ。まるで春みたいな陽気の中を歩きながら、地元では今頃雪が降ってるのだろうか、ストーブの前から動けないのだろうかと考える。同じ地球の上で同じ時間を過ごしていながら、まるで違う環境や気候がいくつも同時に存在しているのだ。

何年か前に南米に行ったことがある。シアトル、マイアミと二回乗り換えをして、ちょうど夜が明ける頃にアンデス山脈の上空を通りかかった。目が覚めて窓の外を眺めると、明けかけた青い光の中にアンデス山脈が浮かび上がっている。ひたすらに連なる山並み。頂上のほうから細い流れがいくつも筋をつくっているのが見える(雪どけ水の流れなのか)。街も灯りも何も、人間の気配は皆無である。気配どころか、そこに立ち入ることを拒むような圧倒的な厳しさ。目が離せなかった。あまりにも美しくて恐ろしい光景。低く唸る飛行機のエンジン音だけが聞こえる。

こうしてアンデス山脈の上空を飛んでいる自分がいる。そのとき、日本では皆が食事の用意をしたり、ラッシュの通勤電車に乗ったりしているのだ。この音のないアンデス山脈と、東京のざわめきと、けれどもそれは同じ時間に、同じようにこの世界の中にある。そのことがうまくイメージできなくて、実感がわかなくて、くらくらした。

今、自分がいるこの場所や目にしているものだけがすべてではない。むしろ見えていない部分のほうが、広く、深いのだろう。ときどきそのことを考える。地球の裏側に確かに広がっている、あの光景を思い出す。


2002年01月14日(月) 偏愛の書

新大久保のスタジオで練習。もう何十回も通っている場所なのに道に迷う。ぼうっと歩いていたせいか。一本違う通りに入っただけで風景がまるで違って、一瞬どこにいるのか全然わからなくなった。迷子の気分を久々に思い出す。

今年初演奏。2週間後に演奏会があるのだが、調子はまだ七分目といったところ。練習は本番当日を入れてあと二回ということで「8月30日の気分だね」と皆で言い合う。練習後は焼き鳥屋でささやかな新年会。「ささやかに」のつもりだったが、日本酒がおいしくて何杯かおかわり。いい気分になる。

連休最終日のせいか、電車もそんなに混んでいない。駅から地上に出てブックオフに寄る。100円コーナーで『星の牧場』庄野英二(角川文庫)を発見。

この『星の牧場』は自分の偏愛の書である。何か一冊だけ手元に残せと言われたらきっとこの本を選ぶ。そんなこともあって、古本屋の本棚などで見かけると「誰が手放したんだ」と憤慨したり、「救出しなければ」と思ったりして、つい買ってしまうのだ。もう何冊も持っているのに。

けれど、いちばん強いのは「この本がなくなってしまったらどうしよう」という思いかもしれない。どんなときでもこの本があればいい。これを読むだけで、何か大事なものを見失わずにいられる。暗闇の中の航海を導いてくれる灯台のようなもの。その光がなくなってしまったら、私はきっと暗がりの真ん中に放り出されたまま途方に暮れてしまうだろう。そうなるのが怖くて、見かけるたび、冬を越す食糧を蓄える動物みたいに買い込んでしまうのだと思う。

今日も、迷ったすえに購入。備えは万端。よっぽどのことがない限り大丈夫だろう。


2002年01月13日(日) 夕日を見る猫

本を読んでいたら、夕日を眺めるチンパンジーの話がでてきた。

「京大霊長類研究所の鈴木晃氏が、タンザニア西部で夕日を眺めるチンパンジーを見たと報告している。若い雄のチンパンジーが、川辺の林のひときわ高い樹の頂近くまで登って、山の彼方に沈んでゆく夕日を、ひとりだけでじっといつまでも見つめていたという。」『遥かなるものの呼ぶ声』日野啓三(中公文庫)

これを読んで、夕日を眺める猫を思い出した。友人から聞いた話だ。友人の家の裏には田んぼがある。毎日、夕方になると一匹の黒猫が田んぼの際の同じ場所にやってきては、夕日が沈んでゆくのをじっと眺めているのだという。そして、日が沈み、暗くなると立ち上がってどこかへ帰ってゆく。そのあいだ、視線を夕日に向けたままじっとして動かない。次の日も次の日も、晴れた日には必ずやってくる。

話を聞いて、様子を見にいったことがある。たしかに田んぼの際に小さな黒い影がぽつんとあって、日が沈む方向を向いている。きれいな夕焼けの日だった。(その後、春になって田んぼに水がはられると、いつの間にか来なくなったらしい。)

夕日が沈もうとしているところを見かけると、つい立ち止まる。条件反射のようにして見入ってしまう。そこにあるのは、私的な感情を越えた、何かもっと大きな力だと思う。チンパンジーも、猫も、人間も、そのとき同じ思いで、等しく生命として、夕日の前に立ち止まっているのかもしれない。


2002年01月12日(土) 東京の匂い

東京へ戻る日。駅のそばの喫茶店でコーヒーを飲んだあと、友人がホームまで見送りにきてくれる。ホームで誰かに見送られるのなんて何年ぶりだろう。いつもの帰省でそんな大げさなものではないし、また会えると思っても、見送り、見送られというのはやはり寂しい。彼女は新幹線と逆の方向へと走る電車に乗って帰っていくのだ。

東京駅に着いたのは日も暮れて暗くなった頃。ホームに降りると、春先の東京の匂いがした。初めて上京した季節の匂いだ。

知らない土地へ行ったときは、例えば電車から、飛行機から、初めて街に降り立ったそのときの空気の匂いがいちばん強く刻まれる気がする。まだ桜が咲くには早い春先の東京、真夏の九州、夏の終わりの北海道、それぞれの空気の匂いを今でもはっきりと覚えている。そして、再び訪ねたとき、その空気の匂いで「また来たのだ」と実感したりするのだ。

今日の東京の匂い。なつかしい匂い。「ああ、東京だ。」と思った。ちょっと嬉しかった。


2002年01月11日(金) この20年

午後から出かける。雪が降ったり、晴れ間がさしたり、雨になったりという空模様。雲の切れ間からのぞく空が深い青色をしている。この季節は快晴になることはめったにないけれど、だからこそ、時折のぞく青空がいっそう美しいと思う。

行きつけの温泉へ。珍しく父親もいっしょだ。風呂嫌いの父が、ここだけは好きなのだという(理由は「ぬるいから」)。時間も早かったので、温泉に直行せず、町の奥のほうまで車で行ってみる。古い大きな家が多く、枝垂桜の木も何本かある。家と家のあいだに細い川が流れている。思いがけず賑やかな町並み。しかし、背後まで山がせまっているため、昨年の春・夏にはクマが降りてきたらしい。

帰る頃には日が暮れてきた。雪原の中の一本道を車で行く。山のふもとのあたりにだんだんと灯りがともってゆく。空気が澄んでいるせいか、ひとつひとつがとても明るい。遠くに見える灯りは、どうしてあんなにきれいなのだろう。だだっ広い地面の上、互いに灯りをともして導き合っているみたいだ。

夜、祖父母の家を訪問。祖父はお酒が入って既にご機嫌。とっておきの日本酒を出してくれる。二人して氷川きよし「箱根八里の半次郎」を練習中ということで、立ち上がって歌ってくれる。

祖父母の家は、今年で築20年になる。「あっという間の20年だったな。」「何もしないうちに20年たったな。」聞きながら、自分自身はその20年の半分を東京で過ごしていることに改めて気づいた。不思議な気がした。東京での月日が、やがてここで過ごした月日を越えるのだろうか。今はまだ実感がわかない。


2002年01月10日(木) 因縁の幼稚園

母と祖母と三人で出かける。病院や薬局での用事を済ませたあとの帰り道、幼稚園の前を通りかかる。小さい頃に通った幼稚園である。隣町にあり、ここまでは毎朝バスに乗って通っていた。

毎日、家からバス停までの道が嫌で嫌でしかたなかった。すぐにでも家に戻りたいと思っていた。みんなで遊ぶのも、給食も、憂鬱だった。家の前で見送る母親の姿を見ながら、泣きたくなっていたのを覚えている。

「幼稚園行くのイヤだったな。」「だってあんた、登園拒否してたもん。」そうだったのか。実際に拒否までしていたとは思わなかった。弟もその幼稚園に通っていたのだが、聞くと同じように行くのを嫌がって、毎回泣きながらバス停まで引きずられていったらしい。その頃の両親を思うと同情してしまう。

と思ったら、実は父親も同じ幼稚園を「中退」していたことが判明。血筋だったらしい。

今回は長く帰省していたが、週末には東京に戻る。東京駅に着いてホームへ降り立ち、地元へと向かう下りの新幹線を見ると「これに乗ったらすぐに戻れるんだよな。」と今でも思う。いい年して、幼稚園の頃と同じだ。そんなときは東京駅の人ごみの中をがんばって歩く。駅を出てしまえば大丈夫、と思いながらどんどん歩く。


2002年01月09日(水) 海からはもう灯台は見えない

夜、友人たちと三人でドライブ。運転は6月に免許をとったばかりの友人である。夏にも乗せてもらったが、今回は雪道、それも気温が低いせいで凍っている。さらに「夜、雪道運転するの初めてなんだけど。」走り始めはさすがに緊張。後部座席にいるこっちも集中してしまう。けれども、だんだん慣れてくると、車内は暖かいし、低い音で音楽が流れているし、うとうとしてくる。誰かが運転する車の後部座席に乗って、ぼんやり外を眺めているのはいい気分だ。「いい気分になってきた。」と言うと、「じゃ、峠行ってみるか」と返された。雪の峠を行く初心者マークの車。おそろしい。

ぐるりと走ったあと、夕食。「ちょっとだけ」といって一口ビールを頼んだら美味しく、結局おかわりする。全然一口じゃない。窓から、野良猫が歩いているのが見えて「猫だ」と騒いでいると「猫ですね」と微笑みながら店員さんが通り過ぎた。

帰宅後、NHK・BSで「北欧トレッキング紀行」を見る。今回の舞台はデンマーク・ユトランド半島。内陸部は、植生もどこか日本に似ていて穏やかなのだが、西海岸に出たとたんに風景は一変する。西海岸は北海に面しているため烈風にもろにさらされ、海岸には砂が堆積しやすいのだという。かつては原野だった場所が、今はひたすらに広がる砂丘となっている。

風によって移動する砂山のために、埋もれそうになっている村がある。何軒もの家が既に砂に呑み込まれ、村でいちばん高い建造物である灯台も、土台は埋まり尖塔だけが砂の中からのぞいている。村人はもう誰もいない。砂に埋もれかけた建物が残るばかりだ。

今は灯台を改造した観光客相手のカフェに人がいるが(絵葉書も売っていた)、やがてここも砂に呑み込まれるだろう。誰もいなくなるだろう。そして、すべては砂の中に消えるだろう。そして、それを知る者が誰もいなくなったとき、そこに何かあったという印は何もなく、ただ茫漠とした砂丘だけが残るのだ。砂の下に埋もれた村の記憶。そんなふうにして埋もれていった村や町や文明や生命が、地球上にはきっとたくさんあるのだ。そして、私たちもいずれはその層の一部となる。

砂からそびえ立つ灯台は、もう光を放って船を導くことはない。夜の海からは、ただ砂山の影だけが見えるだろう。そこにかつて人が暮らしていたと思いもせず。



2002年01月08日(火) 縁起のいい本屋

近所の書店で宝くじの大当たりが出たらしい。1億円。店頭に貼り紙がしてあったと父が言う。この書店からは数年ごとに高額の当たりくじが出る。首都圏ならば「当たりくじが出る売り場」として有名になったかもしれない。縁起のいい書店だ。

この書店が出来たのは、中学校にあがった頃だったと思う。書籍売り場と文房具売り場がいっしょになった店内は町内でいちばん広く、とにかく嬉しくてよく入り浸った。文庫本や単行本やマンガがずらりと並び、「ここには何でもある」という気がしていた。書店はいろんな世界への入り口だと思う。ここでいろんな切符を手に入れた。熱心に選んだ。

先日、久々に行ってみると、店内にアイスクリームを売るボックスが新しく設置されていた。もう「何でもあり」状態、大入りの福袋のようでいい。


2002年01月07日(月) どうすれば伝えられるだろう

祖父母の家を訪ねる。実家からは車で10分ほど。以前は草っぱらに囲まれて、町内でも外れのほうだったのに、今では郊外型大型店やファミレスが出来て、人の行き来がいちばん多い場所になっている。夜でも明るい。

祖父母の家の裏には、松林を抜けていく海までの細い道がある。犬の散歩コースだったが、数年前に亡くなってからは滅多に使わないらしい。午後4時を過ぎると、もう日は傾き、雪がだんだんと夕日の色に染まってくる。今日は夕日がよく見えるかもということで、久しぶりに海までの道を行くことにする。

雪をこぎながら松林の中を進む。風の音に海鳴りが混じる。潮の匂いがしてくる。林の中や坂道を歩き、いきなり、視界いっぱいに海が見えてくる瞬間が好きだ。今はもう、波の音ばかりが聞こえる。遠くに漁船の影がある。太陽はまだ水平線の上だ。

海も空も、雪を頂いた彼方の山も、みな夕日の色に染まっている。のり養殖の杭も、その上にとまる海鳥も、防砂林も、すべて影となっている。自分自身の影も砂浜に長く伸びる。夕方の海は、ひとときごとに色を変える。海の色、空の色、雲の色、そして今は雪の色。こんな美しい風景がこの世にはあるのだ。どの一瞬も見逃したくない(こんなときは、いくら寒くても根性が出る)。そして、この風景を誰かにも伝えたいと強く思う。

できることならば、この場へ連れてきて、今自分が見ているものと同じ風景をまるごと見せたい。日によって暮れてゆく空の色は全然違う。夕日は何度でも沈むけれども、今このときと同じ夕暮れは二度とやってこないのだ。いろんな美しい夕暮れがあるだろう。けれど、見せたいのは、一回きりの「この」夕暮れである。

どんな場面でもそうだ。この瞬間は今だけのもので、あっという間に過ぎ去る。そして決して戻ってこない。私が伝えられるのは、そのものの残像ばかり。自分の目を通した影のようなものだ。そこで失われてしまうものを思いつつ、それでも伝えずにはいられない。伝える言葉が、術が足りないことがもどかしい。

太陽が沈んでしまうと、急に冷えてくる。あっという間に暗くなる。雪道をまた引き返すが、気のせいかさっきよりも歩きにくい。町に灯りがともる。


2002年01月06日(日) いちばん古い記憶

一日中、持ち帰りバイト。ストーブのある部屋でせっせと仕事をしていると、母が練習するピアノの音が聞こえてくる。その音を聞きながら、ふと小さい頃のことを思い出した。あれは何歳頃だったのだろう。やはり母がピアノを弾いていて、自分は離れた部屋でその音を聞いていたのだ。

そのとき、クレヨンで画用紙に絵を描いていた(それは、なぜか青い地球の絵だった)。クレヨンを動かす手をふと止める。夕暮れどきで、部屋には夕日が差し込んでいる。部屋には他に誰もいない。ピアノを聞きながら、何か急にものがなしくなって、クレヨンを置いて母の姿を探した。

古い記憶は、みな断片的だ。ほんとうにあったことなのか、実はなかったことなのか、その境界線も曖昧である。父のいちばん古い記憶は、祖母の背におぶわれて、空襲警報を聞きながら逃げたことだという。年齢でいえば2歳になったかならないかの頃だが、サイレンの音と遠くの空が赤く染まった様子をはっきり覚えているらしい。「怖い」という強烈な思いが、その光景を深く刻みこんだのだろう。

自分の古い記憶。チューリップ畑に埋もれて歩いたこと、梨の実を箱に詰める小屋、夕方の部屋の中を横切った猫(鏡が夕日に光っていた)。そして、ピアノの音。そうした光景が私の中に刻みこまれたのはなぜだったのだろう。何か強烈な思いがあったはずなのだが、今はただ光景だけがはっきりと浮かぶばかりである。

持ち帰りバイトはなかなか進まず、結局半徹夜。新年早々。


2002年01月05日(土) 「あれから僕たちは」

母と二人で雪かきをする。スコップとスノーダンプでの連携プレー。いつも来る野良猫がやってくる。車の下に入ってこっちをじっと眺めていたが、相手をせずに雪かきに集中していたら、つまらなかったのかどこかへ行ってしまった。時間をかけて丁寧にやったので、仕上がりもきれい。充実感を覚えつつ家の中に入ると、また雪が降ってくる。あっという間に道が埋まる。

夜は地元の友人たちと四人で新年会。帰省のたびに、この面々で飲むのが恒例となっている。17時の開店と同時に町に一軒だけの居酒屋へ入り、結局出たのは23時近く。お酒は弱いほうではないが、この日はそんなに飲んでない(つもり)のに、途中で寝てしまう。不覚。「今年は飲みすぎに注意しなさい」ということか。

そのあとはカラオケへ。古い友人たちとのカラオケで「夜空ノムコウ」を歌うと、いつもしんみりしてしまう。

「あの頃の未来に僕等は立っているのかなあ…
 すべては思うほどうまくはいかないみたいだ。」

二人は地元で、二人は東京で、生活している。いろんな思いをしている。中学校の頃の面影を浮かべつつ、それぞれの「これまで」と今とを思う。目の前にいる三人を眺めながら、みんなに幸あれと祈らずにいられない。

カラオケを終えて外に出ると雪。途中までタクシーに乗り、皆と別れたあとは近所の友人と二人で歩く。夜も遅いので、足跡も何もないまっさらな雪道だ。つけたばかりの二人の足跡も、降りしきる雪がすぐに消してゆく。


2002年01月04日(金) ハードボイルドな猫は雪の日に何をするか

郵便局へ行きがてら、散歩する。用事を済ませ、本屋を経由して、海ぞいの道をまわって帰る。船着場にはうっすらと氷が張っている。お盆の頃には、ここから灯篭を流すために人が集まってくるのだが、今はひっそりとして誰もいない。どこへ運んだのか、漁船の数もいつもより少ない。

野良猫が今日もやってくる。感心なことに、毎日一回は律儀に顔を出す。このあたり一帯をなわばりにしているようで、近所の友人の家へも入り浸っているらしい。

「ニャー」という声が聞こえて戸を開けると、ちょこんと座ってこっちを見上げている。そばへ寄るとすかさず膝の上に乗り、丸まって深いため息。さらに、グルグルとよくわからない声を出して何かしゃべり、しばらくすると一度も振り返らずに雪の中へと消えていく。ハードボイルド。どこを渡り歩いているのか、冬だというのに真ん丸で、見るからに栄養状態がよさそう。

猫の他にいろんな鳥もやってくる。ムクドリ、ホオジロ、アカゲラ。次々とやってきては、冬枯れのニセアカシアにとまっていくのが窓から見える。この寒い季節でも、いろんな生き物がちゃんと活動しているのだ。当たり前といえばそうだが、特に雪深い日などに、歩いたり、飛んだりしている姿を見かけると少し感動する。凍った海の底でもきっと魚が泳いでいるのだ。

夜になると積もった雪は蛍光色に変わる。暗闇の中に光を発しながら浮かび上がる。鉄橋を渡る電車の音が聞こえる。


2002年01月03日(木) 氷の上を行く人馬の群れ

温泉へ行く。実家から車で1時間弱の町にある温泉だ。その町までは、大きな湖を干拓した道を通っていく。海へとつながる残存湖は凍り、その上にも雪が積もってどこまでも真っ白で平らな景色が広がっている。

そこは市の立つ町だったので、月に二度の市の日には各地から人が大勢集まったらしい(今でも朝市で有名である)。かつて、まだ湖が広がっていた頃は、実家のある町からも人々が馬をひいて凍った湖面を渡り、市を目指したという。氷の上に群れをなす人や馬の長い列。そこを、今は車で渡っていくのだ。

目当ての温泉は、名前を知る人は少なく、地元の人びとが集まってくるような所である。山間なので雪が深い。町の中に川が流れていて、それに沿って走っていくと温泉場が見えてくる。

何の飾り気もない、お湯と簡単な宿泊施設があるだけの温泉である。けれど、お湯の質が抜群にいい。ほのかに硫黄の匂いがする乳白色のお湯で、身体にやわらかい。ぬるめなのでいつまでも入っていられるのだが、上がると身体がすっきりしているのに驚く。なぜか体重も1kgほどは必ず減る。湯気でけむった窓の向こうには雪山。軒下につららも下がっている。

「湯の又」などの地名があるように、ここは古くからの湯の里である。氷を渡って市にやってきた人びとも、お湯につかって温まっていったかもしれない。今、目にしている眺めのうしろに、様々な時代の人々の暮らしや思いが層をなしているのだ。

お湯から上がり、再び実家まで車を走らせる。湖面の氷に穴を開けてワカサギ釣りをしている人が見える。寒そう。温泉で減った分の体重は、帰ってからのおもちですぐに戻る。


2002年01月02日(水) こんな雪の夜

また停電。風が強いわけでも雷が鳴っているわけでもないのに、いきなり電気が消えてストーブもテレビも止まる。ブレーカーは問題なし。何事かと思っていたら、市の広報による放送が聞こえてきた。「ただいま、〜地区の一部で停電、復旧作業をしております。」どうやら、その「一部」に入っていたらしい。

今回は、30分ほどで復旧する。お昼頃に近くのラーメン屋の前を通りかかると、電力会社の作業車が何台も止まっている。復旧作業を終えて昼ご飯か。年末の吹雪による大停電、昨日の落雷、そして今日の停電と、電力会社の人たちにとってはとんでもない年末年始だ。「復旧、遅すぎるよね」「ちゃんと作業してるのかね」などと無責任に言っていたが、さんざん働いたあげくに正月の昼からラーメンかと思い、少ししんみりする。この先何も起こらず、ゆっくりと残りのお正月休みを過ごせるとよいのだが。

夕方からは雪。雪面に吸い込まれるように、音もなく降ってくる。こんな降り方をするときはよく積もるのだ。ときおり、積もったばかりの雪が風に吹かれて雪面の上をわたる音がする。近くをうろついている野良猫がやってきて、しばらく車の上に乗って寝ていたが、やがてまた雪の中に消えていった。

夜になっても雪はやまず、風も強くなってきた。弟は明日旅行に出発ということで、空港までの道が雪に埋まらないか、飛行機は無事に飛ぶか、心配している。電力会社の人たちも「何も起こりませんように」と祈りつつ、外の様子をうかがっているだろうか。あの猫はどこで寝ているだろう。こんな雪の夜。


2002年01月01日(火) 元旦の風景

低い地響きのような音で目が覚める。窓もビリビリ震えている。何かと思ったら雷だ。ひっきりなしに稲妻が光り、ほぼ同時にすごい音がする。起き出して窓の外を見ると、強い風と共に雨が降っている。あまりにもひどいので「どこかに落ちるんじゃないか」と話していたら、案の定落雷して在来線が止まったらしい。30日の吹雪による大停電といい、今回の雷といい、自然の力に翻弄されっ放しだ。昼前には何とかおさまって晴れ間ものぞく。

午後からBSで宝塚「ベルサイユのばら2001」を見る。年末から泊まりにきている高2の従姉妹は、修学旅行で公演を観てからというもの、すっかり宝塚にはまったらしい(修学旅行で宝塚を観るというのは女子高ならではだろうか)。従姉妹につきあってぼんやりと眺めていたのだが、だんだん引き込まれ、最後のほうはもう釘付け。男役のトップは画面を通してもオーラが伝わってきて、大階段に現れたとたん「おぉ〜」と声が出てしまう。気がつけばあっという間に3時間、グランドフィナーレを見終わったあとは「愛〜、愛〜、あーいー♪」というベルばらのテーマが頭から離れず、「愛ってすばらしい」と余韻にひたる始末。おそるべし、宝塚。

夜には雪かきをする。雨で溶けかけた状態で固まったため、雪というよりは氷になっている。スコップでガンガン削らないとどうしようもない。いつもの雪かきよりも重労働だが、従姉妹と二人して玄関前などに一生懸命道をつくる。「きれいにできたね」と充実感をおぼえつつ家の中に入ると「まだダメ。やり直し。」

元旦はいつもこんな感じだ。初詣などもほとんど行かない。何ということもない一日の中で唯一「お正月」だったのは、既に就職している弟が従姉妹にお年玉をあげたことか。自分がお年玉をあげられるようになるのはいつの日かと思いつつ、元旦も終わる。


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