日々雑感 DiaryINDEX|back|next
夜、友人の車にて海沿いの道を走る。空と海との境い目もわからないような暗い広がりの中に、漁火。夏の星。遠く海岸線にそって固まった街の灯りは、海面に影を落として、水平線の上に浮かぶ水上都市のようにも見える。助手席に座って、ぽつぽつと散らばる灯りをぼんやり眺めているのが好きだ。少し空けた窓からは、潮の匂いが混じった風が入る。
東京最後の日。引越し荷物を載せた車の窓の外、もう何年も住んだ街が遠ざかってゆく。
銀座線に乗る。浴衣姿の人が目につくと思ったら、今日は隅田川の花火大会だった。紺地、白地、朱色にからし色。手にはうちわ。ざわざわとする車内にて、ドアの前、ひとり「地球の歩き方」に読み耽る人あり。見るとポルトガル版である。リスボン、ナザレ、ロカ岬。渋谷から浅草へと向かう車両の中、皆それぞれの目的地を心に抱く。
朝、玄関前の草むらに大家さんがしゃがみこんでいる。足元に置かれたボウルには、まだ土のついた茗荷が山盛り。少し湿った茂みの奥に茗荷が生えるのは知っていたけれども、まさかこんなに近くにあったとは。もう少し早くわかっていれば、少しばかり失敬して、あの昼の素麺とか、あの夜の冷しうどんとか、いろいろ使えていただろうに、と無念。薬味の中では茗荷がいちばん好きだ。採るのも楽しいし、食べても美味い。先端だけうっすらと紫になる、色合いもまたよし。
道端にノウゼンカズラ。夏の花はどんどん咲くが、気温はいまだ上がらず。
ゼミの後、送別会。
駅からの帰り、犬と散歩する人を見る。犬のほうは、ぶんぶんと尻尾を振りながら、飼い主であろう男の人の後をついてゆく。ときおり顔を見上げ、目が合うと安心したようにまた歩き出す。そんなに嬉しいか、おまえ。一人と一匹の後ろ姿。夜道。ビルの横にかすむ月。
引越し準備を続けている。いつの間にこんなに荷物が増えたのかと呆れるほど、いろんな場所から物が出てきて、作業はなかなか進まず。途方に暮れそうになる。
夢の中でガラス玉をもらった。ちょうど片手に収まるくらいの、うす青いガラス玉だ。うれしくて、なくしてしまわないよう大事に大事に持っていたのに、目が覚めたら消えた。当たり前だけれども、もうどこにもなかった。
梅雨寒つづく。7月も半ばとは思えない。くもり空の下で、道端の夾竹桃だけ紅い。地面に落ちた花びらも紅い。
ゼミ打ち上げ。酔っ払って帰宅。
夜勤中の友人の職場にダンボール箱をもらいに行く。正面玄関は閉まり、中の灯りも消えて真っ暗。うろうろしていると、裏口から名前を呼ばれる。友人がそれぞれの職場で実際に働いている姿を目にすることは少ない。制服を着て手際よく作業する姿は、何だか知らない人のようで、小さい子がはじめて「働くお父さん」を見たときのような気持ちになる。
大掃除。知らないうちにずいぶん荷物が増えている。押入れや本棚の奥から、自分でも忘れていたようなものがいろいろと出てきて、さながら発掘作業のごとし。何年も前の写真を見ると、皆の顔が若い。何というのか、あどけない。古いノートに書かれている自分の字も今と全然違う。変化したことを知るためには、どうしても距離が必要なのだ。
看護師をしている友人と、ほぼ1年ぶりに会う。表情も言うことも、以前とはまるで違っていて驚いた。仕事を始めて1年目の昨年は「いっぱいいっぱいだった」と自分で笑う姿は、すっかり大人びて貫禄まで感じさせる。この頼もしさは、きっと「プロ意識」から生まれてるんだろう。
はじめて会う人と日本酒を飲む。はじめてであるのに、そんな気がまるでせず、ものすごく楽しく話して、飲んで、気持ちよく酔っ払った。駅前で別れ、ひとり夜道を歩きながら幸せ。鼻歌も出る。
いつも行く喫茶店への道沿いに、うどん屋と中華料理屋が並んでいる。どちらも同じくらいに小さな店。門構えも似ている。その二軒、中華料理屋のほうはほとんど満員なのだが、うどん屋はいつもガラガラ。調理場では、おじさんが腕組みをして手持ち無沙汰の様子。前を通るたびに、今日はどうかと気になって覗き込んでしまう。ひとりでもお客がいると安心する。
久しぶりに寄り道した古本屋にて『パタゴニア』B.チャトウィン(めるくまーる)見つける。ずっと読みたかった本。古本屋で探している本が見つかるときというのは、ぎっしりと埋まった棚の中で、その背表紙だけスポットライトが当たっているように見えるのが不思議だ。
踏み切りの横に、小さな女の子とそのおじいさんが立っていた。赤い長靴を履いたおさげ髪の女の子は、ホームに止まった電車をじっと見ている。その後ろで、ふたり分の傘を手にしたおじいさんも同じ方向をじっと見ている。言葉こそ交わさないけれども、互いの存在をしっかりと感じている、その安心感。
帰京。新幹線で始発駅から終着駅まで、その間、隣りの席の人は3回変わった。荷物をたくさん抱えたおばあさんに登山帰りのお姉さん、最後はちょうど母親と同じくらいの年の人。車窓にはだんだんと建物が増えてゆく。空には雲が湧いてくる。
お祭り近づく。地元ではお祭りのお囃子を「どんどこやま」と呼ぶ。
久々に雨。
友人と花火。海辺にある児童公園に行く。
家の前に大きなニセアカシアの木があったのだが、今回帰省すると、あまりにも日当たりが悪いということで切られていた。木が切られるのを見ると、なぜかいつも痛いと感じる。切り株の色もまだ瑞々しい。
夕方、じょうろで水遣り。草の上をサンダルで歩くと、足がちくちくする。ホタルブクロ、まだつぼみもない朝顔の葉、その他名前を知らないたくさんの花。時刻を告げるサイレンの音と重なりながら、まだ覚束ないリズムのお囃子の太鼓が聞こえてくる。今週末はお祭りだ。何度も何度も繰り返し、どこからか響いてくる。
|