日々雑感
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用あって帰省。いつもは新幹線を使うのだが、時間の関係もあって飛行機に乗る。電車のスピードならば、車窓を眺めつつ、東京から北へと慣れていく余裕があるけれども、飛行機の場合は空港から出たとたん一気に空気が変わる。
驚いた。うちの地元はこんなところだったか。空気も、緑も、道も、何もかも東京と全然違う(どちらがいいとか、そういう意味ではなく)。風景が青々としている。何というか「しみる」。遠くに見える山も、田んぼの中をひとり行く人の背中も、一際濃い紅のタチアオイも、よく知っている眺めのはずなのに、ひとつひとつが信じられないくらいにきれいだ。どういうことなのか自分でもよくわからない。
実家。夕方、カッコウの声が響く。ずいぶん遠くから聞こえてくる。
恵比寿にてコンサート。アルゼンチン舞踏団の伴奏隊として参加する。なかなか準備が進まず、会場設営中にはイベントにつきものの当日ハプニングも起こり、直前までハラハラしたけれども、幕が上がってしまえばあとは集中するのみ。
いっしょに演奏し、踊る仲間がいて、それを聴き、受け取ってくれる人たちがいる。小さな会場の中でひとつの場と空気を共有する。そんなとき、舞台の隅っこでいつも思う。音楽ができて幸せ。
終演後、出演者も聴きに来てくれた人も入り乱れて打ち上げ。こんなときも、いつも思う。演奏後のビールは格別。
晴れた。結局天気さえよければ、何もかもうまくいくような気がしてくる。路地では黒と茶色の大きなラブラドール・レトリバーが、2匹並んでシャンプーの最中。ホースで水をかけてもらいながら、気持ち良さそうに目を細めている。水しぶきが光る。太陽が眩しい。
歯医者。歯医者の椅子に座っていると、小さい子供になったような気分になる。いつまでたっても、あの匂いや歯を削る機械の金属音は苦手だ。
治療を終え精算後、受付の人に呼び止められる。何かと思ったら「どれでも好きなもの持っていって」と、押し花しおりをずらりと広げてくれる。どうやら、その人の手作りらしい。紺地に月見草のものと、朱色にドクダミの花のものと、2枚受け取って帰る。
そういえば小さい頃、行き着けの病院ではじめて泣かずに注射を我慢したとき、お医者さんが「えらい、えらい」といって注射器の形をした水鉄砲をくれた。あのときと似ている。
半徹夜にて課題を書き上げ提出したものの、教授からは「全面的に書き直し」とのお言葉。脱力。やり直し自体は全然珍しくはない。というより、いつものことだけれども、この時期いろんな事が重なっていたのもあって、なかなか立ち上がれず。つくづく情けない。〆切は今週末。最後の気力を振り絞るべく、部屋にこっそり貼ってみたネドヴェドのポスターを見たりする。
夜、新大久保のスタジオにて練習。日曜日の演奏会に向けて追い込み。本番がだんだんと近づいてくる、あの感じはいい。出番直前の舞台袖とか、経験はないけれど、ロッカールームからピッチの上に出て行く瞬間とか、緊張や期待やプレッシャーがアドレナリンでごった煮にされた状態がとても好きだ。ぞくぞくする。
大学時代のサークル仲間で、昨年春に結婚した2人の家に集まる。
自家製手打ちパスタやひよこ豆のスープ、各種サラダなど、テーブルの上は壮観。誰かがつくってくれる手料理というのは、どうしてこんなに美味しいのか。何だかんだ言いつつ、下ごしらえ、後片付けなど、かいがいしく手伝う夫の姿がまたよし。もう一組、彼らよりさらに半年ほど早く結婚した夫婦も来ていたのだが、こちらのほうはすっかり夫婦漫才と化している。コンビネーションの妙。
まだ日があるうちから始めた宴会も、気がつけば外は真っ暗。終電間近。皆して慌てて電車に飛び乗るも、乗り換えの最終には間に合わず。それでも気分よく歩いて帰る。夜道に川の匂いする。
朝、実家から電話。父親がひとり、車で0泊3日の信州旅行へ出かけるところだという。
ひとりでふらりと出かけるのが好きで、けれども憧れるばかりでなかなか実行には移せず、それでもいったん旅の人となったならば、おずおずと辺りに目を向け、もの寂しくなったり、じんわりと幸せになったりするのだ。そうした父親の感傷を自分も確かに受け継いでいると思う。
東京は今日も暑かった。天気予報を見ると信州も30度近い。車中泊で乗り切るらしいが、温泉くらい入るだろうか。美味い土地のものなど食べているだろうか。そのどちらもせずに、好きな音楽を流しながら黙々と走っている気がして仕方ない。たぶん間違いなく。
友人とステーキ屋。ものすごく久しぶりに肉らしい肉を食べる。それに山盛りのオニオンフライ。はちみつパン。ハイネケン。身体にはよくないかもしれないが気分は爽快。
その後、腹ごなしがてら夜道を歩く。風はだいぶ涼しくなった。渋谷から下北沢まで、だらだらと歩いて、最後は小さなサッカー・バーでギネス。テレビ画面ではユーロ予選のスペイン対アルメニアを放映している。少し暗い店の中、芝の緑色が目にしみる。
気圧のせいか湿気のせいか、何をしているかよくわからないうちに一日が過ぎてゆく。眠い。とにかく眠い。雨に濡れた道路に、真っ青なあじさいがひとひら落ちている。森の奥深くにいる蝶のように、そこだけほのかに光る。
『あたしのマブイ見ませんでしたか』池上永一(角川文庫)読む。短編集。
著者の出身地である沖縄を舞台にした作品が特によい。オバァたち、サトウキビの森、スコール、うら寂しい歓楽街、自分を取り巻くものたちを描きつつ、あるかなきかの境界線から垣間見える底なしの原色の世界。
読後感がなぜか長嶋有の『猛スピードで母は』に似ている。ふたりとも一作ずつしか読んでいないので、この二作が似ているというべきか。作風も書き手としての佇まいもたぶん全然違うのだけれども、ふたつの作品の底に、一方は沖縄、一方は北海道の海辺の街と、その「土地」の空気が濃く沈殿しているところが共通しているのかもしれない。そして、その空気が生々しくもどこかあっけらかんとしているところ。
本格的に梅雨。会う人会う人、皆、湿気バテ。
世田谷線に乗る。数日前の新聞には箱根鉄道のあじさいの様子が載っていたけれども、こちらも負けていない。ゆっくりと走る電車のスピードに合わせて変わる、あじさいの青のグラデーション。他にも、がくあじさい、赤や白のタチアオイ、線路際のアパートの屋根では茶トラの猫が居眠り。
病院にて健康診断。視力がひどく落ちている。いったん目が悪くなってしまうと、遠くまではっきり見えていた頃が嘘のように思える。
夜、渋谷のスタジオにて練習。風邪が抜け切っていないせいか、演奏しながら意識が何度もとびそうになる。しかし、終わる頃には少しすっきり。きっと、声を出しながら息を深く吸ったり吐いたりするのがよいんだろう。詰まっていたものが取れて、何かがうまく流れ始めたような感覚。
帰り道、大家さんの庭では白百合が満開。にぶい光を放つように、そこだけぼうっと夜道に浮かぶ。それにむせるような匂い。くらくらする。
路地裏の突き当りにあじさい。あまりに濃い青色。あじさいが咲く頃というのは青い花の季節なのだ。
青い花がある風景というと『銀河鉄道の夜』を思い出す。銀河鉄道に乗り込んだジョバンニは、カムパネルラといっしょに窓の外を眺め、線路のへりになった短い芝草の中にりんどうが咲いているのを見るのだ。あいつをとって、また飛び乗ってみせようかというジョバンニに、「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから」とカムパネルラは答える。「もう次から次から、たくさんのきいろな底をもったりんどうの花のコップが、わくように、雨のように、目の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです」。
夕方から雨。部屋の中でその音を聞く。
線路沿いの家。二階の窓枠にからみつくように夾竹桃が咲いている。蒸し暑い。
雲がすごい速さで流れてゆく。夕方には晴れ間。駅前のビルのいつもは使わない抜け道を通ると、思いがけず見晴らしのいい場所に出た。高いところから見ると、この街はこんなに木々に囲まれているのだ。葉っぱの緑の気配が濃くなる季節。
景色がにじんで見えるのは熱気のせいか、風邪気味だからか。
電池切れ。身体も頭も動かず。こういうことは珍しいので自分でも驚く。
雨の中、本屋などハシゴする。ほしくなるのは小説とか、雑誌とか、漫画とか、あるいはCDとかばかりで、このところどんな部分を使ってなかったかのかがよくわかる。サッカー雑誌と『遠い水平線』アントニオ・タブッキ(白水Uブックス)購入。それとビール。
何が足りなくて、何が必要なのか、たぶん自分自身がいちばんよくわかっているのだろう。その声に、忠実に従うか、聞いて聞かぬふりをするかだけの違いなのだ。
夕方からゼミ発表。原稿が上がったのが15時半。
何か〆切があったとして、余裕を持ってそれを迎えたことは今まで一度もない。決まって、ギリギリのところで滑り込みセーフ。精神的にも身体的にも非常にきつい。その度に、これからはちゃんと計画的にやろうと思うのだけれども、どうしてもダメなのだ。これはもう〆切のない仕事を選ぶべきなのかもしれないよなあ、などと、ぐるぐる電車の中で考えながら学校へ。
さんざん言われながらも、なんとか終了。脱力。バナナ一本だけ食べて眠る。
夕方からゼミ。窓は開けっ放し。カエルの声。葉ずれ。ヘリコプター。部屋の中の蛍光灯。風が入ってくる。先生の話もまた、言葉ではなく音としてそうした中に溶けていく。
関東地方も梅雨入りしたらしい。夜、通り雨。
朝、いつもは通らない商店街を抜けて駅まで歩く。店のシャッターを開ける人がいる。道路に水を撒く人がいる。トラックから荷物を運び出す人、店頭に品物を並べる人。街が動き出すリズム。
曲がり角、自動販売機の上に白猫。知らずに近づいたら目があって驚いた。
近所の喫茶店へ。日曜日のせいか、家族連れが多い。
ようやく1歳を越えたかというくらいの男の子と目が合う。小さい子に眉間にシワをよせてじっと見つめられると、こちらの本性を見透かされているようで居心地が悪い。思わず我が身を省みてしまう。
今日は一日よく晴れた。帰り道、向かいの家のゴールデン・レトリバーが玄関前にながながと寝そべっている。すぐ横を通り過ぎても目も開けず。夕涼みか。
夜、いきなり雨。一粒一粒の音がものすごく、一瞬、雹が降ってきたのかと思う。開けていた窓を閉めようとすると、路地をすごい速さで猫が駆けて行った。よく見る近所の野良猫、どこへ逃げ込んだか。
雨は直に上がったけれども、遠くで雷が鳴っている。その度に、雲の向こうがかすかに光る。
夜、冷房のきいた電車やコンビニから出ると、外の空気が生暖かくて嬉しい。本格的に暑くなる少し手前の、この感じ。近所にあるギネスを出す店も今晩は満員だ。白い泡のそのまま残るグラスが窓越しに見えて心惹かれる。
夜道のあじさい。霞む三日月。夏の気配。
助手さんが用事で席を外しているあいだ、研究室にて留守番。この春に入ってきたばかりの学生に「何年の方ですか」と聞かれる(ときどき見かけるけど、よく正体のわからない人だと思われていたらしい)。何年生と答えてよいのか自分でも困って「ずっと前からいる者です」などと返事。ますます怪しいか。
それにしても新入生は気力にあふれていて眩しい。初心忘るるべからず。
学校の図書館にいると決まって眠くなる。今日も机の上に本とノートを広げてうたたね。ふと窓から外に目をやると、茂みの中に茶トラの猫の後ろ姿あり。背中を丸めて、向こうも同じように昼寝中らしい。
夜、学食にて煮物定食。いったん差し出されたお皿を受け取ろうとすると、「ちょっと待ってね」と言って、なぜかゴボウを大量に足してくれた。食物繊維不足に見えたか。
最近繰り返していること。出先からの帰りの電車、無意識のうちにひとつ手前の駅で降りてしまう。ホームに足を下ろして「何か違う」と思ったときには、ドアはもう閉じるところ。今度こそ気をつけようと毎回思いつつ、今日もまたやってしまった。
五月病ならぬ六月病か。気が滅入るというわけでもなく、電車の中で、あるいは道を歩きながら、何を考えているのか自分でもわからない。
コンビニから出たとたん、目の前を通り過ぎようとした自転車がいきなり倒れる。スーツ姿の男の人。派手な音に焦るが、カゴから落ちた鞄を拾ってそのまま走り去る(たしかに、こういうときはきまりが悪い)。後ろ姿を見送りながら横断歩道を渡り、角を曲がると、今度はTシャツ姿の若いお兄ちゃんが再び目の前で自転車ごと横転。自分が何か悪い「気」でも出してるのかと、一瞬不安になる。
夜、新大久保のスタジオで練習。外に出る頃には、夕方までの蒸し暑さがいつの間にか消えている。
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