うちの会社のおじさんと話していると、どうしてこうも暗くなるのかというと、言葉に情緒がないんだよねえ。 仕事で情緒や機微を求めるなって言われるかもしれんけど。 わたしの話し方がわかりにくいのが悪いんだけどさ、話しているとなんだか縮こまってしまう。 その最たる存在が、あの苦手な新しいボス・・・・。
相手の言うことを否定するときも、ワンクッションおいて、やんわりと言葉に柔らかさをもたせる、というのは技術だったんだなあと納得。 わたしの前の上司A氏(社長ではなくすでに顧問だったけど)、わたしがどんなアフォなことを言おうとも、自己嫌悪に陥らせない方法で正しい方向に導いてくれた。 卑屈な性格のわたしがのほほんといられたのも、「潜在的に頭がいい」などとおだててうまく操縦してくれたA氏のおかげだ。
まあ、これは小さな会社だったから出来たことだろうけど、ああいう雰囲気が懐かしくてたまらない。 秘書をキャリアに選んだのも、所謂秘書というより、小さなオフィスで営業から経理、広報までこなす「何でも屋」をイメージしていたから。 自分に向いているのは明らかに、この「何でも屋」なんだなあ。
と言っていても仕方ない。 パンダの入院費を稼がねばならぬし、自分を変えていかねばいけないし、真面目に働こう。 新しく担当する仕事のマニュアルもきちんと読もう!
と、意気込んで残業していたら、件のボスが、何故そんなに最近残っているのか、何が忙しいのか、と質問してきて、うまく答えられずへこんだ。 用もないのに残っている無能社員みたいやん。 わたしは残業代はつかず、一律手当てなんだし、好きにさせて欲しいなあ。 時折自分を鼓舞してみても、なんだか最近会社で働くのが息苦しい。
パンダが入院することになり、かなり取り乱している。 赤血球の急激な減少と貧血、体温の低下で、通院では治療困難との先生の判断。 しかも、入院しても入院中に死ぬ可能性があると聞いて、目の前が真っ暗になってしまった。 A動物病院の先生はいけすかないおっさんやねんけど、彼しか頼りにするひとがいないので、深深と頭を下げて頼んでくる。 朝預けて会社に行ったがどうしても気になり、仕事をほったらかして帰宅。 閉院している中無理やり開けて入れてもらい、静脈に点滴を打たれて今にも消えてなくなりそうなパンダとガラス越しに対面した。 むこうもわたしを見ると取り乱している様子。
死んだらどないしよう。
と思ったらいてもたってもいられなくなる。 自分の寿命をわけてあげられるならば・・・という気持ちは同じ猫飼い(犬飼い)さんにはわかってもらえるだろう。
かみさまほとけさま。(ほかに呼びようがないので) ちゃんと。 人に優しくするし、食事も作るし、寄付もするし、勉強もするし、上司の悪口も言わないから、どうかパンダを返してください。
気分の晴れない日々がまだまだ続く。 病んだわたしの唯一の救いは、つらいことがあったら、身近な人に言いまくること。 (まわりの人に迷惑かけてるのはわかってるねんけど) 特に妹は、鏡に映したように根本的に似た性格なので、最終的にはひとりでないと思える、貴重な存在。 とはいえ、ケンカしたりむかついたりしてるわけだけど。 まあ、それが姉妹やね。
今日も会社についた途端、しかばねのように体が動かなくなった。 あれもこれもやらな、と思えば思うほどからだが動かず、無駄にした時間分、また更に自分が劣っているように思えて苦しくなる。 深呼吸しながら、前一緒に働いていた先輩にメールを書いたら、お昼休みに時間を割いてくれたのだろう、長くて丁寧なお返事をもらった。 この女性、初めて見たときから感じのいい人だな〜と思っていた、とても好きなひと。 いつもいやな顔ひとつせずてきぱき働いていたが、彼女も辛い時期を越えてきたんだなーと思うと、自分がますます恥ずかしくなるね。 わたしって思いっきり顔に出るもん。
室井佑月氏のブログに「自分を愛するとのおなじくらい自分を卑下しているバランスの悪い人間」とかいてあったけど、わたしもまさにそれだ。 いつの間にか、卑下するほうが勝ってきている。 もうちょっと若い頃は、漠然とした根拠のない自信があったのにな。 人生は短いのだから、好きなことをして生きなければならないと思う。
偏執。 仕事で馬鹿でつまらない失敗をしたり、新しく上司になるひとにどうしてもついていけず、合わせられないでいるので(つまりこれが最大にして唯一の理由)、会社に行くのが今かなりつらい。 うまくいかないことがあったり、嫌いな人が現れると、24時間そのことばかり考えてしまう損な性格だと思う。 かなり似通った性格の妹に毒づいて、少しは落ち着いたけど。 仕事のことを頭からはずしたいので、今週末はうちにこもって「北の国から」を観ることに。 今更だけど世の中ってDVDなのね。 DVDを持ってないのは、うちと妹んちくらいだろう。 わたしはうちであんまり観ないので、久々にビデオ屋にいったら洋画はもう全てといっていいほどDVDに切り替わっていて、驚く。 かろうじてビデオであるのは、ドラマとアダルト。 しばらくいかない間に、店のアダルトコーナーはすごい勢いで拡張されていた。 ビデオ屋の儲けってほとんどアダルトやもんなあ。 それにしてはあれはあからさま。
北の国からは、、、、こんな時間(4:00)まで起きているくらいだから、案の定はまっている。 わたしも五郎さんに会ったら、前置きナシで身の上話を始めてしまうだろうな。 雪子と純が東京へ帰ろうとした時、清吉が 「お前ら負けて逃げていくんじゃ」 と言ったのが、こころにミシッときました。
23歳の頃半年ほどつきあっていた「殿下」(勝手に呼んでいたあだ名)は、いまだに年に数回、節目節目に電話をくれる。 彼から電話があると、そういえばクリスマスだな〜とか、お盆だな〜と季節を感じる・・・。 別れた頃は、相当ボロボロになったはずだが、時間が経つと嘘みたいに落ち着くものだ。 今や親戚のおじさんと電話で喋っているみたい。って言ったら言い過ぎか。 「今年こそ結婚したい」と言っていたが、スマートで料理もうまい彼が結婚できないのは、本当は他人を必要としていないからだと思うよ。これもおせっかいやね。
田口ランディのモザイクを読んでいたら
ガサツな女は弱虫
という批評がふいに目に入って、なんだかどきっとしてしまった。 それって私やん。
この本はいっちゃってる感だけが先走りで、今のところあまり面白いとは思えないのだけど、「ガサツな女は弱虫」という言葉だけがミシッと頭に残った。 ガサツを脱すべく、今年は自炊をして、毎日ラジオ体操続けよう。
「サイドのカッティングが見事」とかなんとか言われて、今まで何度も失敗してきたたっかいヒールの靴をまた買ってしまった。 結果、会社を出る頃には気が遠くなるほど足が痛く、家に帰って脱いでみたら自分でも気の毒になるほど足がぼろぼろになっていた。 やっぱり外反母趾はごろんとしたダサい靴しかはくなってことかな。 それでも形の美しさに負けて、もうええかげんにせえってくらい靴では失敗ばかり。
残業して寄り道して、ひとり遅く帰り着く金曜の夜の、なんともいえない寂しさが好き。 こういうときは「孤独と仲良し」だなと思う。 部屋を散らかすだけ散らかして、お菓子もこぼしたり、靴下とか投げ飛ばしたり、明日着る服候補を床じゅうに並べて、「でも明日休みだし」と自分を甘やかしてみる。
帰ってこない、あの変わり者の親たちのことはしばし忘れて。
シューマッハは10億、松井は5千万寄付か〜。 大物はさすがだ。 金は天下のまわりもの。ユダヤ人の富豪もそうしているように、寄付することで何かうまくバランスが取れていくような気がする。
わたしもわずかながら毎月の「飲み代募金」は一年以上続いた!
酒井順子さんが博報堂OLを辞めたのは、「自分の無能さに嫌気がさしたから」とどこかで言っていたが、わたしも自分の無能さに呆れることがある。 出来ないというより、仕事に対する真剣味に欠けるんよね。 注意されたら素直に聞くフリして、拗ねているし。 でもたぶんシングルマザーとかになったら、すーごい働き者になる自信がある。 自活せなあかんということかな。
みんなが絶賛のジョゼと虎と魚たちを、やっとビデオで観た。
「帰れいうてほんまに帰るやつははよ帰れ」 「あんたとあんたのすることが好きや」 「あんたと世界で一番エッチなことするんや」
という、ジョゼの台詞とくるりの「ハイウェイ」が、目覚めても覚めない不思議な夢のように、じわじわと残った。 感動とは違うな。 テーマの割に、終始乾いた感じがよかった。 傷口をこじあけるタイプのわたしとしては、二人が一緒に暮らしてどうして終わってしまったのか、もう少し見せて欲しかったけど。 原作のジョゼはいい意味での「したたかさ」、映画版ジョゼは「気高さ」。 生命力の強い女でよかった。
女といえば。更新を心待ちにしているサイトのひとつに「普通の女の子として生きにくいあなたへ」がある。 12/30のコラムがいい。 愛情の原点が両親に起因するならば(とくに父親)、わたしが男を信用できないのも仕方ないよなー。 飢えてると思うほど、守られたいのも。
かろうじてそれを繋いでいた腐りかけの糸が、本当に腐って、ほどけて、ばらばらになってしまいそうな悪い予感。 傷の連鎖というのかな、どうして傷口は大きく広がっていくのかなー。 なんか、あれみたい。 遠足のバスで誰かが吐いたら、他の子もつられて吐いちゃう、あの感じ。
わたしがしっかりせねばいけないみたいなんだけど。 そりゃあもう、子供の頃から身についた逃避癖で隙があれば忘れようとしている。 人間って怖いわア。
ドグマチールはすんごく身体に悪いみたいなので、今日からやめることにした。
そうだそうだ、言霊だ。 大丈夫大丈夫。 わたしは色々なんとか出来る。
そしてパンダ、頼むから長生きしてね。
2005年01月01日(土) |
謹賀新年・ことしのほうふ |
年末は仕事納めの日から遊びっぱなしだった。 寿司(ローフードちゃうやつ)とてんぷらを食べて、南京町で水餃子とシュークリームを買い食い。 ほーじと梅田ハートンホテルに泊まって、眠るまでと目覚めてから、ノンストップで話しつづけた。 まわりの人に甘えて、したいことをしたいだけしてきた一年にふさわしい締めくくりだったように思う。
元旦は目が覚めるともう夕方。 思ったより年賀状がきていた。 やっぱりみんなパソコンで作っていて、わたしのような手書きは皆無。
親戚からの年賀状には、うちら姉妹宛てに「早く結婚して孫を・・・」のメッセージが書いてあった。 会ったら「おばちゃんがもっかい結婚して子供産んだら?」と言っとこう。
明け方の電車の中で、半分眠りながら宇野千代さんを読んでいた。
彼女が見たアメリカ映画のワンシーン。(概略) 田舎で仲良く暮らしていた老夫婦が、何らかの理由で都会に出てきて、ホテルで食事をとっている。 階段やロビーをぐるりみまわした夫が言う。 「ここにはきれいな女がたくさんいるけど、お前よりきれいな女はいないねえ」 老婆はそれに目で応える。
これ、わたしも見たことがあるような気がするんだけど、何の映画かご存知の方、教えてください。
帰ってきてからいちばんにパティ・スミスのFREDERICを聴く。
今年は宇野千代さんやパティ・スミスのように、強くて素直でしなやかな、のびのびとした女性になりたい。
|