Food for Thought
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日経夕刊の「プロムナード」欄に写真家の丸田祥三氏が執筆しているエッセイがなかなかいい味で気に入っている。廃墟とか懐かしい町並みなどの写真を撮っているからか、古い物に対する温かいまなざしが感じられる。
「フィルムカメラの思い出」という文章では、頑固な写真館の親爺が中学生の丸山氏に、「カメラが手軽になり、子どもでも気軽に扱えるようになったが、写真の価値は軽くしてしまってはいけないよ。数は撮らずに、一枚一枚じっくりと、心をこめて撮りなさい」と諭されるエピソードが出てくる。
これは一眼レフカメラの話だったが、そういえばデジカメを使うようになってからは前ほど写真を「大事に」しなくなったかもしれない。なんせフィルムがもったいないということがないから。
海外のオーディオ雑誌のコラムに似たようなことが書いてあった。デジタルオーディオプレーヤーなどに1万曲とか、とにかくたくさん入れて持ち歩けるようになった。すると、1曲1曲の扱いが軽くなってしまう。音質にもあまりこだわらない。レコードの頃のほうが、音楽を大事にしていたと。
便利になると、どうやらありがたみが減るようだ。
2006年06月14日(水) |
中沢新一『アースダイバー』 |
中沢新一『アースダイバー』を読み始める。「?!」と思うところがあったり、論理が飛躍するというか、はっきりいえばロジカルではない。眉に唾つけて読んだ方がいいかも。
例えば、
「権力を手に入れた人たちは、生きている者たちのつくるふつうの世界から超越していなければならない、と感じるものである。そのためにどうしても、生をこえた領域である死に触れていくことになる。権力者は死とまぐわっていなければ、いったん手に入れた権力を、保ち続けることはできない。メディアの権力もそうである。こちらは、目に見えない 電波を媒介にした権力であるから、人々の無意識に霊界とのつながりを連想させる。こうして、現世的なパワーと結びついたスポットは、知らず知らずのうちに死の領域に接近していくことになったのだろう。こうしてメディア権力の象徴たるテレビ塔は、岬状をしたかつての「サッ」の土地の上に、そろいもそろって建てられてきたのだった。」 (第3章 死と森 渋谷〜明治神宮 p61)
だからといって全くダメなのではない。実は結構面白い。
以前中沢新一の『人類最古の哲学―カイエ・ソバージュ〈1〉 』を読んで非常にインスパイアされ、神話に興味を持つきっかけとなった。
「そもそも中沢新一は、多様な知識を組み合わせた思想の流れをナラティブに仕立てられるという才能の持ち主」 (松岡正剛の千夜千冊)と評されているように、とにかくグイグイ読ませる力がある。
本にあたかもファクトのように書かれていることでも、確認した方がいいと部分もある。それでも、人に考える動機を与えることのできるというところに存在価値があるのではないか。
『仮説思考』内田和成 『身体知−身体が教えてくれること』内田樹×三砂ちづる 『アースダイバー』中沢新一
の三冊を買う。
『世界級キャリアのつくり方―20代、30代からの“国際派”プロフェッショナルのすすめ』黒川清・石倉洋子 『集中力』セロン・Q・デュモン 『3週間続ければ一生が変わる―あなたを変える101の英知』ロビン・シャーマ 『オマケ幸福論―あなたの傍の“小さな”幸せ』オマケ総研 『フラット化する世界』トーマス・フリードマン
をチェックするが買うにいたらず。
しかし、地元の本屋では雑誌・マンガ中心の品揃えで全然欲しい本がなく、ターミナル駅に出ないと買えないのは仕方ないのだろうか。アマゾンは便利だけれども、やはり実物を見てから買いたい。書評だけを頼りに注文し、結局読まなかった本多々あり。
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