月の輪通信 日々の想い
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曇り空。 ついこの間「もう秋なのに暑いね」とぼやいていたのに、今日はストーブが恋しい日だった。 ちょっと寒くなると、急に冷蔵庫のお茶の消費量が減り、常に2本づつ常備の牛乳の減りが遅くなる。 昨日生協荷受けでまた2本届いたから、冷蔵庫は牛乳でいっぱい。 「ではそろそろ」と久々に今日の夕飯はグラタンに決定。
大鍋いっぱいのホワイトクリーム。 玉ねぎ、お芋、マカロニ、チキンに海老。 牛乳も一本半消費した。 焦げないように力を込めてかき混ぜていたら、木杓子もつ手がピクピクと攣りそうになった。 まるで給食のおばさんみたい。
8つのグラタン皿と2つの大き目の耐熱皿に分け入れて、ピザ用チーズをトッピング。あらら、これもかるく一袋使い切った。 これをオーブンレンジとオーブントースターと魚焼きグリルで焼き目をつける。 みんな一緒に熱々を食べようと思うと、使える熱源は総動員。 食卓の準備も整い、総員集合が整ったところで恭しく「あっちっち」を一つずつ運ぶ。 「お、グラタンかぁ。」と、子どもたちの頬が緩む。
「かあさん、このお皿、小さくなったなぁ。」 自分のお皿の分を食べ終わって、お代わり用の大皿に手を伸ばしたオニイが言った。長年使い込んだ耐熱の大き目のグラタン皿。子どもたちが小さい頃にはしょっちゅう食卓に上っていた。 まさか陶器のお皿が小さくなるはずはないんだけれど、がっしりと大人の男の手に成長したオニイがもつと、確かに一回り小さく見えるようになった。 大鍋いっぱいのグラタンを一晩でぺろりと平らげるようになった子どもたち。 食欲旺盛はうれしい成長の証。
玄関先のつわぶきが咲いた。 いつも通る場所なのに、黄色い花弁がこぼれるように開くまで気がつかなくて、毎年毎年はっとする。 もう、冬がくるんだなぁ。
仕事を早めに置いて帰ってきた父さん。 今日はなんだかお疲れの様子。子どもたちのおやつタイムに加わって一休み。 このあいだネットオークションで買った懐かしのサンダーバードのプラモデルをぼんやり眺めながら、ゲンやアプコのにぎやかなおしゃべりを聞いていた。 こんなとき、子どもたちも何かを感じるのか、アプコはすりすりと父さんの背中に擦り寄っていき、ゲンはことさら愉快な話題を探して父さんの気を引こうとする。
「ねぇ。お父さん、知ってる? サンダーバードを日本で始めて訳した人はね、女性の地位向上にもとても貢献した人なんだよ。」 へぇ、そうなんだ。 ゲンは、ずいぶん物知りになったんだなぁ。話題もなんとなくアカデミックになってきた。 と感心していたら、ゲン、悪戯っぽくへらへら笑っている。 「あのさ、あのさ、その人の名前はね、平塚雷鳥!」 あ、そうか! 雷鳥ね。 うまい!座布団一枚!
ゲンのダジャレが最近冴えている。 「数打ちゃ、当たる」のオヤジギャグから、ちょっとひねった自信作まで、次から次から披露しては、周囲の反応を楽しんでいる。ニタニタ笑いを必死で隠しながらしゃべりに来るので、「あ、来たな」とすぐにわかる。 食事の最中や剣道に向かう車の中、帰宅後の第一声。 ゲンのダジャレは神出鬼没。 いつもいつもゲンの頭の中にはダジャレのネタが渦巻いているということがよくわかる。面白いやつだなぁと思う。
それにしても今日のサンダーバードは秀逸。 当意即妙のタイミングもさることながら、よく平塚雷鳥の名前が思い浮かんだなぁ。たぶん、学校の社会科の授業で習ったのだろうけれど、そのことを彼なりの方法で自分の知識として消化吸収しているのだろう。 こういう独特の方法で情報の出し入れができるのがゲンの面白いところだと思う。
ダジャレの話題、もう一つ。 「あのな、今日、T先生に修学旅行のときの野球拳の話をしてん。 それでな、そのあと、『今日はうちの晩御飯、お鍋やねん』って話をしたら、T先生がな、『すっぽん鍋?』って言わはってん。」 スッポンポンのすっぽん鍋ですか。 翌日、ゲンの連絡帳に 「夕飯は予告どおりお鍋でしたが、スッポンは入ってませんでした」 と書いたら 「修学旅行で出し尽くしたんですね」 とお返事が返ってきた。 こういうユーモアあふれる素敵な先生にも、我が家のダジャレンジャーのセンスは磨かれている。
久々に雨。 秋の雨もいいなぁ。 気温もぐっと下がって、そろそろ紅葉が進む。 昨日、アプコとたくさんどんぐりを拾った。一番大きなどんぐりの取れる秘密のクヌギの木は今年はどんぐりお休みの年らしい。けれども代わりに工房の近くでクヌギに似た小ぶりのかわいい実をつける木を見つけた。 何をするでもないのに、アプコはまたポケットいっぱいにどんぐりを詰め込む。 冬支度をするリスのようだ。
スーパーで買い物中、ゲンの友達○くんの母に会った。 ○君母は「ゲンちゃん、この間大変だったそうね」と話しかけてきた。 「何の事?」と聞いたら、いいにくそうに「ゲンちゃん、友達にパンツを下ろされかけてたって・・・」という。 いじめか? 実はゲンは今の担任の先生に変わる前、それに近い経験をしているし、○君もどちらかというと「いじめられっこ」の範疇にいる子どもだ。さてはまた再燃かと思ったけれど、考えてみればこのところのゲンは絶好調。毎日ニコニコして元気だし、ちょっとハイテンション過ぎてうるさいくらい。 オニイと違って、いやなことがあればすぐに顔に出る子だから、何かあったらすぐわかるはずだがなぁといぶかしく思いつつゲンの帰りを待った。
案の定、「へ?何のこと?」ときょとんとするゲン。 全然思い当たるふしがないらしい。 「う〜ん、なんかふざけっこしたりぐらいはあったかもしれないけど、べつにいやな思いをしたってこともないし、あったとしても忘れてるぐらいだから平気だったってことじゃないの?」 という他人事のようなお答え。 「それならいいんだけどね。」 といいつつ、しつこくゲンを問いただす。 「なんで、○くんはそんなこといったんだろうね。周りから見て、そんな風に見えるかもしれないなぁと思えるようなことはなかった?」 「ウン、ないと思うけど」
「じゃぁ、君じゃなくて、○君がいやな事されたりとか、そういうことってなかった?」 友達に起こった事のようにして、自分の窮状を母親に訴えることだってあるかもしれないと、さらに問いただす。 「う〜ん、僕にはよくわかんないけど、ないと思うよ。」 考えすぎか。 でもそういう話題が出るということは、多分どこかで「誰かが誰かのパンツをずらそうとする」という事象が起きていたということは間違いないのじゃないかしら。 さらにしつこく問いただす。
「あ、そうだ」 ゲンがさも今思いついたかのように、恥ずかしそうに告白する。 「実はな、修学旅行の夜な、すっごい盛り上がっちゃってな、調子に乗ってな、野球拳やってな、・・・・最後までいっちゃった。」 さ、最後までですかぁ? 何をやっとるんだ、馬鹿者!
はぁ、調子に乗っておバカやるのもいい加減にしなさいよ。 でも、多分○君が訴えたのは、そのことじゃないと思うよ。そんなくだらない馬鹿騒ぎのこと、だれが心配するもんですか。 あ〜ほらし。 ○君母の話を発端に、内緒の馬鹿話を告白する羽目になったゲン。照れくさそうに笑ってる。 そんなくだらないことで盛り上がってるくらいなら、たぶんゲンは大丈夫なんだろう。 その馬鹿馬鹿しさがおかしくて、「いじめ疑惑」追及はそこで立ち消え。 あとからあとから、思い出し笑いが沸いてきて困った。
あとで 「本当にそんなことがあったら、すぐに母さんか先生に教えてよ。 君じゃなくて他の子(特に○君)のことでもね。」 と念を押しておいた。 あったら困る事だけど、知らなかったらもっとこまることだしね。
ゲン、本日修学旅行から帰宅。 広島倉敷1泊2日。
旅行前 ・「絶対絶対、これって決めてたんだ」と2日で400円分のおやつは40本のうまい棒にした。パフパフで軽いけどかさが高いので、旅行用のリュックに入りきらなくて困った。 おバカ・・・。
・着替え、水筒、おやつ、お弁当、雨具・・・・先生に言われたとおり自分で荷造りをしてチェックした。「おかあさん、これ、どうしよう?」と聞きにきたのが「生理用品」 多分あなたには必要ありません。
・お小遣い3000円。 「こんなに使わないから2000円でいいよ。」 まあまあ遠慮しないで3000円持っていきな。きっと使いたくなるからさ。残りは回収するから、気合入れて使っておいで。・・・といわなければ本当に使わずに帰ってきそうなけちんぼのゲン。
・「僕が行ってる間、晩御飯何食べるの?」と訊くゲン。○○と○○と○○は食べないでねと大好物メニューをいっぱい挙げていった。 ぜ〜んぶ食べてやろ・・・。
旅行後
・ゲン、着替えのパンツを忘れていってたんだって。 で、履いていったおんなじパンツ、履いて帰ってきたんだって。
・買い物用の小さいリュックに入れなければならない財布を着替えの大きいリュックに入れたままにしていて、ショッピングタイムのとき先生に迷惑かけたんだって。
・遊園地のお化け屋敷で、ビビッて途中の非常ドアから外へ出ちゃって、残りの半分が見られなくて損しちゃったんだって。 もう一回おんなじドアから入りなおせばいいのにって言ったら、「あ、そうか」だって。
・うまい棒40本はやっぱり食べ切れなくて、みんなに配って歩いたんだって。 やっぱりね。
・お土産の買い物。3000円も使うの初めてだったんでドキドキ興奮したんだって。 ありがとう。きびだんごは美味しかったよ。
帰宅第一声、「たのしかったぁ。おかあさん、修学旅行、行かせてくれてありがとうな。」 修学旅行なんて学校行事だから、行って当然と思っててもいいものなのに、「ありがとう」といえるゲンは賢いなぁ。ちょっと感動した。
修学旅行のとき、事前におうちの人がわが子に手紙を書いて先生に託し、宿舎での夜の集いのときにそれぞれの子どもに渡す習慣がある。結構感動のお手紙タイムで、泣いちゃう子達もいるのだそうだ。 私もゲンに手紙を書いた。 ゲンが生まれてきたときのうれしい気持ち。 元気に成長してくれることを喜ぶ気持ち。 便箋を何枚も反故にして、一生懸命手紙を書いた。
「ゲン、泣いた?」と聞いたら「ちびっとな」と答えた。 「そうだろうそうだろう、ゲンを泣かしてやろうと思って感動の名文を苦労して書いたからな、まんまとはまったか」と照れ隠しで茶化しておいた。 でも、ホントの気持ちだよ。
毎日なぁんにも考えていないかのように遊びほうけているアプコにも、近頃ちょっとした悩みがある。 算数の計算。 2年生のアプコの算数は、2桁のくりあがり、くり下がりの足し算。 わら半紙に鉛筆を舐めなめ筆算の式を書いてやる、あれである。 担任のM先生は、子どもたちに毎日のように50問の足し算引き算のプリントを課して、間違いの多かった子には新たに同じプリントを宿題としてお渡しになる。 算数の苦手なアプコはここのところ、このおまけプリントの常連さん。 「おかあさん、ご免。またもらってきちゃった」とうんざりした顔でランドセルを開ける。くしゃくしゃのわら半紙プリントには、「○○さん」と先生の赤ペンで書かれたアプコの名前の横に8とか9とか数字が書かれていて、どうやらそれが、アプコの間違えた問題の数らしい。
目の前でやらせてみると、決してやり方がわかっていないわけじゃない。ゆっくり時間をかけてやれば、たまに間違いもするものの、手順そのものはきちんと理解しているらしいことが見て取れる。 「いつも学校でやるときは、急いでパーッとやっちゃうの。でないと全部は書けないし、遊びにいけないから。」 悪びれずにこたえるアプコ。 「早くやっても間違いだらけでやり直しになってたらしょうがないでしょ?」というのだが、どうもピンとこない様子。ためしに 「20問の問題があるとするでしょ。大急ぎでやって全部答えを書いて10個間違えるのと、ゆっくり丁寧にやって15問しかかけなかったけれど全部正解なのとどっちがいいと思う?」と聞いてみたら 迷わず「全部書けるほう!」と答えが返ってきた。 うわ、この大雑把な性格は誰に似たのだろう。(・・・私です。ごめんなさい。)
昨日晩御飯のとき、アプコはまだ宿題が一つもできていないのにTVを見ていて、アユコやオニイにコンコンと叱られていた。お風呂のあと、ずいぶん遅くまで子ども部屋でガサガサしている音が聞こえていたので、きっとアプコが算数プリントをやっつけているのだろうと思っていた。 今朝、いつものように子どもたちを起こすと、アプコだけが朝食に時間になってもなかなか下りてこない。 「アプコ、起きてた?」と他の子たちに聞くと「宿題やってんじゃない?」という返事。さては、昨晩やらずに途中で寝てしまったな。 ま、平気でやらずにいくよりいいか。 ずいぶん遅くなっておりてきたアプコに宿題できたの?」と聞くと、「うん、いまできたとこ」と明るいお返事。 「昨日のうちにやっとかなきゃダメよ。早くご飯食べなさい。」 といい、アプコがご飯を食べている間にちょっと検算。
・・・おかしい。 全部あってる。 途中の筆算の繰り下がりの数字までちゃんと書いてはあるけれど、時間ぎりぎりにアプコが急いでやったプリントが全問正解のはずがない。 「アプコ、これ、ホントに一人でやったの?だれかに見直ししてもらった?」 「・・・」 「全部正解で偉いけど、なんかズルした?」 「・・・」 アプコのニコニコ顔がみるみる歪む。 「もしかして、前のプリント、写した?」 「・・・」 「全部?」 「・・・」 コックリコックリうなずくアプコ、目玉焼きを前にみるみる小さくなった。
算数の計算が苦手なのはいい。 毎日やり直しプリントをもらってくるのも許せる。 その日のうちに宿題ができなくて、登校前に慌ててやるのも百歩譲っていいことにしよう。 でも、こんな人を騙すズルはいや。 答えを写してズルをして、「宿題できたよ」と涼しい顔してる。 それは先生やお母さんを騙す嘘つきだよ。 アプコのことを大事に思ってる人に対する裏切りだ。 ああ、がっかりした。 お母さんはアプコのことが嫌いになりそうだ。
ちょっと芝居がかった声をだして、わぁわぁ泣き出したアプコにお説教。 そばでみていた父さんやアユコも一緒になってアプコの嘘を糾弾する振りをしてくれて、八方塞りのアプコはただ泣くことしかできない。 登校時間が迫ってきたので、号泣するアプコをランドセルとともに玄関の外に抱え出し、「いってらっしゃい、バイバイね」と締め出してしまう。 外で遅刻を気にして足踏みをして待っていたゲンに「ごめんよ、お願いね」の目配せを送る。 「参ったなぁ、勘弁してよ」とうんざりした表情で大泣きのアプコを連れて歩き出すゲン。 結局、アプコのズルのとばっちりはゲンが一身にひきうける羽目になった。
子どもたちが出て行ってしばらくして、玄関のピンポンが鳴った。 さては帰ってきてしまったかと一瞬思ったけれど、チャイムの主は愛犬の散歩中のKちゃん母だった。 「どうしたぁ?アプコちゃん、わんわん泣いていったぞ。 ゲンにぃとけんかでもしたかぁ?」 アプコの様子に心配してわざわざ散歩中に立ち寄ってくれたらしい。
聞けば、ゲンが先に立ってものすごい勢いで駆け下りてきて、その後ろをアプコがわぁわあ泣きながら追いかけて行ったらしい。 近所の人や通りすがりの人が「どうしたの?」と聞いても、ゲンは「いろいろあるねん!」と不機嫌そうに答えるばかりだったそうだ。 号泣するアプコを連れていると、あたかもお兄ちゃんが妹を泣かしたような目で見られるし、いちいちかまって機嫌を取っていたらアプコは立ち止まって歩かなくなる。 後ろでアプコの泣き声を確認しながら、アプコがついてこれる程度の速度で坂道を駆け下りていくのが、ゲンの最大限の知恵だったのだろう。 悪かったなぁ、ゲン。 「ま、登校班に追いついてからは、女の子たちが慰めたり構ったりしたから、大丈夫とは思うけどね。」 事情を聞いたKちゃん母は、笑って帰っていった。
長くなりましたので、10月18日分日記に続きます。
10月19日分の続きです。
Kちゃん母から聞いたアプコとゲンの様子を父さんに話して「ゲン、参っただろうね。」と二人で笑う。 「宿題をズルするなんて誰でも一度は通る道だけどね。アタシも思い当たる節あるわ、小学生の頃。」 やはり苦手の計算ドリル。毎日1ページの宿題を溜め込んで、涙なみだで答えを書き写した苦い記憶がよみがえる。今から考えると、小学生の浅知恵。先生や親にばれなかった筈はないのだけれど、激しく叱られた記憶も残っていないので、よほどうまくやったか、あっさり忘れて反省の機会とはならなかったということだろうか。
「父さんは?アプコみたいなズル、やったことある?小さいとき・・・」 と聞いてみたけれど、父さんはそういうズルはやったことがないように思うという。 ふ〜ん、そうだろうなぁ。アタシと違って、この人はまっすぐ真面目ないい人だもんなぁ。 「一度だけ、テストの時に隣の答案が見えちゃって、カンニングしそうになったことがあったけど、あれもおんなじかなぁ?」 「で、その見えちゃった答えを、答案に書いたの?」 「いやぁ、忘れちゃった。 書いたかもしれないし書かなかったかも・・・。」 多分幼い日の父さんは、隣の子の解答を自分の答案に書き写すことはしなかったのだろう。もし、ズルをしていたのなら、きっとその記憶が薄れて「どうだったかなぁ」と思うことはないだろう。 父さんはそういう人だ。 「でも、小さい頃にはだれでも一度や二度は経験することだろうと思うよ。アプコは、よほど計算プリントに追い詰められてたんだね。」 わんわん泣きながらゲンのあとを追っていったアプコの小さい足音がいとおしくなった。
午後、いつものように迎えに行くと、ニコニコ笑って駆け寄ってくるいつものアプコに戻っていた。 「あのね、今日はやり直しプリント、もらわなかったよ。 間違い、二つしかなかったの!」 計算プリント、一発合格は久しぶり。 満点ではないけれど、落ち着いてやればちゃんとできるんじゃん。 「で、朝のプリント、どうしたの?やり直し、した?」 「・・・」 アプコ、舌を出して笑ってる。 「あ〜っ、ズルのまんま、出しちゃったの?」 ウン!っと笑うアプコ。 ちっとも反省してないじゃん。 ま、いいか。
オニイ、中間試験期間に入り、今日はお弁当もお休み。 いつもより少しゆっくり目に朝のPCを楽しみ、7時になったので子どもたちを起こす。 「お〜い、7時だぞぉー。起きろー。」 と階段の下から声をかけ、上から順番に子どもたちの名前を呼んで、寝ぼけ声の返事が帰ってくるのをひとりずつ確認した。
お揚げと玉ねぎのお味噌汁を作って、アプコの好きなねぎ入りの玉子焼きもお皿に盛って、学校へ持ってく水筒の準備をして時計を見たら20分。 ありゃりゃ?おかしいぞ。 誰も降りてこないぞ? いつもなら一番早起きのゲンが「おはよー」と絡み付いてきたり、寝癖頭のオニイが朝ごはんのおかずを偵察にきたりする時間だというのに、二階の子ども部屋は妙に静まり返っている。 さては2度寝だな。 「お〜い、20分だよぉ。だいじょ〜ぶ〜?」 ともう一度声をかけたら、ドドッっと誰かが跳ね起きる気配がした。
「かあさん、あのな、7時に起きてな、 ご飯喰って新聞読んで歯ぁ磨いて、 靴はいて、自転車にのって出かけたと思ったら、夢やったわ。」 と頭をかきながらやってくるオニイ。 残念やったね。
「目覚まし時計が止まってたよぉ!」 とグチグチいいながら、靴下を履いてるアユコ。 電池切れかな? ご愁傷様。
「みんなが起きないから、ボーっとしてたら遅くなっちゃった。」 と、憮然としてるゲン。 人に頼らない。 自分で時計を見て起きろ。
最後に悠然と降りてきて、すっかり用意の整った朝食の席に着くアプコ。 「早く起きなきゃ、だめじゃないの。」 といったら、 「起きてたよ。寒いからお布団の中にいただけよ。」 ・・・それは、寝てるのと一緒。 さっさと起きなさい!
ちゃんと成長してるのかなぁ、この子どもたち。
男の子たち、朝から剣道の市内大会。 昨日、部活の先輩たちと昇段試験に出かけていったオニイ。 実技合格、形不合格の「めでたいような、めでたくないような」微妙な結果。気を取り直して、古巣の道場の剣道大会の試合に臨む。
ゲン、小学生高学年の部、2回戦で負け。 最近不調を自覚しているゲン、悔しそう。
オニイ、高校一般2段以下の部に参戦。 まさかの2勝。思いがけず3位に入賞。 先日来の「剣道漬け」の特訓が功を奏したのだろうか。 久々に見るオニイの剣道。 たった半年見ていなかっただけなのに、切り込むスピードは速くなり、鍔迫り合いになっても力負けしない粘り強さが見られるようになり、そして何よりも気合を入れる掛け声が獣のような太い唸り声に変わっていた。 中学時代には、体も小さく、なかなか勝てなかっただけに、見ている親も感慨無量。 一勝目をあげたあと、下がってきたオニイが親指を立てて、小さなガッツポーズを作って見せた。 ホントは勝ってガッツポーズは、剣道では反則なのだけれど。
今日の試合には、オニイが小さい頃にお世話になっていた老剣士K先生が見に来ていらっしゃっていた。 小学1年のオニイに、竹刀の持ち方から礼の作法まで入門の手ほどきをしてくださったK先生。今はご高齢で道場の稽古でお見かけすることはなくなってしまったけれど、オニイはこのK先生を尊敬していて、今日もいろいろとアドバイスを頂いて感激していた。 K先生もまた、オニイが高校に入っても剣道を続けていることを聞いて、とても喜んでくださっていたようだ。 「とにかく続けることだ。途中でやめたらあかんぞ。続けていれば、必ず実る。」 K先生は古武士のようないかつい手で、オニイやゲンの肩をワシワシと叩いて、励ましてくださった。
6年生のゲンは、このごろ同じ道場の後輩たちの剣道や練習態度などに対する愚痴や不満をよく漏らすようになってきた。 「○○は普段の練習には来ないのに、試合の時だけ来るのはずるい」とか「××はわざと防具のないところに打ち込んでくる」とか・・・。 近頃、道場には低学年の初心者が増え、ゲンたちのすぐ下の世代の子たちの上達が目覚しい。先輩としてにらみを利かせる役目が回ってきたゲンたちには、居心地の悪いこともあるのだろう。 それも自分の成績不振への焦りの裏返しでもあるのかもしれない。
毎回、ゲンのグチを聞いていると、親もついつい、 「いくら強くったって、ちゃんと地道な練習や先輩後輩への気配りを軽んじてちゃダメよね。」とか 「やっぱりサボりがちの子は、太刀筋が荒れてくるわね。」 とか、慰めモードに入ったりしてしまうのだけれど、でもそれはそれ。 本当に強くなるためには、どこかなりふり構わず自分の道を守る部分も必要なのかも知れない。 小学生のゲンには、まだその辺の割りきりがなかなか難しい。
少し前のオニイなら、同じような立場に立ったとき、母が「おー、よしよし、アンタの言うとおり。しょうがない子達だねぇ」なんて一緒に愚痴ってやると素直に慰められていたものだった。 でも、今日、同じことをゲンに言ったら、横で聞いていたオニイがびしっと言った。 「あいつらはあいつら。 そういうスタイルなんだから。 グチグチ言っても自分が強くなるわけじゃないよ。」 母、びしっと叱られてしまった。
うわっ、かっこいい。 武士の風格、あると思わない? 周りに惑わされて、羨んだり愚痴ばかりいっていても仕方がない。 要は、自分自身がどれだけ厳しく鍛錬していくかということ。 オニイはそのことを、厳しい部活動の稽古のうちに学びつつあるのだろう。 慰めるだけの母親が教えることのできなかったことを、ちゃんと学ばせてくださる環境をとてもありがたいと感じた。
オニイの剣道の昇段試験が近い。 6月の審査会では、オニイは初段不合格だった。一緒に受けにいったほかの部員も屈辱の全滅で、大いに奮起した監督先生は、今回審査会に向けて特別猛特訓メニューを用意してくださったらしい。 よって、このところオニイの帰りが遅い。 放課後の練習を終え、片付けや着替えを済ませて、自転車で40分。 帰宅時間は、8時過ぎ。 家族の夕食はすでに終わっていて、「お一人様」で食事を済ませてバタンキュー。 いったい予習復習はいつやるのという突っ込みは、この際無し。 運動音痴ぞろいの我が家の家族に、こんな体育会系のハードな毎日が訪れたこと自体が驚きで、「また、遅いの?」と心配しつつ、面白がって何度もオニイに問う。 「たぶんね。」と、クールに答えるオニイ。 その声もずいぶん野太くなった。
「かあさん、明日はすっごく帰りが遅くなると思う。 もしかしたら、日付が変わってからになるかも・・・。」 と昨晩オニイが言った。 えーっ、夜遊び?と思ったのだけれど、学校での稽古のあと、自転車で隣市のほかの道場の稽古に出てくるだという。9時過ぎに稽古が終わって、先輩たちと晩御飯食べて、自転車でほぼ2時間。なるほど、計算はあってる。 折りしも外は雨。学校のカバンのほかに重い防具袋、竹刀袋に傘。 おまけに深夜のサイクリング。 「大丈夫?やめたほうがいいんじゃない?」 と言いたい気持ちをぐっと抑え、荷物の雨よけ用のナイロン袋と夕飯代を渡して送り出した。
宣言どおり、オニイの帰宅は12時過ぎ。 玄関に入るなり、防具袋をズダンと投げ出して、座り込む。 「さすがにきつかったわ。」 と言葉少な。口を利くのも億劫なくたびれよう。 とりあえず、さっさとお風呂に入って寝な。 「あ、かあさん、明日の朝も早出。道場の鍵預かってきちゃったから、一番に開けに行かなきゃ。」 はいはい、ご苦労さん。一年生部員は辛いねぇ。
夜の塾通いも友達との夜遊びもほとんど経験したことのないオニイ。 生まれてはじめての深夜の帰宅。 ワクワクドキドキの大人気分だったのだろうか。 それとも・・・ 「ねぇねぇ、こんな時間に知らない道を自転車で走るの、怖くなかった?」と聞いてみた。 すると、いつも無愛想なオニイから「実は、かなり怖かった。」と、驚くほど素直な返事がかえってきた。 「あのな、タバコの自販機のランプがみんな赤になっててさ、普段普通の信号機が点滅信号になってんの。あんなのはじめて見たよ。妙に怖かった。」
ちょっと興奮した口ぶりで夜のサイクリングのスリルを語るオニイ。 その言葉には、少しも強がったところがなくて、小さな冒険をとげた小学生の素直さ。 ちょっぴり大人の体験をして帰ってきたのに、いつもの強がって大人ぶった口ぶりが消えていたのはなんでなんだろう。 「今度はもうあの道場の夜稽古にでるのは、やめとくわ。 遠くてさすがにちょっときつい。」 そういって、寝しなに甘いアイスココアを飲み干して寝間へ上がっていくオニイはまだまだ幼い。 「夜遊びで朝帰り」にやきもきさせられるまでには、まだ数年かかりそうだ。
小学校の運動会。 朝からあいにくのお天気。 登校して出て行く頃からポツリポツリときはじめていた。 天気予報では、午後からの雨。午前中だけでももってくれればいいと願っていたのだけれど。 とりあえずお弁当を拵えて開会式に間に合うように駆けつけたけれど、その頃には冷たい霧のような雨がコンスタントに降り続けていた。 プログラムを大幅に変更して、組体操やダンスなど主要な演目をピックアップしての決行。結局、2時間ほどでプログラムの半分弱を消化して残りの演目は水曜日に延期されることになった。 最初から最後まで傘をさしての観覧。ぬれねずみの子どもたちはかわいそうなことだった。
ゲンは、組体操と南中ソーランの踊り。 高学年ならではの力強い演技でさすがに見ごたえがあった。 毎年恒例の演目だけれど、重みに耐えながら踏ん張る子、土台となってくれる友達を信頼して上に載る子、それぞれの頑張りにウルウルと涙腺が緩む。 今年はゲンも小学校最後の運動会。 夏以後急に重量感を増した体で、友達と協力し合う姿にたくましさが感じられるようになった。
実はゲン、運動系はどれも不得意だが中でもダンスは大の苦手。 今回の南中ソーランも速いテンポで進む躍動的な踊りになかなかついていけず、苦労していたようだ。夏の予備練習のときから自主的に参加して熱心に練習してきたのだが、どうも踊りに切れがなく、いつまでたっても振りが覚えられない。本人はそれなりに必死で頑張っているのだけれど、周りからはふにゃふにゃしているように見えたりして、最後の練習の時には「ふざけるな、まじめにやれよ」と指導係をしている仲良しのI君になじられたのだという。
人には得手不得手というものがある。 同じだけの努力をしても、誰もがその努力に引き合う上達をするとは限らない。 「努力すれば努力した分だけ、必ず報われる」 そう教えられて育った子どもたちには、頑張ってもなかなかうまくならない人の痛みがわからない。
「僕だって、ふざけてるわけじゃないんだけど。 必死でやってもなかなか速いテンポについていけないんだ。」 と言っていたゲン。 踊りがうまく出来ないことよりも、友達に「ふざけている」と見られていたことに深く傷ついているようだった。 「みんな一生懸命やっているから、僕の踊りが下手なのが目立ってしまうんだろうけど、なんでそれをふざけてるって思うのかなぁ。」
応援団やクラスでの役割を積極的に引き受けて責任を果たそうとしているまじめなゲンだから、踊りの指導係の友達がなんとかクラスの踊りをレベルアップしようと一生懸命になっている気持ちもよくわかる。 出来ることなら自分もその友達の期待に応えて、じょうずに踊れるようになりたいと思うのだけれど・・・。 気持ちだけでは、うまく踊りは踊れない。
「たとえばね、ゲン。 君が友達に紙飛行機やゴム鉄砲の作り方を教えたとき、君は友達の工作を見て 『なんで、こんな簡単なことがうまくできないんだろ』とか 『なんで、もうちょっと丁寧にやらないんだろう』とか思って、歯がゆい思いをしたことがあったじゃないの? 君にとっては、簡単なこと、できて当たり前と思うことでも、誰かにとっては一生懸命やってもなかなか出来ない難しいことだってことも、きっとあるよね。」 「上手にできる」ということは、「できない人のことがわからない」ことの裏返し。 自分が「できない」になって初めて、できない人の悲しみがわかるんだね。
「再チャレンジ」という気持ちの悪い言葉が、省庁の名前に使われるようになった。 困難に挑戦しよう、苦手を克服しようと自ら努力する姿は尊い。 けれども、すべてを持っている者から見下ろすように「チャレンジしろよ」「頑張ってここまで上がって来いよ」とかけられる叱咤の声は、時には小さな棘になって誰かの心を傷つける。 「チャレンジ」と言う言葉はあくまでも、上をむいてすすんでいく人のための言葉であって、下を見下ろしている人が使って美しい言葉ではないのだなと言うことに改めて気がついた。
雨の中、直前の組体操で汚れた手足のまま、子どもたちが縦横に舞い踊る南中ソーランは圧巻だった。 上手な子もそうでない子も、同じリズムに乗って楽しげに飛びはね、空を仰ぐ。 たくさんの子どもたちの間からチラチラと見え隠れするゲンの姿。もたもた遅れがちのリズムながらも、楽しげにニコニコ笑って踊っているのが見えた。この笑顔がもしかしたら、「ふざけている」と見られる原因だったのかもしれない。 でも、母にはわかってるよ。 その笑顔が、また一つ何かを理解し、克服した喜びの表情だと言うこと。 ゲンは本当に大きくなった。 身も心も。
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