月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
うっとおしい天気が続く。 洗濯物がちっとも乾かないまま、どんどん部屋干し生乾きの山が増えていく。あちこちの鴨居やカーテンレールに懸けられたジーンズは大小取り混ぜて10本あまり。まるで回転の悪い古着屋の様相。 近所のKちゃん母は耐えかねて、最近近所に出来たコインランドリーに行ってきたという。やはり乾燥機が大混雑だったとか。 神様、サンシャイン、プリーズ。
一ヶ月ほど前から近所に野良猫が出没するようになった。 虎縞の愛嬌のある顔をしたヤツ。雌猫なんだそうだ。 尻尾の先がクイッっと二つ折りになっていて、きれいなブルーアイ。 人懐っこくて誰にでも擦り寄って行くので、アプコが夢中になっている。 「居ついたら困るから餌はやっちゃダメよ」ときつくいってあるのだが、それでもうちの界隈が気に入ったらしく、居座っているようだ。
この猫、最初はえんりょがちに軒下で雨宿りしたりしていたのだが、最近ではだんだん態度がでかくなってきた。まるで古くからの家猫のような顔をして、門灯の上で昼寝したり車のボンネットの上であくびをしたりしている。ガレージに車を入れようとすると、駐車スペースの真ん中で日向ぼっこしていて、「何?退くの?」とでも言わんばかりの不満げな顔でゆっくり背伸びをしておもむろに重い腰を上げる。しっしっとやってもなかなか退いてくれない。
昨日は玄関の金木犀の木の枝に猫が登った。 この木は夜になるといつもムクドリがねぐらにしている木だ。どうやらそのムクドリを狙っているらしい。 細い金木犀の梢にミシミシ音を立てながらもぐりこみ、狩りの構え。 バサバサッと音がして、ねぐらに帰ったばかりの鳥たちが慌てて夕闇に飛び立っていった。 やだな。 「ふみゃー」と媚びるような声で擦り寄ってくる猫が、なんとなくうっとおしく思えるようになって来た。
つくづく私は犬派だなぁと思う。 つい最近までアプコと一緒になって猫に構っていたアユコも私と同じ口らしく「この猫、だんだん厚かましくなってきたみたい。」と、言いに来た。 気まぐれな猫の同じ仕草が、猫派のアプコやオニイには「うーっ、かわいい!」と感じられ、犬派の私やアユコには「うっとおしー!」と感じられるのが不思議なところ。 あ〜あ、あの猫、知らないうちに、どっか、行かないかな。
朝、いつも近所をウォーキングにこられるご婦人とおしゃべりしていたら、件の猫がすりすりと寄ってきて、ご婦人の足元に甘えるように体を摺り寄せた。 「まぁ、人懐っこい猫ねぇ。野良さんなのに・・・」 とご婦人は目を細められた。 「ちょっと人懐っこすぎるくらいなんですよ。すっかり居ついてしまって、ちょっと油断すると家の中まで入ってこようとするんですよ。」 と笑っていたら、 「あらそう、こんな小さい動物でも人に甘えて生きていく術を知っているのねぇ」と感心された。 「餌を貰うためにはこんな風に懐っこく擦り寄っていくのがいいと知ってるんやねえ。こんな小さい者でも、ちゃんとうまく立ち回って生きていく方法を身につけているのにね。 近頃、子どもたちに間ではいじめだの自殺だの、いろいろあるけど、今の子ども達もこんな風に上手に身を摺り寄せて生きていくことが上手になればいいのにねぇ。」 と、しみじみといわれた。
いじめられる子に「もっと上手に立ち回って生きればいいのに」といっておられるように聞こえて、なんだかなぁ・・・とも、思ったけれど、ご婦人の真意がどこにあるかは、はかりかねた。 聞けば、その方も、昔、お身内の子どもが友達にいじめられた経験がおありだという。 「今はなんでもなく、元気に過ごしていますけどね。」 その子はどんな風にしていじめの経験を克服されたのだろう。 朝の短い立ち話では、そんな立ち入ったところまで突き詰めてお話しすることも出来なかった。 「ほんとにねぇ。」とあいまいな相槌を打ちながら、なんとなく消化不良なままお話を終えて、さよならをした。
今日も猫は陽だまりに停めた我が家の愛車トッポのボンネットの上にだらりと寝そべって、まるで家猫のような貫禄でふわぁっとあくびをしたりしている。 いつのまにか自分の居場所をそこと決めて、のうのうと生き延びる野良猫の厚かましさも、強く生きるためのたくましい知恵なのかもしれないなぁと思いつつ、手箒でしっしっと猫を追う。 このまま、居ついてもらっても困るのだよ、猫君。
ここ数日の急な冷え込みで、あっという間に落葉が進んだ。 工房の玄関の傍のもみじが瞬く間に赤くなって、わっと散った。 「今年はいつまでたっても寒くならないから、ちっとも紅葉しないね」なんて言っていたのに、あっという間に冬の樹木の形がくっきりと現れた。 毎年恒例の工房の庭での焼き芋大会も、例年通り12月最初のお休みに開けそうだ。
父さんの工房仕事がどんどん差し迫ってきた。 毎年の干支の仕事に加えて、年明け早々の個展の仕事、春に決まった襲名展の準備・・・。次から次へと押し寄せる仕事の山にアップアップしながら、振り絞るような形相で工房へ出かけていく。 今年はいつもの年末態勢に入るのがずいぶん早い。まだ11月だと言うのに。 少し休んで欲しい。 でなければ、ほんのひと時でも息抜きをと思うのだけれど。
乾燥機の熱でほんわか暖かい工房で父さんが干支の置物の釉薬掛けをしていた。そのすぐ横に作業椅子を引っ張ってきて、作業を手伝う。 濃い釉薬をかけるまえに薄く水で溶いた釉薬(水ぐすり)を下塗りする作業。 不器用な私の手でも手伝える数少ない仕事だ。 台座の上でクイッと鼻を上げた若いイノシシ。素焼きの生地に薄めた飴釉の水ぐすりを塗るとなんとなくピンクの豚さんに見える。 ぶひっ、ぶひっと鳴きまねをして、父さんと笑う。
「あれっ!あ〜っ、しまった」 と突然父さんがうめく。 「・・・・印落ちや。」 作品の裏には、素焼き前の生の状態で作家の名前の印を刻む。 印落ちはその作家印の押されていない作品のこと。 たくさん作品の削り仕事をしているうちに、ふとした拍子に印を押さずに素焼きに回してしまったらしい。一旦素焼きしてしまった作品に、今から印を刻むのは不可能だ。 そして印無しでは残念ながら、売り物にはならない。
ごくごくたまにしか起こらない珍しい失敗。 ところが、今年の干支ではもう印落ちの失敗が2件目。 きっと疲れているんだな。普通なら遅くとも窯詰めの前には気がついて、修正して焼くことが出来るはずなのに。この失敗で売り物にならない作品になると言うことは、型抜きをしてくれた職人のH君の労働も夜中に削りや仕上げをかけた父さんの手間もぜんぶ無駄になると言うことだ。 自分でもそのことがわかるだけに、父さんはうなだれて悔しそうに印のない台座を何度もなでる。
「こんなにたくさん仕事をしているんだもの、そんな失敗もたまにはあるよ。印落ちでも焼き上げておけば、進物用か、うちでの陳列用にでも使えるんじゃない?」と思いつく限りの慰めを並べてみる。 すると、少し気を取り直した父さんが面白い話を教えてくれた。
陶器の作家が作品の裏に印を押すようになったのは、茶陶としての陶器が生まれてからのこと。それまでは陶器を作るのは職人の仕事であって、作家として名前を表に出すことはなかったのだそうだ。 また、上絵の美しい磁器の作品などには、書き印といって釉薬で書いた印が見られるが、それは上絵を書いた人の印。その生地を作るのは生地師といわれる職人さんだから、やはり表立って名前を刻むことはしないのだと言う。
それから、もう一つ。 むかし殿様などへの献上品には、作家の印は押さないのが一般的だったのだという。作品の目立たぬ場所に押された小さな印と言えども、「わたくしが作りました。」という自己表明でもある作家印。だから偉い方への献上品には、へりくだる気持ちを込めて、あえて印は押さずにさしあげたのだそうだ。
「それなら、この印落ちイノシシも、思いっきり偉い方への献上品につかったらいいんじゃないの?」 いろいろ話しているうちに、そんなジョークも言える位に父さんのご機嫌も治ってきた。 「そっか、献上品なぁ・・・。ま、そうも行かんけど、とりあえず最後まで焼いてみるか。」 父さんは再び手にしたイノシシに釉薬掛けをやりはじめた。 印落ちイノシシ君、危うく命拾い。
もうすぐ毎年恒例、小学校での5年生の陶芸教室が始まる。 子どもたちが苦心して作った作品の裏には、生の生地の状態で必ず自分のサインを彫りこむ。 「世界でたった一つの作品だからね、しっかり思いを込めて自分の名前を刻んでね。」と、子どもたちに言う。 作品裏の印は、作家の自己表明。 だからこそ父さんは印落ちの失敗が許せないのだろう。
もしかして、今回進物品として印落ちイノシシが届くお宅がありましたら、それは自分をへりくだって謹んで献上申し上げる、そんな気持ちの表れとご容赦下さいますように。 ひらにひらに、お願い申し上げます。
早朝から、オニイ、剣道の昇段試験に出かけていった。 初段認定、3度目の正直。ようやく合格。 うれしそうな声で会場から電話で知らせてきた。 電話口のむこうで、にぎやかな友達の声。 「○○で〜す、今夜は鍋パーティーお願いしま〜す。」 「オニイくん、うかりましたよ〜ん。」 オニイの背中から、ふざけて大きな声でメッセージを送っているらしい。 その楽しげな様子がなんともよくて、いい仲間と剣道やってるんだなと知れてうれしくなった。
この間の中学の学級懇談のときなどに思ったこと。
女の子たちのスカートが短くて困ると先生に相談なさったAさん。 娘のAちゃんが制服のスカートをウエストのところで巻き上げて、ミニスカートにして登校していくのだという。Aさんが注意すると「みんなやってるもん」と口答えして、ぷいとふくれる。しつこく、叱ると「無理!」と無視して行ってしまう。 「本来、子どものスカート丈を管理するのは家庭のしごとだということはよくわかってるんです。 こんなことで先生方の手を煩わすのは申し訳ないとも思いますが、『学校ではみんなやってる』と言われるともうそれ以上は強く言えないんですよね。学校のほうでもっと厳しく言ってもらえないでしょうか」
「『みんなやってる』って言うのは子どもの常套句ですねぇ。 いや、うちの息子もね、『ゲーム機買ってよ。みんな持ってるでぇ』って言うんですよ。『誰と誰と誰じゃい!』と説教するんですが・・・」 とは担任のK先生の弁。 暗に、「中学生にもなって幼児と同じ言い草じゃないですか」と皮肉っておられたのかもしれないけれど、Aさんは最後まで「すみませんけど、学校でも厳しい指導を」と繰り返して訴えておられた。
夏休みに息子B君が髪を赤く染めたがったというBさん。 「夏休みの間だけだから、いいじゃん。始業式までには黒に戻すから。」 と何度もねだられたという。 友達同士で毛染め剤を買って染めあいっこするのだそうだ。 「いくら休み中でも絶対ダメ!」と叱っていたんだけれど、「おかあちゃんだって染めてるやん、何であかんの」といわれたという。 「それをいわれちゃぁ、なんにも言えなくなるわよねぇ。」 とBさんは笑って言う。 そういえば、懇談会に残るお母さんたちの多くは、ほとんど髪を染めている。白髪染めだかおしゃれ染めだかは知らないけれど。
AさんもBさんも決して子どものしつけに無関心なタイプの親ではない。 むしろ、学校での子どもの様子をよく把握しておきたいとPTA活動にも参加し、参観懇談でもよくお顔を見かける熱心なお母さんたちだ。 それにAちゃんB君だって特別問題があるって言うわけじゃない、普通の、ごくごく真面目なほうの子どもたちだ。 屁理屈や口答えはこの年齢の子どもたちならどこにでもあることなのかもしれない。
それにしても腑に落ちないのは、なぜAさん、Bさんが子どもたちに「ダメなものはダメ」と叱ることは出来ないのかということ。 「みんながやってても、うちはダメなの。」 「大人とこどもは立場が違うの。そんなに勝手なことがしたいなら、自分で稼ぐようになってからやりなさい。」 と何故いえない? 苦労して生んでやって、毎日ご飯を食べさせて、心配したりおだてたりしてここまで育ててやった子どもたちだ。 娘のミニスカートや息子の茶髪が許せないなら、「ダメったらダメ!」と叱ってもいいじゃないか。 AさんもBさんも「言えないわよねぇ。」と周りのお母さんたちに同意を求めるように笑っていたけど、そんな風に子どもの顔色をうかがって弱腰で叱るのが、本当に今の子育てのスタンダードになってしまっているんだろうか。 その上で、家庭で出来ない子育てを「学校で厳しく言ってもらわなければ」とお鉢を預けるのが当たり前になってきているとしたら、学校の先生方のご苦労はますます絶えないのだろうなぁとご同情申し上げる。
最近後を絶たないいじめや自殺。 何かというと頭を下げておられるのは学校の校長先生や教育委員会の偉い方。友達を自殺にまで追い込むいじめを行った加害者の子どもたちやその親たちが謝罪する姿が報道されることはない。 「いじめてはだめ」「いじめを見てみぬふりをするのもだめ。」「いじめられても死んではだめ」としっかり教えるのはまず家庭の責任。 いじめを見逃す学校教育のシステムにも問題はあるけれど、それがすべてではない。 「みんながやってるから」と大勢に流される子どもと、それを叱れないから「学校で厳しく指導して」と人任せにする保護者。 「ダメなものはダメ」と強く言える自信が家庭の中にもっと必要なのではないかと言う気がしている。 自戒をも込めて。
朝、TVのワイドショーを見ていたら、土砂崩れ防止のブロックに入り込んで降りられなくなった野良犬の救出作業の様子が中継されていた。 「たかが野良犬一匹に全国放送生中継なんて馬鹿馬鹿しい」と思ってもいいんだけれど、今にも転落しそうな狭い足場に蹲って悲しそうな声で吼える犬の姿はあまりにも切なくて、ついつい目が離せないでいた。
で、思ったこと。 「たかが野良犬」だって、あんなふうに「困ってるんだ、怖いんだ、助けて欲しいんだ」って悲しい声で鳴けば、「なんとか助けてやれよ」「落ちないように網張ってみたらどうかね」「レスキュー、早く来てくれよ」とたくさんの人が動いてくれる。 いじめとか自殺とか、暗い気持ちで悲しんで、毎日毎日悩んでいる人だって、本気で「嫌なんだ、怖いんだ、死にたくなるんだ。」と大きな声を出したら、「何とかしてやらなくっちゃ」と思って動き始めてくれる人もいるんじゃないのかな。
昨日、小中学校の子どもたちが「文部大臣からのお手紙」を貰ってきた。 文部大臣名でいじめをやってる子、いじめられている子、そして子どもに関わる大人たちに向けての3通の手紙。 ザラ紙に印刷されたいじめ撲滅、自殺防止のメッセージに、アユコは、 「なんか気持ち悪い文章だなぁ」といっていた。 いじめられた子の悲しみ、いじめる子の持つ不安、難しい時代の子育てに試行錯誤する親や教師の迷いを、心で受け止めることなく、通り一遍のことばで書かれた文章のいやらしさは、中学生のアユコにもすぐにそれとわかるのだろう。
「あんなに怖がってるよ。早く助けてやってくれよ。レスキューまだこないのかよ」と苛立った声を上げていた毒舌コメンテーター。 それだってTVカメラ用に用意された作り物のコメントに過ぎないのかもしれない。 けれど、日本中の小中学校で印刷されペラリと子どもたちに配布されたプリントよりも、悲しげな声で吼える痩せた野良犬のほうがよほど誰かの心の琴線に触れることが出来たようで、それはそれで棄てたもんじゃないと思ったりもする。
朝、小学校組があわただしく出て行った後、 「んもー!ゲン、また布団上げせずにいっちゃったぁ!」とアユコがぶうぶう。 朝の布団あげはゲンの仕事。寒くなってきて、みんなぎりぎりまでお布団を離れられないから、登校前に布団を上げる時間が足りなくなるのだ。 「いいよいいよ、久しぶりにお天気よさそうだから、お布団干しとくよ。」とアユコを送り出す。
最後に家を出るのはオニイ。 「弁当持った?今日も遅い?」と玄関先で話していたら、下駄箱の取っ手に引っ掛けられたアユコの体操服袋。 今日は参観。これ、ないと困るよね。 「ん、貸してみ」 オニイがアユコの体操服袋をひょいと自分の自転車の前カゴに乗せた。 「多分途中で追いつくやろ。」 あら、すまないねぇというまもなく、オニイはひょいと自転車に跨り、ぐんぐん飛ばして坂を下っていった。 アユコ、優しいオニイがいてよかったね。
今日はアユコの中学の参観懇談。 アユコの学校は今年度になってから「荒れている」と言われている。それまでは市内で一番真面目で穏やかな中学と言われていたのに、急にガタガタと崩れ始めた。 校内でのお菓子などの飲食、授業のざわつき、器物の損壊、抜け出し、校則違反。毎日のようにあちこちで「事件」発生。 PTAも協力して落ち着いた学校環境を取り戻すべく、がんばってはいるのだけれど。
5時間目、社会科の授業。 あれ、いま、チャイム鳴ったんじゃなかったっけ? 授業が始まったはずなのに、まだ立ち歩いてる子がいる。後ろを向いておしゃべりしてる子がいる。机の上に大きなカバンや上着を置いたままの子もいる。教卓にはもう先生が立っていて、授業のプリントを配り始めている。 ザワザワした雰囲気のままで、ダラダラと授業が始まる。 「近頃授業があまり進まなくてツマラナイの」とアユコが言ってたのはこういうことなんだな。 以前はこんな風じゃなかったのに。 それでもまだ、授業中立ち歩いたり、授業を妨害したりする子がいないだけ、まだましか。 こういう状態で毎日授業を進める先生方。 大変だなぁ、ストレス溜まるだろうなぁと思う。
参観後は学年懇談。 学年主任の先生が言われた言葉。
毎日毎日、いろんなこまごまとした問題は起きています。きつく叱ってもそのすぐ後から同じことをやらかす。繰り返し繰り返し叱る。そんな毎日です。中2と言うのは、ある意味そういう年齢でもあるのです。 正直しんどくなることもありますが、むかし先輩の先生に言われたこんなことばを思い出します。 「お前な、こんなやつら(問題生徒)がいなければええのにと思たらいかんぞ。 世の中って言うのは、こんなヤツとかあんなヤツとか、もっとどうしょうもないあんなヤツがいて、成り立ってるんや。そやから面白いんやぞ」 しんどいこともありますが、どの子も大事。 ご家庭にとってはどの子も宝なんやと思って、一人一人の子どもたちに向き合って行きたいと思います。
そのあと、学級懇談で担任の先生が笑いながら話されたこと。
こないだね、アユコ君と二人の時にね、 「クラスの35人がみんなアユコ君みたいな生徒やったら、先生は楽やろうなぁ」と話してたんですわ。 クラス全員が真面目な子ばっかりだったら、今の給料、半分でもええなぁと・・・。 でもね、僕もね、養って行かんならん家族がいます。それには半分の給料じゃ、ちょっときっついなぁと・・・。 そう思たら、毎日毎日生徒を叱るのも、僕の給料のうちです。 いわば子どもらは僕の「飯の種」なんですわ。 そう言うてるうちに、クラスの子達がダラダラやってきてね、 「おらおら、飯の種がきたぞ」とアユコ君と二人で笑ったんです。 さぁ、また頑張って叱るぞってね。
なんとなく、ほっとするいい話だなぁと思う。 学校は荒れているけれど、少なくともこの先生たちは荒れてない。 胸の奥に暖かいものをもったまま、子どもらの学校生活を見守ってくださっている。
「飯の種」 乱暴なことばだけれど、ちょっとあたたかくてお茶目なことば。 「これも仕事だから」という割り切った投げやりなことばとはちょっと違う。一見ぶっきらぼうに見えるK先生は、毎日毎日真正面から子どもたちと向き合って、駆けずり回ってくださっているとても熱心な先生だ。 自分のクラスの生徒たちを「飯の種」と笑う裏側には、一人一人の子を「しゃぁないヤツやなぁ」と温かく見守り、決して見放そうとしない優しさがある。
お話を聞いた保護者の中には、「この期に及んで、何を呑気なこと言ってるの」と物足りない思いを抱いた方もあったようだけれど、先生方がその暖かい眼差しを失ったらそれこそ解決の見込みなし。 こんな先生たちが頑張ってくださる限りはまだまだ大丈夫。 そんな気がした。
父さん、昨日から韓国出張。 四泊五日、帰宅は木曜日。 朝、子どもたちの目覚まし時計役を務めてくれる父さんがいないと、朝の準備や朝食がやけにあわただしい。 フライパンでお弁当のウインナーを炒めながら、「おおーい、おきろー!いそげー!」と雄叫びをあげる母。 参った。
今朝はことさら火の気が恋しい朝だった。 「コタツは、師走になってから」と厳しく片意地を張る私に、子どもたちのラブコールは頻繁になる。 「コタツがダメならストーブ出そうよ。そろそろ洗濯物も乾きにくくなってきたみたいだしさ。」 う〜ん、台所の大きなガスストーブ。 ホンワリ柔らかな暖かさと上に懸けたやかんの湯気の優しい潤い。 子どもたちが集まってきて、ホットミルクを沸かして・・・。 冬の台所の楽しみを思い出してほっとうれしくなる。 でも、まだまだ。 お楽しみは後に取っておかなくては。 あと少し、やせ我慢。
あわただしく子どもたちを送り出して、ふと点けたTVのワイドショーでの特集番組。 「もう一度手をつないで見ませんか。」 街頭で、結婚して年月を経た夫婦に「手をつないで歩きませんか」と提案して、テレながら手をつなぐ夫婦の姿を追う。 「恥ずかしいから、いや。」「何をいまさら」と照れて嫌がっていた夫婦が、一旦手をつないで見ると案外まんざらでもなくて、笑顔になっていくのが面白かった。 恋人同士や新婚の頃には何の気なしにつないでいた手。 そういえばつながなくなるなぁ。 出演者のひとりが、「手をつながなくなったのは、3人目の子どもが生まれて、夫婦のうちどちらかが両方の手を子どもに取られるようになってからかなぁ」と発言していたのが、「そうそう、そのとおり!」と納得がいって、可笑しい。 番組のなかで、どうやら独身らしい女子アナが「いいなぁ、繋げる手があるって、なんかいいなぁ」と漏らして、他の出演者に茶化されていた。 手をつないで二人で歩く。 そんなたわいもないことを、羨ましく眺める若い女子アナのため息はほほえましいけれど、そういう自分だってもう何年も父さんと手をつないで歩いたことはない。 それどころか、子どもたちが大きくなって一人で外を歩いても危なくなってからは、子どもたちとすら手をつなぐことは少なくなった。 手の中にすっぽり納まる小さな幼児の手、泥んこ遊びやクレヨンの匂いのする子どもの手、そしてがっちりと守られている気持ちになる父さんの手。 いつもすぐそこにあって、その気になればいつでも触れることのできる夫や子どもたちの手のぬくもりをもうずいぶん味わったことがないのに気がついた。 いつものように父さんが隣に座っていて、一緒にTVを見ていたら、きっとどちらからともなく「ちょっと手ぇ貸して」とその感触を確かめ合うんだろうなと思うと、父さんの数日の不在がちょっぴり寂しくなった。
夜、部活を終えて自転車を飛ばして帰ってきたオニイの頬はかすかに赤い。 これから寒くなると、行き帰りの自転車はきついだろうなぁ。 今朝オニイは初めて通学に手袋をしていった。 今年オニイのために少し早めに調達した手袋は、防水防寒特殊加工つきのちょっぴり高級品。 出がけに「かあさん、そろそろ手袋いるんだけど」といわれて、そら来た!とばかり渡したんだけど、意外とオニイの反応は薄くて、なぁんだとちょっとつまらない想いがしたのだけれど。
腹ペコで帰ってきたオニイに、夕飯の汁物を温めなおしていたら、オニイがお箸を取りにきて、ついでにちょこっとつぶやいていった。 「ああ、かあさん、あの手袋な、あったかいわ。」 そう、よかった。 手をつなぐぬくもりの代わりに手袋を渡した母の思いを、きっとオニイはわかってくれていたのだろう。
木々の紅葉は今一つ進まないのに、朝夕は急に肌寒くなって、子どもたちから「そろそろコタツだそうよ」と声が上がるようになってきた。 我が家のコタツは毎年12月解禁。それまでは母もやせ我慢。(痩せてないけど・・・笑) 「まだまだ、もう一頑張り。それよりちゃんと靴下はいて上着を着なさいよ。」 寒い寒いと言いながら、半そでTシャツを着ていたり、靴下を脱ぎ散らかして素足でぺたぺた歩いていたりする子どもたち。 ただただ、「コタツみかん」や「ストーブ前でゴロゴロ」の楽しい時間が恋しいだけだったりして。
昨日は、ゲンのクラスの音楽の参観とアユコの学校の合唱コンクール。 そして今日は、アプコとゲンの授業参観。 大忙しの2日間だった。
ゲンの音楽は、私が和太鼓を教えていただいているT先生の専科の授業。 T先生の授業の楽しさには定評があって、参観に来る人の数もとても多かった。子どもたちが先生の元気なピアノに合わせてとても気持ちよさそうに大きな声で歌っていた。
中学の合唱コンクール。 最近校内が荒れていて、どうなることかと心配されていたけれど、実際にはそれほど大きな混乱も見られなかった。気になったのは、生徒席の後ろのほうで明らかに皆から離れてだらしなく座り、前の座席に足を上げたり携帯電話で遊んだりしている男子生徒の一団がいたことくらい。明らかに制服ではない崩れた服装で表情もすさんでいる。 合唱はどのクラスもきちんとまとまってなかなかの出来で、各クラスが最優秀賞、グランプリを目指して協力し合って頑張ってきたことが感じられた。 件の男子生徒たちはどうしているのかと見ていると、自分たちの出番近くになると知らぬ間にちゃんと制服に着替えており、クラスのほかの子どもたちに混じって舞台へと出て行った。 コンクールの審査には、服装、態度がきちんとしているかどうかと言う基準もあるので、さすがに乱れた私服では出させてもらえなかったのだろうが、それにしても遠目でみる分にはどの子もちゃんと口をあけて歌っている様子。グレた服装をしていてもちゃんとクラスの仲間の輪の中には入っているらしい。
小学校、アプコの参観。 算数と図工なんだけれど、授業を早めに切り上げて、運動会のとき雨でちゃんと見てもらえなかったチアダンスを再度披露する時間がとられた。 図工の後片付けの途中から、先生がBGMにダンスの曲を流し始めると、早く終わった子達がそれぞれに自分のポンポンを手に踊り始め、遅れた子達も早く踊りたくて大急ぎになった。 どの子もとても楽しそうで、みている保護者もニコニコ頬が緩んだ。
最近あちこちで、いじめや自殺のニュース。 アユコの通う中学でも、ゲンの小学校でも、いろいろと問題アリとの殺伐とした話が耳に飛び込んでくる。 身の回りの子どもたちの中にも、「なんとなくイライラしている」とか「急に反抗的になったりふさぎ込んだりする」とか、不安定な様子がみられるという声も聞く。 普段近所で見かける子どもたちの中にも、暗澹たる怒りややり場のない苛立ちの芽が育っているのかもしれないと言う不安が薄暗い闇となって漂っているような気がしていた。 けれども、昨日、今日と子どもたちが心から音楽を楽しむ姿を見て、なんだかとても救われる思いがした。 大きな声で歌うことで、友達と一つの曲を演奏することで、ワイワイ笑顔で踊ることで、もやもやした気持ちやイライラした気持ちを発散することができる。 そんな音楽の力を改めて感じた参観授業だった。
小学校の学級園のサツマイモが収穫時期を迎えた。 学校で焼き芋大会をして、そのあとアプコがお土産用にもらってきたのはでっぷり太った大芋が一個とコロコロ小さなお芋が4つ。 「おかあさんとこどもたちみたい!」とアプコが笑う。 ・・・・それってうちのこと? 悪かったわね、ぷん!
学校帰り、ごろごろお芋を後部座席に積んだまま、直接習字の稽古に向かう。 今月の競書の結果が返ってきていて、私もアユコも「かな」や「硬筆」の段級が少しずつあがった。一人、前回の段級のまま足踏み状態なのはアプコ。 「元気があって、いい字なんだけどねぇ。 2年生になると少しずつ丁寧さとかバランスのよさが評価されるようになるからね。」と先生の談。
一字一字、ゆっくり丁寧に書くアユコと違って、アプコの習字はささっと素早い。鼻歌なんかを歌いながら、気まぐれに筆を走らせ、絵を描くようにちゃちゃっと仕上げる。字の大きさも揃わないし、半紙の枠組みからはみ出しても気にしない。 よく言えば「のびのび」、悪く言えば「奔放」。 子どもの字としては見て楽し良い字だと思うが、素のまんまで丁寧さは感じられない。 そのためか、最近競書の成績は少々伸び悩み気味だ。 先生はそのことを気にして、「ゆっくりね、ていねいにね。」と口をすっぱくして指導してくださるが、気まぐれなアプコはいっこうに気にする気配がない。ちっとも級が上がらなくて、同じ頃に習い始めた同級の子がどんどん昇級していっても「あ、そう」と言うだけで羨むわけでもない。 ふんふんと鼻歌を歌いながら、バンバン書きなぐる。書いてる最中のアプコはとても楽しそうだ。
今日の自由課題は「空」 半紙の真ん中に大きく一文字。 楷書、行書、草書、隷書、篆書。 さまざまな書体のお手本の中から、自分の好きな文字を選んで書く。 アプコのお気に入りは篆書。 絵文字のようなユーモラスな線が楽しいらしい。 珍しく唇を結んで真剣な顔で書いていたアプコが、にっと笑って筆をおいた。 「あのね、これに落書きしていい?」 あんまりうれしそうな顔でいうので、「いいよ、何を書くの?」と先生からお許しが出た。 アプコ、名前書き用の小筆に墨を含ませ、「空」の字の穴かんむりと工の字のあいだにマッチ棒のような人形を一つ。穴かんむりの「儿」の下にタラリと2本の曲線。 「それなぁに?」と聞くと、 「あのね、これ(「工」の部分)が舞台でね、上(穴かんむり)から幕が下がっててね、女の子が歌を歌ってるの!」
はぁ、なるほど。 アプコには篆書の「空」の字がそんな風に見えるんだな。 もしかしたら、お絵かき好きのアプコには他の字もみんな、絵のように見えているのかもしれない。 柔らかな筆の感触を楽しみながら鼻歌交じりに字を書くアプコは、落書き帳にいたずら書きをするような気持ちで習字をしているのかもしれない。
その日の課題を全部書き終えると、いつもアプコは「好きなもの、かいていい?」と余分の半紙をもらって、落書きをする。動物や花の絵をかいたり、好きなお菓子の名前や思いついたことばを書き散らしたり。 絵手紙のような「作品」をさらりと書いて、「お父さんにみせる!」と大事に持って帰ったりする。 アプコにとってお習字は、まだまだ楽しいいたずら描きの延長線上にあるのだろう。 それはそれ。 まだまだたっぷりとお絵かきを楽しむ時間も必要なのだろう。
帰りにスーパーで買い物。 立ち寄った文房具売り場でアプコは面白い色鉛筆を見つけた。 赤黄緑青といろんな色がマーブル状になった芯の入った色鉛筆。 「うわぁ、これって、どんな風に描けるんだろう。」 はじめて見るマーブル色鉛筆にアプコは一目ぼれ。 「行くよ」と促されて一旦食料品売り場に下りたものの、やっぱりさっきの色鉛筆が欲しくて欲しくて、もう一度売り場に戻って、ねだり倒した。 「虹色鉛筆で虹を描いたら、どんな色になるんだろう」 帰りの車中でワクワクドキドキ色鉛筆を握り締めているアプコ。 まだまだ「落書き時代」でいい。 そんな気もする。
2006年11月06日(月) |
ハッピーアイスクリーム |
朝、子どもたちを送り出してから、居間の机で土仕事。 今年も干支の内職仕事が回ってきた。 手の平大の石膏型にギュウギュウ粘土を詰めて、香合(小さな蓋物)の型を抜く。これを少し乾燥させてから父さんが仕上げをかけて焼き上げるのだ。 型抜きは従業員のHくんの仕事だが、年末仕事が立て込んでくると父さんのお持ち帰りの仕事となり、やがて臨時要員である私の内職になる。毎年の恒例。
来年の干支はイノシシ。 父さんはかわいいうり坊のデザインの香合を作った。 ぶひっと上を向いた鼻がキュートだけれど、型抜きの時にはその鼻の部分にきっちり粘土を詰めるのが難しい。で、鼻先が少しでも欠けてるとなんとなく豚っぽく見えてしまうから厄介だ。 う〜ん、久々の型抜き。 勘を取り戻すには少し時間がかかりそうだ。
夕方、台所仕事をしていたら、早く帰っていたアユコがちょろちょろ傍へやってきて、○○がこんな面白いことを言ったとか、○○の授業がうるさくてぜんぜん判らなかったとか、ぴーちくぱーちくお喋りがとまらない。 今週末、アユコの学校では合唱コンクールが行われる。全校生が参加するクラス対抗の合唱祭。学業はともかく体育祭や宿泊学習などイベントのときの団結力は学校随一と言われるアユコのクラスでは、2年生ながらも全校優勝を目標にしてガンガン盛り上がっているらしい。 毎日のように学校に残って練習や準備にのめりこむアユコは、学校での高揚した気分をそのまま家に持ち帰ってくるので、家の中では場違いなハイテンションを自分でもコントロールしかねて、ついつい饒舌になるのだろう。 なんでもないことにコロコロ笑い出して、「きゃあ、アタシっておかしい。笑いがとまらなぁい!」と、騒ぐアユコ。 「箸がこけても・・・」のお年頃だ。
近頃、アユコと一緒にいて、あれっと思うことが多くなった。 たとえば、煮あがったばかりの煮物を鉢に移そうとお鍋を持ち上げたとき、すっとアユコが鍋敷きを置いてくれたりとか、テレビのチャンネルをかえようと立ち上がったらすぐ横にいたアユコがリモコンでパシッとかえてくれたりとか、そういう些細なこと。 「よく気が利く」とか、そういうんじゃなくて、たまたま私が思っていることとアユコの思っていることが一致していて、偶然行為が重なったと言う感じ。 多分、もともとわたしとアユコは物事の段取りとか思考の成り行きがよく似通っているのだろう。長年親子をやっていれば、その行動形式や思考が似てくるのは当たり前のことだけど、最近になってそのことを自覚できる瞬間が急に増えてきて、「あ、また、かぶっちゃった。」と偶然の一致を数えては可笑しくなる。
たとえば、冷蔵庫に中途半端に一個だけ残ったチョコレート。 「え〜い、内緒で食べちゃえ」と思ったら、いつの間にかアユコが横にいて、「あ、いいな。」と言う。 片足だけ裏返しで洗濯機にかかって来たオニイのジーンズ、表返しにするのが面倒だなと思った瞬間、「両方裏返しにして干しちゃえ!」とすかさずアユコがささやく。 そういう些細な一致が、不思議で楽しい。
昔、「ハッピーアイスクリーム」というたわいもない遊びが流行ったことがある。 二人の人が偶然同じタイミングで同じことばを言ったら、すかさず「ハッピーアイスクリーム!」という。先に言ったほうが勝ちで、負けた人は勝った人にアイスクリームを奢らなければならない。 実際にそれでアイスクリームを奢ったとかご馳走してもらったと言う記憶はないけれど、仲良しの友達と「ハッピーアイスクリーム!」と言い合ってケラケラ笑った楽しい思い出は鮮明に残っている。 あれはちょうどわたしがアユコくらいの年齢の頃だったのではないだろうか。
近頃のアユコとの偶然の一致は、さしづめ「ハッピーアイスクリーム」の行動版。何が面白いではないけれど、たまたま何気なく思ったことやしたことが、誰かのそれとぴったり一致すると言うことの可笑しさは、ちょっと幸せでなかなかいいものだ。 アユコにこの遊びのことを話したら、しばらく家の中で「ハッピーアイスクリーム」の遊びが流行った。 「外は寒くなっってきたけれど、あったかい部屋で食べるアイスもいいなぁ。」とアユコが言う。 アユコが一番好きなのは、カップに入ったプレーンなバニラアイス。 アイスの好みも母と娘できっちり一致している。 まさに、ハッピーアイスクリーム。
秋の3連休2日目。 オニイは早朝から剣道の試合。まだ暗いうちに車で駅へ送っていく。 「んじゃ、行ってくるわ、ありがと」と短く言って、後ろ手にひょいと手を上げるのは、父さんと同じ仕草。 いってらっしゃい。 爽やかに、負けてこい。
残りの3人を連れて、市の文化祭を見に行って、お昼ごはん食べて、その後父さんは立て続けに個展の打ち合わせや会合でおでかけ。 庭掃除をしたり、片付け物をしたり、冷凍庫の大整理したりしていたらもう夕方。 2件の駅への迎えが重なって、右往左往していたらあっという間に夜になってしまった。 あわただしく過ぎていった今日の一日。 ふと気がつくと今日は11月4日。 父さんと私の結婚記念日だった。
もう何年になるんだろう、父さんと一緒にすごすようになって。 結婚の翌年に生まれたオニイがもうすぐ16歳になるのだから、17年目? 「卒業してから○年」とか「仕事に就いてから○年」とか、自分に起きた事柄ではなく子どもたちの年齢や成長から、自分の歴史を数えるようになって久しい。 「父さんと出会ってから○年」という数え方を、もう一度思い出してみようかと思ったりする。
結婚式の朝は、今日みたいに爽やかな秋晴れだった。 家を出る時に、父が「帰ってきてもいいぞ」と言ったのを思い出す。 「嫁に出したからと言って、それで子育てが終わりになるわけじゃなし。」 親として、まだまだ娘の行く末の心配の種は尽きたわけではないと、言いたかったんだろうか。 あれから17年。 子どもたちが生まれ、大きくなって、私も家庭や地域でいろんな仕事や役割を果たすようになって、この場所にどっかと根っこをおろした。 もし私が「帰りたい」と言っても、父は「いいんだぞ」とは言わないだろう。 もう、私の場所はここなんだろうなぁ。 逃げ出す場所は、他にはないんだろう。
夕方、父さんとオニイを駅まで迎えに出て、薄暗闇を歩いてくる二人の姿が遠めには「父と子」には見えなかった。 学生服のオニイはぐいっと背が伸びてちょうど父さんとおんなじくらい。親子と言うより「二人の男の人」が歩いてくるなぁっていう感じで。 「かあさん、ハラヘッタァ。晩御飯なに?」 母を頭上から見下ろしてしゃべるようになったオニイの笑顔が、17年のごほうびということで。 今日も淡々と一日が過ぎた。
|