16日の朝、博多名物イベント「ニューロックの夜明け」出演のため、福岡空港に着き、メールをチェックしたところ、高田渡さんがお亡くなりになったとの連絡が・・・。 俺は「高田渡は人間国宝」なんだって、80年代からことあるごとに喋ったり書いたりしていた。その存在と音楽は、本質的であり、根源的であり、大滝詠一も言うように「ワン&オンリー」であった。それは難解ではないし、老若男女が楽しめるものだったろう。高田渡は、世の為にも早死にしては行けない人だったと思う。 自分も何度かイベント等で御一緒させていただいた。忘れられない出来事として、奇しくも、98年の博多でオールナイトイベント「ニューロックの夜明け」第一回の翌日のこと。「ニューロック」に出演していたエンケンさんが長崎の稲佐山公園のフォークフェスティバルに向かうというので、自分も、長崎に車で同行させていただいた。 同じイベントに出演する高田渡さんと合流。一台の車で博多から長崎まで、自分が最も好きなロッカー2人=エンケンと高田渡と一緒というので、緊張しながらも、道中、2人の会話はそのままCDにしたいくらい興味深い話が続いていた。エンケンさんがステージを終えるまでお酒を飲まないよう注意していたのも印象的だった。
渡さん お疲れ様でした。すばらしい音楽を残してくれてありがとう。 俺はあなたのレコードを聴き続けます。
ギターウルフを最後に観たのは、つい2月末のことだったか・・・。 お別れは突然やってきてしまった。9日に下北シェルターで急遽おこなわれたビリー追悼ライブは、ゆかりのバンドが多数出演し、会場の中も外も多くのファンと関係者で溢れていた。チケットもなく楽屋に入るずうずうしさもない俺は酒を差し入れ帰ってきたのだが、最後に予定されていなかったギターウルフ二人の演奏があったのだという。そしてラストナンバーはめちゃくちゃな「アイラブユーOK」だったという話を聞かされ、その場にいなかった俺なのにライブ会場で号泣していたはずだという気持ちになっている。 そして、北海道で高田渡緊急入院の連絡! とにかく復活してくれることを祈っています。渡さんも俺にとっては不滅の男。お願いします! 昔、山口フジオさんが自らを「自滅の男」って言ってたけど、洒落にならないよね。
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