++ ごあいさつ ++
2001年12月31日(月)
どうにか今日、年賀状が出せそうです。 皆さま、楽しい時間をありがとうございました。 どうぞ良いお年をお迎えください。
++ 神様たち ++
2001年12月30日(日)
そもそもはバスケットボールが好きである。 攻防が瞬時に入れ替わる、ボールへの集中力、フォーメーションの美しさ、スピード感と個々の華麗な技。数え挙げればキリはないが、バスケを面白いと心から思う。同じ場所にいて瞬時に攻防が入れ替わるのは、サッカー、ラグビー、アメリカンフットボール。それらのスポーツも面白いが、コートの大きさから言うと、バスケが一番見易いのだ。
しかし、日本ではバスケはまだまだマイナーなスポーツの位置にある。TVで観戦出来るのは、よほど大きな試合だけ。夏の高校野球の場合には、その緒戦から昼日中のTVで放送されているのに、同じような大きな試合でもバスケの場合となると放送時間は深夜になる。女子が深夜一時からなら、男子は深夜の三時から、という具合に。実業団の試合でも、ファイナル戦ぐらいしか放送される事はない。むしろNBAの試合の方がこれも深夜だが、はるかに多くの回数で放送されている。大変に残念な事である。 ジョーダンを見る事が出来るのは、これはこれで幸せな事ではあるが。
日本という国は、バスケに限らず、大相撲と野球以外のスポーツには非常に冷たい国だと思う。スポンサーがつくとかつかないとか言い出したら、それは確かにそうなのだろうが、あのプロ野球の選手の契約更新のどうのこうのを見ていると何だか面白くない。
スポーツの素晴らしさを一言で語り尽くせるものではないが、どのスポーツの選手もそれぞれが最高の自分を創り、更にそれを超え、より最高の自分になろうとする姿ではないかと思う。選手として試合に臨むとき、不可欠な勝利への執念。そしてそれまでの集大成を、試合の場で出し切る事。それが観る者に鳥肌が立つような感動を与えるのだ。
マイケル・ジョーダンが凄いのは、まさにそれだと思う。彼の試合を見ていつも思う事だが、あの時に、あの場面で、理屈通りに決めるという事は、そう簡単に出来る事ではない。そんな技を彼は必ずやってのける。 例えば、宙に浮いたままで一体いくつの動きをするのか。いくつフェイントを入れ、いくつの体の向きを変え、そしてどこを見て何をするのか分からないような動きで、狙い通りに一本決める。それは全身の筋肉が、瞬間的にその動きに反応する事である。日頃の練習の賜物ではないか。精神力も大きい。勝ちたい執念と、自己に打ち勝つ精神力。勿論、そのスポーツを心から好きで愛している。その事が好きである、というのは、ただ強くなりたい、上手くなりたいという一心で鍛える事なのだろう。繰り返し反復して体で覚え込まなくては、何もかも形となっては現れないのだ。
そして彼が素晴らしいのは、いかにバスケが素晴らしいか、いかに楽しく面白いスポーツかを観る者に伝えたい気持ちが全身に漲っている事でもある。 若手にアドバイスをする時、誰かにバスケを教える時。コート上でもそんな姿を目にする事があるが、純粋にスポーツを愛しているその者の姿だと思う。
元テニスプレーヤーの松岡修造も同じである。 テニスの選手というのは、これはとても大変な生活をしているそうだ。彼ぐらいのレベルになると、国内では練習相手がいない。つまり自分より弱い相手と練習をしても仕方がないという事である。いきおい、国外で練習相手を探す事になるが、国外と言えば、島国日本の場合は海外である。テニスの選手には事務所やマネージャーがいる訳ではないので、各国の試合会場を回りながら、空いている選手に練習の相手をしてもらう為の交渉から、宿泊・移動に関しての一切を、全て自力で行うそうである。野宿に近い事もあるらしい。経費も自分持ちである。これは大変な事だと思う。だからこそ、伊達公子元選手がグラフと試合をした時にも、彼は、ましてや女性である伊達を誰よりも応援していた。テニスだけでなく、どのスポーツにもその為の苦労があるのだろうが、やっている選手達は、それを苦労と感じないだけの情熱があり、それが彼らを動かすのだと思う。 そして、更に思うのは、相手が子供でも大人でも、彼が人にテニスを教える時の真摯な姿の素晴らしさ。いかにテニスが面白く、楽しいものかを、どんな事をしても伝えたいという気持ちが溢れている。
今は野球だけでなく、テニス、バスケ、バレーボール、サッカーなど様々なスポーツに少年少女のチームがあり、その一つ一つに指導者がいて、監督やコーチをやっているが、彼らもまた、そのスポーツの素晴らしさを指導したい一心で、休みの度に練習に参加し、試合時にはベンチに入るが、全てはボランティアなのだ。全ての休日はその為に使われると言っても過言ではない。その事から一円の収入があるわけではなく、むしろ持ち出す部分の方が大きいだろう。 彼らは、元実業団の選手だったり、学生時代の選手だったり、現役を退いてもまだそのスポーツに魅せられたまま、縁を切る事が出来ずに携わっているスポーツマン/ウーマンなのだ。 義務や責任だけで出来る事では到底なく、真から好きでないと続けられるものではない。
私は一体何が言いたいのか。(笑) バスケットがいかに素敵かを書きたかったのに、書いているうちにプロ野球選手の契約云々を想い出したら、このように話がズレてしまった。 本当は、秋田県の能代高校出身、今はハワイに留学している田臥勇太選手の事など書きたかったのだ・・・。 そこまで書いたから、続けてしまうが。(笑) バスケの名門、秋田県立能代高校は、彼が在籍中の三年間は無敗であった。ウチの地元出身の彼は小学生のミニバスケの時代からそのセンスは抜群で、観る者に驚異と感動を与え、その世界で彼を知らない者はなく、私の友人など彼の家まで行って、本人不在の為に彼のおばぁちゃんと握手をして来たというくらい、その頃からスーパースターであったのだ。 ガチガチのスポーツ選手というよりは、ちょっとちゃめっ気のある彼は高校時代は勿論のこと、今でもそのプレーする姿を見たいと思うファンは沢山いる。西武の松坂投手と同い年だが、私は今の松坂に彼の爪のアカでも煎じて飲んで欲しいと思ったりする。
話があちこちソレついでに書いてしまうが、スポーツマンはスポーツの事だけ考えてやっていれば良いのではないか。現代のプロ野球の選手のように、プロになって男を下げるのか、まんまなのかは知らないが、金の亡者みたいな事を言わないで貰いたい。期待されるのも、利のある仕事のコンスタントな量産もプロなら当たり前の宿命なのだ。 貧乏な、老若含めたサラリーマンの平均年収が700万円という日本で、9桁の年収なんて飽きれてしまう。払う方も払う方だが。
各種スポーツであちこちの実業団がことごとく潰れ、活動の場を奪われた素晴らしいスポーツマンたちを思うにつけ、プロ野球というものの在り方には多いに疑問を持ってしまう。
くだらない事を言ってしまえば、きっとプロ野球界には日本国で流通する円ではない、プロ野球円という特別なレートの円があり、それは一般の円とは0の数がただ多いだけの価値は一緒な特別な円なのだろう。
しっかり話がソレてソレたまま終わってしまうが、年が明ければラグビー、駅伝、冬季スポーツ、その他もろもろ、派手さはないが、真の素晴らしいスポーツが見られる事を楽しみにしつつ、彼らの健闘を祈りたい今日この頃です。
++ 神様 ++
2001年12月25日(火)

MICHAEL JORDAN
++ Silent night ++
2001年12月24日(月)
家庭電器を扱う大手のディスカウントショップに行って来ました。 家電の商品は、しばらく見ないうちに後から後から新しい商品が生まれ、少し前に新製品だった物はもう既に古い形として、驚くほど値下がりして売られていたりします。 それでなくても電化製品自体の値段は、一昔前に比べると嘘のような安値になり、おもちゃ売り場を卒業した世代から上のあらゆる世代の人人人。 従業員が文字通り、走り回っていました。
このお店も、他店との競争は激戦のようで、腕を骨折したらしく首から三角巾で右手を吊った男性従業員は、そんな事には構っていられない様子で右手でレジを打っていました。 その脇を駆け込んで来た女性従業員も、やおら伝票を鷲掴みにするとまた元来た場所へと駆け戻り、あっちでもこっちでもとにかく必死で仕事をしていました。 お店は年中無休で、大晦日も元旦も平常通り営業するとか。 今の時代、クリスマスだのお正月だの言っていられない人は沢山いるだろうし、忙しい事がありがたい事なのだと思うと、必死で働く姿に「お疲れ様」と言いたい気持ちで眺めていました。
今年職を失った人は一体どんな年末を過ごしているのか。 テロだの戦争だの、それで生活が大きく変ってしまった人は、一体どんな夜を過ごしているのか、込み合った店内でそんな事を思っていました。
今夜どのような過ごし方が幸せか、感じ方は人それぞれ違うでしょうが みなさま、Merry Christmas.
この一年、健康で過ごせた事に感謝しつつ
++ 取り急ぎ ++
2001年12月22日(土)
パソコンの調子が悪くて接続出来ません。 そろそろでしょうか・・・。 じっくりメンテをしている時間がないので更新が滞っていますが、近々じっくり見てみます。 遊びにいらしてくださったみなさま、申し訳ありません。 取り急ぎ、近況報告です。 元気で生きております。(笑)
とても寒くなりましたが、皆様風邪など引かれませんように。
++ Satujinjiken ++
2001年12月17日(月)
テレビのニュースを見ていてフと思ったんですが。 毎日のように殺人事件が起きていて、××が△△を殺害とか、○○を殺害した□□とか・・・。 この文字だけを見てもそんなに驚かないというか、日常的に受け入れているんですね。 後からその詳細を聞いて、何かしらの感想を持つんだけれども、初めに見出しだけ読んでも驚かない。 これは実は凄い事なんだけど、それを見てもそうか、と思うだけっていうのが怖いな、と。
++ Southpaw の憂鬱 ++
2001年12月15日(土)
実は左利きである。 何から何までというのではなく、例えばペンは左でも習字は右、お箸は左で、ナイフ(食事中の)はどちらでも。 包丁は左、でも鋏は右。 卓球は左、ボールを投げたりバットを振るのは右。 ボーリングやテニスにバドミントンは、両方。 右手の方が力があるようで、大振りな動きは右手の方がコントロールがつけやすい。 左手でボールを投げてもヘナチョコになる。
肘から小手先を使って何かをする時には、圧倒的に左手が有利。 右手で包丁なんか絶対に使えない。 数えあげればキリはない。 まぁ、こう書いてみても何がなんだかわからないくらい。
記憶にないくらい小さい頃は、両親が右利きにしようとしたらしい。 その頃は左利きは直すべきものというのがありきたりの考えだったようだ。
小さい子供の利き腕はどうやって分かるのかというと、小さなガラガラのような玩具など持たせた時に、どちらの手をより沢山使うかが目安となったそうだから、かなりの赤ん坊の頃のようである。 左利きの赤ん坊は右手に玩具を持たせても、すぐに左手に持ち替えてしまうので、この子は左利きなんだなという判断がなされたそうだ。
どうやって、それを直そうとするかというと、それは実に簡単なやり方で、左手にガーゼか何かで作った手袋をはめてしまう。 左手を使えなくして強制的に右手を使わせるというわけである。 手袋といっても、親指も何もいっしょくたのただの袋である。 考えてみれば立派な虐待である。
幸いなことに、私の両親は、その行為が必ずしも精神的に良い影響を与えないと判断したので、右利きへの強制(矯正?)は早めに諦めてくれたが、もしずっとそのままでいたら、多分右利きになってはいたかも知れないが、同じくらいの可能性で疳の強い子供になっていただろう。
そのために、それなら両方使えるようにと習字やそろばんを習わせて、(あれはどちらも左手ではやり難いのです。)今日のような中途半端な利き腕生活を送るハメになったのかしら。(笑)
左利きの友人は何人かいるが、それぞれどちらの手で何をするか、という搭載プログラムが見事に違う。 そして、それぞれに直そうとされた経験がある。 大人になってから右手で字を書く練習をしてみたが、あんなにストレスが溜まり、かつナンセンスと思えた事はない。 きちんと直せた人は立派だと心から思う。
ところで、大抵の左利きはあの鏡文字なんていう文字は簡単に書くことが出来る。 漢字でもカナでも横文字でも、練習しなくたっておちゃのこさいさいへのかっぱである。
↑これはご愛嬌。でも、本当です。
世の中は断じて右利きに有利に出来ているので、左利きは嫌でも仕方なく右手を使わされている。 例えば自動販売機のコインの投入口とか、自動改札機のパスを出し入れする場所とか、大抵の家電の電源とか、机の引出しも右側についているし、時計のリューズもそうである。 銀行や郵便局の記帳台にくくりつけられたボールペンだって、右から来て紐の長さは右手で一杯なのだ。 あれを左手で書こうとすると、半身ズレなくてはならない。 しかし、隣に人がいると体をタテにしなくてはならないのだよ。
細かい事を言えばキリがないが、とにかくいやというほど右手を使う。 どこのトイレのペーパーホルダーだって、殆ど右側にある。
編物やら刺繍の手引き書などは、右手の人のために図面が書かれている。 右利きの人は右から左に針を進めるので、図面がその向きにちゃんとなっているわけだ。 じゃあ、左利きの人はどうするかというと、その図面をそのままひっくり返しに読む事になる。 トレーシングペーパーに写してひっくり返すわけではない。 そこにある図面をそのまま瞬時にひっくり返しに読み取るわけです。 つまり鏡文字と同じしくみ。 これはちょっと偉いと思う。(笑)
多分、このような位置関係はマジョリティーによって何の疑問もなく作られたものだろうから、その伝で行くと車椅子や杖を使わなくてはならない人たちにとってはさぞかし不便な世の中だろう。 バリア・フリーなんて現代の日本では絵空事ではないのか。
何でこんな事を書くのか・・・。
昨日月の裏側の話を書いたからではない。
実は今、右の肩を痛めて痛いから。(笑)
使いたくないのに使う場面が多くて多くて。 それなら右利きの人が何かで利き腕が使えなくなったって同じじゃないかと言われそうだが、それは誤りというものです。 だって、日頃が日頃だもんね。
まぁ、私の場合はいずれ治るという見通しがあるが、職場の物の配置だって、何ともない時には感じないのに、まぁこんなにあるのかというぐらい、何もかもが右利き仕様なのだ。 それがちょっと嫌なのだ。
++ 昨夜は ++
2001年12月14日(金)
インターネットへの接続状態不良のため、な〜んにも出来ず。 よそのページへお邪魔してもやっとの思いで入れるのはトップページだけ、サイト内のメニューには全然飛べず、画像という画像も全て見えず。 サーバーが悪いのか、このパソが悪いのか・・・。
今夜はいつも通り使えている所をみると、パソはまだ大丈夫のようだ。 ここに何か書こうとしていたのに、何だっけ? 今になったら想い出せず。
あ〜あ、想い出した。 月の裏側だった。 月の裏側はこの地球からは見れる事がないんだけれども、画像ならソビエトの人工衛星が写したものがあったり、Nasa のサイトに行けば見ることは出来る。 ただし、全く太陽が当たらないから真っ暗だ。 月の表面の砂はサラサラの細粒物質で出来ているので、人類が月へ行く時には、月着陸船や人間が月面に立つとズブズブともぐり込んでしまうのではないかと心配もされたらしい。 もう少し遠目に見たら、私的に月は軽石の表面のように見えるんだけれども、多分美しくはないだろう。
どこかのサイトで誰かの書いたストーリーの出だしに、主人公の宇宙飛行士がやっとこさ月へ行ってみたら、 ”月はただの丸い石ころだったので、もう二度と行く気がしなかった。” というようなことが書かれてあって、多いに笑った。 まぁ、そんなもんだろうと私も思う。
月が美しいのは太陽に照らされたり、あらゆる条件の相乗効果から自然に生まれる美しさだから、もしもこの世に太陽が無かったら、地球からは勿論見えないし、多分人を詩人にしたり芸術家にしたりする事もないだろう。
そうは思いつつ、やはり今夜の月は美しいと思ってみたりしている。(今日という意味でなく)
どうも、書きたかったことは違うような気もするけど・・・。
++ 知足常楽とか吾唯足知とか ++
2001年12月12日(水)
感謝の気持ちで足ることを知れば、心は安らかで楽しいとか、充分、満足とかそんな事なのでしょう。
人は常に現実と理想のギャップを見て過ごしていると思う。 現実が上がれば理想も上がり、そのすき間は埋まる事がないような気がするのだが、 そうしてそれはずっとずっと続いていくような気がする。
暇とお金の両方持つ人を知っている。
19の頃にアルバイトをした事がある珈琲専門店の主人は、○○コンツェルンの女社長を母親に持ち、御曹司として何不自由した事がなく、大人になっても定職を持たず、さりとて親の跡を取るほどの才覚はないので、回りからも何も期待されず、しかしどういう仕組みかお金だけはいつも転がって来ていたようで、ただの珈琲好きが昂じてその頃は既に下火になりつつあった珈琲紅茶の専門の店などやっていた。
店の内装には全て桜の木が使われ、ボルドー色に塗られた壁やカウンターやテーブルと椅子は、煙草のヤニがつけばますます渋みが出るように作られており、ドアを入って正面の、店の奥と横の壁にはめ殺して作られた飾り棚の中には、ロイヤルドルトンやロイヤルコペンハーゲンなどロイヤルグループのカップのセットがあれこれ並べられ、その中に同じような大金持ちの知り合いが海外へ遊びに出かけては見つけて来る高級そうなカップのお土産が加えられ、飾り棚の天井からの小さ目なダウンライトに照らされたそれらの食器はさながら、どこかのデパートの特選品売り場のショウケースの中身そのものであった。
そうして毎日自分の為の時間がたっぷりあるこの主は、出かけない時には毎日店に顔を出し、お気に入りのカウンターの席で専用のカップでいつものストレート珈琲を飲みながら機嫌よく客の誰彼や従業員達と言葉を交わし、話が盛り上がると2時間でも3時間でも座っていたし、機嫌の悪い時には、終始無言で珈琲も一口飲んだだけで黙って店を去ることもあった。
この店主の趣味は釣りとゴルフなので、思い立って釣りに出かけて行く事もあれば、何日も前から予定を組んでゴルフに出かける事もある。
そう言えば、カナダに釣りに行った時にその場所を多いに気に入ってこの店の名前にしたと言っていた。
とりようによってはかなり嫌味な趣味のこの店が繁盛していたのは、カウンターの中で珈琲を作る従業員たちのお蔭で、どこでどのようにして見つけて来るのか、彼らはみないずれは自分の店を持ちたいという気持ちがあり、また珈琲や紅茶の事などかなりの勉強をして来たようで、季節変りの時期にそれらを使ってアレンジした飲み物をメニューに加える際には、それぞれが一つずつ自作のバリエーションを作らなければならず、その品定めは店が終った夜に行われ、そこに参加してそれぞれの自信作やら薀蓄やらお互いの意見のやりとりは、目的を持つ人間の妥協のないやり取りで、見ていてたいそう面白かった。
まるでお互いがライバルで、いくら良い物を作ってみても褒める事なく、粗探しと言えばそれまでだが、お客さんにお金を貰うんだからという厳しい意見のやり取りからは、それぞれの意地やプライドがぶつかり合い、一週間後に今夜決定という同じ席が設けられると、それぞれの作る物は更に磨きがかかったものとなっていたし、たいそう売れた。
その店のカウンターに入るのは男子従業員だけなので、注文の品を作るのも男子従業員だけ。 茶髪や長髪は一人もおらず、動きはテキパキとキレがよく、近隣の主婦やら学生やらサラリーマンやら、パチンコ店の経営者やら、○○劇場のおねぇさんたちやらあらゆる業種の客からも好感が持たれていた。
もともと珈琲や紅茶の専門という時代でもなかったし、バブルが弾けて一杯1000円近くする飲み物の店など、お変わり自由のファミリーレストランに客を取られ、かつての従業員たちは皆、今となっては一様にソフトドリンクではなくて、酒を飲ませる店をやっているが、若くしてそれぞれが小さいながらも洒落たバーの経営者となっているのは大した物ではないかと思う。 まぁ、今の不景気と酒のディスカウントショップの存在など、彼らの愚痴もあるにはあるが。
さて、この主の口癖は 「俺はね、本物が好きなんだよ。偽物は嫌い、何でもかんでもこんなもんだろうなんて妥協するのも嫌いなんだよ」 私はこの頃今よりも更に子供で、なのにまたこの人が何の能力も無いただのぐうたらに思えて内心見下してもいたので 「社長は一体何の本物を持っているんですか」 と聞いて嫌な顔をされた事があった。
またある時は 「君ねぇ、するんだったら本物の恋愛をしなさいよ。偽者はだめ。こんなもんだろうなんて妥協しちゃいけないよ」 と言い、 「社長には言われたくないですね」 などと言うとその時は破顔して 「いや、まったくその通り。僕は実際そうしたいんだけどさ、僕に近づく女の人たちときたら、みんな僕じゃなくて僕のお金が好きなんだよなぁ」 「じゃあ、帰ります」 と言って帰ってしまった。
その頃私は、学生としての生活もあったが目的も持っていたので、時間的に忙しくて、この暇を持てした男にゴタゴタ言われるのは五月蝿い以外の何者でもなかった。
また、この人ほど何をするにも一生懸命になる事のない人を見たことが無かったのだが、それに気が付いたのはもっと後になってからで、この時はただ珍しいほど嫌なやつだと思っていた。 何をしてもちっとも面白そうじゃない、ちっとも楽しそうじゃない。 人は何事によらず、一生懸命にならないと魅力がないじゃない。
この人は一体何が、楽しいのだろう。 しかし、実際何事にも一生懸命になれないこの人は、ただただ時間を持て余して楽しくなどなかったのだろうと思う。 欲しいものはその殆どが簡単に手に入り、お金で買えないものなど当の昔に諦めて過ごせば、きっと楽しい事など何もないのだろう。
じゃあ、この人には何が一体面白いのだろう。
感謝の気持ちで足ることを知れば、心は安らかで楽しいとか、充分、満足とか、そんな言葉を読むと、理想と現実の間で一生懸命になる人の姿と同時に、 有余っても不満そうなこの主を想い出し、この人の理想と現実について考えてしまう。
++ ・・・。 ++
2001年12月10日(月)
スパイ・ゲーム (ブラッド・ピッド、ロバート・レッドフォード.。o○)12月15日!
バニラ・スカイ (トム・クルーズ.。o○)12月22日!
バンディッツ (ブルース・ウィリス.。o○)12月29日!
観られるかなぁ・・・。
何でもう少しヒマな時にやらないかね。
オーシャンズ11 (ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピッド、マッド・デイモン.。o○)!!
地獄の黙示録 (マーロン・ブランド.。o○)!!
これは新春だから、許可。
毎年、年末になると見たい映画が目白押しになるのはやめて欲しい。
++ Almost Transparent Blue ++
2001年12月08日(土)
メニューを少し替えてみました。 今までの Diary が何となくどっちつかずで書いてる本人の落ち着きが悪くて。(笑) このページは美しいお月さまについて書き連ねて行こうと思っていたのに、だんだん色々に広がり始めてあちゃらこちゃらのページになりそうだったので、大きく2つに分けてみました。 これも一重に私、管理人の人格の至らなさ・・・。 っていうか、やはり単色は苦手なんです。(笑)
というわけで、今までの Diary は完璧にお月さまサイトとして残しますが、こちらの Diary は、まぁお遊びの独り語とだと思ってお付き合いくださる方も、そうでない方も、よろしくお願いいたします♪ まぁ、こんな隅っこですから、静かにしめやかに慎ましく小さくなってこっそりとやって行きます。(笑)
ただねぇ、これ、文字化けしてないかと思うと心配なんでございます。 私が見ると、3回に1回ぐらい文字化けしているので・・・。 しばらく様子を見て、不都合があるようならまた考えますので、ご意見ご感想をお待ちしております。 毎度お馴染みの皆さまには、フリーの Bbs は真中より下の方に移動いたしましたので、お知らせいたします。
メニューの新装と同時に、新しくデコッチさんのサイト blue をリンク集にUPしました。 私の大好きなブルーの色が目も眩むほどの透明感を持って創られた素敵なページです。
パーティデコレーションの不思議な空間、オブジェ、イラスト、マンダラ、インドなどなど。
是非遊びに行ってみてください。
綺麗で不思議なページです。
それから、^^; やっと、Celestial を更新しました。 ほんの少しですが、勢いついてます。(笑)
++ Congratulations! ++
2001年12月05日(水)
遅ればせながら、この度は皇太子妃殿下雅子さまが内親王さまをご出産あそばされ、まことにおめでたい事でしたね。 おめでとうございます。
しばらくはこの話題で日本中が沸いたようでしたが。(まだ沸いてるか・・・笑) 雅子さま結婚されて8年、なかなかご懐妊されずに、外からも内からも(多分)様々なプレッシャーがかかる中、流産という悲しい出来事も越えられてのご出産で、ご本人、ご両親、ほっとされた事と思います。 きっと、一般市民には計り知れないお気持ちでしょうね。 本当に、心からお祝い申し上げます。
ところで、ご出産前夜の雅子さまご入院のニュースは多くの方がお聞きに(ご覧に)なったのではと思います。 そのようなニュースが始まるとは、誰一人思いもよらないところにいきなり 「え〜、皇太子妃殿下雅子様が・・・」 こう来ると、それまでその事を意識していなかった方までも 「あ、そう言えばそろそろ・・・?」 などど思い出されたりして、気の早い方は 「えっ?!もう生まれたの?」 な〜んて思ったりするわけです。 それにしても 「え〜、本日宮内庁病院に・・・」 「皇太子妃殿下雅子さまが・・・先ほど宮内庁病院に・・・」 「皇太子妃殿下の雅子さまが・・・宮内庁病院・・・」 「え〜、あ〜、う〜、」 等々・・・ ものの数秒でしょうが、イライラしましたね〜。
「はっきりせんかいッ!!」
思わず振り向いて画面を見てしまいました。 人間は写っていませんでしたが・・・。
何だかねぇ、アナウンサーって原稿がないとまともな日本語が喋れないんでしょうか。 大した事じゃないと思うのですが、やっている方は緊張の極みなのでしょうか。
その昔、権威があった頃と思しき大晦日の紅白歌合戦では、緊張のあまりに原稿があったのにも関わらず、引退する都はるみと故・美空ひばりの名前を言い間違えて、ポシャッってしまったというアナウンサーもいたそうですが、ましてや皇室関係のニュースともなると緊張感が高まってあのような醜態をお曝しあそばすのでせうか?
話す内容が用意出来ていないなら、それはそれで番組をあと2分遅らせたってよさそうなものを、やはりスッパ抜きにしのぎを削るマスメディアとしては、そうも行かなかったんですかね。 しかもよくよく聞いてみたら、あと一時間後にご入院って。 んだと?こら。 一般市民をあんまりナメないでくださいまし。(笑)
芸能レポーターみたいに、口に脳みそがくっついてんのかと言いたくなるようなのもどうかとは思いますが、アナウンサーは判断力とか決断力とか、とっさの機転を利かして正しい日本語で物を喋るという、そのあたりは鍛えられていないんですかねぇ。 それはアナウンサーなのでしょうか。 ウブなねんねじゃあるまいし、どうにかしてるぜ。(笑) ほ〜んと、マニュアル教育の恐ろしさを垣間たような気持ち。
まぁ、それはともかくとして、この所暗いニュースが続く中での、とても明るい吉報でしたね。 不妊とか、高齢出産とか、色んな意味で悩める多くの女性にも、励みになるニュースでもあったと思います。
と思っていたら、野村沙知代さん、ついに逮捕ですね。 あの方は今も昔もホントにまぁ大したタマですから、これからまた日本中が沸くんでしょうか? 脱税で捕まるって、何だか一番格好良くない気がしますが、野村監督も大変ですね。
いずれにしても、おめでとうございます♪
++ Silent night ++
2001年12月01日(土)
いよいよ12月ですね。 一年が早いと感じます。
数週間するとクリスマスですね。 クリスマスって、イエス・キリストがこの世に生まれた宗教的なお祝の日ですね。 私はクリスチャンではありませんが、中学と高校との6年間、毎年クリスマスの礼拝に出席していました。
学校がプロテスタントの学校だったから、っていう事なんですが。 毎年、12月に入るとチャペルの壇上のテーブルの上に、大きな大きな4つのローソクが並びます。 第一週目に一つ目のローソクに火がついて、それから毎週一つずつローソクに火が灯ります。 四つ目のローソクに火が灯ると、クリスマスの礼拝が行われます。
学校は土曜、日曜がお休みだったので、平日のクリスマスに一番近い日がクリスマス礼拝の日でした。 その日は登校時間が遅くて、確か4時とか4時半頃に学校へ行ったような記憶があります。 もう、冬休みに入っていたかも知れません。 チャペルに全員集まると、礼拝が始まります。 聖書を読んでの先生のお話と賛美歌だけでなく、この日は3人の博士が登場する劇が始まります。
後ろに有志で作られた聖歌隊が並び、所々で賛美歌を歌います。 博士も歌を歌ったかも知れません。 毎年見ていたのに、記憶が定かでないですね。
そしてキリストが生まれ、お祝が始まります。 お祝と言っても、ブラボー!と叫ぶわけではありません。 クリスマスの賛美歌を歌うのです。 一年に一度だけ歌う賛美歌なのですが、毎年これをやっているとクリスマスだな〜と実感しました。 この時、何曲ぐらいの賛美歌を歌ったかも定かではありませんが、随分歌ったような気がします。 最後にハレルヤコーラスを歌うのですが、何年も昔の卒業生や父兄の参加も自由だったので、とても盛大なコーラスになっていました。
それから、一度教室に戻り、今度はキャンドルライトサービス。 一人一人が小さな燭台に乗ったローソクを持って、廊下の窓辺に表を向いて並びます。 それから再び賛美歌を何曲か歌います。
外は真っ暗で、ローソクを持ったみんなの姿が窓にほのかに映っていました。 賛美歌は大きな声を張り上げて唄うわけじゃなく、口ずさむ程度でしたが、この時は皆、とても厳粛な気持ちになります。 訳もなく、感動して涙が流れたりした事もありましたね。(笑)
学校では、聖書を学ぶ時間もあったし、行事は全てキリスト教の行事に乗っ取って行われていましたが、色んな意味で自由な校風で、勿論信仰を強制するものでもなく、卒業する時に洗礼を受けてクリスチャンになった同級生も、多分5人ぐらいじゃなかったかと思います。
私は今、クリスチャンとして生活はしていませんが、クリスマスの意味や、歴史や、生活が宗教に密着している人たちのクリスマスをお祝する気持ちは理解出来ます。
クリスマスは決して、カレシ、カノジョが楽しくハッピーな夜を過ごすためのものでも、ルイ・トンビやエロメスの品物を買ってあげたり買って貰ったりするためのものでもありません。 家族や親しい友人が集まり一緒に食事をして、この日を祝い、それまでにそれぞれへの思いを巡らして選んだささやかな贈り物をしたりする事はあっても、それはとても家庭的で決して派手なものではありません。
そうして、誰もが待っていたこの日のお祝を、今年はテロや戦争のために日々の生活を奪われて出来なくなってしまった人たちが沢山います。 その気持ちは、ただのお祭り騒ぎとしてのクリスマスを過ごせなくなった事とはまるで違った気持ちのはずです。 そんな人たちの上に一日も早く平和が訪れて、聖なる夜が迎えられますよう、心からお祈りします。
I wish you a Merry Christmas.
相変わらず忙しくて、土日お休み返上で仕事です。(><..) しばらく不義理をしてしまうと思いますが、皆さまどうか見捨てないでやってくださいまし。
なんか、キレがないね、と思いつつ。(笑)
Copyright©*momo* 2001-2006 (Prison Hotel)
|