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++ 横浜はたそがれない ++
2002年01月28日(月)
横浜というと、遠方の方が一番ご存知なのが「中華街」のようです。 「中華街いいなぁ」と皆さまおっしゃいます。 インターネットをやるようになったら、特にそれは顕著です。こんなに中華街は有名だったのかと思いましたね。
でも、意外なことに横浜の住人は、あまりそれを意識してはいません。 中華街は、横浜の人なら一度も行ったことがないという人はいないと思うし、そこにあるのは当然のようなことなのですが、やはりあそこは中国の方によって作られ、守られて来た所だからではないかと思います。
幕末に日本の鎖国が解けて、横浜港が開かれると、アメリカやイギリス・フランスなどから大勢の商人が横浜を訪れたんですね。彼らは外国人居住地に商館を開いたりしました。また、日本進出にあたっては、沢山の中国人をともなってきたのです。何故かというと、中国の人は漢字で日本人と筆談が出来たので、西洋人と日本人との間の取り引きには不可欠な存在だったわけです。
そのうちに横浜と香港・上海の間に定期行路が開かれると様々な技術を身に付けた中国人が訪れるようになり、北海道の食材(あわびやナマコ)台湾や香港に輸出したり、台湾産の砂糖を日本に輸入したりする、華僑貿易商が現れたわけです。
明治の初めには華僑人口も1000人ぐらいになり、徐々に集まり住んで、中華街を築いていたのですが、途中、日清戦争が勃発して一時は3分の1ぐらいの人が帰国したそうです。戦争の終わりと共に再び活気が戻って、中華学校が出来たりしました。それから紆余曲折を経て(省略しすぎ・笑)現在に至る、と。
中華街の面積は500m四方で、料理や雑貨、お土産などのお店が500店舗といわれています。料理店は200店舗近く、その内の半分が広東料理だとか。とにかく食べ物屋さんが多くてところ狭しと並んでいます。路地という路地はお店がひしめき合っています。
食べ物屋さんは、叉焼(チャーシュー)の美味しいお店、飲茶の美味しいお店、という風に、密かに有名なお店があって、開店早々から行列をなしているようなお店は、意外にもとても古くて美しくない。ここのお粥が美味しいんだ、といようなお店は、二階なんか畳がいつ抜けるかわからないような古さ、床が落ちないうちに食べよう、という感じです。でも美味しい。
現在では中華街は日本人と中国人が共生し、中国人が飲食店、日本人が食材を供給するという形で分業していますが、そのようなわけで横浜の人にとって横浜中華街というのは、地元であるようなないような、何かワンクッションあるといった感じの街なのです。
中華街のお店が開くのは、午前11時頃ですが、それよりもっと早い時間にその辺りを歩いて、食べ物屋さんの前を掃除などしている人に道を訊ねたりしても、言葉はほとんど通じません。ここは中華街なんだなぁ、と思うわけです。
平日はともかく、休日の中華街は人でいっぱい。もしこちらでお食事をしようと思われたら、予約をしないと食べ物にありつけないかも知れません。
中華街の周りを囲むのが、最も横浜の横浜らしい場所です。デート・スポットにはもってこい、と。一方の入り口付近に横浜公園、スタジアム、ずっと抜けると山下公園、横浜港、こちら側(どちらだ?)には元町があり、山の上には、外人墓地や山手十番館、港の見える丘公園、煉瓦作りや異国情緒そのままの建物があって、桜木町にMM21(みなとみらい)が出来てからは、新しいホテルも沢山出来ましたが、サマセットモームが宿泊したというシルクホテルも残っている。ガード下にはスプレーアートが沢山あるけど、銀杏並木は昔のまま。 うーん、いいでしょう。
この辺りのホテルやレストランは、窓から港が見えるような向きになっていて、それはそれは雰囲気があります。特に夜は、港の明りと停泊中の船のあかりで海面が反射してとても美しいものです。私はどうしても、この風景からアンデルセンの童話「人魚姫」の挿絵を思い出します。人魚姫がまだ人魚でいる時に、王子様の乗った船を見上げている絵です。何故かちょっと、懐かしいような物悲しいような気持ちですね。 たまには、地元の事を書いてみようと思ったら、いつも通り長くなってしまいました。
日本は周囲を海に囲まれているので、あちこちに港のある街がありますが、皆さまの所はいかがですか?
++ M君のこと ++
2002年01月26日(土)
高校2年の時、ある演劇集団のちょっとした手伝いをしたことがある。その集団で広報をする友人ががやってみないかと声を掛けたので、大した事でもないしという訳でちょこっと手伝ったのだ。そこに、私と同じように、その友人から声を掛けられたM君がいた。
M君は私より2才年上で、その時は確かもう働いていたと思う。お兄さんの影響で、とても車好き、お兄さんの車を借りて乗るのが楽しみで、暴走族などには属していなかったが、かなりのスピード狂であり、運転にはとても自信を持っていた。そして、いつかロータスヨーロッパに乗るのが夢なんだと熱く語っていた。
私たちは日曜日だけ、その場所に行って言われた事をするだけだったので、合い間の待ち時間があると何となく話をするようになっていた。彼には好きな人がいるというのは聞いていたが、大抵はM君が車に対する情熱的な話と、次に熱心な株の話を語り、私はもっぱら聞き役であった。
ある時、広報の友人から電話がかかり、M君が交通事故で亡くなったという。スピードの出し過ぎでカーブを曲りきれずに、カードレールに激突して即死だったらしいという。この知らせを受けるにも、どうしても忘れられない出来事があるのだが、長くなるので省略する。とにかく、彼が亡くなった知らせは、全く信じ難く、何度も疑い何度も繰り返し確認した。友人にもその出来事は受け入れ兼ねているようであった。しかし、連絡の為に電話をしたM君の家族から聞かされたというのだから、やはり本当のようでもあった。その時には既に葬儀も終わり、亡くなったという日から一週間ぐらいは過ぎていた。
私はそれまで、身近な人の死というものを経験した事が無かったし、ついこの間まで元気で、何かが起こりそうな予感など無かったM君が死んでしまったという事実はこの目で確かめなくては受け入れられず、形としては弔問だが、そういった気持ち以前の気持ちで、友人と二人、M君の家に訪ねて行った。
埼玉県のはずれにあるM君の家は、駅からとても遠く、山の中のような、畑の中のような土の茶色と葉の緑色の中を時々見かける人に道を訊ね訊ね、かなり歩いたところにあった。
あらかじめ友人が訪ねたい事を打診しておいてくれたので、M君のお母さんが待っていてくださった。部屋へ通され、最初に目に入ったものはM君の遺影で、黒いリボンに縁取られた中に、見慣れたM君の笑顔があった。それは、私に現実を知らせる証拠のような気がしたが、その顔は、これは嘘だと言っているようでもあった。ほとんど同時に目が行ったのは、その遺影の隣に、何故か同じに真新しいリボンに縁取られて置かれた、自分と同年代の女の子の遺影であった。M君に最近亡くなったお姉さんか妹さんでもいたのかと思ったが、M君からはお兄さんがいるだけと聞いていた。
少し怪訝な顔に気付かれたのか、M君のお母さんの言われた言葉。 「悲しみの涙も乾かないうちに、新たな悲しい事が起きてしまいました」 彼の遺影の隣の写真は、彼が亡くなった一週間後に、後を追うようにして亡くなった、M君の彼女のものだった。
彼女は高校の3年生、その時の私と同じ年齢であった。M君の通夜と葬儀の席では、まるで魂が抜けたように放心状態でいて、周囲の誰もが気を使い、目を離さないように接していたらしいが、ある時学校へ行くと言って家を出て、そのまま学校の屋上から飛び降りてしまったという。彼女が飛び降りた屋上のその場所には、彼女が書いたノートが置かれてあり、読んであげてくださいと、そのノートを手渡された。M君の死でさえも、まだ受け入れかねていたのに、M君の死は一つの事実として過去となり、新たな出来事を差し出されたような気がした。
大学ノート二冊に、彼女の書いたものは、ノートの罫線を無視して、小さな字だったり大きな字だったり、それは大急ぎで書いたもののようだったが、初めから終わりまで読めない字は何もなかった。
ノートの中には、思い浮かんだままに、M君との想い出が書かれていた。M君との出合いや、楽しかった事、喧嘩した事など、時間的な順序はバラバラで、あるものは短く、あるものはとても長く、静かだったり激しかったり、様々な形で書かれていた。
それは、思い出す限りの全てを、些細なことも一つ残らず書き漏らしてはいけないというように、浮かんだことを次々と大急ぎで書き留めたもののようで、M君を初めとした誰かに送る手紙でもなく、日記のようなものでもなかった。
まだ二人は手を繋いで歩いた事しかなくて、ある時、それ以上のことに進みそうになったが、M君がまだ早いね、といってそうはならず、もう少し時が経ったらそうしようと言う事があったと書いてあった。それは彼女にとっては、M君との固い約束で、一つ一つの思い出を書きながら、それは全てその約束事に結びつくのか、初体験をするのはM君としか考えられない、と言ったことや、初めてはM君とじゃなきゃ嫌なの、と言った心の中を絞り出すような叫びがそのまま字となってあちこちに表れていた。とうしてもそうあらねばならないといった、決意とも違うもっと硬い気持ちがあった。 そうして、後から後から思いが溢れ、書いても書いても書き尽くせないほどの彼女の叫びが込められて、一度も会った事もないのに、同じ年の彼女の声が聞こえて来るような文字の山であった。
2冊のノートはとても長く、M君のお母さんは時々私たちに話かける。M君が帰って来たときにはその体はすでに冷たくなっていたが、顔はとても綺麗だったこと。しかし目だけは開いたままで、その出来事を本人も信じていないように見えたこと。M君の体を何度もさすったが、どうしても暖かくはならなかったこと。開いたままの目を閉じさせてあげようとしても、どうしても目を開いてしまったこと。何時間も目を抑えてあげて、やっとやっと眠りました、ということ。
淡々と静かに話すお母さんは、彼女のことはあまりご存知なかったようで、今となってはとても可哀相なことをしてしまった、残された者皆で色々な解釈をするが、中有をさ迷うM君が連れていってしまったようで、申し訳ないといったことをお話になり、涙はすっかり枯れてしまいました、とおっしゃった。
私たちは、2冊のノートを交互に読みながら、お母さんのお話を聞き、M君はどんな人であったか、といった質問に答えた。お母さんは、私たちの話すことを貴重なもののように聞いていられた。その時にどんな事を受け答えしたのかあまりよくは思い出せないが、更に詳しく質問されてきっと何かをお答えしたのだろうと思う。礼儀にかなった振る舞いが出来たとは思えない。手の中のノートの文字と、目の前のM君のお母さんの顔と、その後ろに見える二人の写真とお線香の匂い。噛んでも噛んでも咀嚼しきれないものを丸ごといくつも飲み込まされたようで、どこもかしこもいっぱいに膨れあがり、頭や胸やあちこちが破れそうなくらいに痛かった。
彼女のノートは2冊目のお終いまでぎっしりと文字に埋まっていたが、そこにあるのはたった今の過去だけで、これからの事や締めくくりのような事は何も書かれていず、紙面の終わりで唐突に切れていた。
人の突然の死は、周囲の者が受け入れられようと、受け入れられまいと、そんな事はお構いなしに、人の心を貫通する。死が決定するのはほんの一瞬でも、時間は決して後ろに流れず、取り返しのつかない事は、取り返しのつかないまま後から後から時間が流れる。何年の時が過ぎても、私の中でM君は亡くなる以前のまま、その日の光景もその時のままである。
私はあの時、今は二人が一緒にいられることを祈ったが、後になって人の死に関する出来事や、命とか生と死、気とか魂、中有という言葉にも触れ、そうして二人は今頃どうしているかと考えてみても、本当はどうなのかわからない。
++ 井上ひさしほか作詞・宇野誠一郎作曲だそうです ++
2002年01月25日(金)
波を じゃぶじゃぶ じゃぶじゃぶ かきわけて (じゃぶ じゃぶ じゃぶ) 雲を すいすい すいすい 追い抜いて (すい すい すい) ひょうたん島は どこへ行く ぼくらを乗せて どこへ行く ウーー ウーー 丸い地球の 水平線に 何かがきっと 待っている 苦しいことも あるだろさ 悲しいことも あるだろさ だけど ぼくらは くじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃう 進め ひょっこりひょうたん島 ひょっこりひょうたん島 ひょっこりひょうたん島 ルルルル・・・・・・・・・
この歌はとても好きです。
++ 信じる者は救われるか ++
2002年01月23日(水)
時々どこかの新興宗教の小雑誌のようなものがポストに入っていたりする事がある。 この雑誌は本来有料であるが、是非一度読んでいただき、宜しければ購読されたい、というような事が書かれていたりする。 道を歩いていても、このような小雑誌を配っている事があり、差し出されるとつい手を出してしまうので、色々な団体のそのような雑誌をもらってしまう事になる。
新興宗教というのは沢山あるものだが、このような物に書かれている事は、どの宗教もほぼ同じような内容で、数名の信者がそれぞれの体験から、この宗教に所属して本当に良かった、幸せになったというような話が沢山載っている。どの宗教であれ、書き方もよく似ていて、主人が悪かったのが良くなった、とか、子供が悪かったのが良くなった、とか、まるで体調が悪かったのが良くなった、というのと同じように、悪かったと良くなったという言葉があちこちに使われている。
これはきっと、各宗教に”良し悪し”のボーダーラインがあり、”悪かった”、や、”良くなった”が、どういうものなのか、それぞれの信者にはそれだけで通じるものなのだろうと思い読み進めてみるが、実際、何か問題を抱えて拠り所となる物を探していたのか、探していた自覚はないが、何かに出会って開眼したのか、どれを読んでもとても現在を満足して過ごしているようなのである。
そのような雑誌の中で、一つだけ異様だったのは、やはり例の日本中を震撼とさせた、かの団体の発行物であった。これを街中で貰った時には、既に一連の事件の逮捕者が続出して連日その事件についてはあらゆるマスメディアで報道されていたのだが、そこに字が書いてあると読みたくなってしまうのだから、拝読させていただいた。
それは信者が出て来て体験を語るといったものではなく、まるで新聞のようであった。一連の事件についてや、今行われている捜査についての状況の報道なのだが、それらが全て一般の新聞に書かれている事と、ひっくり返しに書かれていた。情報操作という言葉が、あちこちに散りばめられ、今起きている現実が、0(ゼロ)を境にまるで正と負の世界のように逆さまなのだ。
これだけ世間で騒がれているのに、どうして彼らの洗脳が溶けないのか、という疑問は、一つだけ解けたような気がした。その教団では自らが発行、発信するもの意外の一切の情報を得る事を信者に固く禁じていたので、テレビ、新聞を見聞きしないで何ヶ月もその発行物の内容だけを真実として捉えていると、確かにそれは信者にとっての物の見方は大いに変ってしまうだろう。何年も前の事であるが。
話は戻るが、数年前に友人がさる宗教に入信し、寄ると触るとその話ばかりをするので、物好きにも、彼女の属する団体の大きな集会について行ったことがある。
プロテスタントの礼拝は、学校や教会で沢山経験があったので、この集会も賛美歌の代わりに経文のようなものを唱え、聖書の言葉を読む代わりに、その教えの言葉を読んでから、その事について関連のある事も無い事も、何かの経験からどうしたこうした、というような、だから考えましょう的な話を聞くのかと思っていたのだが、その想像は見事に外れた。
確か3人ぐらいの信者が、壇上に立って話しをしたが、かの小雑誌に書かれているような話から始まり、いかにこの信仰を持って幸せであるというような事を涙ながらに話すと、会場のそちこちでもらい泣きをしている人もいる。更にその後に続くのは、それ以前に自分が信仰していた、それぞれの団体への批判である。ナントカ会なんてものはどうである、、と言ったあからさまな批判を、40代50代の人が憎憎しげに話すのだ。あっちこっちの宗教を渡り歩いて来たような人もいた。
一生懸命宗教にのめり込むというのは、とどのつまり、心の拠り所を見つけたという事なのではないかと思う。人それぞれ、何かの悩みや心が弱くなっている時に、そこにその事があっただけで、自分の中に見出せなかった芯のような物を見つけて、すっかり気持ちが楽になるのではないだろうか。何でも自分で決めるより、信頼する何ものかにお任せして、決めて貰うのはとても楽なのじゃないかとも思う。
私は信仰心を持っていないが、何かを信仰して、心が強く、確かな気持ちで、まして幸せであるなら、それはそれで結構な事だと思う。しかし、そのような宗教活動をしている人の話から伝わるのは、同じ信者同士の競争意識であったり、権力者に対してのへりくだりであったり、およそ信仰とはかけ離れた世界でもある。
新興宗教の活動をしている人には、同じような特徴がある。彼らは非常に肩書きに弱い。団体の中での、幹部だとか大幹部だとか、偉い人という言葉も随所に見られ、それは非常に威厳を感じていそうである。それから、教義を学ぶための学校的なものがあると、そこには大学があったり、大学院があったりする。そう言った所にも努力をしないと入れないらしいが、そこに通ったとか卒業したというのは、それはまた周囲の尊敬を浴びる。そうして、同じような信者なのに、誰それはナニナニという役付きになったとか、肩書きを得たという事にとても敏感なのだ。
大変意地悪な見方なのだが、これは人のコンプレックスをたくみに突いている気がする。学歴コンプレックスだの、役職コンプレックスだの、一般社会では得られなかったものがあたかも手に入ったような気がするのではないかと思うのだ。仮に、それは一歩外へ出れば、全く通用しないものであったとしても、その集団の枠の中にいる限りは、”偉い人”になれる訳で、そこで得た権力だの威厳だのはとても居心地が良く、手放したくないものなのではないだろうか。例えその中だけのことであったとしても。
信仰と宗教は別のものだと私は思う。信仰とは、何か対自分自身。それは一対一の関係で、あらゆる事が自分自身の中で行われるもの。一方、宗教というのは、自分と何かの間に集団が介在する。集団だから、ルールがある。活動は全てルールに縛られ、個々の問題は個々の問題でなくなる。そこではもはや、信仰とは違った形となるような気がするのだ。
++ 上か下か ++
2002年01月20日(日)
人の性格やら相性を言い当てるのに、さまざまな占いがあるが、これは統計によるものと思うので、当たっていると思えば当たっているのだろうし、そうでないと思うとまるで違っていたりする。中でも血液型の占いや性格判断は、たった4つしかない血液型の統計なので、比較的大雑把になるほどと思う事がある。
よく、血液型のそれぞれの性格の特徴をいうのに、A型は几帳面、B型はマイペース、O型は穏やかでおっとり、AB型は社交的とか言うが、それは良く言えばという話で、悪くいうと、A型は、自分自身にだけ神経質、B型は勝手で我儘、O型は頑固者、AB型は二重人格、などともいう。 勿論、両親の血液型や、家族構成によって、色々に融合しており、Oに近いAだの、Aに近いBだの色々ではある。確かに当たらずといえども遠からずといった事はあるので、面白い。
私は特別占いの類には興味はないが、ふと回りを見渡すと面白い事がわかる。私の場合に限っては、親友とかとても気のおけない仲の良い友達は、偶然にも私を含めて皆同じ血液型である。これで、この場合同一血液型というのは、比較的馴染みやすいということになるのだろうか。 輸血を出来る血液型同士と拒否する血液型同士で、その相性がどうこう言われると、それは当たっているような気配である。しかし、更に詳しく見てみると、もう一つの共通点がある。それは、私を含めて皆、末っ子か一人っ子ということである。
私は3人兄弟の末っ子で、年齢の開いた二人の兄がいる。兄たちは年子なので、長兄は10才年上で、次兄は9才年上である。この年齢差というのは、これはもう、小さい頃の私にとっては保護者が4人いたようなものである。 いい年をしてから、何かの折に、赤ん坊だった頃や、幼児だった頃のあれこれを言われてからかわれるような事があるが、どこをどうやってみても、その逆に兄たちの生まれた頃や小さい頃の事は見た事があるという事にはなれないのだから、その辺りでは、自分自身すら知らない何かを握られているようなやり難い相手でもある。
小さい頃の記憶の中で、兄たちの何かの残像があったとしても、その前後まではっきり分る事はなくて、実際に物事が少し分るようになった頃には、兄たちは高校生ぐらいになっていたのではないだろうか。確か、受験生として、いつも勉強している姿が、彼らの状況を認識したはじめじゃないかと思う。それまでの間、彼らは私を知っているが、私は彼らを良く知らないのだ。
私のように、兄弟の間に年齢差が大きいよりは、もう少し年齢差の少ない兄弟を持つ友人の方が多いのだが、それにしても、この末っ子に共通しているものがある。それは、生まれた直後から、家族の全ての人間に命令形で接される事がとても多かったという事である。末っ子は、何かというと、命令されて大きくなるのだ。
兄弟間の何気ない話し言葉は、既に命令形、あるいは、その権力の差を表す形が多く、ある程度大人に近くなると年齢差より、個人の経験差が物をいうようになるが、小さい頃は精神年齢も体の大きさも、一つ違えばずいぶん差があるので、2つ、みっつの年の差でも対等に会話をする兄弟というのはなかなかないのではないだろうか。
あまり年齢が近いと、そこで喧嘩が起こるらしいが、年長の兄弟の数が多くなればなるほど、なかなかこの権力に逆らうというのは後が面倒なので、「〜しなさい。」などと言われると「は〜い」なんて口だけで答えていた妹、弟は多いのじゃないかと思う。
実際兄と姉を持つ友人は、小さい頃「は〜い」なんて言いながら、あっちの方であっかんべぇなんてしていたし、姉を持つ友人は、まず面と向かっては逆らわなかった。そういうのは、私もそうであったので、何かお互い、言葉には出さない親近感を感じたものである。そうして、その癖は大人になっても続き、年上の兄弟に何かを進言するような場合には、とても気を使う。
さて、この命令されて大きくなった面々は、何でもかんでも命令されては来たが、だからと言って何も自分で決められないのかというとそれはそうではない。しっかりしていないようだが、実は何食わぬ顔をして、企んでいるのである。実際には人から指図されるのは好きではないが、返事は、「はーい。」なのだ。これは環境的に身についた条件反射なのだ。
そして、そのような目で周囲を見ると更に面白いのは、長男、長女、特に第一子の皆さまである。彼らの共通点は、何しろ上から物をいう、仕切りたがる、説教好き。これは本当におかしいくらい皆そうである。
お説教が生きがいなのじゃないかと思えるくらいに、何かというとお説教をして、真似の出来ない言い回しで、それはとても気持ちよさそうである。よくよく聞いていると、それは全然違うだろう、と思えるような事なのに、言い方にだけは説得力がある。しかし、逆にお説教されたり、上から物を言われるのはとても苦手で不快なようで、同じような相手とは相性が悪いようだ。従って誰も何も言わないから、天井天下唯我独尊状態に陥って、思わぬ所で、クヨクヨ落ち込んだりしている。
知人友人、しっかりしていて、仕事もバリバリこなす人が、実は末っ子であると聞くと、小さい頃は命令されて生きて来たのかと可笑しいし、何かにおいてしゃしゃり出てお説教する友人が、実はとても神経が柔だったりするのもとても可笑しい。これは血液型性格判断より、もっと面白いと思うのだが、みなさまの回りはいかが?
++ 猿人式? ++
2002年01月14日(月)
今年成人式を迎えられた新成人の皆さま、おめでとうございます。 成人式を迎えられたご家族がいらっしゃる皆様にも、おめでとうございます。 これからも、素敵な人生を送られることを、心からお祈りいたします。
ところで、この成人式でまたまた大変に残念な事が、起きてしまいましたね。 昨日の沖縄県での逮捕者が出た式の様子は皆さまTVでご覧になったと思いますが。 いや〜、全くひどいものですね。 昨年の成人式の騒動を思い出し、大手サイト『侍魂 』の健さんの「猿を育てちまったんですね」のフレーズを想い出し、 ”お世話になったお回りさん”の、「お巡りさんも人間だからさぁ」というフレーズも想い出してしまいました。
昨年の今頃、わたくし、道路交通法違反で交番へ出頭いたしまして・・・。(汗) さる小学校のグランドの脇に2〜3時間車を止めてしまいまして・・・。(汗) しかも、クランドの側じゃなくて、道の反対側で、(グランド側は既に満車)こちらは、大きな集合住宅の庭に面したフェンスが立っている所なので、交通の妨げになる事もないし、日曜日なので通学児童もいないし、なんて気楽に止めちゃったんですが・・・。(汗)
用も済んで帰ろうとしたら、遠目に見ても何やら不吉な黄色い物体が、サイドミラーにくっついているじゃありませんか! しかも、あんなに止まっていた他の車はいなくて、マイカーだけがたった一台。 「やられたー!」というのが正直な実感。(滝汗) あの駐車違反の時に車にくっつけられてしまう、鎖のお化けのような品物は、お回りさんの持っている鍵でなければ開けられないもので、そこに大きく駐車禁止のマークのついたシートが付いていて、一目でそれと分る非常に恥かしいモノなんですね。
とにかく・・・指定された交番へ到着しました。 私 「すみませーん!」 お回りさん 「あー、あんなトコに止めて、どこで何やってたのー?」 私 「体育館にいましたー!」 お 「体育館で何してたの?」 私 「健全なるスポーツを・・・」 お 「そうかー!体育館の中だったんだー!それは気が付かなかった。 いやー、お巡りさんさ、クランドの野球の人たちには声を掛けたんだけどさー」 私 「・・・」 お 「この車は?って聞いても、誰も知らないって言うしさ・・・」 私 「・・・」 お 「体育館の中まで行ってあげれば良かったなー」 私 「ダメじゃーん!」(ずぅずぅしい私) お 「あそこはね、危ない所じゃないんだけどさ、あの住宅に住んでる人が、 以前駐車禁止で捕まったのを恨みに思って、何かっちゅうと電話して来るんだよ。 お回りさんとしてもいきなりガチャンじゃ可哀想だから、 一応車の持ち主を探してあげるのよ。 だけどさ、警察としては、そういう電話があったら、何もしないワケには行かないんで、 持ち主がわからないと、やっぱりガチャンなワケ、そうかー、それはごめんね」
なるほど、そう言えば隣のコートでママさんバレーをやっていた人たちが、なにやらざわめいていたあの時だな。 あの時皆、車を動かしていたんだな。
「ま、やっちゃったものはしょうがないや、どんどん手続きしちゃおう!」なんて、事を言い。(あ、これ、私) 原則として、一度切った違反切符は、無かった事にはならないので(あくまでも原則ですが) 「うん、ホントごめんね」 なんて、お巡りさんは何だかとても気を使い、お茶まで入れて下さった。 「このお茶を飲んだら、私の指紋を取るんでしょー」 などと失礼な冗談を言いながら、書類を書きながら、お巡りさんもしゃべるしゃべる。 何しろここは、泣く子も黙る神奈川県警。 これでもか、これでもかと発覚する、警察官の不祥事は、ニッポン1。 全国民の信用はガタ落ちで、お巡りさんの渡る世間は厳しい。 「いや、ホント、信用して、ここに来てくれて、嬉しいよ、ありがとう」 あらら、違反したのはこちらなのに、ごめんね、だのありがとうだのと言われるとは思ってもいなかったので、お巡りさんの苦労を偲ぶ私。
警察官は一人でも組織であり、一人の不祥事は全体の不祥事である。 社会に対して、その信用度に関わる大きさは、民間の会社組織の個人の不祥事のそれとは比べものにならない。そういった意味で、全ての警察官に対する社会の目は無情なほど冷酷であり、それは国家権力の宿命ともいえる。しかし、個人レベルで考えると、何やらとても可哀想な気がする。話を聞けば聞くほど、あっちでもこっちでも言われたい放題なのである。お巡りさんも、さぞかしやり難い事であろう。それは甘いと言われるかも知れないが、一を見ただけで全体を批判するのは、あまり好みではないのだ。
あれこれ愚痴を言いながら、手はしっかり仕事をするお巡りさん。 「お巡りさんにも、悪い人がいるからさー、アナタ、気を付けなさいよ。 例えば、この罰金ね、お巡りさんたちは振り込みの用紙を渡すから、銀行へ行ってそこに振り込んでもらうんだけどね、中には現金ですぐに取るお巡りさんもいるんだよ。そうして、フトコロへ入れちゃうんだよなー。お巡りさんは現金を扱わないからね、そういう時はお金を渡しちゃいけないよ」 なんて事を教えて下さり。 それから2時間近くも、興味津々の私はやたら、色々質問をして、一方的に世間話の華を咲かせた。
警察学校の入学試験の内容やら、その時の適性検査やら、何親等までの犯罪歴を調べるのかやら、性格及び人となりについては常に監視していないのかやら、お巡りさんが結婚する時には、上司の許可がいるのか、とか、警察官の10階級のそれぞれの職務内容と待遇の違いとか、退職金はどのくらい?とか。ははは しかし、このお巡りさん、ペラペラ喋っているようで、肝心な事は上手にカワシテいるのもなかなかであった。 面白かった。(不謹慎極まりない)
そして、この時に聞いたのの言葉の中に「お回りさんも人間だからさぁ」があったのだ。 「あんまり相手がわからんちんだと、ポカっとやっちまうんだよなー」という話。 「退職金がパーになる、なんて分っちゃいるんだよ、なのにさー、わからんちんがいるからさー」 なんて、きっとあんな時やこんな時の同僚でも想い出したのだろうか?
まぁ、とにかく、 昨日の沖縄県のあの映像を見るとね、わからんちんというのどういうものかが良く分る。 お巡りさんでなければ、誰が好んで近寄りたいとは思わない連中である。 あの状態はかなり危険だし、一歩間違えれば大事故になる。 一人や二人ポカっとやった所で私は許す。 全員どうにかしてやれ、と思ったぐらい。 あのように、その場で戦うお巡りさんを見ると、帰り際に名刺を下さり 「何か困った事があったら、いつでも相談にいらっしゃい、お巡りさんは市民の味方だからね」 と言ってくださった、中年の巡査部長さんを想い出す。
それにしても、兼ねてより「暴走族」は社会悪であると断じて言い切る私ですが、何故にあのような世代のわからんちんの面々は、一応に皆ツルむのでしょうね。 昨日の成人式での、あの揃いの紋付袴姿は一体何でしょ? 笑いたいけど、あの映像じゃ笑えませんよね。
侍魂の健さんへ、 もはや日光猿軍団でもお断りだと思います。
++ 痛い話 ++
2002年01月13日(日)
友人は去年の春、信号待ちで一時停車中に斜め後方から、わき見運転の後続車両に追突された。 彼は、頚椎捻挫、腰椎捻挫、体のあちこちをぶつけて顔に少し怪我をした。そうして整形外科での治療が始まったが、顔の傷は幸いに浅く、細胞の自己再生能力のお蔭で次第に治癒となった。しかし、頚椎だの腰椎は神経が集まる重要な場所なので、このような部位を捻挫してしまったりすると、これは何かが再生するとかしないの問題ではなく、筋肉が元通りに機能するまでの時間がかかる事もさることながら、神経が元に戻るのには大変な時間がかかる、あるいは全くは元通りには戻らないという深刻な状況になったりする。
整形外科で行えるのは、痛み止めの注射や、眩暈止め、吐気止め、あるいは筋肉の緊張を解く薬の投薬と、頚椎や腰椎の牽引と、器具を使って痛む部位の内部や外部を暖めるという事だけで、時間と共にどれだけ回復するかは個人差があり、完全に治りきる保証もない。気温や天候でも痛みを感じたりするという。不幸中の幸いというか、彼の場合には自営業なので、通院するのには時間的融通が利き、通院しながら仕事をしていた。
その彼が数ヵ月後、まるで追い討ちをかけるように、同じ状況で今度は真後ろから追突された。 この時も加害者のわき見運転という事で、救急車で運ばれた病院で、前回と同じ検査を受け、再び頚椎捻挫、腰椎捻挫、そしてあちこちの打撲症を負っていた。
これを聞いて周囲の者は、慰める言葉も見付からなかった。初めの時は命に別状がないと言う事と、入院するほどの大きな怪我をしなくて良かったと思ったが、その後の様態を知るようになってからは、それだけでは良かった事にはならないと全員が知ったからである。
余談だが、事故に逢うと、治療にかかる費用は加害者が掛けていた保険で賄われる事になる。加害者と被害者は事故の時以来一度も顔を合わせる事もなく、やり取りは全て保険会社との事になるが、病院関係の煩瑣な手続きは自分で行わなければならず、これは非常に面倒らしい。
私は、一度目の事故の時の体の故障が治りきっていないので、後の事故と合わせて2つの保険会社から重複して保険が降りるのかと思ったら、2度目の保険治療が始まった時点で、初めの保険は中止となるそうである。中止になればなったで、手続きがあるから、中止の手続きと、新しい方の申請の手続きと、あれこれ行わなければならなかったようで、これもやりきれないだろうと思う。
今回彼の症状は更に重く、常に頭痛、眩暈、吐気に肩や首とその周辺の痛みに悩まされ、もともと体格は良かったのに、食事が摂れなくなり、お酒も飲めなくなり、半年ぐらいの間に10�坩幣紊眩蕕擦討靴泙辰拭A蕕擦燭箸いΔ茲蠅癲△笋弔譴燭箸いκ�が近いかも知れない。何をしていても、快適とは程遠く、いつも寒気を感じて厚着をし、体の動きが満足でない上に、雨が降ったり気温が低いと痛みは重く、食事も満足に摂れなくなると「生きている事をやめたくなる気分」と言っている。笑いながらではあるが。
更に、周囲が絶句したのは、2度目の事故の少し後で、今度は彼の交際中の女性が追突された時である。 彼女は幼稚園の保母さんで、通勤に利用している市バスの座席に座っていて、信号待ちでの停車中に、後続の同じバスにぶつけられた。 一瞬何が起きたのか分らない状態で、痛みも感じず、立ち上がろうとしたら、体が全く動かなかったという。8人の乗客のうち、救急車で運ばれたのは、彼女ともう一人の女性だけで、病院へ着いてあれこれ検査をしている内に、ショックで一時的に麻痺していた痛覚が戻って来たらしく、体中がどんどん痛くなって来たそうだ。
そして彼女も、頚椎捻挫、腰椎捻挫、前の座席にひざを強打した打ち身で病院通いが始まった。 彼女の場合は、しばらく仕事を休んで治療していたが、勤務先の幼稚園では、この事故が原因で何かが出来ないという事がないように、つまり” 肉体的に事故の後遺症がクリアになったという医師の保証がない限り ”は、仕事に復帰してくれるなと言われたそうで、すぐに担任をはずれ、現在休職中である。 幼稚園の先生のように、小さい子供を一人で何人も預かるのであれば、それも仕方のない事かも知れない。
今の所はバス会社から治療費以外の事も保証されているので、通院する時間もあるし、生活も困らないが、新学期が始まるまでにまだ復帰の兆しがなければ、その後はどうなってしまうか分らないという。保母の仕事は肉体的な労働が多いので、” 後遺症が全てクリア ”というのは、なかなか自信がないようである。
痛みは知覚ではなくて、感情であるという言い方もあるが、話を聞けば聞くほど、辛そうである。20代後半の彼と、20代前半の彼女では、肉体的に回復する力が衰えているとは思えないが、神経に関わると年齢は関係なくなってしまう。
負担は肉体的なものだけでなく、精神的にも大きい。彼の場合には、信号で停車中は恐怖心が起こり、「来るぞ、来るぞ」という形で全身が身構え、強張ってしまうそうで、少しでも運転すると疲労困憊するが、好むと好まざるとに関わらず、運転しなくては仕事にならない。
端で見ていても深刻である。彼ら二人の場合は、病院へ通える時間があるが、人によってはそれもままならないだろうし、考えれば考えるほど大変な事である。肉体的にどうにかしてあげられないものかと、周囲の者はあれこれ情報を集めるが、これといって良い方法も見付からない。
ところで、このわき見運転というのは、しっかり周囲を見ていなかったという事だが、その原因が、カーステレオのCDの出し入れだったり、携帯電話を使用していたというのが非常に多い。
高校生だった頃に読んだ、伊丹十三の短編で、運転中に煙草に火を点けるほんの1秒〜2秒の間、車は無人と化して走っている、というようなのがあった。無人の車が何mも暴走しているというのである。話の中では、車に轢かれた男が立ち上がろうとしたら再び後続の車に轢かれ、また立ち上がろうとしたら、また轢かれ、何度も繰り返すうちに巨大なスルメイカになってしまい、そうなっても目だけは前を見てまた車が轢きにやってくる、というブラックな話だったが、ライターで火をつけるのも、CDや携帯電話をいじるのも、目線が運転と関係ない場所に走るのは同じ事で、その頃から人は進化していない。
確かに、どこか不安定な軌道で運転している車は、大抵電話をしている。交差点ですれ違う時にひやっとさせられる時も、相手は必ず電話をしている。電話を手にしていると、片手運転になるので、ハンドルを自由に操るのが難しくなるのだ。
停車中に例え時速10kmのスピードで衝突されたとしても、その衝撃はかなりのものだそうで、音も大きく、まるで怪我をしない事はないようだ。スピードが上がると、衝撃は更に大きく、命に関わることにもなり、人の人生はガラっと変わってしまう。
交通事故は一向に減らないが、何もかも、他人に起こる事はそれぞれに起こる可能性があるという事だし、原因のほとんどは不注意によるものなので、本当に気をつけたいものだ。
++ 小指のおもいで ++
2002年01月09日(水)
電話機が、ただの通話する機械から、いくつもの電話番号を記憶したり、発着信履歴の数々、アラーム機能やブラックリストなど、様々なデータを記憶出来るようになって久しい。仮にそのような機能は必要ない、ただ通話さえ出来れば良いと思ったとしても、そういったシンプルな物は既に市場から姿を消していたりする。機能はついていても、それを使った事がないという人は沢山いるだろうが、そのような機能をどんどん使っている人は、電話番号を頭で覚えるという事はしなくなったのではないか?(私だけ?)
そして、様々な家電はあらかじめ時刻を設定するようになり、何でもかんでもタイマー予約が出来るので、いちいちその時になって操作をしなくても良いということになっている。とにかく、人差し指でピポパとやれば、あれもこれも何でも記憶させる事が出来る。これが人差し指のおもいで。
同じ電話でも、携帯電話なら、個々の更に込み入った個人情報を記憶させる事が出来て、メールのやり取りも出来るから、アドレスなども記憶させる事が出来るし、更に送受信したメールも削除しない限り記録として残っている。インターネットにも接続可能で、気に入った物をダウンロードして利用する事も出来る。形は小さいが、ボタンの操作一つで多くのデータを記憶する。これが親指のおもいで。
人が考え出した記憶する機械の最も優れたものが、コンピューターである事はいうに及ばないが、実際これはものすごく沢山の事を記憶する。人が扱うのは、マウスとキ−ボードだけだから、キーの位置を覚えておけば誰でもスイスイ物が押し込められる。このような操作は慣れなので、慣れてしまえばキーボードを押す時に、いちいちどこの位置に何の文字があるかと考える事もない。それは自動車の運転と同じで、体が自然に覚え込むので殆ど頭を使わない行為とも言える。 そうやって、あまり頭を使わず左右の五本指を操って作られたデータ−の数々は、最終的にはエンターキーを押す事によって、全てパソコンのどこかに記憶される。これが、小指のおもいで。
人がやるのは操作の方法を知る事と記憶させることだけ。 こうして人の生活が物を覚える事より、覚えさせる事に流暢になって来ると、人の持つ本来の記憶するという機能が低下するのではないかと思う。
実際、IT(情報技術)ボケという言葉があるらしい。 脳機能の低下は、記憶力に最もよく表れるそうで、脳には異常がないのにボケているという症状だそうだ。
脳神経外科医の所には、この3年ほど、「電話で受けた商品の注文内容を、電話を切ったとたんに忘れてしまった」「同じ事を何度も注意される」などという「物忘れ」を訴える人が多くなっているそうだ。 例えば、電卓を使って計算する時と頭を使って計算する時では、暗算で計算をする時には脳が一時記憶をする場所に血流が集まっているのに、電卓で計算している時には、血流の増加がなかったり、文字もペンで書いている時は、脳が活動している場所に血流が集るとか。 頭を使う事で脳が活性化しているという事だが、これをしないでいつもパソコンを使って文字を書いているうちに、知っているはずの漢字が思い出せなくなったり、簡単な計算が面倒に感じたりするようになる。これは痴呆症のように、脳が萎縮するのではなくて、使う機会を奪われた脳が劣化しつつあることだとか。
IT ボケは「IT 依存症」から始まり、「注意力低下」を経て、最終的に症状が進むと、「記憶障害」の疑いが濃くなり、脳機能の障害や心の問題がないか調べるために、脳神経外科、精神科、または神経外科を受診することになるらしい。
で、そうならないためには、創造的な作業をする事だそうで、文章を書いたり(パソコンでなく)絵を描いたり、歌ったり散歩したり、それから人付き合いをする事だそうである。 生身の人とのやりとりほど、次の展開を予測できないものはないので、五感を最大限に働かせながら、言葉を選んで会話をするのは、最もよく脳を使う作業なのだとか。
最近、電話番号などとんと記憶する事がなくなり、さっき聞いたばかりの番号なのに「何だっけ?」などと思い出せなくて愕然としたのだが、皆さんは、いかがでしょうか? 以前は、かなりの番号が頭にあって、メモなど見なくても困らなかったのに、いつの間にか記憶しないで、記憶させてばかりいたら、ガッカリするほど覚えられない、というか、覚えようとすらしなくなっていて、とほほな気分です。
と思っていたら IT ボケなんて言葉が目に飛び込んで来たもので・・・。 萎縮してしまうと修復は不可能でも、劣化したものはまた取り戻す事が出来るらしいので(上書き?)、改めて生活習慣を見直してみようかしら、と思ったりする今日この頃です。
だってねぇ、せっかく記憶させたのに、どこに何を記憶させたか忘れてしまったら、小指のおもいでがせつないから。
++ 普通ということ ++
2002年01月07日(月)
一体このフツウという言葉は、はたして何ぞや? フツウの考えとかフツウのおばさん、フツウの女の子、フツウの学生、普通の家庭、普通の子供。
辞書で調べると、 (1) いつでもどこにでもあって、めずらしくない・こと(さま)。 (2) ほかとくらべて特に変わらない・こと(さま)。 (3) 特別ではなく、一般的である・こと(さま)。 とある。 「普通の体ではない」というのは、病気であるとか妊娠しているとかの意味だそうだ。 それって、普通というのは、その普通が普通なら、普通でなくない事ってことだよ(笑)
多様化という言葉をあちこちで見かけるようになってからは、益々この普通という言葉の意味が曖昧である。 普通という言葉は一体どうして出来たのか。
戦後のある時期、食料、衣料、娯楽などありとあらゆる人の生活に必要な全ての物がないという時代があった。 例えばテレビのある家はあまりなくて、数少ない娯楽番組の一つの「プロレス中継」がある時など、電気店は営業時間を無視して、店のショウウィンドウから外向きに置いたテレビでプロレスを流すというサービスをする。 すると店の前はプロレス見たさに人が集まり、黒山の人だかりになったとか。
あるいは、内風呂のある家庭は稀なので、ほとんどの人が風呂と言えば銭湯を利用する時代だったから、家庭の主婦が一日の家事を終えて銭湯に行く時間帯は非常に女湯が混んでいたらしい。 しかし、ラジオの人気番組で「君の名は」というドラマが放送される時間だけは、どこの銭湯の女湯もガラガラであったとか。 実に多くの主婦が、この番組を楽しみにしていたという事だそうである。
「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉もあって、当時の子供が好きなものの代表であったとか。 物がない、情報も少ない、接する場所も限られていては、人の好みも代表的な言葉で表されるほど簡単だったのだろうか。 お正月に集まった叔父、叔母に言わせると、みんながそうだったとか。 (みんな=普通らしい。) 多分、その時に電気店の店先でプロレスを見る男の人や、ラジオで「君の名は」を聞く主婦や、巨人や大鵬をヒーローとしていた子供は多分、普通の男、普通の主婦、普通の子供という事だったのではないのだろうか。 そう言えば、その頃のドラマなど見ると、みんな同じような服を着て同じような家に住んでいたりする。 つまり、選択肢のない限られた場所での多数決の結果がそのまま普通という事になったという事。
現在のように、テレビは各家庭どころか一人一台と言われるようになれば、主婦がラジオのドラマを聞く事もなく、テレビで見たい番組はそれこそ個々の好みにより、巨人や大鵬(既に引退)だけでなく、個別のヒーローがいてもおかしくない。 人の好みが千差万別なら、それはおかしくないのではなくて、当たり前。 すると、普通というのは意味がなくなる。
情報は常に新しく、世の中を賑わす記録的なものも常に塗り替えられ、後から後から新しい物が出てくれば一つの物がブームでいる時間はとても短く、常に移り変わっているので、何かを知らないまま次の事を知る事などしょっちゅうである。
歌謡曲はその昔、歌番組で今週の一位と言えば、それは1〜2ヶ月も続いたらしいし、今ほど沢山の歌手が後から後から出ては来ず、一人の歌手が次々と新曲を出す事もなければ一位の曲は、日本の全ての人が知っている曲といってもおかしくないということになる。 初めてレコード大賞というものが出来たのは、昭和34年で、受賞したのは「黒い花びら」という曲だそうだが、当時のレコード業界は、まだまだ戦争による傷が深く、街にレコードが鳴り響いても、そのプレス数は少なかったとか。 という事は、自宅でレコードを聞ける人よりも、町中で流れる曲を聴いた人の方が多いという事で、プロレスや「君の名は」と同じに、レコード大賞の曲は、その時代の人は誰もが知っているのではないか。
しかし例えば、昨年レコード大賞を獲った、歌手の歌はどうか。 少なくとも、私は知らない。 それを知らないという事は、音楽を聞いた事がないという事ではない。 音楽を聴いても、その歌手の曲を選択した事がないという事である。 そうすると、自分でいうのもどうかと思うが、私は普通でないのかと言えば、そうではない。 その曲を知らないという人が沢山いるからである。 つまり、沢山の選択肢があって、その中から自由に選べるという事は、もはや普通という言葉が消えつつあると言う事。
お正月の新聞のコラムで村上龍が「スタンダードとはもはや幻想である」と書いるのを読んで、ほーらね、と思ったりした。 話の前後は、ここに書いている事とは全く異なるので、ここで村上龍を引き合いに出すのは、単に村上龍が好きだからである。(笑)
話を戻すと、戦後の話などは、お正月に親戚の叔父、叔母が集まると始まる昔話の一部なので、あれこれ質問などしながらまとめてみたら、上記のようになったわけです。
と、言う事は、普通という言葉は当時普通と言われた戦中、戦後世代の人のみが、正確なニュアンスを掴めている言葉なのかも知れない。
++ お笑いを一席でございます ++
2002年01月04日(金)
恭子、美香 わてら陽気なかしまし娘〜♪〜♪〜♪
恭子 きょうこでぇ〜す
美香 みッかっでぇ〜す
恭子、美香 二人合わせて、不可能姉妹でぇ〜す。 皆さま、新年明けましておめでとうございます!
き さぁ、美香ちゃん、いよいよ新しい年がやって参りました。 一年の計は元旦にあり。今年はあなた何します?
み 私ですか?私はやっぱり今年もゴージャスにまいりたいと思ってます。 昨年にも増して、より美しく妖艶さに磨きをかける。もうあんまり後がないから。 そう言う恭子ちゃんは一体何しますか?
き 私でっか?そりゃもうあんた、今年こそは政治家を目指します。
み へ?政治家を?そりゃまたどうして?
き いい年ぶっこいて、 いつまでもおっぱいばかりで中身がないと言われるのは、もうさんざんです。 今年は私の脳みそがおっぱいばかりでなく、ちゃーんと頭にも詰まっている事を、 国民の皆さまに証明いたします。
み はぁ、なるほど。そりゃまぁ確かに。 評判もおっぱいも下がるばかりで持ち上がらないのよねぇ。 伊達に肩凝っちゃいけません。 それで、政治家になって一体世の中をどう変えてくれますの?
き さぁ、よくぞ聞いて下さいました!私、法案を考えました。
み 法案ですか!一体どんな?
き 国民総背番号制法案です!
み 総背番号制法案?何だか凄そう。それはどんな法案ですか?
き 私はねぇ、かねてから税金について考えておりました。 世の中は税金を支払うような決まりになっているのにも関わらず、 うんまいこと、小ずるい事をやってあんた、払わないでいる人もぎょーさんいてます。
み そんなんええやんか。税金なんて誰も払いたくないねんで。人の事はどうでもよろし。
き そりゃそうです!私だって、税金なんか払いたくない! あんな使い方をされたら誰だって、いらないと思います。 そやけどね、一応お国の決めた決まりだから、嫌だというのにゴージャスな牛乳風呂を 我慢して支払ってますのよ。 それを、払わないでしれっとしてる連中が許せないのよ。アタシ。 その分、回りまわってアタシらが払わなきゃならないんだから。
み へ?そうなん??回りまわってアタシらが払ってたん?
き あんた、そんな事も知らんかった? まーったく世間知らずなんだから、このカラっぽおっぱいちゃん。 そうですよ!ちゃーんとアタシらがその分を支払うように出来てますの。
み へぇ。そうだったんですか。そりゃー神が許しても、このおっぱいが許したくないわぁ。 自分の分は仕方ないとして、人の分まではお肌に悪い! それで、国民総背番号制がどんなことしてくれますの?
き これからは、国民一人一人に背番号がつきます。 あなた、国民健康保険って知ってますやろ? あれは、頭に13がついて始まるのは東京都民、 14がついて始まるのが神奈川県民という具合に番号で市町村がわかるようになってます。 それでやね、家の家長で税金を納めてはる人を筆頭に、その次に配偶者、 第一子から順番に2番3番4番と番号がつく。 それで、その家の住所もわかるし、家族構成も分かる。
み 税金払ってない人はどうするの?
き それそれ。そこでや、美香ちゃん。 税金を納めてる家の番号には、頭に「Z」がつく。
み へぇ、「Z」でっか。それまた何の意味でっか?
き それこそ、税金のシンボルのZ、納税の証明のZですよ。 これからは、ニッポンのアルファベットのZの読み方が変ります。
み へぇ、変るんでっか?なんて読む?
き Zはゼイと読みます。
み ゼイと読む??アルファベットのZはゼイ? ヴイ、ダヴリュ、エックス、ワイ
き ゼイ!!
み さっとんぜっとは
き さっとんぜい!!
み なーるほど!おめでとうございます! それでどうなりますか?例えば?
き 例えば!!火事になったらあなたどうする?
み そりゃ、消防車呼びますよ。 RRRRRR〜♪〜♪〜♪
き はい、こちら消防署、どうなさいましたか?
み じ、じ、じ、自宅が火事で燃えてます。火の海です!
き 火事ですね。それではあなたの背番号をどうぞ。
み 13468371です。
き えっと東京都・・・ですね。頭にZは?
み ありません。
き ないんですか?Zはないんですね? それでは勝手に燃えてなさい。ブチ。ツーツーツー
み あっ、ちょちょちょ・・・ 燃えてなさいってアンタ、死んでしまいますやん。
き いいのいいの!消防署だって税金で動いてんだから。
み へぇ・・・それじゃあ、事故が起きたら? RRRRR〜♪〜♪〜♪
き はいこちら警察です。どうしましたか?
み じ、じ、じ、事故です。そりゃもうすんごい事故で、僕血だらけで死にかかってます。
き 背番号をどうぞ。
み 13468371。
き 頭にZは??
み ありません。
き 勝手に死んでなさい。ブチ。ツーツーツー。
み あらら。何でもカンでも勝手にしなさいですか。
き そうそう!Zナシは非国民! 税金の使われ方には無駄が多い!だけど絶対に必要な税金も、どうやっても削れないものもあるんです。 火消しもマッポも無給で働かせるワケにはいきません。 歩道橋や信号機だって壊れたら直さないと困るでしょ! しかし、Zのない非国民に何をするのも、これは立派な税金の無駄使い!
み はぁ、なるほど!非国民は救うべからず!
き 非国民の子供は公立の小・中学校にも入れてあげません。
み 赤ちゃんも公園で遊べない。
き 学生は図書館も使えない。
非国民は、私道以外は歩いちゃいけません。
み う〜、何だかおっぱいが燃えて来ました。ワクワクします! 私も応援しますよ。恭子ちゃん。選挙運動いたします。 このゴージャスな不可能姉妹の脳みそを使って、知性と教養に溢れた応援演説いたします!
き ありがとう、美香ちゃん! 二人そろって演説カーから、知性と教養に溢れた演説を力の限り叫びましょう!
恭子、美香 有権者の皆さん!不可能姉妹に、清き一票だっちゅうの♪(\ Y /)(\ Y /)
sattonz(さっとんぜっと)さんの所に提出したお題より♪
++ 花粉症 ++
2002年01月03日(木)
連日の晴天と、今日のカラッ風のおかげで、例年よりひと月以上も早く花粉症の症状です。 一日くしゃみが止まらず、目も痒いし鼻もボロボロ。 またしばらくのお付き合いなのかと思うと有り難くない〜。
++ 青い空 ++
2002年01月02日(水)
お正月には雨が降ると言われていたのに、昨日も一昨日も穏やかな晴天でした。 雪が積もっている所もあるというのに、南側のリビングでは、夕方まで窓は開けたまま、雲一つない青空にのどかな一日を送りました。 今日という日は、青空がとても嬉しく何故か懐かしい気がしました。 国立競技場では、しばしの間雪が舞っていましたね。さほど遠くもないのに、驚きました。
年が明けると少しずつ日が延び始めて、日一日と明るい時間が長くなります。 本当に、毎年毎年お正月が来るとすぐに明るくなり始めるので、寒さはこれからが本番なのに、何故か春のような気がしてしまいます。
今月は免許証の更新に行かなくては。免許の更新はいつも誕生日のひと月前には葉書が来るのに、12月は忙しく1月に入ってからという事になりますが、年末年始の休みが入るので、気がつくと期限が間近に迫り、いつも慌てて警察署に行く事になります。 今度こそは早目にと思いながら、きっとまたギリギリになるんだろうなと思ったりしています。 免許の更新は、10年に一度でも良いのにね。
++ あけましておめでとうございます ++
2002年01月01日(火)
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
momomoon
Copyright©*momo* 2001-2006 (Prison Hotel)
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