|
宇宙の遊び心は星のダンスとなって表れる
2004年07月31日(土)
職場の同僚が調べてくれた占い。極私的なメモですね。
1月18日生まれの人は、子どものような無邪気さや遊び心をいつまでも失いません。 世間知らずだとたしなめられることはあっても、計算高い、貪欲、日和見主義だと非難されることはまずありません。この日に生まれた人は自分と相性のよいものに対しては敏感です。楽しむことが好きですが、重苦しいことはあまり好きではありません。このため、大人としての責任が問われると四苦八苦してしまうことも。したがって、この日に生まれた人の一番の課題は、遊び心を失わずに大人としても成長することです。
概してすばらしい親になります。思春期以前の子どもの気持ちが手にとるように理解出来るのです。ただし、自分の親とはトラブルが絶えないかもしれません。とくに思春期や10代の後半にはこの傾向が見られます。子ども時代に別れを告げるのが非常に難しいため、親は移行に伴うニーズに気をつかう必要がありそうです。請求に大人になるようプレッシャーをかけたり、子どもっぽい習慣を急にやめさせたりするのは禁物です。こうした要求は、仲たがいを増長し、反抗の種を撒くだけです。
気軽に生きたいという反面、わくわくするような興奮や冒険も人一倍求めます。毎日の生活に飽き足らない場合は、すべてが許され、あらゆることが可能な空想の世界に引きこもることもありがちです。この場合、喜びや興味が内側に向けられるため。外の世界のことがどうでもよくなっていしまい、極端な場合は子どもの世界に逆行してしまうこともあります。精神的に成長している人であれば自分の空想を昇華させ、それを現実の世界で形にしようとします。最高の経験を喚起するだけにとどまらず、豊かなアイデアで独創的な作品おw作り出したり、生き方に関する非常にユニークな見解を披露したりします。
愛情面では、現実的に地に足のついたタイプを惹きつけるようです。このようなタイプは、自分の無邪気な部分を引き出してもらえるのがうれしいのかも知れません。2人の関係がうまくいくと、双方に深い安心感や信頼がめばえ、さまざまなことを分かち合えるようになります。
平凡な仕事に携わっていても、好きなことを楽しめる自分だけの時間があるかぎり幸せに過ごせます。しかし、理想をいえば、空想力の豊かな面を創造性おある刺激的な仕事に生かすことが最高でしょう。何も刺激がないと集中力を失い、単純な反復が要求される仕事では白昼夢にふけってしまうこともあります。
【タロット】 18日大アルカナ・カードは月。主として夢、感情、無意識の世界を象徴しています。このカードのもつ良い面は繊細さと、相手に共感し理解すること。悪いとおろは感情に流され、受け身で自分がないところです。 【健康】 夢の世界にひたる癖があるので要注意。社会的な責務をスケジュールにしたがってこなし、家族の集まりに積極的に参加し、世の中の責任を引き受ければ、現実的なセンスを養うのに効果的です。幻覚剤などの『とべる』薬はもってのほか、抗鬱剤にも最新の注意を払うこと。食事や調理法については、エキゾチックでスパイシーな食べ物や、カラフルな色取りの料理と相性がいいようです。じゃがいも、パン、根菜類など、定番の素朴な食品をメインに。軽度の運動がおすすめ。プロでない限り激しい競技は向きません。十分な睡眠をとることが大切。昼寝もよいでしょう。
【アドバイス】 安心をあなどってはいけません。社会の現実を忘れないように。自分の責任はきちんと果たすこと。孤立しないように注意。どんな役割においても自分の役割を意識しましょう。
【瞑想のことば】 宇宙の遊び心は星のダンスとなって表れる。
*********************
当たらずといえども遠からじ。(笑) しかし、重苦しいことは誰でも好きじゃないのでは?と思うのだけど、そうでもないのかな?
何だかまるで、オタクな性格のような気がしなくもない。ははは。
* 大人としての責任を問われると四苦八苦・・・、 ぶはは、そうかな?そうかも?嫌だわぁ〜(笑)
* 概してすばらしい親になります。思春期以前の子どもの気持ちが手にとるように理解出来るのです。
おお!これは当たっているかも知れない、素晴らしい親かどうかは別として、思春期以前の子どもの気持ちが手にとるように理解出来る・・・これはもうエスパーのように。さとるの化け物ってのがいたけど、そういう感じですな。(笑)ははは。 世界最強の親だろう。
自分の親とのことに関しては、まぁ置いて置いて。だって、もう大人だし。子どもの世界に逆行しているというのは、自分的にそうそうないと思えるのだが、どうかな。ただ、
* 空想の世界に引きこもることもありがちです ってあるのかも、空想と言えるかどうか分からないけれど、寝食を忘れてのめり込むところは自分でもミトメル。(笑)
* 何も刺激がないと集中力を失い、単純な反復が要求される仕事では白昼夢にふけってしまうこともあります。
これは大当たりかも。(爆) 職場の人たちによるとね。 っていうか、自覚もあり。 幸いそのような仕事ではないし、適度な刺激もあるので。
ほら、ノートに線引きをしたり、単純作業の繰り返しだと、ダメですね。もう3回やったらアウトだわ。(笑) 規則正しい生活に憧れる気持ちがある反面、実際には3日も続くと飽きてしまいがち。何も強い刺激が欲しいというのでもないのだけど、こう気持ちが高揚するようなひと時、一コマが欲しいと思うのは正直なところ。
勿論、負の刺激はあまり歓迎しないところが、我がままかも。 といって、誰もがそうだと思う、ただ、楽しいこと嬉しいこと面白いこと、いつもそんな刺激に富んでいるわけじゃないということはよく分かっているつもり。だから本を読んだり、映画を見たりするのかも知れない。うん、そんな小さなことでいいんですが。何か精神面に刺激を受けることはとても大切なこととも思えます。
眠っている神経や意識を呼び覚まして、物事を考えさせてくれるような刺激はやっぱり欲しいと思います。仮に現実離れしていてもね。(それが問題か・笑)
そうそう、 * 抗鬱剤にも最新の注意を払うこと。 ってやつ、一度あまりにも頭が痛くて肩が凝って、首の神経の圧迫から来る、神経の流れに沿った場所(肩、腕、後頭部、目)が痛くてどうにもならない時に出た薬は、痛み止めと軽い安定剤だったのだけど、さっきまでぼーーーーぅっと憂鬱そうにしていたのに、それを飲んだ途端、まるで別人のように飛んでいた。(爆)と未だに語り草になるところを見ると、ふふふ。
あの時は、すぅ〜っと痛みが取れて、軽くなったのだけど、飛んでたわけじゃないってば。(笑)
孤立したことはないし、とりあえず最低限責任は果たしているつもりだけど、足りないのかな? 最低限だけど。(笑) 一人であれもこれも手一杯だし、今はこれでご勘弁♪(笑)
まぁ、大したことは書いていませんが、お許しを。
イライラの絶頂感
2004年07月29日(木)
父の検査の結果が出た。左の肺に見つかった腫瘍は、やはり悪性のものだったという。 内視鏡で癌細胞を除去したのは、今年の1月。両側の肺である。その直後に右肺には思わしからぬ細胞がみつかり、これは放射線を照射することでことなきを得た。放射線の治療は通院で6週間。土日を抜かせば毎朝の病院通いである。 これに付き添うのは長かった。真ん中あたりから疲れが出て心身共にストレスを感じた。
Diaryには綴っていなかったが、その後両側の目の手術もあった。白内障の手術だが、それぞれ日帰りで1週間を置いて施術した。日帰りの手術といっても、それなりのケアはあるので、やはり手はかかる。
それでも、それさえ終われば後は回復を待つばかりの生活が出来ると思っていたので、とにかく乗り切ることに必死だったし、実際に二度目の目の手術が終わって結果も良好となれば、気持ちが軽く開放されたというところであった。
それからまだひと月も経たず、再び右肺に癌があるという。この癌細胞は放射線は使えず、万全のために今度の手術は内視鏡ではなくて肺の一部を切除するということである。
なんだかこうして書いていても、すでにどっちがどっちの肺の時だったのかもわからなくなっているくらいに、昨年の春から色々なことが入り乱れて起ったので半分やけのような気持ちである。
今度の日曜は、10年ぶりのクラス会があり、それは午後3時からのことなので、午前中は仕事をして出席する予定でいたが、さきほどキャンセルの電話を入れた。一週間をきってからのキャンセルでは迷惑をかけてしまうかも知れないと思ったが、どうしても行く気持ちになれない。
幹事役の同級生には、ただ申し訳ないという言葉だけで快くこの迷惑な話を受け取ってもらえたが、理由を話す気にすらなれなかった。
なんだか今、自分が悲しんでいるのか怒っているのか分からない。泣きたいような気もするが、それが何でなのか分からない。 多分今の私は、父の気持ちも母の気持ちも、回りの誰かの気持ちも思いやっていないだろう。
だからといって、何に対して泣きたくて、何に対して怒りたいのか分からない。こんな時に誰かに八つ当たりをすれば納まるのだろうか、と思ったりもするが一方ではそれすら面倒臭いという気がする。
そういえば、昨日中島らもが亡くなった。それを聞いた時、私があんなことを書いたからだと冗談半分に思ったが(中島らもとナンシー関を勘違いしていたので綴ったこと)、それにしても彼はまだ若い。 心よりご冥福をお祈りいたします。
突然に起る死と、じわりじわりと忍び寄る死と。いずれにしても人はいつかは必ず死ぬ。
サクッと斬らせてもらいます
2004年07月28日(水)
この数日もう一つのサイトのことでは非常に神経を使った。ネットをする人の中には、とてつもなく非常識な人がいるということを改めて知ったからである。
私の部屋は表面的に誰かに荒らされたり、嫌がらせを受けたことは一度もないが、見えない水面下では非常に嫌な思いをすることがある。
そのうちの一つは、あまりにもやり方が悪辣なので、この場には書かないが(その気になれば誰にでも真似のできることだから)、どうしても書いておかなければならないことがあるので、その件だけ書いておこうと思う。
何故どうしても書かなければならないのかというと、そのためにこの数日とても大変な思いをし、それを一緒に付き合ってくれた友だちがいる。サイトのセキュリティをより万全にするために、あらゆる方法を調べたり試したり、それはそれは大変な思いを一緒にしてくれた友達である。
更に、前日のDiaryに綴ったが、そのことによって一部の訪問者の方には大きな迷惑と不自由をおかけしてしまったこともある。サイトをやりながらこういう裏のことはあまり楽しい話ではないので、できれば書きたくはないと思うが、やはり書くべきだろうと判断した。
すでにずい分前から気がついてはいたのだが、サイトを運営している間は少なくとも閲覧は自由だからと放置しておいたことが、休止の間にも起きた。
通常トップページにたったの二文字で休止と書かれたサイトの中へ侵入しようと思う人間はあまりいない。少なくとも画面のこちらにも一人の人間がいると分かっている人であればそのようなことが出来るわけがない。
ところが、あのように全画面の左上に、たったの二文字休止と書かれたページでも、入り込む侵入者がいた。ある時は館内のあちこちに足跡をつけ、それは次第にこのDiaryと掲示板、最終的には掲示板の中にだけ残っていた。つまり直アドを抜いて来ていたということである。
もし、親しい誰かのサイトが突然休止になっていたら、人はどうしたのかと思うだろう。何も理由が書かれていなければ、メールを送るかも知れないし、そっとしておこうと思えば黙って立ち去ることだろう。復活を待つというような意思表示は、サイトを持つ人ならその日記に綴ることもあるだろう。しかし、構えとしては、静かに待つ体制ではないだろうか。その人のことを思いながら。
では、何の知り合いでも友達でもない人の部屋であれば、自分はただの通りすがりであれば、その部屋へ土足で踏み込んで行くだろうか。どこの誰かも知らない相手の部屋なら侵入しようと思うだろうか。分からなければ何をしても良いものだろうか。健全な人ならしないことをする。そこにそのその人間の卑怯な弱さがある。
HPというのは、作り手にしか分からない約束ごとがある。第一にHTMLを知ることだ。それから、CSSなり、java scriptなり、画面を表示させたり動かしたりするためにマシンに読み込ませるソースの記述を学ぶことだ。
更にcgiを使える場所であれば、そのための準備やスキンをかぶせるための記述が必要になる。そうしたことは先に書いたものを熟知していなければ、いきなりオリジナルのものを作ることはできない。が、出来ない人のためにスクリプトやスキンを配布する素材屋さんというものがある。それらの素材をお借りして著作権を表示して使わせていただくのである。
しかし、それでもある程度の知識がなければ、何一つ好きなように改造することは出来ない。いくら誰かの部屋の何かが気に入ったとしても、同じものを作ることは出来ないのである。
サイトを持つ多くの人は、それぞれが自分なりに色々なことを学び、思考錯誤を繰り返しながら、時間をかけてページを作っているので、個々の個性やスタイルというものがある。だから、2つとして同じ作りのサイトはないし、こうして文字や表面に表れていることだけでなしに、ページの作りやファイルの一つ一つ、それがその人らしさというものになるのだ。
そこに努力や手間ひまがあることを知りそれを尊重すれば、間違っても盗むという行為に及べるものではない。しかし、時々、何を勘違いしたか、そうした手間を惜しみ、人のものをそっくりそのまま盗み出そうとする人がいる。多くのサイトの管理人さんにとっては、最も招かざる客である。これはまっとうな管理人にとっては泥棒と同じ行為だ。
この部屋の場合、黙って侵入した人を捕まえて、その理由を聞いたところそれを認めるメールが来たので、掲示板のスキンのソースを差し上げた。それが欲しかったのだというからである。初めてのメールで添付ファイルは失礼になるから、わざわざWEB上にUPしてである。
その後、その件について何の音沙汰もない。あのソースでどのようなものが出来上がったのか知りたいと思うのはこちらの勝手な心理かも知れないが、それを知らせてきたところで、何か損でもするだろうか。
それどころか、件名のみの空メールが届く。件名だけで送ってしまったのかと思ったが、後になっても訂正のメールも謝りのメールも来ない。うっかりでも失礼な話だが、故意であるとしか考えられない。おそらくメールのヘッダ、つまり私のIPが欲しいのではないかと思われる。何故IPが欲しいのかといえば、アクセス拒否をしたいから?とこのように良い方向への想像は一つも出来ない。私は信用の出来ない人と私信を交わすことはない。第三者の視線がないところでは、いかようにも都合の良い事が言えるからである。
残念ながらその人のサイトへは以来一度も行ってはいない。何故かといえば、とっくの昔からそういう人だと分かっていたからである。
ガイアの古い部屋では、まだメニューにはUPしていない場所へ入り込み、そこからこの部屋へ来たことがある。毎回Diaryを覗いていたことを考えると、私がそのことで何かを綴ると思っていたのかも知れない。
一度閉鎖して新しい部屋を作った時にも同じようにしていたら、早速同じことをする。あちらからこちらへ飛んできているのである。あっちこっち突付いて覗いて盗む。人が見ていると大人しいくせに、誰もいない(と思われる)ところではこのようなことをするのは、多分その人はリアル社会でも同じなのであろう。
最近は Java を切ってのご来訪である。あくまでもDiaryを覗くのは、やはり気になるのではないかと思う。五分の魂というやつかも知れない。私はいかなる挑発にも乗らないが、そのようにして影でコソコソコソコソするものは大嫌いだ。ソースが欲しいなら欲しいと言えばいいのにと思う。知りたいことは教えてといえばいいのにと思う。それができない人ほど、身の丈に合わないものを作ろうとする、そもそもそこに無理がある。出来ないことを出来ないと自覚できないのは、自分を知らないということである。だから恥知らずでいられるのである。
その自サイトは右クリックも禁止である。無料HPスペースでは約束ごとの広告表示も上へ飛ばして解析バナーをつけている。自分のことは許すが他人のことは許さない、私の辞書では、それを限りなく自己中という。そんな人の作るおぞましいサイトへなど行く気がしない。人間すべからく口で言っていることではなく、やっていることだと私は思う。どんなに綺麗な事を書こうが、どんなに見かけを装おうが、性格や気性、人間性は丸見えで変えようがない。万一その人の神が許すとすれば、よほど自分に嘘がつける人か都合の良い神様であろう。
何よりその人にとっての不幸は、この場でこのようにして書かれることよりも、その心の貧しさや弱さであろう。心よりお悔やみを申し上げたい。ご愁傷さま。しかし、それはその人の不幸であって、赤の他人が背負う必要などどこにもない。たった一人そのような人間がいるために、心を痛め、神経質になったり部屋を閉じてしまう人も沢山いるのであることを知るべきだと思う。繰り返すが、このような事を書くのは誠に不本意で残念なことである。
この件で力になってくれた友達へ さぞかし疲れきっていると思います、本当にごめんね、そしてありがとう、心から。
そして、ご迷惑、ご心配をおかけした皆さま、本当に申し訳ありません。 これからもよろしくお願いいたします♪
夏は読書か
2004年07月24日(土)
週の間に再び書店へ行った。前回探していた本が見つからなかったのと、何となくレンタルビデオを借りるとしばらくレンタルビデオショップ通いが続くのと同じ心理ではないだろうか。
目指していたものはやはり見つからなかったのだが、書店の面白さはだから回れ右と引き返さないところにある。何が刺激するのか知らないが、本の山というのは心が躍るような、知らないと損をすると焦るような、一応手にとって開いてみたくなるような、そんな怪しい気配がある。あまりにも沢山あるので心拍数が上がりそうな勢いである。
今回は雑誌には目もくれず、ひたすら文庫本のコーナーを渡り歩く。文庫の山というのがまた、パッと見にはどれも同じようでありながら、ひっそりとその場で拾われるのを待っているような、何かしらの存在感があって、それがまたますますこちらの好奇心をそそる。
こんな時にも、棚に並んでいるおびただしい本の背表紙の中から、チカッと目に飛び込むものがある。それは、書店側が購買欲を煽るために目につくような入り口付近に山積みされているものではなくて、あくまでも壁ともいえるほどの背表紙の連なりの中から飛び込むものだ。ある意味地味な扱いである。なのに目が合っちゃうわけだ。
たいていの場合、それはタイトルではなくて著者の名前による。考えてみればタイトルで本を探すことよりも、著者で探す方が圧倒的に多い。しかし、既に読んだことがあるのかと言えば、全く初対面の場合もあるので、こういう名前はきっと、無意識のうちにどこかで見たか聞いたかしているのだろう。
今回目の中に入って来た本の著者は、塩野七生、米原真里、ナンシー関。驚くことにこの3人の本がなんと至近距離30センチ以内に並んでいたのだ。あららあらら、こうなると私はもう尻尾フリフリの犬と化し、なんのためらいもなく手の中に。(ネットで言えば、カートの中)
それから、再び小池真理子。この人の書いた本、あまり好きじゃないと前回書いたのに、更に一年前の夏、初めてブックオフで見つけた著者の本は、行きがかり上仕方ないから買った的購入の仕方で、更に感想といえば『辛気臭い』とこの場にも書いたのに、またまた読もうと思うのは、一体なんだろうか。
実はこのところ、頭の中にこの問題がいつもある。(問題というのもアレだが)何でこの人の書いたものを読むのか、というテーマである。この人のことを、女の深層心理が巧みに描かかれ、(女といっても熟女である)、情緒を含んだ表現にはうっとりする、などという感想をあちこちで見かけるが、何かこういつ読んでも辛気臭い(私的に)。
官能的な要素を含みながら、辿りつけそうで辿りつかない表現に物足りなさがあるし、固さがある。なのに、それなら何で私は読むのだというと、何となくだが、似ている気がしなくもない。何に似ているのかと言われても困るが、句読点の入れ方が、とだけしておこう。(笑)
まだ著者の本を読み尽くしたわけではないので、あまり語ると(というかその粋には達していない)ファンの方にはお叱りを受けるかも知れない。(誰だ)どうもこの人はサスペンスの人らしいので、その固さやもって行き方の強引さは許すとしようということで。
とにかく、こういうテーマが時々あって、彼女の本は何となく読んでしまうものの領域ではある。じゃあ、好きなのかと聞かれると答えが出ない。それが困る。(笑)
というわけで、このところ読書の日々かも知れない。何しろ夏といえば日が長い。夜は夜で寒くない。絶好の読書季節と言えるのではないか。というのは何だろう。そうそう、夏休み間近になると、本を読ませるために各出版社でそれなりのキャッチコピーが大量に放出されるからだと思う。
何か無理して書こうとしているわけではないのですが。(笑)
天気と芸能人と下のネタ
2004年07月23日(金)
人が交わす挨拶の中で、最も多く話題に出るのが天気の話ではないだろか。 例えば、誰に対しても平等なしうちを与えるこの猛暑のことだとか、夏は依然として続くらしい、だとか、誰彼かまわず持ち出せる共通の話題であるといえるだろう。
気の置けない古くからの友人であればともかく、そうではなくてチョット顔見知りの人だとか、ご近所の奥様だとか、あるいはシガラミがあってそっけなくは出来ないがさりとて親しくなんかしたくないという人と出合ったら
「お暑うございますね」だとか 「暑いですねぇ〜」
と言ってりゃ間違いはない。 そこから発展して、共通の話題に及ぶこともあれば、そそくさとその場を立ち去ることもある。しかし、無愛想でなくその場をおさめることが出来るのである。
更に発展して、何かの会合に参加して口をきかなければならない場合、しばらくの間歓談しなくてはならないというような時、最も話題に出るのは人の噂話になろうか。
しかし、噂話と言ってもその場にいない共通の知人のこととなると難しい。たいていの人は、他人の噂話は嫌いではないが(そう思っているのは私だけかも知れないが)、全ての人がその人に好意を抱いているとは限らず、逆に全ての人がその人に好意を抱いていないとも決めかねる。 人というのは、思わぬところで繋がりがあったりするから、うっかり否を内包したニュアンスで発言すると後が怖い。
となると最も無難な噂話と言えば、次元は低いがやはり芸能人のネタであろう。こういう話は旬が短くて期間限定のネタであるから、いつまでも後を引くということがないし、何よりその場の誰も傷つかない。
こういうことに長けている人とそうでない人の違いはあるが、誰かがサイを投げれば意外とやんややんやの会話になるものである。
「あの件で最も女を上げたのは、やっぱり今井美樹よね、影じゃどんな圧力をかけたか知らないけどさ、マスコミにもダンナにも君臨してるって感じじゃない」
「そうそ、布袋はなんてったって布袋だから、上手くやったわね。男としては情けないけど、女房を立ててこの件はお終い♪みたいな、ある意味卑怯だけどね。高岡早紀ごときで己の位置を落とすわけにも行かないでしょうよ、っていうより落としたんだけど、美樹側にね」
「卑怯も何もお互い不倫だからね。何だっていいわよ。でもさ、あれじゃ可哀想なくらい三枚目になったのは高岡早紀だわよ。いくら離婚への踏み台だとしても、あんな言われ方は女としてみじめじゃない?」
「それを言ったら最も男を下げたのは、保坂尚輝でしょうよ。なんだ、布袋と張り合ってるのか馬鹿じゃない?みたいなさ。結局高岡早紀の不幸は、そもそもそういう男を選んだんだってことなんじゃないの?」
なんてなんてね・・・。 (ネタとしては充分古いが)
それから下ネタ。こういう話は嫌いという人も少なからず(と思っているのは私だけかも知れないが)いるもので、場の空気を読めないとまるでお話にはならないが、ある程度の年齢が行けば、軽く聞き流すくらいは出来るのではないか。
あ〜くだらない、あ〜馬鹿馬鹿しい、と思いながらでも、皮一枚の笑顔で付き合っていれば、角がたつことはない。
長々書いていたら、何をいいたかったのか忘れた。こういうことはよくある。一日にいくつかのネタが思いつき、頭の中では文章化されていて、これを持って来ようと思うのに、いざ、パソの前に座るとナンニモ言葉が出てこないのだ。ネタは?あれ?ネタ??なんて思ってみても何も出てこないで素晴らしいはずであった(あくまでもはず)テキストが露と消えたことを知るのである。
で、ネタについて書いてみた。 シメようがないが。
知らない季節
2004年07月20日(火)
今日は40度を記録したらしい。 40度といったら40度。 暑さもそこまで来ると呆れてしまう。
小学生の頃、夏休みの宿題には、朝顔の観察やら、歯磨きカードやら、毎日の日記があって、日記帳にはその日の天気と気温を書く欄があった。
私は毎日の日記や天気、気温は苦手で、歯磨きカードなんか毎日”磨いた”のニコニコマークに色を塗っておけば良かったのだけど、天気だの気温は忘れてしまう。 (毎日ちゃんとやらなかったらしい)
ただ、憶えているのは、気温が30度を超える日はひと夏の間でも数えるほどしかなかったということ。
27度とか28度なんていう日の方が多くて、一番高くても33度。でもそれは、ひと夏に一度か二度の出来事だった。
家の近くには市民プールがあって、毎日毎日プール通いをしたのだけど、気温が30度を超えると太陽ギラギラ、水がキラキラ、プール遊びが気持ちよくて嬉しかった覚えがある。
そんな日はとても混んでいて、学校の友達も沢山いた。誰も彼もが真っ黒に日焼けして、目ばかりになっていた。水と空気が輝いていて、『何もかもが動いている』そんな感じがした。太陽に反射する水のひとつぶひとつぶや、透かした光の向こうに波立つ水面の模様と白いしぶき。
でもそれは、気温が30度はなくてはならない、特別なもの。27度や28度だと、透明度が違っていた。
今はもう、30度を割る日の方が少ない。それも天然の夏の暑さじゃない。人為的な圧力が加わった底知れぬ気持ちの悪い暑さだ。
それでもその暑さをどうすることも出来ない。天気をどうすることも出来ないように。ただただ夏の方で容赦してくれるのを待つばかりである。
私は冬よりも断然夏が好きだが、40度と聞くと、それはもうまるで私の知らない別の季節のようである。
週末、そして連休
2004年07月16日(金)
昨夕は急な雷雨にみまわれ、隣の地域では一時停電になったそう。 私の住むところでは、停電にはならなかったものの、ネットが繋がらなくなるという惨事にみまわれました。
仕方がないので、たまにはそれもいいか〜っと気持ちを切り替え、ドライブを兼ねて近くの書店へ。
本屋さんって、一度中に入ると、出て来るまでにとても時間がかかりますね。あれこれ手にとってはパラパラめくって。普段読まないような雑誌の類も手当たり次第に見放題。 なにかこう、ネットサーフィンをしているのと変わらない気持ちになります。
しかし、本当に色んな雑誌があるものですね、感心します。次々創刊されては、また次々と廃刊になる世界。お店の人も把握しきれない量でしょう。
あれだけ様々な土壌があると、ライターと称する人も沢山いるんだろうなぁ。食べて行かれているのかどうかは別として。いやいや、大変な世界なんだろうと思いつつ、飽きるまで雑誌サーフィン。
結局小説を数冊購入して帰宅。さぁ読むぞ!っというわけで、早々と10時にはベッドへ。やっぱり本は、ひっくり返って読むのが一番だもんね♪
まずは小池真理子の小説など。私この人あまり好きじゃないのに、何で買ってしまったんだろう、と思いながら横になってページを繰る。そう、10ページぐらい読んだかなぁ。 ふと気がつくと・・・。
朝でした。 なんだ、ものの数分で眠りに落ちてしまいました。やろうと思えば早く寝られるものなんですね。 良い子のみなさん、夜更かしはほどほどに(笑) そして、良い週末を♪
笑っていいとも?
2004年07月14日(水)
人の悪口を言ったことがないという人は、嘘をついたことがないという人と同じくらい稀有な人だと思うが、そうであるならば、悲しいことに人から悪口を言われたことがないという人もまた稀だろう。
人の悪口と言っても、場合によっては日頃のストレスを発散させる作用があり、例えば職場の上司のことや接客業の人がさっきの感じの悪いお客のことやら、その場だけで流れてしまうようなちょっとした悪口であれば、それはそれで溜飲が下がりすっきり爽やかに仕事が進められる場合もないわけではないと思う。 勿論、当の本人には聞こえないような場所で、信頼のおける相手とに限っての場合である。
*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*
社内メールというのがある。お使いの方はご存知だと思うが、社内での連絡に使うもので、メールアドレスは一人に一つを与えられ、大抵は名前がその一部になっている。
使い方は一般のEメールと同じ。それに部署ごとに送りたい時に、人数分のメールをCC(カーボンコピー)で送らなくても、グループを選択すれば課全体、部全体、または別の課全体、別の部署全体、それらの全体、更に支社ごとだとか、一番多くはALLの機能を使うことで、全社全職員に送ることが出来る機能がある。
Bさんは、一身上の都合により、今月25日付けで退社することになり、挨拶文をしたためてALLで全員に送信した。上は会長から下は新入社員までである。
C子はこれを読んで早速Bさんに返事をしたためた。二人は同期の中でも気が合い、時々はお互いの上司の悪口なんかも言い合ったりしていたので、内容は大変に気軽なもので、今までのお礼やねぎらい、そして今後の応援を書いた後 「私も馬鹿上司や、気違いみたいな連中と仕事をするのはもううんざり。こんな会社は早く辞めてやるわ!」 などという言葉を添えて返信した。
返信は、そのまま返信機能を使えばC子の書いたメールはBさんの元にだけ送られるはずであった・・・。 のに・・・。
何故かどういうわけだかC子はALLを選んで送ってしまった。ほんの一瞬の出来事である。
すぐに気がついたC子は、青くなってセンターへ飛んで行き、送信を止めるように頼んでみたが時既に遅し。当たり前だが、メールはもう津々浦々へと飛んで行ってしまっていた。 C子蒼白、体中の血液が凍ってしまったかのようであったらしい。
再び部屋に戻ったC子は、慌てて次のメールを書く、丁寧に。 「先ほど私○○より送信されましたメールは誤りにつき、内容を読まずに削除してください」・・・などなど。 勿論ALL宛てである。
社内メールを読まずに削除する人というのはそうそういないもので、読んでから不要かどうかはそれぞれが決めることなので、後からどのようなメールを送ろうがいずれも読まれてしまうことになる。
数時間のうちにはC子の送ったメールはほとんどの者が読んだわけだが、その時はまだ社内は静かであった。 読まないで欲しいというメールも届いたことだし、とりあえず黙っていてあげようという暗黙の了解のようなものが場の空気を支配していたのである。
しばらくして、今度は上司A氏によるメールが再びALLで届いた。馬鹿な上司と言われた張本人が、部下の不始末を詫びるメールを全員に送ったというわけである。 このメールが全員に届た時から、それまで静かだった空気は一転、 『ありゃぁ〜 まずいよなぁ〜』 と誰かが言えば、待ってましたとばかりにみんな一斉に口を開く。実はさっきから言いたくて言いたくて仕方がなかったのである。 それが木曜の夕方。明けて金曜には、喫煙所でも洗面所でも、どこもかしこも寄ると触るとその話題。
この場合、一番同情されるのはやはり馬鹿な上司と書かれたA氏であろう。部下からそのような評価を受けている事を、上は会長から下は新入社員までに知らしめたわけである。
上司とは部下の酒の肴にされやすい存在ではあるが、風が運び去ってくれるようなヒソヒソ話であって当人の耳にも入らないのならまだしも、文字にして画面に残ってしまうというのは、酷である。やはり言葉は暴力になるだろう。
しかし、C子のいうことに賛同する者も少なからずいて、ある意味C子に同情的だ。 だがこれは、他人事だから遠巻きに溜飲を下げたという方が当たっているのかも知れない。
日頃からC子を快く思っていない連中は、同情するよりザマミロ的視線である。まったくよくやるわよね〜、ホントお馬鹿よね、てなものだ。「あ〜あ、お気の毒」と思うよりは、私も気をつけようと反面教師にしているのがミエミエだ。
それから、いくら退社するとは言え、C子とはそんな話をしていたと(こんな会社云々)知られてしまったBさんである。もう少しで、無事に円満退社をするところだったのに、何だか去り際にケチがついたようである。
私はその会社の一部所とは親しくて、偶然金曜日に出向いた時に聞いた話。 う〜ん、笑える。(笑)似たような話をどこかで聞いたか読んだかしたことがある。確か社内不倫に関係があったと記憶しているが、ALLではなかったみたい。全くお馬鹿だね♪
さて、私が最も可笑しかったのは、A氏のことでもBさんのことでもC子のことでもない。 この話題になるとみんなが嬉しそうなことである。(爆) 何だか楽しんでいるようなのだ。みんな野次馬〜。
他人の私信を読むのは、何かこう覗き見趣味を刺激するものがあり、それが目の前に飛び込んで、更に中身が面白く、しかも社内の全員にである。
会社に大きな損失があったわけでもないし、誰の懐も痛まない。 このような思いがけない失敗が、あくまでも他人事として起きていたら、努々自分は気をつけようと肝に銘じながらも、楽しい気分が隠せないようなのである。
部署の仲間を「気ちがいみたいな連中」と書いたC子は、さぞや居心地が悪いだろうし、今後どうなるのか、ますます興味をそそられるらしい。 猛暑の中、C子のやらかした大失敗は、人々に涼風を送ったような出来事であったようだ。
あなおそろしや・・・。
そうなのだ
2004年07月12日(月)
Diaryを書かねば!と思いつつ眠くて。疲れているし・・・といいつつ。(笑)
今日、瀕死の蝉を見た。「まだ7月だよ〜」と声をおかけしたがダメなようであった。 いつもなら、まだ雨の季節である。今年は梅雨がどこかへ行ってしまったようで、蝉も真夏を満喫したのかも知れない。
生き物は全てがこのように自然にとても忠実である。花が咲くのも虫が育つのも、風の音を聴き、太陽を感じながら。 人間だけが、寒けりゃ暖かく、暑けりゃ涼しくといっている。
*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*
この部屋の曲、賑やかすぎ?気合いが入りそうな曲を選んだのだけど、そして大そう気に入っているのだけど、チョット loop が・・・(笑)
以前のイメージと大分違うかも?と思ったのであの時の曲を選曲できるようにしてみました。 下の方にあるメニューの�兇任后�sound change のところです。
それではおやすみなさい。
雷雨
2004年07月11日(日)
久しぶりに雨。 それも猛烈な勢いの雷雨で、午後のひとときは街中がシャワーのよう。 目の前が素早く動く濃霧になって雲がぐんぐん走っていく。
みるみる向こう側に青空が見えて近づいてくる。 この空とあの空がまるで違う。 目の前は真っ白なのに、向こう側は綺麗な青に真っ白な雲。
短い間だったけど、あの雨のおかげで気温が下がって少し涼しい。
思ったのだけど〜 夜明けに一回、午後4時ごろに一回、毎日スコールのような雨が降ると、少しは暑い夏も過ごしやすいのかも・・・。
な〜んてね。(笑)
久しぶりに
2004年07月10日(土)
再開が決まってからの曽我さんは、それまで見たこともないような笑みを見せるようになられました。
それは、この喜びが夢で終わってしまわないようにと、静かに抑ええたようなものでしたが、今までにはなかった明るい表情に、早く無事にその時を迎えることが出来るようにと祈るように見つめていました。
そして昨日、ついに念願叶って家族の再会が実現しました。 夕方から関係するテレビに釘付け(女子バレーにも釘付け・爆)。
今後の問題を考えると、ただ喜んでばかりもいられません。
中でも曽我さんの二人の娘さんたちは、18歳と21歳。 他のご家族のお子さんたちもそうですが、ずっとあの国であの国の人間として生まれ育った彼らのメンタリティを考えると、これから越えるべきものが山のようにあり、複雑ではあります。
少しでも離れていた時の距離を縮めて、家族それぞれがお互いを理解しながら平和な暮らしが営める第一歩になって欲しいと心から願ってやみません。
先日書きましたが、映画『トロイ』。 古代ギリシャの詩人ホメロスの叙情詩「イリアス」に記され、トロイア戦争として伝説となった話の映画化ですが、原作を読まれ、その遺跡を訪ねたことのある方によりますと、そのロマンは概ね表現されて非常に満足する映画であるとのこと。
王妃の略奪(今でいう不倫)、その怨恨、従兄弟の仇、そして再び従兄弟の仇、父の息子への愛情、などなど・・・、一つ一つのエピソードとしては見場も多くてそれなりに引き込まれ、私も映画としては充分に楽しめたのですが・・・。
しかし、それで一々戦争を起こされた日には、兵士も家族もたまったもんじゃないな、というのが実感。
北朝鮮の反日感情、日本人に対する憎悪はとてつもなく大きく、日本も好感情は抱いていない。 全ては戦争の傷跡ということになりましょうが、こういったサイクルというのはどうにもならないものなのでしょう。
平和であるべきはずの一市民が、このような状況に置かれているということが、ひどくやりきれない思いもいたします。
*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*
皆さんお暑うございます。 梅雨もどこかへ逃げてしまうくらい暑い日本列島ですが、夏バテしないように気をつけて、よい週末を♪
Copyright©*momo* 2001-2006 (Prison Hotel)
|