Sotto voce
DiaryINDEX|past|will


2003年01月26日(日) 私が歪んでいるのか?

某詩の投稿サイトに参加している。

サークル関係者だけでなく、もっとたくさんの人に読んでもらえれば。

そんな気持ちで参加しているのだが。

どうも最近、そこの主宰の言葉に疑問を感じずにいられない。

誉め言葉だけでは創作者として伸びない。時には厳しい批評も必要。

それはよくわかっている。

でも、彼の言葉(批評やアドバイス)には素直にうなずけない自分がいる。

� 筺惶�号はね、詩人の甘えにみえてきます。ごめんね。
この詩は最後まで読みませんでした。許してください』

要は詩に『・・・』とか感嘆符の類を使うなといいたいらしい。
確かに記号の多用はよくない。
でも、だからってそれが理由で作品を読まなかったといっていいものなのか?

�◆筺悗靴弔海�くどい言いまわしは
「わたしをわかって」の弱い気持ちに満ちています。
人に見せる基準には達していません。
あなたが、考え方をかえなければ詩もかわらない。
もったいないです。』

�,皚△癲∋笋任呂覆な未了躾佑気鵑了蹐紡个靴討弔い深膾砲隆響曄�

本当はもっと長々と批評がついてるんだけど。

私はこれを見たときにどうしても素直に受け入れられなかった。

しかしこの批評がついた本人は

彼の言い分を素直に認め、そこまで言うことないんじゃないの?と

思えるほどの謝罪にも似たコメントを寄せている。

そうかと思えばこの主宰、こっちが恥ずかしくなるほどの

褒めちぎり方をすることがある。

私がひねくれているのかもしれないが、

こういう褒めちぎり方をする作品に限って、

彼にとってはどうでもいい詩人、どうでもいい詩作品なのでは?

と思えるようになってきた。


安積 紗月 |MAIL |HomePage

My追加