Sotto voce
DiaryINDEXpastwill


2005年03月12日(土) あれから1ヶ月。

…そもそも本社勤務だった私が、
現場事務所のピンチヒッターの事務員として
派遣されることになったきっかけ。

それは、この日記に数回登場した後輩・O青年。

彼はわが社にプログラマーとしての
腕を見込まれて入社している。
現に彼が入社したことでうちの会社のHPができたし、
事務のシステムもずいぶん改善された。

社長もそれを評価していたから、
わが社の社運をかけた大工事の現場事務職として
彼を派遣した。

アナログなイメージのある建設業も
ここ数年はコンピューター頼りな部分が出てきた。
監督陣は技術は一流、経験も豊富だが
いかんせんコンピューターに弱い。
その穴を埋めるための彼の派遣だった。
若干不安な部分、現場からの不満はあるけれども、
彼の能力が誰にも文句を言わせなかった。

彼も現場も順調に仕事をこなし、
あと一月もすれば余裕で完成を迎えるはずだったのに
あの大事故が起こった。

その日から現場は24時間フル稼働、
技術職員は交代で泊り込み、
監督と重機の責任者にいたっては、
家に帰るのは風呂に入るための数十分だけ
そんな激動の日々が始まった。

常にぴりぴりとした現場。
その中でO青年が何をやらかしたのかは知らないが、
彼の態度や言動が、現場にいた社長と重機責任者の逆鱗に触れ、
事実上の「自宅謹慎」を言い渡された。

その翌日から、私が彼の代わりに現場に行くことになった。

謹慎が明けて、本社に出勤した彼。
朝礼後、社長との面談の中で、
彼が言った一言がさらに社長を怒らせた。


…結局、彼は現場の警備員として
再び元いた現場に復帰することになった。
…それがよほど屈辱だったのだろうか。

プライドの高い彼がその鼻っ柱をへし折られ、
毎日仕事は休まずに来るが朝も帰りも挨拶もしない。
昼休みだって無言でみんなのいる休憩所にやってきて
ご飯を食べたらさっさと出て行って車の中で昼寝。
あれでどれくらいもつものかと、
私や、同年代の同僚たちははらはらしながら見守っていたら。
ついに、彼が来なくなった。

その日の朝礼で彼がやめたことを告げたK部長。

みんな知らなかった。
社長ですら知らなかった。
前の日だって、警備日報を出しに事務所に寄ったが
一言もそんなことを言わなかった。
K部長のいる支店に電話をかけてきて
今日でやめますさようなら、それだけだったらしい。


彼にしてみれば、ここ1ヶ月はつらく苦しい日々だったのだろう。
でも、あまりにもお粗末過ぎる。
現場はもうすぐ完成を迎えるというのに、
彼が途中で投げ出した書類の山の処理に
監督も私も四苦八苦しているというのに。
突然やめられては、ただでさえ人が足りない現場で
人の手配に困ることぐらいわからないのだろうか。

誰かにいじめられたわけじゃない、
特別仕事がきつかったとも思えない。
彼がここまで追い込まれたのは自分自身の態度が原因なのに。
理不尽なことなど、誰一人としていってはいないのに。


あの事故から一ヶ月。
この現場にいる誰もが、休みなしで働いている。
誰もが過労気味で、
人によっては家族とのコミュニケーションもままならず
それでもこの現場だけは何とか完成させんと
疲れた体に鞭打って働いている。


工事の完成期限は今月末。
もうしばらく、我々の戦いは続く。


安積 紗月 |MAILHomePage

My追加