Sotto voce
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2005年10月11日(火) 遺影。

昨日、叔父が亡くなった。

高齢の為に骨髄移植は不可能、

あとは投薬と週一回の輸血で

進行を抑えるしかなかった、白血病という病で。


最期の2週間は、

延命措置ともいえるその治療すら自らの意思で断り、

静かに、旅立って行った。


私たちは親戚として、そして同じ地区の住民として

叔父の葬儀の準備から納骨までずっと立ち会った。

昨日、祭壇を設けるための部屋を掃除していたら

傍で喪主である叔母や、うちの父ら親戚連中が

叔父の遺影にする写真を選んでいた。



それを見ていて、ふと思ったのだが。

私の身に何かあったとき、遺影にできそうな写真がない。



写真を撮るのは好きだが、撮られるのは大嫌いな私。

特に、最近の自分の写真ってないなあ・・・と思った。

結婚でもしてりゃ、嫌でも撮られるから形に残るけど、

(現に、昨年若くして逝ってしまった友人の遺影は

結婚式の写真が使われていた)

大げさに言えば、今私がここに生きている、という

具体的な証を残していないんだなあ・・・と。


こうやって言葉を綴ることが、

私が一日一日を生きている証を刻んでいることになる。

でも、一部を除けば私がどこの誰で

どんな姿かたちかを知る人はほとんどない。

逆に私がこうやってネット上に言葉を残していることを

ネットに興味のない私の肉親は知る由もない。

私が心の中でどんなことを考えていたか、

きっと彼らはたどり着くことが出来ないだろう。


生きている以上、人は必ず死ぬ。

それは突然かもしれないし、

ある程度覚悟が出来ている中で「その日」を迎える、

それは人それぞれだろう。



叔父は、最期の入院をした丁度一ヵ月後に、

長年住み慣れた我が家に一度も戻ることなく旅立った。

今の病気を知ったときに覚悟は出来ていたのだろう、

身辺の整理をきちんと済ませていたようだ。

それは、子供のいない叔父夫妻にとって

自分が逝ってしまうことでひとり残される

叔母のことを含めた一切のことを。


私には、それが出来るだろうか。

少なくとも、今の私には無理だ。

縁起の悪い話だとお怒りの向きもあるだろうが、

もしも私が自分の意思で自分の命を絶つと決めたとき、

それか、私の命の時間はあとわずかだと知ったときに、

「整理」しておかなければならないことがあまりにも多すぎて。



安積 紗月 |MAILHomePage

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