Sotto voce
DiaryINDEXpastwill


2007年07月22日(日) 我慢とか遠慮とか。

我慢すること、遠慮することを良しとする生き方をしてきた。
それは、母が我儘を言うことを悪とする育て方をしたからだろう。

人間関係を形成する上で、
たとえ自分にとって不都合なことが生じても
自分が引いたことで丸く収まるならば
それでいい、と己の意思を通すことを避けてきた。

むしろ、そうした方が楽だと思っていたから。
感情のぶつけ方を知らずに育った子供は
人とぶつかることを怖がる大人になった。

でも 最近思う。
もう、いいんじゃないかって。

父に、同僚に、恋人に、友達に遠慮して
己の感情をさらけ出せないこの人生
我慢して、消化しきれない感情がどんどんたまって
どうすればいいのか見えなくなってきた。
身体壊してまで、心すり減らしてまで
遠慮することのどこが美徳なのか。

痛い、辛い、寂しい、苦しい・・・
そんな感情ばかりがこの身体を占領して
自分が自分であることをやめたくなるほどの苦痛をもたらす。

空っぽの身体は 食物を受け入れることを拒み
ようやくとりこんだ水分さえも吐き出そうとする

今さらながら思う
我儘に生きる術を知っていたなら
もっと楽に生きられたのかな、と。


安積 紗月 |MAILHomePage

My追加