Sotto voce
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我慢すること、遠慮することを良しとする生き方をしてきた。 それは、母が我儘を言うことを悪とする育て方をしたからだろう。
人間関係を形成する上で、 たとえ自分にとって不都合なことが生じても 自分が引いたことで丸く収まるならば それでいい、と己の意思を通すことを避けてきた。
むしろ、そうした方が楽だと思っていたから。 感情のぶつけ方を知らずに育った子供は 人とぶつかることを怖がる大人になった。
でも 最近思う。 もう、いいんじゃないかって。
父に、同僚に、恋人に、友達に遠慮して 己の感情をさらけ出せないこの人生 我慢して、消化しきれない感情がどんどんたまって どうすればいいのか見えなくなってきた。 身体壊してまで、心すり減らしてまで 遠慮することのどこが美徳なのか。
痛い、辛い、寂しい、苦しい・・・ そんな感情ばかりがこの身体を占領して 自分が自分であることをやめたくなるほどの苦痛をもたらす。
空っぽの身体は 食物を受け入れることを拒み ようやくとりこんだ水分さえも吐き出そうとする
今さらながら思う 我儘に生きる術を知っていたなら もっと楽に生きられたのかな、と。
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