![]() |
![]() |
「あのさ、恋人ができたんだ」 良く晴れた昼下がり。いつもと変わらない 景色。街も人も雑踏も、何気なく流れてい く。 彼女は結婚していた。 「それで、相手はどんなひと?」 自分の当惑を打ち消すように彼女に尋ね る。その瞬間、最近読んだ文章の一部分 が頭をよぎった。 「ひとつの事実、ひとつの現実、などに対 して、ぼくはいつも異なる二つの思い−ア ンビバレントな感情というのでしょうか、そ んな感じを抱いていたという自覚がありま す」<五木寛之「大河の一滴」より> 日常、私の心を揺さぶるような、思わず何 かをいってしまいたくなるような、そんな時 でさえ、アンビバレントな感情というものが 存在する。 あの日もそうだった。 「二つの思い」が交差する。戸惑いは止め どなく風に流されて、私は答えを探してい た。 あるんだ、昼ドラのような話。 「そろそろ夕飯の買い物に行かなくちゃ。 母親が旅行中なの。カレーにしようかな」 壊れかけた自転車に急ブレーキをかける ようにいった。 「何買うの?」彼女は尋ねた。 「ニンジン、ジャガイモ、お肉、かな」 と答える。 「あ!実家から送ってきた美味しいジャガ イモがある。あげるから、買い物帰り家寄っ てよ。うちもカレーにする。ニンジン一本く れる?二人だからそんなにいらないのよ」 「まるで近所のおばさん同士だ」 不意に、何の迷いもなく交わされた笑顔。 さっきよりも優しい風が吹きぬけて行く。 歩いている道を、何回も振り返って、人は 大人になるんだ。 息を切らす前に、彼女ならきっと立ち止ま れる。 相変わらず答えは見当たらないけど、「じゃ あね」と別れて歩き出す彼女の後姿が、い つもより愛しく思えた。
|
![]() |
![]() |