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29歳 の手に握力を
昨年末辺りから病気と怪我を繰返し、「健康」について考え始めた今日のこの頃。ふと思い立ち、遅れ馳せながら、東京国際フォーラムで開催中の「人体の不思議展」に行ってきた。
耳に残るは、胎児や臓器の標本をみて、安易に「かわいそう」とか、「きゃー、きもーい」ということばを連発するコギャルの声。
人間の、自分の体のしくみを知り、ほんの少しでも生命の尊さを感じたのなら、そんなことばは出てこない。
飾られた、創られたことばを並べてみても、どれだけ長い沈黙を守っても。無意識にポロリと零れたことばや仕草から、その人の価値が計られる。
これって、ホントに恐いこと。
それでも、「一体、何を見ているの? 」なんて、彼女たちを否定したりする気はない。 今の彼女たちの目に見えなかったように、同じ年の頃の私にも見えなかったのだから。その先には、まだ限りない可能性がある。ただ、価値ある生き方を必死で探して歩けばそれでいいんだと思う。
20 代最後のこの年は、実践の伴わないことばやきれい事、心の弱さを軽々しく口にするのはやめようと心に決めた。この手には、ささやかだけど、大切なものがある。落としてしまわぬように、しっかり握力をつけるんだ。
今、あなたの手には何がありますか。
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