「あんた、ピアノの練習もせんと、なにやっとんがいね!」(訳:あんた、ピアノの練習もしないで、なにしているの!)
子供の頃から、何度となく、母親に言われ続けた言葉。 今ですら、実家富山に帰ると、言われるセリフ。
今日は、このセリフを何十回も言われそうな日でした・・。 ピアノの前に座っても、全く弾く気にならず、少し弾いては、チョコを食べ、少し弾いてはメールチェックし、少し弾いて、トイレに行き、また少し弾いて、あああああ、もうやめた!!今日はダメ!!と。 全く、楽しくない。
ピアノを弾くのがあなたの仕事、と、言うならば、私は今日、職場放棄いたしました。 ダメねぇ。わかっちゃいるんだが。この一日の遅れが、来週、焦る原因になるのだが。 自分に甘すぎる、私です。
しかし、プロのスポーツ選手ってのは、こう考えるとすごいね。 毎日欠かさず、どんなに嫌な事があっても、トレーニングするんだよなぁ。 例えば、オリンピックに出るような人たちは、勝つために、執念深く、毎日毎日、トレーニングするわけでしょう。
そういえば、話はちょっとずれるけど、夏、オリンピックのシンクロナイズドスイミング(こんな名前でよかったけ?なんだか間違っている気が・・・。)をイタリアのホテルで見ながら思ったことがある。 この人たちは、胸を張って手足を大きく振りながらの歩き方や、ピタッと張り付いたような笑顔を、本当に美しいと思ってやっているのだろうか? 美を競う競技、と言うけれど、結局、「勝つための」美しさの規定があって、それに忠実に従っているだけだよなぁ、と思うわけです。 それを、選手達は、不思議に思わないのかしら。 おかしい、とか、何のためにこんな笑顔の練習しているのかしら、とか、思わないのかな(笑)。 スポーツってのは、そんなことを疑問に感じていては、出来ないものなのかもなぁ。 とにかく、コーチに言われるとおり、勝つために、トレーニングする。 それが、面白かったり、好きだったりするんだろうなぁ。
うーん。でも、私には無理そう・・。やれと言われればやるかもしれないけど。 もう、多分、たくさん疑問が湧いてしょうがないと思う。なんで、こんな体操しているのだろう?なんのためにやるのだろう?勝つ事に意味はあるのだろうか?などなど・・・。 まあ、企業からお金が出て、コーチが付いて、いろいろなトレーニング方法を試して、何もかも、スポーツばっかりの環境であれば、疑問の余地なんてなくなるんだろうな。
私にも、つきっきりで、練習をリードしてくれるコーチでもいれば、こんなにウダウダ御託を並べる事も無く、気分が乗らない日でも何か効果的な練習をしたりなんかして、テクニック面では伸びるだろうに(笑)。
でも、結局自分のイメージを表現する芸術というものは、一人でやらねば意味が無いのだ。
今ふと思ったのだが、私には、あまり競争精神ってのは無いかもしれない。 必死に、「勝つために」何かしたことは、ないかもしれない。 コンクールを受けていたここ最近ですらも。 勝つ事よりも、その過程のほうを、常に重視している気がする。 そこが甘いところなのか。
だいたい私は、昔から「勝てる勝負」にしか、挑んでこなかったような気がする。 要領のいい私は、なんとなく、あまり努力せずともそこそこのことが出来たし、絶対に勝てないと思うものには、手を出さずに生きてきたような気がする。負けず嫌いだからこそ、とも言えるが。 ドイツに来てから、いろいろ考え、悩んできたのは、初めて、「勝ち」の見えない勝負に挑もうとしているからなのかも・・。 コンクールを受けたのも、「結果」が本当に欲しいわけではなく、そこにいたる過程を手に入れるためだ・・・と、自分に言いきかせているのは、結局勝てない勝負にまっとうから挑みたくないからなのか。
あらあら、自分に甘すぎるわねぇ・・・。
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