2004年12月17日(金) |
理論的な人間の言葉への依存 |
ある友人と、飲んでいて。 彼は、「自分の軸」「自分の生きる上での理想」のようなものを、4つ、持っているのだ、と、話してくれた。 これさえ守っていれば、それで充分なのだ、と。 その他のことは付随して付いてくるものであるし、本来要らないものである、と。
こういう「自分の軸」を、ちゃんと言葉で考えた事はなかった私は、答えに詰まってしまった。 「私とは何者か」「どうありたいか」などという問いは、言葉に出来るものではないだろう、と思っていたので、その彼の「4つの言葉で言える」ということに、少なからず衝撃を覚えたのだ。 その彼の「4つ」は、どれも、なるほど、と思えることばかりだったが、では、私自身はどうだろう、と改めて考えると、これが難しい。
「前向き」とか・・・? 「真面目」とか・・
こういう抽象的な言葉というモノは、良い面も悪い面もあって 例えば「素直」と自分を定義する、もしくは「自分の心に素直でありたい」という理念に従って行動すると、それは「自分勝手」などのネガティブな点にも結びついていくわけで・・ それを分ける判断こそが、「自分の軸」になり得るのではないかとも思う私は、まったく話がわからなくなってしまって、混乱の極致に至ってしまったのでした。 いやいや、言葉ってムズカシイ。
そうやって、何もかもを、自分の言葉に置き換えて理解する、というのは、理論的な人間が誰しも好きな行為で、私もその例外には漏れないと思うのですが(だからコンサート日記なんぞ書いていたりする)、さすがに自分自身という人間のことを分析するのは、私には難しい。 自分自身の理想を語ることはできるかもしれないけれど、それが「自分の軸です」とは、言えない気がするんだもん。
まあ、なんにしろ、とにかく、彼の、4つの言葉で自分を定義してしまえるその分析力・客観的な視点に、ビックリしましたとさ、というお話でした。
もうすぐ日本に帰るのか。 実感ないなぁ。 荷物整理を始めなくては。
学校がクリスマス休みに入って、気持ちが緩む今日この頃。
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