山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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今日も快晴だ。6月23日は沖縄で実質的な戦闘が終結した日で、「慰霊の日」とされているそうだ。一昨日、娘から持ってきてもらったパソコンで今年1月に職場旅行で訪れた沖縄の写真を見たばかりだったので、「ラジオ朝一番」の「今日は何の日?」でこのことが紹介されたときは、景色が鮮やかに脳裏に浮かんだ。
午後から妻が両親を連れてきてくれる。定期的に病院へ通っているので、その途中、市民病院へ寄ったものだ。妻が父を車椅子に乗せて押して着てくれた。ニコニコして「しばらく」と言った父だったが、私の顔色があまり良くないと思ったらしい。でも2週間も病院に入ったきりだと青白くなるのも止むを得まい。逆に父はずいぶんと赤ら顔で血色の良さを感じさせた。 母は手提げ袋の中からいきなり封筒を差し出した。「少しだけど」年金暮らしの両親から見舞いのお金はもらいたくないが、「いらないよ」と言った時の母の顔がとても寂しそうだったので受け取っておくことにした。とりあえずは元気そうにしている私を見た両親は一安心した様子で帰っていった。
午後、娘とテレビでサッカー観戦をしていると、背後から 「山村さん、どうですか」 と成田先生に声をかけられた。動くときに痛みを感じるので、コルセットを着用していることを告げると、車椅子に座っている状態で両足を上げさせ、痛みがあるかどうか確認した。この形では痛みはない。先日の診断で間違いはないだろうということで、来週水曜日に手術と確認された。左肩付近の背中と胸を週箇所押して、この辺は痛くないかと聞かれたので、左脇の下付近を示して、このあたりが痛いと告げると納得したような顔つきをされた。ここも何かあるのかと再度訊ねると、やはりちょっとあるけれども化学療法に反応するやつだからそっちですね。ということだった。このあたりの骨髄も侵されているということか。
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