山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2013年05月26日(日) 県立がんセンターと緩和病棟を要望


 八戸市が県立がんセンターと緩和病棟の設置を国や県に対して重点要望するそうだ。
 私は最近「八戸緩和ケアを考える会」の会員になった。それは県内の緩和病棟が青森市と藤崎町にはあるものの、八戸地域には八戸市民病院内にたったの3床しかないと知ったからだ。行政が動かないなら私たちが行動しようと集まったのが「考える会」である。こんな民間の動きを察してか小林市長がさっそく動いた。これは是非とも実現して欲しい。特に県は積極的に動いてもらいたい。





 オビには「1000人の死を見届けた終末期医療の専門医が書いた。あなたはもう読みましたか?人は死ぬ前にこんなことを後悔しています。」とセンセーショナルに書いてあった。

 「八戸緩和ケアを考える会」に入会したのをきっかけに本書をもう一度読み直してみた。この病になってからがん系統の本や終末期医療の本を読みあさったので、大津氏の本も何冊か読んでいる。この「考える会」のHPの本の紹介コーナーに大津氏著「死ぬときに後悔しない医療」があったので同氏の本を数冊読んだのを思い出してとりあえず身近にあった一冊を読み直してみた。

 著者はこれまで1000人もの末期患者を看取ってきた。それらの死に行く人々が今際の際にどんなことを後悔して死んで行くのか、25の事例を6つの章に分けて解説している。間もなくその時期にさしかかる自分としてはとても他人事とは思えない。

 私はこの中でも第5章「宗教・哲学編」が最も印象に残った。タイトルだけみるととても厳めしい感じがするが簡単だ。
22. 自分の生きた証を残さなかったこと
23. 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
24. 神仏の教えを知らなかったこと
この3つである。

 一つは自分が生きた証を残したいと多くの人が思うそうだ。老いると自伝を書こうとする人が多いのもそのせいらしい。だから死期が迫って後悔しないように、自らが生きた証を積極的に残そうとするべきだ。またその行為が後々の人々に力になる。

 次は生と死の意味を考えることである。著書は「生の意味は、関連する誰かに自分を残すことだと感じている」と言っている。別の言葉で言うと「人はその生き方を他者に刻むために生きている」そうだ。それを考えずに死期の迫った人は戸惑う。成功者といわれるような人たちは「マイ哲学」があったそうだ。自分の死を眼前にしても堂々としていられるという。

 そして宗教の教えだ。それでも神さまがいなくても大丈夫な人はいる。しかし宗教が用意している「来世」が多くの人々の助けにはなっているそうだ。「来世」という言葉は非常に甘美な響きを持っているという。お医者さんも患者の亡骸を病院から見送るとき、
「来世で会いましょう」
と呼びかけてしまうことがあるそうだ。ことさら「来世」を信じてはいないのに、あるのが当然のように振る舞ってもいる。

 日本人はお人好しだから、初めてある新興宗教の教義を聞くとすぐに心を奪われてしまいがちだとか。それで救われるなら良いがそうでもない場合も多い。医者だけでなく宗教もセカンド・オピニオンを求めてみてもよいのではないか。一人の宗教者より別の宗教者の方が自分にマッチしているということもあるかもしれない。とにかく健康なうちに宗教について考えることが大事だと大津氏は言っている。安全に使えるようになった医療用麻薬と違い、怪しい宗教は完全な「麻薬」といえるという筆者の考えには全面的に賛成する。

 さてこの県南地域に緩和ケア病棟がない。青森や津軽地区にあってここにはない。そしてやっと八戸市が立ち上がった。2014年度に国・県に対して県立がんセンターと緩和ケア病棟の設置を重点要望するそうだ。小林市長はドクターヘリの誘致にもかなりのエネルギーを費やしてくれた。今回の件も頑張ってくれるものと信じている。


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