| 2002年05月21日(火) |
あの夏、キミは生きていたかったのだろうか。 |
今日は午後から病院。 土曜日寝過ごしてしまって薬を取りに行けなかったので。 やらなければならない仕事は目鼻がつきそうな。 けれどイヤンな上司が手伝ってくれと言う。
やなこった。
個人ブースに篭っていると襲撃されるので立ったり座ったり。 それでなくても忙しい。 けれどしようがない。 隙は見せない。
忙しいけれどメールのチェック。 メッセンジャーでラブリーベビーとすれ違う。
週末は写真家T氏の展示会に行ってこよう。
表はいい天気。 普段は乗らないJRに揺られる。 陽が差し込んでいる車内。 いい感じ。
昔。 平日真昼間の駅のホームというところにはこれほど人がいただろうか。 あれはいつ。
錦糸町に到着。 北口を出たところで「原爆展」なるものをやっていた。
足が止まる。
アタシの誕生日。 8月の6日。 小さな頃、そしてまだアタシが親と一緒に暮らしていた頃、 母はアタシを呼びつけてテレビの前に正座させ、 原爆投下時刻に合わせて鳴るサイレンを合図に黙祷させたものだった。
戦争の中を生きた母は何を思っていたのだろう。 そして目の前の写真の中にいる彼らは何を思っていたのだろう。
果たして「生きたいと思っていたに違いない」とは 無知なアタシの考えることだからなのか。 コメントとしてつけられた活字が訴えるものは何なのか。 「写真の中の彼は『殺してくれ』と叫んでいた」と。
それは誰の叫びですか。 それを訊くことは罪ではないのですか。 その声を聞くことは出来ないけれど。 そしてあなたを助けることも出来ないけれど。
時間のせいなのでしょうか。
昭和20年の8月6日 昭和21年の8月6日 昭和22年の8月6日 昭和23年の8月6日 昭和24年の8月6日 昭和25年の8月6日 昭和・・・
彼らと、そしてアタシを除く8月6日生まれの彼らは例えば今日、どんな空を見ていたのか。
暖かな風が優しく吹く、こんなに天気のよい日に。 なぜ彼らはここにいない。
薬を受け取り、渋谷にとって返して指の治療をしたあと いつもの道を歩いて家に向かう。
明かりを点けて部屋に入ったら写真家T氏の作品が目に入った。
お洒落な箱の中に収まっているほぼ全裸の彼女が柔らかくこちらを見ていた。
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