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続・ 「煩悩コントロール」考(極私的) - 2012年02月21日(火) 前回、「煩悩コントロール」について、 神が紡ぐ様々なシナリオ、人間とロボットの命とは何か、 人間の心と魂とは、ということを考えた。 けれど「青い龍との約束」とは何かが謎だった。 何を『最後にする』と言うのだろう。 「煩悩コントロール」を何度も聴くうちに、 『僕らはまた出逢った』 『青い龍が空を駆け抜け僕に約束させる 』 『「これでもう最後にするならいい」 さあ』 『なぜ急いでここから出たいんだ』 「輪廻」ではないかと思う。 「僕」は、「輪廻」の輪の中にいるのではないかと思う。 仏教において、 天道(てんどう)人間より優れた存在の天人が住む世界。 苦しみが少なく空を飛び、享楽の内に生涯を過ごすが、 煩悩から解き放たれてはいない。 人間道(にんげんどう)人間が住む世界。 四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、楽しみもある。 修羅道(しゅらどう)阿修羅の住む世界。 終始戦い争う、苦しみや怒りの絶えない世界だが、苦しみは自らに 帰結することが大きい。 畜生道(ちくしょうどう)牛馬など畜生の世界。 ほとんど本能で生きる、救いの少ない世界。 餓鬼道(がきどう)餓鬼の世界。激しい飢えと渇きに悩まされる。 地獄道(じごくどう)罪を償わせるための世界。 迷いあるものが、この六道(りくどう・ろくどう)を輪廻するとされる。 六道輪廻(あらゆる生命は六種の世界に生まれ変わりを繰り返す)という。 仏教では、輪廻を死後におもむく世界ではなく、 心の状態として捉えるのだそうだ。 そして、この六道に迷える人間を救うのが、 観世音菩薩だ。 観世音菩薩は、龍上観音、あるいは、龍騎観音というように 龍に乗った姿で現すことが多いけれど、 龍そのものを観音の化身とする例もあるらしい。 だとすれば、「青い龍」は、輪廻の輪の中で藻掻く「僕」を 救うのではなかろうか。 「これで最後にする」事を条件に。 永遠に繰り返される、誰かの描いたシナリオ通りの「生」ではなく、 リセットされてまた新しくプレイされる「命」ではない、 ただこの「今」を生きる「僕」だけの「命」の記録。 この「命」の記録を刻み付けるのは、あくまでも 「僕」自身であるという強い決意と誇りというものが、 最後の『僕の全てはコントロールできないよ』に 現れているのだろうと思う。
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