今日の日経(H15.9.4付)社会面に、「胎児に障害 事故で認定」という記事が載っていた。
記事によれば、交通事故で妊婦が傷害を負ったところ、事故の6時間後に出産し、生まれた子どもに傷害が残ったということである。
この事故で、判決は「女児の傷害は、母体への傷害に起因したものである」として、事故当時は胎児であった子どもを被害者として認定した。
胎児は「人」かという問題は、興味をそそりやすい問題のせいか、法律を勉強する最初のころによく出てくる問題である。
民法上は、損害賠償請求権、相続、遺贈については例外的に胎児がすでに生まれたものとみなす規定がある。
刑法上は人体の一部が露出したときに「人」となるという判例があるが、胎児は「人」とはされていない。
とすると、胎児を被害者と考えると、胎児は「人」ではないという考えと矛盾する。
しかし、判決は、胎児ではなく、生まれてきた子どもを被害者としているので矛盾はしない。
このような判例の考え方は、水俣訴訟で最高裁がとった考え方であり、理論上は議論のあるところであるが、結論としては最高裁の考え方は肯定されている。
司法修習生のころ、裁判官を交えて水俣訴訟の最高裁判決の勉強会をしたことがあったが、裁判官は最高裁判決の考え方を全面支持、修習生は結論は支持するが、理論構成には納得できないという議論がなされた。
実務家は結論重視、修習生は理論重視の傾向があるといったところだろうか。
私も、実務家となった今は、「結論が間違ってなければいいんじゃないの」という傾向になってきたようである。
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