長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2006年01月13日(金) 無気力な 境界点

 何だろう、この――やる気の無さ。惰性、か。ゼミ論を終えたことで気が抜けたか。


 あの人は如何しているだろう、なんていう過去への、或いは現在の遠くへの、思いを馳せることを意図的に辞めて、目の前のことだけを処理しようとしたって、取り敢えず出来ることから、なんていうのは所詮口先だけで、取り敢えず出来ることなんて何の意味も為さないことだったりする。何の意味も、為さない。過去に囚われるのは不可なくて、未来だけを見詰めてふらついているのも不可なくて、じゃあ現在って何だよ。過去と、未来との、境界線。否、線じゃない、点か。境界点。

 人間がどれほど自分勝手かってことは知ってる。私だって自分勝手な人間だ。人間は皆エゴイストだって私は考えている。だって、私はエゴイストじゃない人間に出会ったことがない。自分のことしか考えていない――他者のことは考えている振りだ、とは言わない、でも他者より自分の方が遥かに可愛い――其れが人間だ。きっと。人間だけじゃなくて、動物なんてそんなものだ。自分が生きることだけしか考えられないのだ、生き残る為の、其れは本能だ。だから、エゴイスト。私が人間不信だからそう感じるのではない。きっと。
 でも、そうとは理解していても。こんな理不尽なことはない。全てを無視された形での一方的な依頼――拒絶できない命令のような、依頼。


 ル・クレジオ氏が来るんだよ、お会いできるんだよ。『ナラ・レポート』の津島佑子氏も来るんだよ。でも、こんなのは私の 為事 じゃあない、よね。










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