バッハとグレン・グールドと漱石の「非人情」とレディオヘッドとロック - 2000年10月20日(金) バッハとグレン・グールドと漱石の「非人情」とレディオヘッドとロック。 そんなんが最近の弟のテーマらしかった。 ヤツはあたしと違い、器用に世の中わたっていけそうに見えたが、 どうも複雑にこんがらがっているみたいだ。 バイトもやめて、思索に耽っているらしい。 その様は以前のあたしにもまして熱心で深そうなんだけど、 論理そのものはぐちゃぐちゃなので、あたしは突っ込んでいじめてやる。 ・・・といってもバカにするってことじゃない。 あいつの論理は偏りすぎていて、いつだって半分しか見ないから。 そのもう半分を肯定してやるんだ。 それから、あいつが避けてとおっているポイントを提示してみる。 (でもこれは、相手がホントに参ってるときには非常に危険。念のため。) ・・・へんな兄弟。 似てるんだろな、やっぱり。 最近じゃ、「生きにくいよな、世の中」ってのが あたしたちの合言葉だし(爆) で、バッハとグレン・グールドと漱石の「非人情」と レディオヘッドとロック。 なにか見える? Keyは、漱石の『草枕』における「非人情」。 実はあたしはこれ、読んでないのだけど(爆)、 ヤツはこれを目指しているらしい。 ヤツの話から推測するに、それはおそらく「悟り」に近い。 あるいは「非日常」。「超越」。「普遍」。 ついでにあたしがいうところの「宇宙」。 そういう世界とつながりをもてることは貴重だ。 うまくするとなにものにも動じない安定感と、 解き放たれた感覚を得られるだろう。 だけどそれを生きるのは危険だ。そう思う。 ヤツの思いを知るには、あたしも『草枕』、 読まなきゃならないんだろな。うーむ。 ...
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