引き時 - 2002年09月03日(火) 薄汚れた感情を、浄化しよう。 キレイさっぱり、洗い流してしまおう。 やることはとりあえずやった。 これまでの流れを生かすのならば、新しい人を入れたほうがいいですよ、 そうするにはこういう問題が考えられますよ、 というお話は、したのだ。 だからといって、ボスがそれをどう考えどう判断するかは 私にはどうしようもないことだ。 ボスは、これからのことを「ボスなりに」お考えになるだろう。 その結果、なにかしようとなさるだろうし、 それに私が必要ならば声がかかるだろう。 別に私がつくってきた形にこだわる必要など、欠片もないのだ。 これまでの流れを生かしたいというのは 単純にそれが自然だというのも、効率がいいというのも、 もちろんあるけれど あたしにしてみれば、今までのことを無駄にしたくない、 という気持ちの表れでもあったりするわけで でもそんなこと、ほんとうはどうだっていいのかもしれない。 どうぞ、ボスがコントロールしやすいようにしてくださればいいのだ。 その結果どういう形になるかは、あたしの感知すべきところではない。 どこから誰をどのように使うかは。 だからあたしが今ここですべきことは、 それについてとやかく言うことじゃないのだ。 今やることをしっかりっていうことと、 要請があったときには応えられるようにしておくこと。 状況が変わったらそれに柔軟に対応していけばいいだけのことだ。 そうこうしているうちに、半年は過ぎていくだろう。 それまでにできるだけのことはしようじゃないか? 反感の渦を、あたしが中心になって大きくしてはいけない。 あくまでそれらは独立した感情として存在させなければならない。 渦をつくりだしてはならない。 あたし自らの深層に眠る砕かれた自尊心や虚栄心を、 揺り起こしてはならない。 それらに理屈をつけて正当化し、主張するなど もってのほかなのだ。 ...
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