晴れも褻も
〜ハレもケも、と読みます。私らしいかなと。
- 2007年11月07日(水) 別れの価額
幸福が科学できるんなら別れも科学できるだろう
勉強会にまで仕立てる気はさらさら無いけれど、
私にとって別れってなんだろうということを考えていたら、
けっこう分かりやすく理論だてることができたので書いてみる。
ちなみに標題は誤字。
「感情コード」なんて誤字を見るたんびに可笑しいなと思っていたので
そのまま採用してみた。051000が悲しみとか、可笑しいじゃない。
好きなんだけど別れるってのは、要するに、諦めらしい。
ある人生があって、これをこの人と生きていけたら幸せだと思って、
そっちへ頑張っているところへ異物が落ちてきた。
異物を受け容れることができるかどうか。
これと思った、その好きな気持ちと異物への反発心とが戦って、
もし反発心が勝ったら好きな気持ちは諦めなきゃいけない。
それは、受け容れるという能力における自分の限界を知ることに繋がる。
異物への反発心もあるだろうし、
もし振られるような場合であるなら相手の幸せとの戦いとなるし、
ま、場合によって色々だろうけれど、要は好きな気持ちをそれによって諦める、
諦められれば、別れられる。
ものごとを決められないのなら、決めるに必要な材料を提供する。
(流れに任せるという考えもあって唸っちゃったけど)
こないだであれば後輩とのお茶だし、
今回であれば、色々と提案中のものごとだろう。
材料を出し切って、納得して別れないと未練が残るものね。
もう無理だと思うまで、別れるなんて口走るなと教えられた。あれは正しい。
そこまでたどり着けるだろうか。切られたエンドは意外と近い。
長くなってしまった。
いずれにしても、デッドエンドは人生の終わりじゃない。その理解でよいよね。
***南の島の写真をアップしました。→こちら***