LORANの日記
DiaryINDEXpastwill


2007年01月23日(火) 生きるということ。


地球上には動物と植物が合わせて200万種もいるそうです。

これらのすべてが生きていることは、想像しただけでもスゴイことですね。


地球で生まれた「種(しゅ)」は原始的な生命から発達して、これほどまで

言葉通りに多種多様な形態をとるに至りました。


これもすべて「種」が自らの存在を維持するためのことでしょう。

ですから「種」の存続と発展が、すべての生命活動の原点でしょう。


このように考えると、人間の営みはすべて「種」の命ずるままなのでしょう。

自分に無いものが魅力的に感じるのは、「種」のなせることであり、

恋愛もまた、自分の「種」をより完全な状態で維持したいからでしょう。

母性本能で子どもを必至に守るのも同じだったのですね。


肉体の欲求を支配しているのは、「種」であることが分かります。

そこで疑問が起こってきませんか?


「種」が主人公であるなら、どうして環境破壊や戦争や自殺など、人類を

破滅へ向かわせるような状態を作るのかと。


ここに人間だけに特有な性質が見えてきます。

人間だけが恐怖や不安を持っていることです。


他の動物にも感情があるし、危険を察知すれば逃げ出します。

捕まえられたり、殺されることも恐怖でしょう。


しかし、人間のようにいつも恐怖や不安を感じてはいません。

ですから彼らは感情に支配されないで生きています。


人間だけがいつも恐怖と不安のとりこになっています。

その感情が、環境破壊や戦争や自殺などを引き起こしています。


恐怖や不安を引き起こしているのは、「自我意識」でしょう。

「自我意識」は人間特有の性質です。


本来は「私は誰か?」を知るために与えられた性質だと思います。

それは「自分が光である」ことを確認するためでした。


しかし「自分が光である」ことを知ることは、宗教組織によって

封印されてしまいました。


それで私たちは羅針盤を失った船のように、さ迷っています。

いつまでたっても光が見えません。

それで恐怖と不安が私たちを支配しています。


いま私たちに必要なことは、自分自身が光であることを確認することです。

すべてが光であり、私たちもまた光なのです。


いつも高次元の光が私たちを導いてくれています。

なによりも自分の本質(魂)が光そのものなのです。


生きることは、恐怖や不安の感情から抜け出して、光として生きることです。







LORAN |MAILHomePage

My追加