LORANの日記
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2007年01月25日(木) |
人情で解決しますか? |
「人情が無ければこの世は闇」と言います。
「人情」は他人へのやさしさでもあります。
どんなものにも適度というものがあります。
「人情」がよく作用すればいいのですが、縛られることもあります。
「人情」だけではどうにもならないことがあります。
お金が無いのに、貸すことはできません。
インドで旅行者が物乞いや貧しい子どもたちに囲まれると聞きました。
すべての人に応じていたら、無一文になってしまいます。
「人情」によって、困っている人をすべて救済することは不可能です。
体の不自由なお年寄りを家に置いていたくても、介護者の都合などで
ケアセンターや病院などのお世話にならざるを得ません。
このように「人情」は、自分の都合のつく範囲で適用されるのでしょう。
そこで「人情」を要求する人と、要求される人の間に闘争が起こります。
ここまで面倒をみてきたのにと、双方が主張します。
一方は親で、他方は介護をする子どもです。
親は面倒をみてくれることが当然と主張しますし、子どもは働かなければ
生計が立たないと主張します。
日本では、国家が老人の生活を保障するシステムがありません。
福祉国家から較べたら、お寒い限りです。
それなら、国民が自助努力をするしかありません。
病気やけがをしないように、健康管理を子どものときからの学習が必要です。
中国の公園などでお年寄りが太極拳をしている風景が紹介されます。
中国では12億人もいる国民に対して、医療水準が整備されていません。
それで老人を中心に、健康維持のために太極拳を指導したそうです。
これによって、老人の健康維持は初期の目的を果たしました。
富裕国家(?)・日本では老人は手厚く介護されています。
朝から晩まで、テレビを見て暮らしています。
これでは体も脳も、機能を失ってしまいます。
自分で考え、自分のことは自分でするように指導しなければなりません。
これは急にできることではなく、子どもの頃から学習する必要があります。
テレビなどは、1日2時間が限度と決めましょう。
一家団欒とは、テレビを消して家族が顔を見ながら話を聞くことです。
お年寄りは尊敬されるように、若い頃から体を動かし、皆のために
功徳を積むことです。
そうすれば、老人になっても元気で活躍できるでしょう。
介護も、最後のときだけ必要になるでしょう。
人情だけで言い争っていたら、共倒れになってしまいます。
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