LORANの日記
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昨夜、23:25の沖縄発最終便で羽田へ到着しました。
駐車場から車を運転して、今日の02:00に帰宅しました。
あわただしい4日間でしたが、とても満足しました。
八重山諸島の歴史は、本土とは比較にならない(?)ほど過酷でした。
しかし、八重山は、大寒の1月31日とは信じられないほど暖かく、
自然が豊かでした。
ハイビスカスはいたるところに咲いていましたし、ブーゲンビリアの
鮮やかな花が燃えるように咲いていました。
これが夏だったら、どんなにすばらしかったでしょう。
驚いたのは朝顔や桜草が咲き、アゲハチョウが舞っていたことでした。
海岸でショップを開いていた男性は、半袖シャツに半ズボンでした。
アダンの実が黄色く色づき、バナナも実っていました。
池間島のガラスボート(船底がガラス)でさんご礁を見ましたが、
色鮮やかなサンゴが、生き生きとしていました。
このように自然豊かな土地で過酷な歴史があるのは、水の不足と政治の
問題です。
人が生活することは可能であっても、雨水頼りでは農業は大変です。
鹿児島藩による過酷な税の取立てや使役のせいです。
八重山に住む人たちに、アメリカ・インディアンのイメージが重なりました。
沖縄と北海道が本土よりもずっと雇用率が低いことや軍用基地の負担が
大きいことです。
泡盛を昼間から飲む老人や離島の若者に感じる影は、抑圧されてきた民族の
悲哀を感じました。
博物館で出会った地元の75歳の老人の島の過去の歴史は、とてもショック
でした。
私たちはとても享楽的な生活をしています。
楽しければいい、快適ならばいいとしていますが、それだけでは他の動物
と同じです。
自分で考え、自分で行動してこそ、自分の人生になります。
それでなければ、ただ利用されるだけの人生になります。
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