メタモルフォーゼ...葬月

残骸 - 2005年02月22日(火)

10時頃、6歳の子供が行方不明になっていると防災放送が聞こえた。

こんな時間に外にいるとしたら、かなりヤバイ。

早く見つかることを願います。





こんな放送は時々あるのだけれど、何時もは痴呆のお年寄り。

そして放送を聞くと思い出す、7年前の寒い冬の夜。

7年前の2月の夜、祖母が亡くなってから急激に痴呆が進んでいた祖父が部屋から消えた。

とても寒い夜なのに靴は残っていて、痴呆の症状で出て行った事は確実。

夜中になっても見つからなくて、警察に届けて防災放送を入れてもらった。

警察が捜索してくれていたので、道を歩いていれば見つかると思ったのだけれど、

父が「少し寝て、明るくなったら探そう」と言ったのが信じられなかった。

眠れるのか?アンタは?

父は祖父の事を嫌っていたけど、本心ではないと思っていたのに。

両親は寝たけど、車で朝まで走り回った。

それでも警察からの連絡も無いまま朝を迎えた。

明るくなってから家に帰って、今度は自転車で家を出た。

2月の夜の寒さからいって、絶望的だと思っていた。

だから自転車で川や畑を中心に走り回った。

暫くすると救急車のサイレンが聞こえたので、サイレンを頼りにペダルを漕いだ。

救急車とレスキュー車が停まっていて、道路わきの側溝に祖父がいた。

農業用水だったので、冬は水が流れていなかったのが幸いだったのだと思う。

祖父の生命力は、2月の寒さにも負けなかったのだ。

夜中に探している時、何回も車で通った場所。

もっと早く見つけてやりたかったのに・・・・・・・・・・

深さ2メートル近くの側溝に落ちた衝撃で、大腿骨を折っていた。

レスキュー隊の人に助けられて側溝から出た祖父は、そのまま病院に運ばれた。

糖尿病のため骨は折れたまま、運ばれた病院で癌を患って1年後に亡くなった。





祖父は口数の少ない人で、仕事熱心な人だった。

そして手先が器用だった。

暇な時には、よく木臼を作っていた。

丸太から削って、全て手作業で臼を作る。

評判を聞いて、遠くから制作を依頼しに来る人も珍しくなかった。

なんであんなに計算したように丸く削れるのか不思議だった。

そんな祖父を見ながら、落ちている木を使って金槌と釘でワケの分からないモノを作っていた。

だから子供の頃は木が好きだった。

すぐ前の叔父の家を新築した時、毎日見に行っていたと母が今でも時々話す。

赤い帽子を被った大工さんと仲良くて、将来は赤い帽子を被った大工になると言っていたそうだ。

きっと今頃、祖父は天国で臼を作っているだろう。

今でも我が家では、正月の餅は手でついている。

勿論、祖父が作った臼で。





何を残したか、何を成したかで人の生は決まるのだと思う。

自分も残骸でもいいから何かを残したい。

この存在が、無意味でなかったという証を。


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