「タダ券があるんだけどいかない?」 とさそわれて年上の女友達と映画を観にいった。 話題の洋画はどれも時間があわなくて、 仕方なく13階段を観た。 女ふたりなのだから、 もうすこしたのしいものが観たかったな。 少林サッカーはとてもたのしかった。
女ふたりで話もいっぱいした。 こういう平日を過ごすのはどれくらいぶりだろう。 自分が自分じゃないみたいな、 しあわせなひとのようだった。
映画館を出ると、 奥へ続く路地にパトカーの灯りが列をなしていた。 映画を観ている最中に、 近所で火事が起きていたらしい。 野次馬らしきひとが、 「大変だったらしいよー」と知ったような口をきいていた。
いつも何かをあきらめるとき、
私がもう少しやさしくてかわいかったら
と心の中で唱える。 ときに友人に口走ってみたりもする。 みんなその意味をわかるはずもないし、 曖昧に微笑むだけだ。
それは言葉どおりのことで、 でもそれだけじゃなくて、 その言葉の真意を正確に伝えるのはとてもむつかしい。
ほんとうにしあわせなただのこむすめになれるのなら、 何度だってやりなおしたいと思うけれど、 私が大切にしているものを守りたいと思うその瞬間に、 いつも現れるターニングポイントを、 例えやり直せるとしても、 私は今と同じ道を選ぶだろう。
だから思う。 私がもう少しやさしくてかわいかったら そういられたら。 という過去形。
リプレイ、ではなく、 リターン、で先へいく。
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