こんなこと・あんなこと

2002年05月26日(日) 床屋のおっちゃん(長文)

午前中は職業能力開発協会の検定試験でした。受験者の皆様、お疲れさまでした。
午後は私の所属するDV(ドメスティックバイオレンス=夫・恋人からの暴力)被害者支援組織「駆け込みシェルターとかち」の総会並びに講演会でした。
スクールには何の関係もない話ですが、講演会のお話がとてもよかったので、皆さんにもお伝えしたく、この日記に書かせていただきます。

道立緑ヶ丘病院の児童精神科田中先生のご講演でした。演題は「DVの子供に及ぼす影響」というものだったのですが、医学的見地から暴力に走る人間の心理や、その中で育つ子供への影響を語ってくださいました。とても勉強になりました。

講演後の質疑応答の中で、困難な状態に置かれている子供たち、その後の親子関係をあれこれ語ってくださった部分が胸に染み入るお話でした。

田中先生のお知り合いの女性の方のお話です。お知り合いの方を仮にKさんとしておきましょう。Kさんは何かといっては暴力を振るう父のもとで育ちました。父の機嫌が限界状況に達してある日、幼いKさん姉妹は「出ていけ!」と言われます。家を出されたものの、寒い日で、行き場に困って近所の床屋さんに助けを求めたのだそうです。
夫婦仲が悪いのは近所でも噂になっていたので、子供たちを迎え入れた床屋のおっちゃん、ほとぼりが冷めるころまで置いてくれました。その後、Kさん姉妹は、両親の喧嘩が始まると、床屋のおっちゃんのところに身を寄せるようになります。床屋に置いてあるマンガを読んだりして時間をつぶしたそうです。
そういうことが何度か続いたある日、この床屋のおっちゃん、Kさんの家に乗り込んで行ったそうです。「夫婦喧嘩はともかく、その間、子供たちがどんな気持ちでいるのかあんたたちは考えたことがあるのか」と。さすがのKさんの父親も、少しは反省したようです。しかし、そう簡単に人間変われるものではありません。

こういう劣悪な家庭環境にあっては、赤の他人はとんでもない両親の元から子供を引き離した方がいいに決まっているとか、夫婦にしても別れるのが一番と勧めることでしょう。それがそう簡単にいかないのが家族で、Kさんも父親を恨みこそすれ、病気になったら「それみたことか」と思いそうなものだけれども、そうではなかったというお話をされました。

Kさんは長じて何年もの間、実家に帰ることをしなかったそうですが、ある日、年老いた父親が怪我をして入院し、それが原因なのか痴呆のような症状が出てしまい、どこか病院を紹介してほしいと知り合いの田中先生に連絡をよこしたのだそうです。あんなにひどい父親に対して、そんな気持ちになるものなのかと驚いたそうです。父親の方も、病気が回復してから田中先生に連絡をよこしたのですが、こちらも「娘が大変お世話になっているそうで」というもので、これまたびっくりしたと言っていました。

家族の関係は他人がとやかく言えるほど簡単なものではないということと、育てられる者が、育てる側に回ったときに、見る目が変わるということ。長い年月がかかるかもしれないけれど、わかりあえるときがくることもあるということ。
もちろん、ケースバイケースで、例えば命にかかわるような重大な事態になってしまうこともなきにしもあらずなので、「待つ」だけではどうしようもないこともあるけれども。

辛い子供時代を送ったKさんは、「本当にひどい父親だったけれど、床屋のおっちゃんが心の支えだった」と語ったそうです。床屋のおっちゃんがいてくれると思うと頑張れたと。

田中先生は、今の世の中、人に何かを言ったら刺されるかもしれない、なんということもあるのは事実だけれど、それでもこの床屋のおっちゃんのようでありたいと言われました。

SOSをキャッチするにも能力が要るわけだけれども、発せられたSOSに反応する人間でありたいということでしょうか。
育てられる者から育てる者へという表現も心に響きました。今の世の中、幾つになっても「育てられる」側で居続ける人も多いのだろうな。さて、皆さんはいかがですか?


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Hiroko Watanabe [MAIL] [HOMEPAGE]

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