いぬの日記

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2006年05月27日(土) 夏になってもこのくらい涼しいままでいいと思う

気になること


・西尾維新ノベライズ化のデスノートと×××HOLIC
デスノートはL主人公だし、ホリックも本編設定を使った全然別の話になるんだろうな〜。
取りあえず普通に新作が楽しみ。
周囲の清涼院御大ファンには滅法評判悪い「ダブルダウン勘繰郎」を読んだので、アナザーワールド化したらどんな感じになるのか想像がつくようになりました。
世界観だけで、本編と全く接点ないでしょう。
これはこれで安心だな。
多分あくまでも、西尾維新は西尾維新。
個人的には、いちいち作りものめいてちゃちい雰囲気もあるけど質は安定で良く出来ていて満足、という安心感があります。
「ダブルダウン勘繰郎」もそれなりに面白かった。
あれは表紙が何より上出来です。
森博嗣原作の「黒猫の三角」コミック版を思い出したよ。
森博嗣本人が「絵が上手すぎて、絵の表現で意図せずにネタバレっぽくなってしまっている」と言うようなことをどこかで書いていました。
あのくらいベストチョイス!ジョージ朝倉さん素晴らしい。
西尾維新はイラストレーターや装丁に恵まれてるなあ。
それだけ本人にこだわりがあるということなのかな。
この人は基本青春小説なので、意外と読後感爽やかなのが好きです。
読後びみょうなのはニンギョウガニンギョウぐらいだな。
若いのに何か、ある意味すでに作品が完成されているように感じるのですが、この人は30代40代になっても同じような雰囲気で作品を書き続けるのかな?
これからどんな風に変わっていくのか、楽しみな作家さんです。



・陽気なギャングが地球を回すの映画
まだ見に行ってない!


・近所の図書館
丸2年くらい行ってない。
行きたくなってきたけど、実習の時に顔覚えている人がいたらやだなーと勝手に思って行きにくい


・ヨガ
気持ちよさそう


・スポーツブラ
たまに上胸から、怪我も何もしていないのに血がうっすら滲んでることがあってずっと不思議でした。
スポーツなどで<胸の靭帯「クーパー靭帯」の損傷>が起こり、たれる原因になるというよーな記事をネットで見て恐れおののいています。
そこまで大きくはありませんは、体内でぶちぶち小さい血管が切れているのを想像すると恐怖以外の何者でもありません。
ふおおおお。
別にスポーツもランニングもしていないのですが、何か買わなきゃ・・・!と通販サイトめぐりなどしてしまいました。
筋肉が落ち脂肪が溜まり足が太くなり腹が出て、それは摂取と消費のバランスの問題なので、まー納得できるのですが、胸がたれるのは嫌だなあ。
それって私のせいじゃないよ、という理不尽さを感じます。
でも、こんな脂肪の塊、皮膚一枚でいつまでもぶら下げていられる訳がないよな〜伸びるのも当然です。
自然のままにそうなるは嫌なので、科学で対応しよう。
どうやらポイントはデコルテ(あごから胸にかけて)の保湿と下着らしいです。







<お題バトン>
伊万里さんにいただきました。
ありがとうコンチクショウ!


お題、『恋』…。


もはやイジメというかネタでしょう
私も毎回「語るほどのことはありません」と言いながら書くのも何だかな〜と思いつつ、だからと言って書く内容が増えるわけもなく




■パソコンまたは本棚に入ってる「恋」は
伊万里さんの回答編がそれで小説が書けそうなほど気のきいた(て言うのも変だけど)面白い回答で、ほ〜!と思ったのだけど、ごめん、そういうのは書けそうにない。
むう。
ハウルの動く城を見に行った時に「これは恋?!」と思って勢いのまま買ってきたパンフが本棚に入っています。
劇場公開はトータル3回も見に行った訳ですが(新記録)、第一回目は当時付き合っていた人と行きました。
隣に座った相手を置いてけぼりで大画面にフォールインラブでした。
向こうは「訳がわからなかった。話の流れが分からん」と言っていたので、つい色々自分推測の解説を語ってしまって多分引かれた・・・。


そういえば、当時私の本棚に入っている一番長い漫画が「遊戯王」だったので、相手も私が遊戯王好きだということは知っていたけど、おたくたる証のどうじんしは見せませんでした。
自分から距離をとっていた印のような気もして、思い出すとなんだかなーと思います。
でも、別に理解してほしかったわけでもないしなあ。嘘をついたり繕っていたわけでもない。
だから、後悔している訳ではありません。
まー部屋に溢れる漫画と小説と本棚とブライスを見ればある程度おたく度の推測はできただろう。
逆に言えば、見せなかったのはどうじんしだけで、その他はダダ漏れ大公開だったわけで。


あっ・・・なに?全然甘くないよ、この語り、薄暗くよどんでない?!




■今妄想してる「恋」は
不可抗力で己では止めようがなく、自分すら変わっていく恋、というのが現実に存在しているという実感があんまりありません。
「恋」は一つの記号として、今までに見たり読んだりしたたくさんの物語の重要なファクターとして覚えました。
記号の「恋」を切り貼りして継ぎはぎして、文章にして遊んだりするのは、まー妄想と言えなくもない。
ドーパミンがわーっと出てときめいたりするのは、すごく楽しいけど、相手のことで一喜一憂するのが疲れるからのめりこめない。
こんな怠けたこと言ってたら石田衣良に怒られてしまうな〜。
でも、「疲れるから」という理由で避けてしまえる程度のものが恋なのかな?という気もするのです。
古今東西賢人から愚人まで、割に合わないと分かっていてもそれに夢中になってきた、人間の生存本能が、面倒だからいいや〜で避けられる程度のものなら、むしろ別に必要じゃないのかなーと思ったり。
つまり、結局、「恋」にはだいぶ夢見がちなわけです。
この年でこんなことを妄想しているのは、我ながら相当恥ずかしくて人前では言えません。




■最初に出会った「恋」は
初めてショックを受けた「恋」は、小学校の時に同級生から告白されたこと。
男子の中に混じって遊ぶようなこどもだったし、男・女で弾かれるのが悔しかった。
大人になりたくない、じゃなくて、女になりたくない、という意識があって、突然異性として扱われたのが酷くショックでした。
相手の気持ちに応えるとか、それどころじゃなかった。
最初は相手に腹を立てていたのだけど、「嫌だ!」と思ってしまった自分に対して負い目を感じてもいました。
言われたことに対して何か答えるべきなんじゃないかと思って、でも答えるべき言葉が自分の中になくて、悶々として誰にも相談もできなかった。
向こうもどうして良いか分からなかったらしく、言いっぱなしでその後フォローもなかったし、結局返答もできずにうやむやに避けてしまった形でした。
今考えると、クラス替えだからって勇気を振り絞った相手に対して、ひどいことをしたのだろう。


あー薄暗い。




■特別な思い入れのある「恋」は
・・・えーと。
多分絶対数が少ないから、だから数少ない思い出をほじくって薄暗い気持ちになるはめになるんだわ。
これを書き終えたらもーしばらく(数年は)恋愛バトン系はいいわ。
小学1年生のときクラスの男の子をすごくいいな!と思っていて、バレンタインにチョコレートをあげました。
その時添付した手紙は今目の前にあったら即座に火をつけて埋めたいくらいの思い出深さ。
思い出すと羞恥でうずくまるほどの浮かれテンション空周りな時期だったけど、あれがもしかしたら一番「恋」してたのかも。
相手のことはファーストネームと面影しか覚えていませんが、まー片思いって幻想だっていうしさ。


わりと早熟で、その後思春期にかけて恋愛オンチまっしぐらに閉じこもっていった感のある成長履歴です。




■5人にお題付きで回してください
とりあえずここで終了。バタリ
(あーわたしやはり恋の経験をつむべきなのかもしれないけどなんかもーむりぽ。このまま欠けたところのあるまま生きていっても別にいいんじゃない恋とは違う形で残せるものもあるんじゃないとか、後ろ向きなのか前向きなのか、どっちかというと後ろ向き上向きなことを考え出す始末)


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