いぬの日記
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某復活ジャンルの神サイトの小説を、携帯のフルブラウザで読むという禁断の技を会得してしまい、膨大な量の小説を読み漁る一週間。 (何が禁断かっていうと多分社会人的に・・・誰にも迷惑かけないけど踏み出すとまずい一歩っていうか・・・) なんか、気づけば色々と実生活に支障をきたしています。 文字通り寝食を忘れそうで日中の作業に支障をきたしそうだった。 4月頭に会社の方針説明会とか、人事移動にともなう諸々の雑事(ていうには多い)とか、なんか気がつけばいつの間にか作業が詰め詰めになっている。 びっくりだ。 あれー。 こんなことなら3月もっと遊んどけば良かった。 いや遊んでましたが。
サルサも久しぶりに行ってみました。 やはり、知らん人と交流したりするのはめんどくさい。 やけに愛想のいい中年手前の男の人だったりすると、相手に他意が無くても更にめんどくさい。 でも踊るのは楽しいな〜。好きです。 人と踊ると、一人ひとり全く違うということに改めて驚きます。 手のつなぎ方、足の踏み出し方、リズムのとり方、リードの仕方、視線の合わし方、表情、体温、筋肉の硬さ、動きのしなやかさ、匂い、身長、自分の目の前にある肩の形。 曲の鳴っている2・3分間の間だけ、自分と違う、他の誰とも違う相手を全身で感じる。 それはすごく面白い。 曲が終わるとアッサリ離れるから面倒もないしな。(えー) なんか、見知らぬ他人とのコミュニケーションなんざこれ(ダンス)で十分という気になります。
会社だと否応無しに大量の人と出会うので、最近ちょっと知り合い増やすのが面倒になってます。 自分の好きな人以外にはそんなに興味ない。 会社の、自分の仕事と直接関わる訳でもない人なんざ、わりとどうでもいい・・・。 元々人の名前を覚えるのは遅い。 自分のことで手一杯で、他人に対する興味は薄い方なんだろう。 (でもまあ、働いている限り、何かの形で関わっているし関わってくる。ということは少しずつ分かってきました。面白い。少なくとも同じ組織にいる時点で、何らかの役目を担い合っているわけで、無関係ということはありえない。知り合いを増やすのは、大事。人との接点は財産)
でも、相手を傷つける悪意がなく、最低限失礼でもなければ、あとはどうでもいいじゃない・・・みたいな・・・良く分かんないよ社会常識と礼儀が。 つまり物知らずです!甘やかされてます!すみません。 陰口叩かないとか普通に親切にするとか公共エリアを汚さないとか自分より弱いものを虐げないとか、それができてりゃ人間として上等じゃない・・・。 と思うんだけど、でもそれを自分で信じられないというか、ぱしんと一本自分の中に軸が通っていないので、いつもふらふら弱気です。 頑固になりたいわけではない。 頭のてっぺんから重力にひかれてストンと伸びているような、軸があるようになりたい。 自分の根底というか、基本が卑屈で臆病なのがたまにすごーくイヤなのだけど、多分それは自分に自信がないことからきていて、それは何故かというと、決めたことをきちんとやれないだらしなさ・意志の弱さがさらに元にあるような気がする。 自分のことは好きだけど、自分で自分のことは信じられない。 おいおい、それって寂しいんじゃないか・・・。 うーむ。
自分で思っているより賢くも強くも正しくもないということは、とうに昔に知っている。 それでも、この年になっても全然自分というものを知らなくて、未だに知らなかった自分に出会う。 それは結構面白いことだ。大したことないと思っていた自分もけっこー奥が深い。 更に面白いことに、新しい自分に気づくタイミングは、大抵、他人の新たな一面について発見した時に一緒にやってくる。 あー私って人を見る目ないなー第一印象と違ってこんな人なんだー今は尊敬している、とか、うわこの人こういう人!深い(笑)!とか。 ああこんな風に思っていたなんて全然知らなかった、こっちの気持ち伝わってないし、私も全然気づかなかった・・・とか。
この生きている肉体にやどる「自分」というたかが一個の精神についてさえ、私はこんなに苦心していて、まだまだ全然知らなくてコントロールもできなくて、その上さらに地球には同じように生きている人間がわんさといて、それが一人ひとり中身の違う人間で、人種まで違って、なんかもー考えると広すぎて果てしなくてわけかわんなくなる。 笑ってしまう。 このように小さな私には世界征服なんて無理だなと思う。
思うんだけど、他人を支配したりコントロールするためには、多分、それぞれの中身が一個の独立した人格だという考え方を忘れなければならないのだろう。 百人百様といえども、分類していけばいくらでもくくれる。 だから心理学があるし、生い立ちや行動で精神分析もできる。 それぞれちょっとずつ違うけど、同じ文化・同じ環境で育ったなら、行動様式に大した差異はない。 同じ生き物なわけだし。 そういう風に個別の人格をみなければ、大きな単位の人間をコントロールすることは可能なはず。 牧場やペットのように、動物の習性や本能を使ってコントロールすることは、実際に行われている。 だけど、そのためには、他人の人格を認めないことと、自分自身を一個の人格と認めないことが必要になるのかもしれない。 自分自信も駒扱いするとか、自分を超越者と信じるとか、自分の民族を他より抜きん出た優秀な種族だと思うとか。 (ちなみに私の好みの設定は一番目です(聞いてない)) とか。 たくさんの他人と、やっかいな自分に手を焼きながら、脱線したことを考えたり。
・・・ていうか、総括すると、私疲れてるな!わー。 明日の電王とマイメロすっきりを楽しもう。 マイメロすっきり・・・すっきりしたらイイナ・・・。
先日のカラオケでUPTOWN GIRLを久々に聞いて懐かしかったので、ビリージョエルのベストを聞いています。 偉大なるメロディメーカー!歌詞もロマンチックで良いです。 素顔のままにとか、男の人が歌ってるの聞いたらちょっと参るかも。 まー日本人が歌うには甘すぎですね。
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