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2005年08月15日(月) ■ |
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Vol.599 右腕を失ったおじさん |
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おはようございます。りょうちんです。
千葉からは遥か離れた九州は熊本県、阿蘇山の麓に、母方の遠い親戚がある。俺が4歳の時の祖父の葬儀の席で、俺はそのおじさんに出会った。おじさんは右腕がなかった。なんでも戦争で出兵した際、手榴弾を右手に受けて肩から先を切断したんだそうだ。命は助かったものの、その後は右腕がない生活をしなくてはならなくなり、俺が会ったその時もおじさんはすべての動作を左手だけでこなしていた。 おじさんに呼ばれて、小さな俺はひざに抱かれて一緒にごはんを食べた。おじさんの喪服は中身のない右腕の部分だけがぶらぶらしていて、おじさんが動くたびに揺れていた。ひざに座りながらテーブルに茶碗を置いて器用に左手だけで食事をするおじさんを見て、俺は子供ながらにとても衝撃を受けた。 思い返してみれば、俺が戦争について真剣に考えるようになったのは、あの日おじさんに会ったことがきっかけだと思う。祖母からは戦時中の話を聞いたこともあったし、TVでは夏になると毎年のように平和祈念の特番もやっていたけれど。戦争を知らない俺はそれが遠い昔の出来事にしか思えなくても、実際に戦争で痛手を負ったおじさんを目の当たりにしたことで、戦争の悲惨さから目を背けるわけにはいかないと考えるようになった。だから今でも「戦争」というコトバを聞いて真っ先に思い浮かべるのは、右腕を失ったおじさんのことなのだ。 今年の夏がはじまりを告げた頃、おじさんが上京してきた。うれしいことにおじさんは俺のことを覚えていてくれて、俺にも会いたいと言ってくれたんだそうだ。俺もとても会いたかったのだが、どうしてもお互いの日程が合わず、約30年ぶりの再会を果たすことはできなかった。おじさんもすっかり歳を取り、今や80歳を過ぎてすっかりおじいちゃんになってしまったそうだが。今度会う時は、俺が熊本まで足を運ばなくっちゃ。 戦後60年を迎えた今日、戦争について改めて考えた俺は、おじさんに手紙を書いてみようとココロに決めた。
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