猫の足跡
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2002年02月01日(金) 愛社精神ってなんだろう?

 特に書くべきこともない1日だったので、最近思って書いておいたことを…。

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 もうすぐ、私が最初に勤務した会社がなくなる。

 業界再編の波の中、一昨年合併が決まった。
 お相手は3倍の規模を誇る業界2位企業と、私が勤務した会社よりも小さい業界下から何番目という企業。3社合併の予定で調印がされた。規模的には大きく異なるが、私が勤務した会社は企業分野に強みがあり、企業分野に弱い合併相手としては、非常に魅力的な花嫁と言われていた。

 合併期日は2002年4月1日。このご時世、仕方がないこととはいえ、よい決断だとその当時の私は思った。諸般の事情で辞めた身ではあっても、愛着を感じている。会社名は変わったとしても、発展していって欲しいと心から願った。

 合併に向けて、少しでも「貰われていく身」の意地を見せようと、今2001年度は最後の力の見せ所だった。合併比率は株価を中心に決まるので、収益構造を作り、株価を上げようと、みんな頑張っていた。現に、昨2000年度は、売上こそ減らしたものの、過去最高益を計上し、士気は上がっていた。今期も頑張っていると聞いていた。

 ところが、全てを9月11日の事件が変えてしまった。
 あの事件があった直後に、契約の大部分を見る部署の偉いサンと飲む機会があり、「ウチの部署でやってるほう(主契約)は問題ないよ、残りは○○部の分だけだけど、ま、大丈夫だろう。今、そこの部長が米国出張らしいよ」との話だった。ひと安心だな、と思っていたに…。

 その「残りの○○部の分」が大変なことだったと知ったのは、数ヶ月たったある日のニュース報道だった。リスクの高い契約が数百億円の大損害につながったのである。数千人規模のわずか20人に満たない部署が受けた、たった1つの契約が、会社を傾けた。我が社は大損害ではあるが、かろうじて生き残り、同一契約に絡んだ別の会社は破綻に追い込まれた。
 
 今、思えば、確かに私の在職中から、そこの部長は「ウチの部は小さくて目立たないけれど、営業より効率良く稼いでいる我が社の収益源なんだから(いい人よこせ、云々)」とよく言っていた。我が社は、堅実な資金運用で、バブルの時期にも傷つかなかったというのを誇りにしていた企業で、他社からは「石橋を叩いて渡れない」と陰口をたたかれるほどだったので、まさか、その収益源とやらにリスクがあるとは全く知らなかった(当時、ヒラ社員だから当たり前だが)。

 後から聞いた話では、「合併を機に、リスクはきれいにしよう」と役員命令があり、そこの部長が契約解除をしに出張した日に、あのテロが起こったそうだが、後の祭りとはこういうことを言うのだろう。あの日飲んでたおっさんたちも、全く寝耳に水だったと言っていた。

 あれ以来、士気は急激に下がっている。前職時代一緒に仕事をした人たちは、優秀な人ばかりだったから順調に出世して、会社の枢軸を担っているが、彼らの顔色も冴えない。株価もテロ前の40%程度の水準に下がってしまった。

 私自身、たとえ会社がなくなっても、胸をはって「△△出身です」と言いたいと思っていたが、悲しいことに、この件では口ごもるしかない。だって、「結果としては馬鹿だった」としか言いようがないから。

 ここのところ頻発する、雪印をはじめとする、優良と呼ばれる企業が起こす不祥事を耳にするたびに思う。「社員と、その家族は辛いだろうな」と。自分の周りの99%は、善良で、優秀で、頑張って仕事をしている人ばかりなのに、同じ企業の中で、こういうことが起こるとは思っていなかったはずだから。「今まで自分たちが頑張って積み上げてきた毎日はなんだったんだろうか」と胸の中に大きな穴があいたような気がしているのではないだろうか。

 組織の中で働く=起きている時間の大部分をそこで過ごす、のだから、そのことに誇りを持ちたいし、楽しい時間でありたいと思い、そうするために持てる力の全てを注いで働いた。そこから愛社精神が生まれ、それは今でも変わらない。なのに、事件によって、時に、愛は報われないということを知り、私は傷ついている。
 私が泣き、笑い、怒りながら懸命に働いた、あの日々は蜃気楼のように消えてしまったのだろうか?


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