猫の足跡
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2002年02月02日(土) 愛される子供

 風邪が治りきっていないので、部屋で一日をおとなしく過ごしました。
 J嬢よりスパに行こうというお誘いがかかったけれど、ごめんね、また次回と断ってしまった。残念。

 部屋でネットサーフィンをしていたところ、友人T嬢がサイトで「母親にことあるごとにほめて育てられた」「“こんな私でもこの人にとっては可愛いんだなあ、いや可愛くあらねば”というような、妙な自信と矜持が育まれる」と書いていたのを思い出し、再読。あらためて、いいなあ。と感想を持ちました。

 いや、私が可愛がられて育たなかった。というわけではないのです。私は一人っ子で、子供の頃比較的病弱だった関係もあり、それはそれは可愛がられて育ったはずです。母は産後の経過が悪く死にかけるわ、父は私が3歳ごろやっぱり死にかけて、2年間入院するわで、余計に不憫で可愛かったことでしょう。

 でも、それが我が家の場合には「一人でも生きていける強い子供に育って欲しい」という方向に働いたようで…。幼い私の心には、「可愛がられて育つと、甘やかされてろくなことはない」という言葉が刻み込まれて、両親の愛情をひしひしと感じながらもそれを素直に享受できなくなってしまったのです。

 一人っ子という事実に対して「あらー、いいわねー可愛がられて(または、何でも買ってもらえて)」といいつつ貶められる(裏に「そんな子はわがままな悪い子に育つのよ」という言葉が透けて見えた)ことの多かった、当時の風潮への反発(そんなものを3歳くらいから抱えていた私は早熟で異常だったと思う)も手伝って、愛情に対して妙にストイックになってしまった私。

 ああ、私の子供の頃の武勇伝ったら…。そして、今に至る「へそまがり」列伝ったら…。さすがにこの年になって、愛情を素直に表現し、受けとることの大切さを知るようになっても、それを不器用にしかできない情けなさ。

 友人K嬢が、ある漫画の主人公を見ると私を思い出すと言いましたが、スペックはともかく、こういう部分がそう言わせてしまうのだろうなあ。
 はあ、これってなんとかならんものかしら。


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