猫の足跡
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2002年05月12日(日) 彼らが語るように、このことについて議論を重ねる意味はないのだけれど

 もう、あらゆる人々に語り尽くされていることでしょうし、私が何か言う意味はないのですが、思いのたけを吐き出さないと、次のレースを見る気がしないので、日記であることを言い訳に自分の感情を吐露します。

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 私は、昨晩の出来事は、「チームの勝利のためにシューの名誉を犠牲にした」と理解している。言い換えれば、満員の観衆の面前で偽りのトロフィーを与えられることによって、彼は辱められてしまったと感じている。

 昨日のレースで、一番の被害者はシューだ。

 バリチェロは、圧倒的な優位でレースを支配し、己の契約に従って最後に見かけ上の勝ちは譲ったが、「真の勝者」としての名誉を勝ち得た。
 シューの実力は、疑うものはいない。でも、このような勝利を得ることによって、彼は、勝者に対する尊敬を失ってしまった。

 もう、何度目だろう。でも、これまでのケースは弁解のしようがあった。今回の状況はいつにも増して残酷だ。

 ウイニング・ランで彼は手をあげて振る仕草をみせた。でも、それは、いつもの拳を天に突き上げるような歓喜のポーズではなく、「どうか自分を見ないでくれ」とバイザーを手で隠しているように見えた。ちょうど、カメラのフラッシュを避けるスキャンダル女優のように。
 長いウイニング・ランを終えて、彼は車から重い腰をあげた。気遣わしげに見守る弟の視線を避け、バリチェロにもたれかかるように、その肩を抱き、額を摺り寄せるように頭を傾け、何か話し掛けていた。

 こんなシューは見たくない。

 力の差が明白なレースで、正々堂々と最後まで闘って敗北を認め、勝者を讃えることが許されないなんて、なんという悲劇だろう。彼は、レーシングドライバーであって「優勝マシン」ではないのに、そんなことがあっていいのだろうか。

 プレカンで、記者からの容赦のない質問に答え、カメラを見つめる瞳にたたえられた絶望を見て、私は「彼は、モナコでわだかまりなく走ることができるんだろうか。自分がレーシングドライバーではなく巨大なF1ビジネスの歯車のひとつであることを、このような形で思い知らされ、それでも彼はこれまでと同じように走ることができるんだろうか」と思った。おそらく、レースに出たときにはきっと普段どおりの走りをするのだろうから、これは単なる杞憂なのだろうけれど、それほどまでに深い絶望を私は感じた。
 そして、思った。「表彰台も、記者会見も放り投げてむくれる弱さか、“自分がナンバーワンなんだから当然だ”とうそぶくだけの強さがあれば、どんなに楽だろうに」と。

 でも、生真面目な彼は、それをしなかった。そして、表彰台の中央も、プレカンのウィナーズシートも、優勝者に与えられる1st.の帽子も、そしてトロフィーも、全てバリチェロに渡し、ブーイングとその後に起こった批判の嵐だけを甘んじて受けた。「自分は(チームオーダーが出ることを)知らなかったし、出してほしいとは思わなかった」という内容でチームの決定を批判するコメントはしたけれども。

 シューの瞳は、いつもとても雄弁で、本人がいかに冷静さを装っても、その無防備で繊細な、子供のような心を語ってしまっている。レースの時には、勝利のみを追求する神か鬼かはたまた獣かという「何かが憑いた」ような集中を見せ、家族に向ける瞳からは、親愛の情がこぼれおちてくる。
 マスコミからの執拗な取材から自分を守るために、かたくなな殻をかぶってはいるけれど、私には彼を「冷血人間」や「ターミネーター」という人々が分からない。あんなに感情をあらわにする、脆い人間は珍しいくらいなのに。
 
 今回、彼の理性はぎりぎりのところで維持されていたように見えた。彼の瞳は痛々しく、いつ涙が溢れてきてもおかしくなかった。それを守ったのはバリチェロの器の大きさと、チームおよびその背後で彼らの1勝のために働くたくさんの人々に対する彼の義務感だろうと思う。

 そう、F1が完全な意味での「スポーツ」ではないことを私達は知っている。もはや、その背後に絡む利権は限りなく大きく、自動車メーカーやメディア、株主の思惑が入り乱れるビッグビジネスであることを理解している。シューマッハの1勝は、彼だけの1勝ではないことも。
 でも、私達は限りなく、スポーツであって欲しいと願っている。

 誓って言う。シューマッハの魅力は、彼が得た勝利の数にあるのではない。誰もが、到底無理だろうと思うような状況で、マシンを攻めて、不可能を可能にするような走りそのものにある。F1の魅力もそうだ。誰が何勝するかが面白いのではない。どのようなレースを繰り広げて勝利にたどり着くかが面白いのだ。

 だから、私達観衆は、限りなくスポーツであることを望んでいる。ここを履き違えることがあってはならないのだと思う。

 「もう、見るのやめようか」
そう感じさせるようなことは止めて欲しいと思う。シューファンの私がそう思うのだから、私よりももっとそういう人は多いのだと思う(シュー好きだからそう思うという面も否定しないけれど)。
 批判が勝者に向かうことはやむをえないけれど、今回の件で、責められるべきはオーダーを出したフェラーリチームである。

 FIAには、英断を求めたい。

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 さて、こうなってしまったことは取り返しがつかないのですから、シューさん。あまり悩まず「あとは自力でバリチェロにかすりもさせず全戦PtoW」くらいのプライドを見せて欲しいですね。それでこそ最多勝ドライバーの価値があるというものでしょう。勝手ないちファンの希望ですけれど。


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