猫の足跡
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2002年05月21日(火) ロマンティックな愛の海辺をセイウチとともに…

 ピナ・バウシュ率いる「ヴッパタール舞踏団」公演 『炎のマズルカ』を観ました。

 昔々、まだ中学生か高校生の頃、一度観たことがあったのですが、そのときは、全く理解できず、ただただその表現に圧倒されただけだったことを憶えています。演目は思い出せないのですが、「大人になれば理解できるんだろうか」と釈然としない思いを抱いて無言のまま帰途についた長い坂道を忘れられません。
 いまや、酸いも甘いもわきまえた立派な30女。感性もまだ衰えてはいないつもり。というわけで、あのときの疑問を晴らすならば今しかない。とT嬢を誘って観に行きました。

以下、テーマをプログラムから転載。
 −ロマンティックな愛の海と影―
白一色の舞台。噴出した溶岩は岸辺で黒く固結。
人はどこでも、生命の営みを行い、人生を楽しむ場所を見つけることができる。浜辺の小さな小屋の中で夜更けまで踊り続け、また大海原の波に身をまかせてこころの傷を癒し、はるか遠くに想いをはせる。鳥をうらやみ、咲く花を思い、花の陰に沈む。
互いに張り合い、対立するいがみあいも、世界がダンスの場となるとき、大よそカタがつく。恐れを知らぬダンサーたちが爆発する。音楽は、ポルトガルのファド、ブラジルのサンバ、タンゴ、ジャズ、様々なパーカッション音楽など。
制作ノートより:巨大な岩場(溶岩)。セイウチが這い回る。

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まず、音楽と映像、そして衣装の使い方がとてもうまいことが印象的です。ラテン系の音楽と、白い箱のような舞台に投影されるラテンヨーロッパとアフリカの風景や人々のスクリーン映像、女性ダンサーの纏うシンプルだけれどしなやかでひらひらしたスリップドレス。これらが組み合わさって、男女間の和合や対立、情熱など生命表現になっていました。
ダンサーは、さすがコンテンポラリー。人種も表現も多種多様にわたっていて、まさに「タンツ・テアター」という言葉が示すとおり、単なるダンサーというよりも、表現者というべきなのかもしれません。クラシック・バレエの(特にロシアのバレエを筆頭とする)究極の型(や美)があってそれに限りなく近づこうとする、完成されたアプローチとは全く異なっています。まず、表現すべきテーマがあり、その目的を達すれば、どんなアプローチも許されるとでもいうのでしょうか。さすがに、ローザンヌでクラシック一筋の英才教育を受けて来た若いバレエ・ダンサーがとまどいながら踊る「コンテンポラリー」とは一味もふた味もちがった迫力があります。
で、肝心の内容ですが…。ううむむむむ、理解不能というのが率直な感想です。ストーリーは全く無いし、ただ、その場ごとの表現が延々と繰り広げられるだけです。途中でいろいろなメタファーが示されるのだけれど、やっぱりそれも分からないです。イマジネーションの羅列というかなんというか。
「タンツ・テアター」なので、ダンサーがカタコトの日本語でセリフをいうのですが、内容は不条理だし、アクセントは「ワタ−シノ セン・セイハ イーツモ セイトニ キキ・マス」とかガイジン語だし、シュールさを極大化するのに大いに役立っている状態。
水芸はあるし、生きた鶏は出てくるし。もう、わけが分からなくて、ダンスは決して美しくないのに妙に引き込まれて…と、当惑だらけの1幕目だったのですが、ラストで、着ぐるみのセイウチがダンサーの背後で這ってる(というよりいざってる)のに、ハート鷲掴み。おかしくておかしくて、笑い転げるのをなんとか防ごうと、肩がひくひく震えて困りました。
 さすがに2幕目になると、1幕目に繰り広げられたイマジネーションの羅列がだんだんとクライマックスに向けて収斂していき、表現の繰り返しや展開に、演出者(振付家)のメッセージが伝わってくるようになりました。そして、いろいろな花がつぼみから開花する瞬間の映像が延々と繰り広げられる中、海辺で愛を語らうカップルというようなラストに至っては、「ああ、人の営みなのね、愛なのね、ロマンティックだわ〜、ラテン的だわ〜」とか思ってしまうわけです。

結局、全然理解できていないのに、ただただ、翻弄されて最後は妙に納得してしまっただけというカンジで…。
それなのに、隣の洗練されたインテリ自由業風おじさん(一人で観にきていた)は、もう途中でふむふむ、うーんとかうなずいちゃったりしているのです。私がセイウチにやられてヒクヒクしているその隣で。カーテンコールも、こちらが狐につままれたような当惑と感動を味わっているのに、周りの観客は、スタンディング・オベイションなのです。「ホントにそこまで理解できたのか?理解できてないのにフリだけしてるんじゃないかぁ?」と、首根っこつかまえて絡みたくなってしまう私。いや、もちろん、理解できていらっしゃる方々もおいででしょうけど。観客層がコンテンポラリーとクラシックって明らかに違って、見るからに小難しい哲学書とかが好きそうな大人が多いから(だから観客席が埋まらないんだ。きっと)。

一晩たって思い返せば、昨年もベルギーだかどこかの前衛バレエ団の公演を見に行って、ただ翻弄されて帰ったんだっけ。学習能力の欠如に頭を抱えながらも、「理解できなくても、けっこう、コンテンポラリー好きなのかもしれない」と思う蚊取犬でした。


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