猫の足跡
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2002年07月15日(月) |
少女マンガの行方について |
故あって『少女マンガ』を継続して読むことになりました。もともと、それなりにいいかげんなマンガ読みではあるものの、20歳過ぎてからは、少女マンガにはほとんど手を出さなくなってしまっていましたので、10年以上ぶりの復活です。 復活するにあたって、なぜ少年誌は読むのに少女誌は読まなくなったのか?を振り返って考えると、
(1)パステルピンクとベビーブルーとレモンイエローの星もしくはハートで彩られたオメメキラキラの女の子という世界がつらくなった (2)いわゆる“読ませる”作家さんが少女誌を卒業してレディス/ヤング・レディス系新雑誌に移動したのでそのまま引きずられた
という2つの要因に思い至りました。前者は自分の成長という内的要因、後者は市場の成熟という外的要因ですかね。少女誌のターゲットが依然として少女であるのに対し、少年誌のターゲットが実は既に少年ではなくなっているという現実もあるのでしょうが。
で、その分析はともかく、感想。
身近な異性に発情する以外、やることないのかーっ!!!こいつらは。
読んだ雑誌がたまたまそういう趣向だったのかもしれませんが、セクシー、えっち、恋、ラブ、愛。だらけ…っていうより『それだけ。』
【一般的な展開】 主人公は高校1年生くらいの女の子。 近所か同じクラスの男の子、もしくは偶然の出会いで知り合った大学生または異界からの訪問者、あるいは先生を好きになる(反発したり、マブダチのケースもあるが、実はみえみえで意識している)。 ↓ 相手も自分のことを意識しているみたい! ↓ 両思いになりたい…っていうよりむしろ、キスしたい、セックスしたい。妄想が高まる。 ↓ ちょっとしたすれ違い、思い違い、妨害。事件の発生。 ↓ 「ホントはお前が好きなんだ」男からの告白、もしくは事件からの救出。 ↓ 結ばれる。(この言葉、即物的な意味で使われるのは大嫌いですが、あえて使用) キス必須。ディープキスは当たり前。耳たぶ、首筋、鎖骨、乳首、乳房への愛撫は常道。男性視点ではないため、もろ性器アップ、フェラチオ、射精シーンが無いのは特徴ではありますが、「裸エプロン立ちバック」だの「お祭り(だか花火だか)はだけ浴衣青カン」だのやりたい放題。 ↓ 最終コマ キスまたは明らかに事後にベッドで抱きしめられている絵。 まれにギャグっぽくかわすオチ。 いずれにしても「ずっと一緒にいようね」と愛の確認。 …そこには、本質的に傷つくことや葛藤すること無く、日常すらも無く、ただ身近な異性と身体で交わることで人間関係を確認するだけの少女の像がありました。これって、ある意味「恋愛ヒキコモリ」かも。
いやー、これって、俗悪小規模出版社の名も知れぬ安っぽいマンガ誌ではなくて、押しも押されぬ超大手出版社の伝統的少女マンガ誌の話ですよ!
多分、その出版社における少女マンガのフラッグシップであるはずですし、日本を代表する作家さんを輩出してきた雑誌だったはずです。80年代にはよく読んでいましたが、外つ国を舞台にした夢のようなおとぎ話あり、壮大なファンタジーやSFあり、スポーツその他のサクセスストーリーあり…。いずれも、舞台設定やキャラ、背景、時代考証を綿密に練り上げた上で、「出会いと別れ」「愛と憎しみ」「悲しみとよろこび」「苦難の末の達成」「危険とスリル」など『ドラマ』がしっかりと構成されていて、作家さんと編集者の渾身の『作品』が掲載されていた記憶があります。
それが変質してきたのは、80年代後半だったか、某作家さんが、高校生の男女が織りなす日常的なラブストーリーを、可愛い絵柄を武器にして心と身体の両面から描いて大成功したとき以来だと思います。当時は革新的でしたから(でも、その「革新」をずっと引きずったり、一雑誌まるごと毎月毎週やったりしたら、ただのマンネリなんですよね)。
それにしても、現代の少女マンガがここまで来ているとは…。おねえさんは、本気で悩みました…。どこに行ってしまうんだ、少女マンガよ!
これは、伝統的な男女の役割や家族制度の崩壊を危惧する保守的勢力、あるいは、日本経済が縮小している中で、女性が社会進出することによって、男性の絶対的優位が失われつつある雇用情勢や、少子高齢化による年金財政の破綻を懸念した厚生労働省が出版社を抱きこんで「国策」として少女の情操教育を行っているのだろうか?と。
まあ、保守勢力やお役人様などは、頭が固いので、くそ面白くもない「教育マンガ」までは考え付いても、「商業マンガ」を洗脳ツールとして使うだけの柔軟性を持たないことは百も承知ですが、…ということは、某超大国の仕業か?こういう荒唐無稽だけれども非常に効果的な長期的戦略を考えるのは…。それは勘繰りすぎか。
いやはや、厚生労働省は現代少女マンガをよく読んで、早急に性行為感染症対策に本腰を入れる必要があると思いますね。少子化対策どころか、10代後半からの妊娠可能年代の女性の過半数が、生命や不妊の危機を孕むウイルス・細菌などの保有者とかいうことにもなりかねませんから。
一部本気の混じった冗談はここまでにして、少女マンガの作家さん、担当者編集者のみなさまへ本気のお願い。
少女達の等身大の姿・気持ちでハッピーエンドを描くことには何ら異議は唱えません。でも、一誌のうちに何本か、恋愛マシーンのような少女が右往左往するだけの物語ではなく、人間としてキャラをきっちり立てて、生き方・考え方に共感できるようなドラマや、読んでいて理不尽さに焼けるような思いをしたり、登場人物に感情移入して涙がとまらないような物語、傷つくことによる成長を描いた作品を読ませて欲しいと思います。数十ページ先でハッピーエンドに転ずることがわかっている偽りのせつなさなんかではなくて。
あ、私、まるで道徳の教科書みたいなこと言ってるなあ。
お説教するつもりは無いのだけれど、ただ、少女期にこのマクドナルド的「せつなさ」に慣れてしまったら、少女から大人に移り変わる一瞬に、痛いほどせつない良質な小説にめぐり合っても、涙することができなくなってしまうのではないかと、それを危惧するのです。そうね、例えば、山田詠美編「せつない話」とか。とても不幸なことではないかと思うのです。
お願いです。ステロタイプのラブストーリー漬けで少女の感受性を潰さないで下さい。
…とはいいつつ、思えば、私達が子供のころも、「子供に低俗なマンガばっかり与えていると、良質な書籍を読まなくなり、精神の豊かさが損なわれる」とか言われていたんですよね…。 実際は、マンガは低俗なものばかりでもなかったし、良質な書籍をたくさん読む子供は、良質なマンガもたくさん読んでいたわけですから、今の状況に警鐘を鳴らす必要はないのかもしれないですけれど。
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